第205話ピロートーク

 拝啓お父様、お母様。

 最近はお日柄もよく、仕事も無事に終えられそうで嬉しいですね。

 私としても年を越す頃には仕事も無事に終えられそうな実感を受けて、いまからほんの少しだけワクワクしています。

 さて、本題ですがこの度私エルピス・アルヘオは寝ている間に大人の階段を登る事とになりました。


 /


 朝、目が覚めるといつも通りの天井がそこにはあった。

 いつもと変わらない景色、いつもと変わらない朝日でエルピスは目を覚ます。


 だがどこからか感じる違和感、神域を使用していないのに身体は警報を打ち鳴らしてくる。

 だがそんなものは気のせいだ、なんでもないと言い聞かせ痛む体と二日酔いで回らない頭のまま、あと数分寝直すかと体を横に傾けてエルピスは息を止めた。


(え? なんでエラがここに!? しかも結構ぐっすり……会いに来てくれたのか?

 それでベットに潜ったはいいけど寝ちゃったと考えるのが自然か、中々可愛いところがあるじゃ──)


 そこまで考えてエルピスは己の思考が間違っていた事に気がつく。

 規則正しく上下する胸は深い睡眠に入っている証である、だが彼女の露出した肩、シーツからはみ出した生足はエルピスがいままで見ようとして見れなかったものである。


 それは何故か、服によってその存在が隠されていたからに他ならない。

 触れられないからこそ絶対領域、観れないからこそ想像を掻き立てるそれはいまや触れられるし見ることもできる。

 エラはいま、服を着ていないのだ。


(よし、冷静になれ、冷静になれ俺! とりあえずそう、時を戻す魔法を作るところから……)

 現状を把握すれば昨日何があったかなど想像に難くない。

 まずエルピスは自分の記憶がどこまで残っているかを確認していた、酒を四杯目まで飲んだところ、そこまでは確かに覚えている。


 そこで師匠から受け取った果実を口に含み、そうしてそれを酒で無理やり流し込んでそれからの意識はもうない。

 意識がなくなるような酔い方をしたのは人生でこれが初めてのことだった。

 一度海神からもらった酒があまりにも美味しく一日中飲み続けていたことがあったが、あの時は大丈夫だったのにという考えがエルピスの頭をよぎる。

 エルピスは知らない、良い酒は酔い方も楽だし、酔っぱらうと言うこと自体そのものが自らの周りの空気感によっても変化していくものだと。


 一人で酒を飲んでいた時はもし何かあった時にはと気を張り続けていた、だが昨日は三人に囲まれて楽しくお酒を飲んでしまったのだ。

 気が緩んでしまったのは仕方がないことだと言えるだろうが、それで一晩の過ちを犯してしまったのだから罰が悪い。


 視線を下へと下ろしていき、エルピスは本当にソレをしたのならばあるだろうものを探して目をじっと凝らす。

 そしてベットの下の方、そこには綺麗な赤い染が刻まれていた。


「すいませんでした──っっ!!!!」


 ベットから飛び出て床に頭を埋める勢いで土下座をしたエルピスは、エラが寝ているという事実すら忘れて謝罪の言葉を述べる。

 付き合っているのだから同意の上ですればそういうこともあるだろう、それに関してはエルピスも満更ではない。


 だが今回に関してはエルピス側が意識を失っていた、そうして欲望が抑えきれなくなりエラを無理やり襲った可能性すらあるのだ。

 エラはいまやようやくエルピスの彼女として動く事に違和感がなくなってきたようだが、それでも緊張した時などには敬語が出たりと使用人であった頃の癖が抜けきっていない。

 エルピスが欲に溺れてお願いすれば実は嫌でも頼まれたから仕方なく──なんて事もあり得るのだ。


 わがまま勝手で五人も相手に選んでおきながらそんな体たらく、もし見限られて捨てられてもおかしくはない行いをしたのだという自負がエルピスの胸を締め付ける。

 自分は20にもなって一体何をしているのだ、酒と欲に溺れるなどと。


「…んっ、おはようエル。その……シちゃったね?」


 上半身を起こしながらもしっかりとシーツで胸元を隠したエラは、頬を赤く染めながら髪をかき上げてそんなことを口にする。

 ごくりと生唾を飲み込みながらも理性でそれを許容するべきでないと判断したエルピスは、慎重に言葉を選ぶ。


 エラが言うのだから手を出したのだろう、事実ベットにもその証拠が残っているのだからそれは確定的である。

 ならば言わばいまのこの状況はピロートークの場という事、最も男側の好感度を変化させる大事な大事なものなのだ。


 何を口にするべきだ? 体を気遣う? 昨日の夜について問いただす?

 前者はいいとして後者は論外だ、覚えているふりをするのも良くないだろうエラはこちらの嘘をまるで魔法でも使っているかのように見抜くことができる。

 ならば選ぶべきは前者だろう。


「お、おお、おはようエラ。身体は大丈夫? 痛いところは? 違和感とかない?」

「落ち着いてエル、私は大丈夫。こんな事を口に出すのはちょっと恥ずかしいけど、改めて貴方に愛されているんだって実感できた。

 でもちょっとまだ違和感はあるからできたら抱きしめてほしいな」

「そんな事でいいならいくらでも……」


 ベットの上に乗って怯えるようにしながらエラの元へと近寄っていくと、そっと身体を抱きしめられる。

 花の香りの中にほんのりとかすかに混ざる血の匂い、そして昨晩身体を重ねた事を分かっていてもなを裸のエラとシーツ一枚を隔てて抱き合っているという事態にエルピスの頭は完全に混乱してしまう。


 だがそれも一瞬のこと、ため息が漏れ出てしまいそうなほどの心地よさの中にあっては全てが夢のようなものである。


(──夢で思い出したけどもしかしてこれも創生神の思惑通り? あいつならやりかねないなぁ……事実ここに戻ってきているわけだし)


 普段のエラであればいまエルピスが止まっている宿屋よりももっと安全性も高く秘匿性の高い場所、アルヘオ家本邸を選んだことだろう。

 そこであれば誰にも知られることもなく、そして誰にも覗かれる心配もなく行為におよべたはずだ。


 だが酔っていた彼女は最も近い場所で比較的安全だと考えられるここを選んだ、その選択を予想していたのだとすれば彼の口にした言葉は真実味があると見ていいだろう。

 ピロートークの前に出てこなかったあたりどうやら常識も身につけているらしいなぁなんて事を考えていると、ふと耳たぶをエラにがぶりと噛まれてしまう。


「いたっ、痛いよエラどうしたの?」

「いま別の人のこと考えたでしょ、難しそうな顔してた」

「ごめん。エラを不快させるつもりじゃなかったんだ、最近はエラとの時間もあんまり作れてなかったよね。

 本当はもっと一緒に居たいんだけど」


 戦争なんてクソ喰らえ、人類なんて滅びればいい。

 そう口に出すのは簡単だが種を絶滅させるほどの大量虐殺を黙って見過ごせるはずもないし、もしそれが成就してしまえば破壊神の復活は完璧なものになる。

 そうすれば結局この世界は消えるので、そうなるとエラと共に歩むこれからの全てが消えてしまうわけだ。


 それを守るためにエルピスは日夜様々な手を打っているわけだが、それで彼女達誰か一人でも気が離れていってしまったのならばその時点でエルピスは喪失感に苛まれるだろう。

 彼女達がいるからこんなにも頑張れる、彼女達が支えてくれるからこそ動けているのだ、その心に嘘はない。


「分かってるよエルが一緒にいようとしてくれているのは、それにそれが難しいのは。

 最近のエルはいつ失敗してもおかしくない顔をしてた、余裕がなくなって怖い顔になってた。

 だからたまには一日くらい休みがあってもいいと思うよ、それもまた大切なことだと思うし」


 エラから指摘された事には身に覚えがあった、昨日エルピス自身もそろそろ自分に限界が近づいてきているという事に気がづいていたのだ。

 ようやく肩の荷が降りるような感覚になんとも言えない安心感を感じて、ようやく少し休むかとエルピスはもう一度ベットに深く身体を預ける。


「エラがそういうなら今日はゆっくりと休む事にするよ、ありがとう」

「うん、ゆっくりと休んで──って言いたいところなんだけどね、ごめんねエル。

 私の時間はここまで、これだけ貰っちゃったから後はちょっと譲らないとね?」

「えっ? それってどういう」


 唐突にバタンと扉が開かれるとおそらくそこにいるだろうと思っていた人物がそこにはいた。

 いつもはあまり目立たないように隠している耳をこれでもかと強調させながらぴょこぴょこさせ、尻尾をぶんぶんと風がこちらに来るほどの勢いで振り回してきたニルを見てエルピスは嫌な予感を覚える。


 いつも通り露出の少ないボーイッシュな服装、耳があるのに猫耳パーカーを着込んでいるあたりあざとさを覚えるには簡単な事だった。

 いつみても惚れ惚れしてしまうほどの可愛さ、完璧にして完全な理想の女性であった。

 そう、ニルである。


「この流れで来るとなると僕だよね!」

「うわおっ、知ってた。今日のデートはニルと一緒に? 最近セラともアウローラともいけてないんだけど」

「こらこら、僕の前で他の女の名前口に出しちゃダメだよ? 今日は僕気合い入ってるからね、うっかりエルピスの事数日間くらい逃げれないようにしちゃうかもしれないし」


 口では冗談のようにしてそう言っているが、目つきは完全に肉食獣のそれである。

 絶対に逃さない、そんな強い意志を感じられてエルピスの身体は逃げる準備を始めてしまう。


 追いかけられたら逃げてしまうあたり負け犬根性が染み付いているが、それでも逃げなければいけない時に逃げられなくて死ぬのだけは嫌だ。


「どうしたの今日はそんなに気合い入って、あとエラはなんで部屋から退出するの!? 俺なんか嫌な予感がしてきたなっ!」

「安心しなよエルピス。僕これでも知識はあるんだ、それに君のありとあらゆる性癖は理解している。

 大丈夫、僕に身を委ねればそれだけでいいのさ」

「ニル? ダメだよ二回目は、俺体力持たないしさ、それにいまからニル相手は、ちょ、まっ、ほんっ──」


 /


「やつれてませんかエルピス様、ちゃんと休めてます?」


 エルピス達がイチャイチャとしている間にも魔界の情勢はゆっくりと変化していた。

 まず始祖種同士がお互いに戦争を開始したことを正式に宣言、これによって魔界中がピリピリとしており戦闘を嫌がった魔族は自分の領地に引きこもってしまっている。


 逆に戦争を望むな好戦的な種族の者はさっそく街中で暴れているらしく、街を見回ってもらっているアルへオ家の面々から数回ほど戦闘になったと報告も受けている。

 リリィに心配されるほどに搾り取られたエルピスは、魔界に用意された執務室で体を倒して少しでも体力回復に努めていた。


「昨日までは結構休めてたんだけどね。全身筋肉痛だよ、特に腰。湿布とかあったっけこの家」

「もしかして昨晩はお楽しみだったんですか?」

「今日日お楽しみなんていい方しないよ、お酒飲んで倒れてて気が付いたらいつの間にか……。フィトゥスはそういう経験あるの?」

「なんでそこで俺に振るんですか。まあない話ではないんじゃないですか? 

 戦争前に異性の体を求めるのはおかしな話でもありませんし」


 日本にいた頃にも戦争前には女性と一晩を共にすると言う話は何度か聞いたことがあった。

 実際にその立場に立ってみると戦争など関係なかったような気もするが、思わぬところに転がってきた言い訳にエルピスはそういう事にしておく。


「それならまぁいいのかな……ってリリィなんか不機嫌そうだね?」

「なんのことでしょうか? それでエルピス様は誰と同衾なされたのですか?」

「うっ、意地悪なこと聞くね。それ言わないとダメ?」

「先に意地悪をしてきたのはエルピス様ですよ。それにこれはめでたいことなんです、お祝いしないといけませんし相手の方が分かっていたらいろいろとやりやすいんですよ」


 そうやってこちらの様子を伺ってくるリリィの表情は至って真剣である。

 ほんの少し嫌がらせをした事に対して意地悪をしてきているのではないかとエルピスは一瞬考えたが、フィトゥスも同じ様な表情をしていることから実際そうなのだろうという判断を下す。

 そうしてから数秒ほどだろうか、エルピスの口は仕方のない事だからという理性の言葉に逆らいながらゆっくりと言葉をこぼす。


「その……始めてはエラだった」

「まぁ!」

「おおっ! エラもついにそうか、…良かったなぁ」

「なんから触れずらい反応の仕方してくるね」

「召使いは本来妾にすらなれない立場、認知すらされないこともザラにあります。

 そんな立場で手を出されていないというのは、言わばいつでも切り捨てられる存在。

 エルピス様がエラを大切にしているのは分かっていましたが、こうして形として残るものが生まれたのは大切なことなのですよ」


 同じメイドの立場であるリリィがそう口にするのだから、そう考えるのは自然のことなのだろう。

 そうして目の前で説明されてしまうと反論の余地などなくなってしまい、エルピスは喉を鳴らしながらなんとも言えない場の空気に苦笑いを浮かべた。


「とりあえず二日三日は休みたいんだけど……遺跡見つかった?」

「それがタイミング的に晩年と言いますかなんと言いますか、見つかったんですよねおそらく怪しいだろうという施設が」

「本当!? なら早速乗り込むか」


 エルピスが話に上げた遺跡とはおそらくあるだろうと言われていた邪竜を封印している遺跡であり、イロアス達がここ最近探し回っていた建造物である。

 自分のところにそんな大切な報告が届いていなかったことに一瞬疑問を感じたエルピスだったが、今朝方の自分の行動を思い返して仕方のないことだったのだとそれを思考の隅に投げ捨てた。


 気を遣ってくれたのであればそれに甘える他ない。

 武器を取り出して交戦の意思を示したエルピスだったが、それに対してフィトゥスは冷静に静止しながらも理由を述べる。


「それには及ばないでしょう。戦闘を始めるにしてもこちら側の準備も万端というわけではございません。

 こちらから開戦の火蓋を切れるのであればなるべく万全の状態を作ってからの方がよろしいかと」


 ヘリアが帝国にいるアルヘオ家の人員の招集をかけたのが昨日、既に半数以上の人員がこちらにきているもののそこから更に各街に展開している人員は更に減っている。


 そもそもまず状況説明をするのにそれなりの時間を必要とするのだ、今回の問題は始祖種間の力関係やその町がどちらの陣営に偏っているかなど細かい情報を頭に叩き込んでから移動する必要性があるので急拵えだろうとそれなりの知識を入れてもらってからではないと移動されては逆に困るのだ。

 そうしてまだあと二日程はそちらで時間がかかりそうなのがフィトゥスが止めようとした理由のうちの一つ、もう一つはエルピスが召集をかけていた冒険者からの返答がまだなのである。


 居たらいい、居なくても別に問題はないと一体程度で召集をかけたのでもはやエルピスは覚えてすら居ないのかもしれないが、だとしても信頼できる冒険者というのは非常に価値のある戦力である。

 フィトゥスとしてはそれを見過ごすことは出来ればしたくないし、さらに言えばフィトゥスの方で用意しようとしていた指揮官級の人物の方も数日空けるための準備をさせてくれと言われているのだ。


 つまりいまは驚いてしまうほどに圧倒的にタイミングが悪い。


 フィトゥス達が即座にエルピスに対して遺跡発見を告げなかったのもそれが大きなパーツを占めており、セラの手伝いの元日中転移をしようし続けながらあちこちを飛ぶフィトゥスの判断は間違っていないだろう。


「確かにそれはそうか、来てない人もいっぱい居るわけだしね。

 それに人類の方の街の警備もまだ上手いこと行ってないだろうし、そっちはやっておく必要があるかな」

「そういう事でしたらエルピス様、私適任を知っていますので連れてきても?」

「リリィに心当たりあるなら連れてきて、ごめんね頼んだ」

「いえいえ、お気になさらず」


 部屋から出て行くリリィを見送りながらもエルピスは地図とメモ帳を収納庫ストレージから取り出すと、いくつか必要なことを記載して行く。


「それでフィトゥス、場所はどこなの?」

「この地図で言いますと……ここですね」


 フィトゥスの指が指し示す場所の方へと視線を移してみれば、そこは確か緑鬼種達の始祖種が住まう土地であったはずだ。

 龍の森よりも更に歪な進化形態によって作られた巨大な森林が形成されているらしく、そこでは多種多様な種族が生活をおりなしているらしい。


 確かに木々に囲まれている上に排他的な森の住民を味方にできる場所に遺跡を立てるのは理に適った行動だ、よほど規格外の相手でもない限り見つけることは困難だろう。


「了解、見通し悪そうだし戦闘始まったら周りの木ごと行った方が早そうだね。転移魔法での移動はどんな感じ?」

「そちらの方は主にセラ様の手伝いのもと順調に進んでおります。

 商人組が3時間後には全員集合予定、冒険者達は明後日を最終ラインに募集しており私がスカウトしてきた人物もおそらくはそれくらいでこちらにやってくるはずです」

「なるほどなるほど……最低でも四日はかかりそうかな」

「そうですね、集合後の手順がもう少し効率よくできればそれなりに早くなるかもしれませんが、四日間くらいは余裕を取りたいところです」

「ならそのことを父さん達に報告してくるよ、リリィ悪いんだけどこのままフィトゥスと一緒にセラの方に行ってきて。

 何か報告があったらその時に呼んでくれればいいから」

「エルピス様がセラ様の方に向かわれなくてもよろしいのですか? 

 私達がイロアス様のところに向かっても問題ありませんが」

「うーん……ちょっと気まずいからいいや。セラのところには夕方にでも顔を出すよ」


 そうしてエルピスは転移魔法を起動してイロアスの元に転移していく。

 気まずさの理由も分からないわけではない、だからこそリリィ達は特に何を口にすることもなくその場から移動するのだった。


 ・


 さて、そうして転移魔法を使用してイロアスのところに向かったエルピスは、気が付くと深い森の中にいた。

 先程の話からしておそらくは緑鬼種達の支配領域なのだろう、〈神域〉を使用して辺りの気配を探ってみれば確かに驚くほどの種族が森の中をうごめいている。


 即座に脅威になるような種族は居ないがそれこそ亜人種ですらこの森で暮らしていくのは相当難しそうだというのは判断できた。

 周囲の状況を確認し、武器を取り出したまま油断なく森の中を歩いていくと半分以上崩壊してしまった元は神殿だったろう物の残骸が目に付いた。


 その神殿の近くでは数人ほどうろうろしている人物が目に入り、奥にはエルピスが目的としていた人物が地図とにらめっこしながら立っている。


「お疲れ様です父さん。どうですか?」

「おっ! エルピスよく来たな、話は聞いてるか?」

「はい、フィトゥス達から聞きました。ここが話の神殿ですね」

「そうだ。一応中には入ってないが外から見た感じからしてここで間違いなさそうだって判断だが……どうだ?」

「少し待っててくださいね。調べますので」


 やってきたエルピスに対してにこやかに笑みを浮かべながらも周囲に対しての警戒を緩めない辺り、イロアスも邪龍と戦うだけで済むとは思って居ないのだろう。


 エルピスとしては警戒しているのは始祖種ではなく破壊神の信徒、それも一人や二人で済めば良いがどれほどの数いるのかも分からない。


 エルピスが魔力をその身から徐々に出していくと周囲の生き物が我先にと逃亡をはじめ、森の中が一転してあわただしくなっていく。

 野生動物たちが持つ生まれ持っての物なのだろう、周囲の森が逃げ出していく生物達であわただしくなっていく中でエルピスはその集中力を切らせることはなく作業を続けていく。


 魔力を神殿の中へと逐次投入していき、それによって得られる情報を様々な技能の効果によって分析し遠距離からも中の物が何なのかを調べる。

 的中率はいまのところ権能に関する者であれば100%の的中率を誇っており、邪竜を探すという今回の目的達成の為には最善の手段であった。


「……ここで間違いないね。竜の気配が確かにするし、それにそれ以外の気配もいくつか」

「やっぱり他にも何人かいるのか」

「あれだったら父さんたちがそっちの相手してくれれば俺が一人で邪龍を殺しておくよ?」

「お前簡単に言うけどあいつ相当しぶといぞ? いくら神の力を持ってるからってな、あんな危ないやつと一対一なんてさせられん」

「セラもニルも居るから大丈夫だよ、それに俺だって今まで誰とも戦ってこなかったわけじゃなかったんだし。任せてよ父さん」


 イロアスとてエルピスの戦績を知らないわけではない。

 エルピス本人からの嬉々とした報告に加えて、イロアスはたとえ何があっても問題がないようにイロアスが知る中でも有数の実力者を数人ほどエルピスのそばに常にいるように頼み込んでいた。


 そうしてその人物達から何度かエルピスの戦闘経歴を聞いている、共和国から学園の頃まで文字通り全ての戦場での活躍を耳にしたイロアスだがそれでもエルピスが戦うことを許容できずにいたのだ。

 その理由は単純明快で、やはりイロアスもエルピスと同じように他者の死が恐ろしいのである。


 イロアスは己を責めていた、仕事のためとはいえエルピスを王国に置いてきたことをずっと後悔していたのだ。

 本当のところイロアス達はエルピスを連れて魔界を歩くことだって可能だった、確かに始祖種はあの頃のエルピスからすれば脅威だったろうが、広大な魔界に七名しか存在しない種族を気にするのであれば、人類生存圏内にいる最高位冒険者と出会う方がよほど可能性が高い。


 少し考えれば分かることだ、何故ならエルピスよりも遥かに弱いフィアはこの土地で生きていけているのだ、本当に危険な場所なのであれば生まれた瞬間にエルピスのところに妹を送る方がよほど安全だっただろう。

 ならばイロアスがどうしてエルピスを一人孤独にあの場に残してきたのか、それはイロアス自身の出生に関わってくる。


 イロアスは厳粛な家で生活していた、英雄と呼ばれるイロアスも元は小さな村の一人の男だったのだ。

 だがイロアスは英雄であった、英雄になれたのではない。

 産まれた時から英雄であったのだ。


 そうしてイロアスは村を追われた、英雄の力は身近に置くのにはあまりにも過ぎたる力だったのだ。

 そうした過去があるからこそイロアスは自らの人生は自分で切り開くものであるという思いを心の底に強く持つ。

 だからこそ自分の手でエルピスの運命を縛ることを良しとしなかった。


 神の力を持つエルピスは言わば英雄の力を持つ自分と同じ、そんな自分と同じ人生をエルピスには歩んでほしくなかったのだ。


「エルピス、俺はお前に……いや、なんでもない。そうだな、お前を信じる。任せたぞエルピス」

「うん! 任せてよ父さん」


 どうやったって他人の気持ちなど分かりようもなく、であればその本人がしたいと望むことをさせてあげることこそが、イロアスにとっての親の優しさであった。

 転生者であることなど関係ない、大切な自分の息子の生きる道。


 結局のところ自らの英雄という業を息子に一緒に背負わせてしまったのだ、きっと息子もこれを乗り越えれば英雄と呼ばれてしまうのだろう。

 にこやかな笑みを浮かべて優しさを胸に秘めて圧倒的な力を振るう、そんな息子の姿にイロアスはいま昔の己を重ね合わせていた。


「なぁエルピス、一ついいか?」

「どうしたの父さんそんな神妙な顔して」

「いま幸せか?」

「幸せだよ、父さん達とこうして一緒に戦えて、大切なものを守ることができて幸せ」

「そうか。それならいいんだ」


 幸せという言葉が本心からのものであるかどうかなど判別がつかない。

 いまはただエルピスが本当のことを心から言ってくれていることを願うしかない。

 命をかけた戦闘を前にして、自分も案外センチメンタルになっているのかもしれないな。


 どれだけ考えても分からない問いを自分に対して与えながら、ふとイロアスはそんなことを思うのだった。


 /


 真面目な空気が流れていた父との会話から数時間後。

 転移したりさせたり、あっちに行ったりこっちに行ったりと休日にする予定だったのに随分と動き回ったものだが、エルピスはようやく自室へと帰ってきていた。


 自室とはいえ昨日までと同じ宿なのだが、なにやら今日は人の気配がどうにもこうにも少ないではないか。

 宿の中から人の気配を感じずおかしいなと思いながら自室の扉を開けてみれば、人のベットの上で両腕を組みながらその長い髪を下ろしいつもよりほんの少しだけ肌が見える服を着たアウローラがそこには座っていた。


 馬子にも衣装、そんな声をかけるような年齢はとうの昔に過ぎ去っており、肌を見せる衣装もいまのアウローラが着ればしっかりと扇状的に写ってしまうのだから具合が悪い。


「エルピス、いまからアンタを抱くわ」


 なんとも男気溢れるセリフもあったのもである。


「俺、いま帰宅。朝から疲れてる、おけ?」

「残念だけれどダメよ、ちなみに私が終わったら次にセラ、ラストにレネスだって残ってるんだから」

「本気で言ってる?」


 アウローラはまぁ仕方ないだろう、不安に感じるのも仕方がないしエルピスだって疲れているが彼女に言い寄られれば悪い気はしない。

 だがアウローラが終わった後に連戦? しかも神と神殺しが後続?

 勘弁して欲しい、こちらの体力だって無限ではないのだ。


 だがまさか冗談でしょと言わんばかりの声かけをしたエルピスに対して、アウローラは手を引っ張るとそのまま位置を入れ替えてエルピスをベットに押し倒す。


「わっ、ちょ、本気の奴だねこれ」

「エルピス、貴方は覚えてないでしょうけれど実は私一回こうして貴方を襲おうとしたのよ」

「多分だけど……学園から帰って王国に帰省しようとした時?」


 エルピスが思い返すのは崩壊した学園から帰り王都へと向かう道中の朝の日のこと、アウローラがいつのまにか隣に寝ていた時のことである。

 あの時はエラに酷い誤解をされてしまい後が大変だったのだが、今となっては誤解にならないような行為をしようというのだ、なんとも関係性が進展したのを感じられた。


「そうよ、あの時私本当に勇気を出して貴方を誘ったのに寝ちゃったもんね。

 本当はあの時引っ叩いてやろうと思ったのよ? それにエラと先に寝ちゃうし」

「うっ……その節はどうもすいませんでした」

「まぁ別にいいのよ、どうせ今日中にすればほとんどエルピスだって未経験みたいなものでしょ? 

 そのためにせっかく全員今日中に出来るように予定組んでるんだから」


 なんとも暴論があったものだ。

 どうやら回数制ではなく初回から時間式で消失されるらしい自分の未経験に驚きを隠せないまま、アウローラの手は徐々に下の方へと伸びて行く。


「エラはどうせ下だろうし、ニルも始めては任せたいから下でしょうね。なら私は上からアンタを襲ってあげる」

「…優しくお願いします」

「ごめん、無理」


 最後に一瞬見えたのは獣のような顔をして暗闇でも見えるほどに顔を赤くしながら、これでもかと大きな鼻息を荒げるアウローラの姿。


 天井のシミを数え終えてもまだ終わらないだろう興奮の渦の中にあって、エルピスは自らの幸福を噛み締める。

 そうして夜はゆっくりと過ぎていくのであった。

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