第204話予言

 いくつもの街を巡って情報収集も終わり、宿へと帰ったエルピスは耐え難い眠気に襲われて一人ベットで横になる。

 いつもならば耐えられるはずの眠気は刻一刻とその力を増していき、気が付けば自分の体すらろくに動かせないほどの眠気へと変わっていた。


 睡眠欲がなかったわけではない、むしろこうして泥のように眠ることは最近のエルピスにとってはそう珍しいことではない。

 睡眠を必要としない体であっても、いやむしろだからこそ泥のように溶けていっても良い日があると自分に言い聞かせながら、そうしてエルピスは逃げることのできない睡魔の手中に収まるのだった。


 そうして眠ってからどれほどの時間が経っただろうか、夢の中でどれほどの時間がたったかもわからないままにエルピスははっと目を覚ました。


 だがそこはいまだに夢の中であった。

 エルピスの目の前にあるのは見慣れない紋章、何かの意味を持つのであろう鷲を象られた紋章を前にして、エルピスは何をすることもなく立ちすくむ。


 夢の中へと干渉されたことはこれが初めてだ、いくつか対処法を考えて実行に移してみるものの、どれも効果があるようには思えない。

 魔力を解放したり頬をつねったり、ありきたりではあるがそれくらいすれば普通は夢から醒めるものである。


 なのに夢から醒めない、という事はつまりそれを誰かが邪魔しているのだろう。

 それが誰であろうとも別にエルピスとしては構わないのだが、もしこうして時間が過ぎていく間に向こうでは数日経っていたなどと言われるとただでさえ時間のない身としては洒落にならない問題でもある。

 解決すべき問題点を明確にしたエルピスはひとまず夢の中を歩いてみることにした。


 夢の中の世界はどことなくかつて暮らしていた街に似ている。

 横断歩道があり、コンビニがあり、その向こうには学園がある。

 既に記憶の中にすらなくなってしまった学園を見て懐かしむ感覚に、ああなんだ意外とあの生活を悪いものだと思って居なかったと再認識することができた。


 あの辛かった日々ももはや記憶には殆どない、あれだけ当時は怨みや怒りを抱いていたのだが、きっと許してしまったのだろう。

 だが学園の中へと入りたいかと聞かれればそれはそうでもない。

 背中を向けて歩き出せば気が付く前にいつの間にか王国の街並みへと変わっており、エルピスはほっと息を吐き出す。


 吐き出した息が白くなり空へと消えていくのを目で追いかけながら、ふと近くにあった空き地にエルピスは足を向ける。

 そこはエルピスが王国祭でいろんな人間に追いかけられていつの間にかたどり着いた場所、なんとなく足を運んだそこでは影がふらふらと歩き回っていた。


「やあ、遅かったね」


 声を発しているというよりは直接脳内に喋りかけてくるようなそれ、口の開きと声が微妙にずれているのは何故なのだろうか。

 影はどれだけ近寄っても影でしかなく、その場所だけが世界から切り離されてしまったような感覚に身を投じながらも、エルピスはその影に対して言葉を返す。


「久しぶりですね。こんなところで何をしてるんですか?」

「何をしてるって……まあ起きればわかる事さ。それよりも君が学園に未練を持っていなくてよかったよ、あそこは俺じゃ手が出せないからね。

 君に死なれたら困るんだよ、昔みたいにいくつも保険を作れるわけじゃない。常に警戒して生きろよ若人」


 まるで保険があれば死んでいても構わなかったかのような言い方にほんの少しだけ腹が立つものの、かつて出会った時の言葉を思い出してみればそんな創生神の言葉も理解できないわけではない。

 彼にとって必要なのはセラやニルを幸福にする存在であってエルピスである必要はない、今のところはその条件に当たるのが自分しかいないのだ。


 そう思って居たエルピスに対して創生神はそれを否定する言葉を並べる。


「いやまぁ別に君に死んでほしいわけじゃないよ、君の事は僕もそんなに嫌いじゃな……いや、ナルシズム的な思考に捉えられかねないからこれ以上話すべきではないか。

 そんな事はさておき、こうして会えたのも何かの縁だ。

 いくつかこれからのヒントを与えようじゃないか」

「ヒント……?」

「そうだ、未来が見えるわけじゃないがこの世界の事をほとんどなんでも知っているから制度の高い未来予測をすることができる、それは殆ど未来予知に近いものだ、喜んで受け入れてくれ」


 創生神はそう言いながらエルピスを地べたに座らせて手を大きく広げる。

 夢の中に現れて予言をするとは随分と神らしいが、このタイミングでわざわざ未来のことを教えてくれるというのは違和感が拭えない。


 目を閉じて再びゆっくりと開いてみればいつぞや会った何もない空間へと変わっており、エルピスは怪しく蠢く影の言葉を耳にする。


「まず今回の件が終わったら法国に行くんだ、そうしてそこで結婚式を挙げろ」

「け、結婚式!?」

「そうだ。しかも全員とじゃない、ニルとだけ結婚するんだ」

「ニルとだけ!? しかも結婚を…何故?」


 結婚自体はエルピスにとってもそれほど驚くような事ではない。

 元々この戦争が終わったら結婚式を挙げる予定であったし、それが少し早まっただけだ。


 だが結婚式を挙げる人数を一人に絞ることを強要されたのは驚きである、それがニルのみともなれば混乱してしまうのも無理はないだろう。

 狂愛の性質を持つ以上確かに一人だけ誰かを選ぶのであればニルを選んだ方が波風は立たない、だが一人だけを選ぶということはつまり彼女達に順位をつけるということに他ならない。


 平等に愛すると誓っておきながら彼女達に対してそのような不誠実な行いを誰が許すのだろうか。


「理由はあるが聞くべきじゃない。それを聞けば君は無意識のうちにそれを回避しようと動き、そうして世界は俺の予想している世界線から大きくずれる。

 そうすれば待っているのは最悪の結末だ、それだけは絶対にやめた方がいいし阻止させてもらうよ」


 神がそれを赦すのだ。

 古今東西基本的にこういった時に意にそぐわない行動をとった愚か者がどうなるか、それは語るまでもない事である。


 だが盲信した結果失敗した事例もやはり少なくない数存在する。

 それが例え物語の中の事例だったとしても、それは誰かの体験談やそうなる可能性があるという考えから生み出されたもの。


 であるならばいまエルピスが置かれている状況もそれらに類似した事にならないとは限らない。

 だからエルピスがいましなければいけないことは、創生神の言葉に対しての信憑性がどれほどのものであるかを押しはかる事である。


「貴方の言葉を信用するに足りる証拠が何もない現状で、そんな事は決められません。

 貴方が本当のことを言っているという証拠が欲しいです」

「そう言ってくるのももちろん想定していたよ。自分のことだからね、考えていることくらいわかる。

 だが残念ながらここですぐに証拠を提出しろと言われても難しいのが現状だ、だからこの後の最善の未来を予言しよう」

「この後?」

「そうだ、君が夢から覚めた後の話だ。

 とりあえずまだ夜も開け切っていない、暗い夜の中でエラを連れ出してそのまま宿屋を抜け出すんだ。

 そうして宿から抜け出したらエラと一緒にお酒を飲んでそのあとここまで戻ってくる。

 危険性もないしこれといって問題があるわけではない。

 これでもし君にとって良い結果が生まれたら、信頼するかどうか考えるくらいの材料にはなるだろう?」


 未来視を行う事のできないはずの創生神だが、彼の口ぶりにはまるで事実を口にしているかのような雰囲気が感じ取ることができる。

 彼は嘘をついていないのだろう、エラやセラを思う気持ちを考えればエルピスに対して嘘をつくメリットというものは考えられない。


 だが嘘はつかなくても知っていることを知らないふりをすることはできる。

 エルピスにとって最も警戒しているのはそれであり、知っていた情報を教えてくれなかったせいで後に引けないほどの大きな損害を出して創生神と仲たがいしてしまう可能性は破壊神を相手にする可能性があるエルピスとしても避けたい。


 こうして前回は警戒心を見せなかったエルピスがここまで創生神の事を警戒するのには理由があった。

 それは創生神がこの世界を見て回った中で少しずつ人間のようにふるまう術を身に着け、その結果半端に信じさせようとする人の姿に見えてそれがエルピスにとっては怪しく見えてしまっているのだ。


 それを創生神はなぜであるか理解していないし、もちろんエルピスも何故こんなにも違和感を感じるのか説明ができないので、今のふたりの関係性は今回の創生神の提案が成功するかによって大きく変化することだろう。


「さて、本当はまだ知らせたいことが多くあったんだけれどね。信じ切ってもらっていない今にそれを教えても逆効果になる可能性もある。今日のところはさっきのだけで終わらせておくとしよう」


 そんな創生神の言葉をトリガーにエルピスの意識はハッと覚める。


 目が覚めてみればあまり見慣れない宿谷の天井がそこにはあった、夢の中にいたという感覚もなくまるで先ほどまで起きていたかのような感覚に何とも言えない違和感を覚えながら、エルピスは先ほどの夢の内容を忘れないうちにメモに書き残すといわれた通りの事を行動に移す。


 まずはエラの元へと向かう必要があるのだが、エルピスはいまエラがどこに居るのかという正確な場所の事を知らない。

 セラや両親と共に邪竜が封印されているであろう遺跡を探しに行ったことは知っているが、そのあとにエルピスと同じように地方の宿屋に留まっていないとも限らない。


 神域を使うべきかどうか一瞬考え、いまの魔界の現状を考えるとあまり興味をひかれるようなことをするべきではないと判断したエルピスは精霊を使ってエラの場所を探ろうと試みる。

 精霊や妖精とはなぜか相性の悪いエルピスだが、集中しながら妖精たちに語り掛ければ探したい人物がどこにいるのかくらいはなんとなく特定することができる。


 妖精神であるところのエルピスが妖精とうまく交流が取れないというのもおかしな話だが、これはエルピスの中に他の称号が混ざっているせいで妖精側が混乱していることが大きく起因していた。

 時間をかけてエルピスが妖精神であるという認識を強めていけば息をするよりも簡単に操れるのだが、すぐに場所を変えるエルピスではそれも叶わない。


 そうして少しの時間が経過し、どうやらアルへオ家の別荘に戻っているらしいことを確認したエルピスはそのままの足で別荘まで駆け抜ける。

 魔界の夜は体の芯が凍り付いてしまうのではないかと思えるほどの冷たさで、吐く息は白く通り過ぎていく風は歯を鳴らしてしまいそうになるほど寒い。


 そうして一歩二歩と歩みを進めていくほどに目的地への距離は短くなり、月の位置がほとんど変わらない頃にエルピスは別邸へとたどり着く。

 渡り廊下もまだまだ寒く、どうやら起きているらしいセラに挨拶をするべきかとアウローラと同じ部屋で眠るエラの部屋にたどり着く前に部屋をノックしようとすると、寒い廊下でエルピスは声をかけられる。


「……エル? お帰りなさい。もう帰ってきてたんだ」

「ただいまエラ。急で悪いんだけど少し外に出れる? 用事があるわけじゃないんだけど……久々に二人でどう?」

「いいよ、行こっか。少し外で待ってて、迎えにいくから」

「ありがとう。外で待ってるね」


 急に夜に呼び出され外に行こうと言われれば、男のエルピスでもやらなければいけないことはいくつかある。

 女性のエラであればしなければいけないことも多いだろう。


 セラへの挨拶の機会を逃したエルピスは扉越しにおやすみとだけ口にすると、そのまま外の門で待つ。

 そうして十分ほどだろうか。

 予想よりも大幅に早いエラの到着に驚きながらも、エルピスは魔界の衣服に身を包むエラの姿に身惚れそうになっていた。


 魔界で一般的に使用されている衣服は上下一体型の服装であり、エラが選んだのは闇夜に紛れ込みやすい黒。

 いくつか金色の装飾が施されているそれは王国で買った最高級の逸品である。


「お待たせ、ごめんエル待った?」

「待ってないよ、似合ってるね。行きつけのお店が隣町にあるんだ、そこに行きたいんだけどいいかな?」

「うん。どうやって行きます?」

「場所はもうわかってるから転移魔法で飛んでこうかなって思ってる」


 手の上に転移魔法陣を描き上げたエルピスは、エラを自分の近くへと抱き寄せるとそのまま魔法を発動する。

 いつもならば王国へと戻ってそこで酒をたしなむのが常なのだが、なんとなく今日は魔界でお酒をのんでみたい気分になったのだ。


 白くなっていった視界が徐々に色を取り戻すと、隣町に転移が完了する。

 距離にすれば相当あるのだが、それでも転移魔法を使用したことによって移動にかかった時間は数秒といったところだろうか。


「──やはり便利ですね転移魔法は」

「もっと簡単に誰でも出来るようになれば楽でいいと思うんだけどね」

「エルでもそれはちょっと難しいんじゃないかな? もしかしたら出来るのかもしれないけど」

「どうだろうね、作ったらマギアさんあたりは喜びそうだけどいろいろな人に怒られちゃうからダメかな」


 転移魔法を利権として発売すれば大儲けできるだろう、エルピスも最初は金銭的な問題が発生してどうにも首が回らなくなったら簡単にした転移魔法を発売する気でいた。

 だがそれを発売すれば国境は意味をなさなくなり、行商人達はその役割を追われ、各種交通機関に勤めている人間は全て職を失うことになる。


 各方面から恨みを買うどころか下手をすれば人類そのものが敵になりかねない危険性を孕んでおり、転移魔法の発売はお見送りになってしまったのだ。

 それから数分ほど歩くと目的地に到着し、エルピスは一応身なりを整える。


「さて。ついたし入ろっか」

「エルがオススメするお店はどこも美味しいところが多いので楽しみで──」

「どうかした?」


 扉を開けて店内へと先に入っていったエラ、だが突然固まった彼女の状況を把握するためにエルピスが中へと入っていくと同じようにしてエルピスも思考が一瞬止まる。


 そこに居たのはレネスとニル、あまりにも奇妙な偶然の元にこうしてエルピス達は集まることになったのだった。


 /


 エルピス達がやってきた店は基本的にはお酒を楽しむ店だ。

 魔界にある様々な名酒を取り揃えているこの場所はフェルも行きつけにしていたというほどの高級店であり、知る人ぞ知る名店であるこの場所は確かに食を嗜むものなら知っていてもおかしくない。


 だがエルピス達がここにきてまだ一月以内程度の時間しか経っていないのだ、わざわざ美味しい店の場所をニルが収取するようにも思えない。

 となると今回この店を選んだのは……。


「偶然ですね師匠、こんなところで居合わせるなんて」


 店の奥にある個室で一つの席を囲んだエルピスは微笑みを浮かべながらレネスにそう言葉をかける。

 席順としてはエルピスの隣にエラ、対面にニルとレネスという形だ。


 別にここで出会ったのが悪いということではない、だがエラ一人を呼び出してデートしていた手前エルピスとしては気まずいし、向こうもそれを分かっているからなんとも言えない空気があたりを包み込む。


「ここはお酒が美味しいしんだ、エルピスも知っていてきたんだろう? とりあえず飲もうじゃないか」

「そうだよエル。みんなで楽しく飲もうよ」

「じゃあ俺はこの店で一番度数高いやつで」


 挙句の果てにはエラにまで気を使われる始末。

 こうなってしまってはもはや酔い潰れることこそがエルピスにとって最も良い選択肢であると考えられた。

 店員から手渡されたいかにも度数の高そうな酒を一気飲みしてみれば、喉が焼けるような感覚と共に徐々に酩酊感から頭がゆるりと緩み始める。


 こうなってしまえばこちらの勝ちだ、エラには悪いがまた今度埋め合わせで別の日を作るとして今日は楽しく過ごすとしよう。


「エルピスそんなに一気に飲んで大丈夫かい? 随分ともう酔いが回っているように感じるけど」

「らいじょうぶ。まだ一本目だしね」

「それ二本目だけどね……まぁいっか、私ものもっと」

「エラも無理に飲まない方がいい。お酒は嗜むくらいで丁度いいんだよ、付け合わせにこのお菓子も食べるといい」


 ──さて、ここからはエルピスの視点ではなくニルの視点である。

 ニル達が先程までこの店で何をしていたかといえば今後の打ち合わせとレネスの恋愛相談だ。


 恋愛相談と言っても相手はニルと同じエルピス、お互いに情報を共有しあうことで今後の関係性を良いものとするためにこうして酒を間に挟みながら会話をしていたのだが、ふとそんなところにエルピスとエラが転がり込んできた。


 エルピスは基本的に誰かを誘うときはみんなの前でそれを口にする、不平不満をなくすためにエルピスが考えたのがそれであり、ニル達もそれを分かっているからなるべく自分から二人っきりの時に誘うようにはしていない。

 そんな中でエルピスが急にエラを呼び出して二人きりでお酒を飲みにきた、その事実がニルとレネスを震撼させた。


 エルピスには自覚がなかっただろう、彼はそういう人物だニルもそれについて何かを語ることはない。

 だが傍目から見れば均衡していた五人の順位がほんの少しだけ崩れてしまったのだ、エラがほんの一歩だけ前に出たということはニルにもレネスにも驚愕の一手であった。

 だからこそ二人は気まずくなることを分かっていて同席したし、その時点で二人の目論みは80%以上解決している。


 エルピスがまだしていないことを挙げるとすればそれはやはり肌を重ねる事だ、下世話な話にはなるがこれは至って真面目な話なのだ。

 第一夫人の座がアウローラに渡されることは全員既に同意している、この世界で地位を持つ人物が公の場で妻として紹介された方が何かと都合がいいし、人という種族であるのが何よりもいいところである。

 人の作り出した結婚という制度など他の面々からしてみればどうでも良いものだし、それでアウローラが喜んでくれるのならば他の四人も喜んで渡そう。


 だが身体を重ねる行為はその雄の番であることを証明する最も効果的な方法だ。

 制度ではなく本能に自分のものであると認識させる行為、その順番こそ彼女達にとってみれば最も大切なものである。


 エルピスが選んだ順番で身を任せるとは学園にいた頃に決まったルールだが、だとすれば狙うべきは今夜、均衡が崩れた今こそが最も攻め時であると歴戦の二人はそう考えた。


「さぁエルピスどんどん飲みなよ、酔っても僕達が介抱してあげるから」

「いやでも流石にこれ以上は不味…い…意識がぁ…」

「急性アル中でもその身体なら死にはしないから大丈夫! いっきいっき!」

「一番ダメなタイプの酒の飲まされ方されてるなエルピス。果実を切ったからこれを食べるといい、少しは気が紛れるだろう」

「ありがとうございまふ師匠」

「良いんだよ気にするな」


 にこやかな笑みを浮かべながらレネスが手渡したのはアルコールを多分に含む果実である。

 土精霊達がよく好んで食べる果実でもあり、実は甘酸っぱくりんごのような味わいなのだが後から強烈な酒の香りがやってくるのが特徴的なその一品。


 普通ならエルピスに気が付かれるだろうが酩酊状態な上に酒を飲みながら果実を食べているのでそれが酒によるものなのか果実によるものなのか区別がついていないだろう。


 圧倒的なまでの人生経験の差。

 戦闘経験が豊富? 転生前を含めれば四十年の人生? どれも酒の場においては何の効力も持ちはしない。


 この場にいるのは男と女、捕食者と被捕食者、酒の席の場でのうまい逃げ方を知らなかった時点でエルピスは食われる定めにあるのだ。


「ちょっとダメれふよ! エルピス様もこれ以上飲んじゃだーめーれーす!」

「こっちもこっちでお手本のような酔い方だね。はてさてどうしたもんか」

「ニルあなた、う~ひっく、ちょっとこっちに来なさい」

「はいはいどうしたのお嬢様」

「何を企んでるかしりゃないけど今日はエルは私のなんだからねー! ニルには譲ってあーげないっ」

「このっ…! 狂愛の僕を前にそんなセリフを吐けるとは中々度胸があるじゃないか、だけど残念だねこのままお持ち帰りコースは確定しているんだよ!」


 頬を赤く染めながら話すエラに対して可愛さを覚えながらも、今この時だけはライバルだということを思い返して意識を取り戻したニルはエラに対してここぞとばかりに爆弾を投げる。


 ゆっくりと徐々に意味を理解したエラの顔は首元から赤くなって行き、そうして天辺まで赤くなってニルが勝ちを確信したその時、エラがぼそりと言葉をこぼす。


「あ、赤ちゃんが出来ちゃったらどうするんですか…?」


 胸の前で手をツンツンとさせながらそんな事を口にする、あのエラがである。

 普段は毅然とした態度を崩さず、たまにポンコツになることはあるが常にメイドである事を自覚して行動するエラが、そんな事を口にするのだ。


 レネスとニルは可愛さのあまり声にならない音で喉を震わせあまりにも可愛らしいその仕草に心を躍らせる。


「大丈夫だよ僕と姉さんの力があればそこら辺はどうとでもなる! 

 ……まぁでも? 別に僕は初めてじゃなくてもいいんだよ、もしどーしてもエラが始めてがいいなら譲ってもいいよ?」

「ほ、本当れすか!?」

「うんほんとほんと、ニルさん嘘つかない。

 この世界でエルピスに初めて会ったのは君だ、そんな君に初めてを譲って何が問題あるんだろう?

 すくなくとも私はそう思うね」


 酒による判断力の低下は物事をうまく運ばせるために重要なファクターである。

 最難関とも言える高い壁であったエラを打ち倒したニルは己の勝利を確信し、その横でレネスは信じられないものを見た目をニルに向ける。


(狂愛のニルが、あの殺気を見せたニルが他者に譲る? なーんて思ってるんだろうけど、残念ながらこれも計画通り。

 肉体関係を持たなかったエルピスはキスだけは求めればはずかしがってもしてくれる、それは何故か? 前例があるからだ。

 今回は前例を作り出す、どうせこの酒の量に僕の技能も相まって記憶なんか残りゃしない。

 後は朝眠っているエルピスを叩き起こしエラとの行為を指摘、そのままベットインすれば私は──じゃなかった、僕は記憶のあるエルピスと行為に及べる。 

 あまりにも完璧な作戦、あまりにも計画通り。誰も傷付かず、みんなに幸福が訪れる。ああやっぱり僕って賢いや)


 どう調理してやろうかと目線をエルピスに向けてみれば、良い具合に出来上がって……いや、寝ている。

 うつらうつらとしているように先程までは見えていたが、いまや顔はあげたまま器用に眠ってしまっていた。


「眠っちゃったのか、可愛いな。だけど残念だね、今日の僕はそんな事じゃ諦めないよ。いくよ! いざ約束の地へ!」

「それじゃあエルピスは私が連れて行こう。エラちゃんどこか安全で人気のないところはあるかい?」

「それならエルピス様が借りていた宿がいいかと、あそこなら人も少ないですし安全な筈です。前エルピス様がそう言っていました」

「そうと決まれば話は早い。それじゃあ行くか」


 ────こうして夜はその色の深さを増していく。

 かつて世界の全てを知る全知であり、その全てを凌駕した全能の神創生神。

 この結末は果たしてその神が仕向けた顛末か、それとも本当にただの偶然だったのだろうか。


 結局のところ人生というものは偶然の連続でしかなく、もはや意識もないエルピスにそれを確かめる術などない。

 だが起こるべきことは起こるべくして起こり得るので、だとすればこの結末も仕方のなかったことなのだろう。

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