第206話神影
再びやってきたのは何もない白い空間。
あいも変わらず面白みのない部屋があったものである。
頭の中で少しだけイメージを凝らしてみれば徐々に部屋の中に色がつき始め、気がつけばアルヘオ家本邸にあるエルピスの自室と同じような風景が目の前に広がっていた。
そんな中でベットに転がりながらダラダラとしている白い影を発見し、エルピスはベットのそばに椅子を持っていき腰を下ろす。
「やぁエルピス、昨晩ぶりだね」
「昨日ぶりって気はしませんけどね。
「ずっと君たちを眺めてたよ。元気なのっていいねぇ、ヤリ過ぎでしょ」
「……人の寝床を勝手に見るのは誉められた行為じゃないですよ、っていうか普通に覗きです」
創生の神、しかももはや幽霊となったものに対してこの世界の法律が効力を持つのかは別として、誉められた行為でないのは確かである。
そんなエルピスの言葉に対してほんの少しだけ笑みを見せた創生神は、寝ていた状況から手をついて上体を起こしながら話を続けた。
「まぁ別に良いじゃないか、それよりニルとセラが嬉しそうで良かったよ。
心の充実感というのは定期的に補充しないとすぐに枯れてしまうからね」
「なんか不思議な状況ですね」
「君が二人に手を出したことがかい? 当然の権利だし同意の上だから別に良いんじゃないのかな」
元彼の──いや元彼という表現もまた違うのだが、それに見られながら行為に及んだ上にそれを手放しで喜ばれるというのはなんとも反応に困るものだ。
これで少しでも嫉妬の感情や嫌そうな雰囲気を感じられればまだとっかかりもあったのだが、それも感じられずエルピスは自分が何を相手にしていたのかを思い出す。
セラやニルとは違い創生神は結局感情の模倣であり、完全にこの世界の生物であるわけではない創生神の感情の模倣の限界はおそらくここら辺なのだろう。
「まぁ君が気にする理由もわかるがそれはまた今度。
とりあえず二日前の夜に僕がした予言はこれで証明されたわけだ、信じるに値する情報だったかな?」
「それはまぁ…その……信じるよ」
「かぁあっ、現金だねぇいやほんとに。まぁ自分だからあんまり強く言わないけどさ。
とりあえず今回する予言は二つ。まぁ本当の話すると二つが限界なだけなんだけど、とりあえずは二つってところよ」
指をピースさせながらそう言った創生神は小さな紙をエルピスに手渡す。
それはルーズリーフの切れ端で、どこからそんなものを入手したのかを聞く前に創生神は再び話し始める。
「それには今から話す二つのことが自動的にメモされる、忘れっぽいからメモはあったほうがいいだろう?」
「まぁ確かにないよりは良いだろうけど」
「じゃあ持っておいてくれよ。それで君に出す助言の一つ目は邪竜とは一人で戦え、そしてセラとニルを両親の援護につけろ。
二つ目は周辺諸国への警戒をこの夢が終わった後に二日後の朝までに向かうんだ。
そしてそこで出会った黒髪の人物に神印の入った封書を出せ。
封書の内容は法国への救援依頼、内容は周辺国家の安全確保だ。
神印には強く魔力を込めるんだ、そうしないと意味がない」
創生神が口にした言葉の裏の意味を推察するのは簡単だ。
きっとそうしなければ誰かが犠牲になり、そうしなければ痛恨的なミスを残してしまうのだろう。
いままでだってそういう事が無かったわけではない、後から最善策を思い出すことはいくつかあった。
そうして最善策を思い返してみればやはりニルかセラのどちらかはそれに近い結果を残せるようにエルピスを誘導していたし、エルピスも最近になってはそれに乗るようにしているのだ。
だからあの二人を基本的にエルピスは自分のそばではなく行きたい場所に行かせるようにしているし、それによってエルピスは正しい道のりを進めている自信があった。
だが内から見ているセラやニルとは違い、創生神は完全に客観的な視点で外から物事を見る事ができている。
それはただ単純に彼が世界の外側にいるからであり、そんな彼の口にすることはおそらく間違いではないのだろう。
そうして二日前のことを思い返してみれば、創生神はエルピスに対して何故そう命じたか聞くなと言ってきていた。
聞いたことによって未来が変わる可能性があるのだと。
まるで未来を見えているかのような口ぶりだが、思考が霞むような時間生きている彼からすればこんな状況すらも良くあることなのかもしれない。
経験則から用いられる助言ともなれば信憑性は増す。
ましてやそれが元自分からの情報なのであれば、信じるのはそう難しいことではなかった。
「分かりました、ならそうしましょう。ところでいくつか疑問に思っていた事があるんですが聞いても?」
「君がすんなりと聞き届けてくれたから時間は結構余ってるし、良いよ別に。何が聞きたいんだい?」
「盗神と鍛治神の称号の解放条件です」
「なるほどね…確かにそれを聞きたがるのは分からない話じゃない。良いだろう教えてあげよう。
盗神の称号解放条件は猛烈な嫉妬心、鍛治神の称号は──本当は別にあったんだけれどね、いまはこちらにも分からないものに変化している。
創生神がいない事で生まれた世界の歪みに生まれた新たな力の解放条件を予想するのは難しい」
創生神が提示した条件は嫉妬心、感情の起伏が条件になるだろうというニルの読みは当たっていた訳だが、それにしたってまた難しい条件が突きつけられたものである。
嫉妬するには己が持っていないものを羨む必要がある、だがいまのエルピスは全てを持っているのだ、羨まれることは有っても羨むことなどあるのだろうか。
とはいえ創生神が提示した条件なのだから、きっとエルピスには到達可能な目標なのだろう。
どうせいま解放したところで体が耐えられるはずもなく、条件を知れただけでもエルピスからしてみれば御の字である。
それよりも気になったのは鍛治神の称号についてだ。
「貴方が分からないものですか。もしかして鍛治神がこの世界にいる事が原因でしょうか?」
創生神が口にした鍛治神の称号が変質してしまっているという話は、エルピスからしてみれば思い当たる節がない訳ではなかった。
エルピスが持っている六つの神の称号はいまのところ鍛治神だけこの世界に元から暮らしている神達と被ってしまっている。
それ以外は遥か昔に死んだかもしくは元からいないような神ばかり。
だが創生神だってこの世界に鍛治神がいることは知っていたはずだ、だとすればわざわざ被らせた訳なのだからその理由を分からないというのも少し不思議な話である。
この力を用意したばかりの時の創生神はおそらく全盛期の力を持っていただろう、であれば未来を見通すくらい訳はないと思うのだが。
そんなエルピスの問いに対して鍛治神はにこやかに言葉を返す。
「それは関係ないだろうね、問題はその武器だよ」
「これですか?」
エルピスが目線を落とすのは自らが手に持つ武器である。
名こそついていないもののこの世界で最高の一振りと言って良いそれは、二人の鍛治神によって鍛え上げられた唯一の刀だ。
確かに本来ならばこの世界に一人しか存在しない鍛治神が二人係で作った刀、しかも他の神の力を借りて作ったので相当な業物になっているだろう事は想像に難くない。
だがそれでも結局刀は刀でしかなく、道具である以上はそれほど大きな問題をはらむようにはエルピスには思えなかった。
「それ自体に問題がある訳じゃない、逸脱した力ではあるがただの刀だ使用者の使い方次第だろう。
問題はそれを作り出した事自体だ、自分のステータスを一度見てみろ」
「ステータスですか?」
「そうだ、どうせ長い間見ていなかっただろう?」
言われた通り確かに長い間見ていなかったステータス欄を眺めてみれば、新たに獲得したいくつかの
そこまでは何事もなかったのだがさらにその下、文字化けした配列の中に何やらよく分からないものが一つだけあった。
これが元は鍛治神の称号だったものなのだろうか、だとすれば創生神が驚くのも仕方のない事なのかもしれない。
自らのものである以上は全てを開示してくれるはずの
「これなんですか?」
「おそらくはそれが新たなる可能性だ、君がしようとしていた二つ目の質問に答えるのであれば、私が君に隠していることとも関係している」
「それすら盗み聞きしてたんですか?」
「盗み聞きとは人聞きの悪い、私の話をしていたんだ別に私が聞いていても構わないだろうに。
ニルの迷宮を用意したのも、転生前に君の能力を用意したのも予想通り全ては破壊神打倒の為だ。
ただ創生神の器を君に譲って力はそのままセラと共に過ごす予定だったんだけどね、転生は本当に予想外だったんだよ。
おかげさまで記憶を残すためだけに残していた力もほとんど使って、私はこの世界になんとかしがみついて生きているんだ。
真相など知ってしまえば案外簡単なものだろう?」
「そうですか…。だとしたら一つ疑問が残ります」
「なんだい?」
「もし破壊神の復活を阻止できたとして一時的に創生神も破壊神も居ない世界が作られる訳ですが、それはもしかして貴方が望んだことですか?」
創生神の器をエルピスに渡す必要性というものは全くと言って良いほどない。
破壊神に対抗させたいのであれば適当な器を用意し、そこに破壊神を殺せるだけの自分の力を与えて創生神としての自分はその場に居続ければいい。
セラと一緒に神の世界で過ごすという言葉は土精霊の国で聞いた結婚どうのの話とは辻褄が合わず、であればそのどちらがが嘘であると考えた方が都合が良いだろう。
そうして考えるとセラとの幸福を本気で願っているように見える創生神の事なのだからどちらも本当でどちらも嘘である可能性も考慮に入れる必要性がある。
彼は自分自身で口にしていた通りセラの幸福をかなえる人間は自分でなくてはいけないと考えておらず、幸福にさえなればそれが別に自分の手によるものでなくとも別に良いと考えている。
そんな彼の事だから両方が嘘で両方元々事前にそうなる可能性を考慮に入れて残しておいた保険だという考え方もできなくはない。
用はエルピスが創生神の器を手に入れてこの世界に来た時点で彼の目的というのは殆どかなえられたといっても問題なく、またその願いとはおそらくエルピスが予想したものであっているはずだ。
「そうだ、そう言ったら君はどうするのかな?
君が負ければ結局のところ破壊神は復活しこの世界は終わりを迎える。
創生神が居なくとも破壊神は破壊活動を続け、いずれはさらなる神の領域にまで手を伸ばしこの世界よりも更に上の世界に破滅をもたらすだろう。
だが君がそれを考え何になる、君が今できることはこの世界で生きていくことだけだ、それ以外の一切は不純物でしかない。
守るべきものを見失うんじゃない、自分が信じた道をただひたすらに突き進むんだ」
そしてエルピスの問いに対して創生神は何かを言うのではなくこれ以上なく分かりやすく誤魔化してきた。
エルピス相手に聞かれたことを口にしなかったのはこれが初めて、つまりこの話はそれだけ聞かれるとまずいのだろう。
一瞬それでも問いただそうかと考えたエルピスだったが、これ以上話を大きくしてしまってはじぶん一人では収拾をつけるのは難しいだろうと判断して口から漏れ出そうになった言葉をぐっとこらえる。
「今日のところはこの辺で引くことにします。貴方と喧嘩はしたくありませんし」
「私だって別に君と刃を交えたいわけじゃないさ。それにいまの私では到底勝てないだろうしね」
「勝てるか勝てないか、じゃないんですよ。
たとえあなたがこの世界の誰も勝てないほどの力を隠し持っていたとしても、大切な人を傷つけたらどんな手段を使ってでも俺は貴方を殺す」
「ふふっ、はったりではないのだろうね。いいだろうともここに改めて約束しよう、私は君の大切な人達を傷つけない。
だから君も私のいう事をよく聞いて言われたことをするんだよ」
「分かっています」
交換条件をお互いに相手に提示して、それを飲み込んだことでエルピスの邪神の権能はその能力を発揮する。
この世界の外にいる創生神に対して邪神の称号が通用するとは考えていない、これはエルピス自身が創生神に対して自分は約束を破らないという契約を形にしたものである。
そうして視界は徐々に白んでいき、そうしてエルピスはゆっくりと目を覚ました。
隣には誰もおらずベットの中をを探ってみればほんの少しの暖かさが残っており、エルピスは眠気まなこを擦りながら服を作り出し武器を手に取る。
そうして部屋から出ようとしたその時、レネスとバッタリ鉢合わせてしまった。
「え、エルピス。そのなんだ、恥ずかしいな」
若干ながらデジャヴってしまう言葉と共にエルピスの視界に入ってきたのはワイシャツだけのレネスの姿。
おそらくは先程まで風呂に入っていたのだろう、ほんのりと濡れた髪と蒸気した頬は赤みを帯びており扇状的な色香を発している。
思わず手を伸ばしてしまうほどの圧倒的な美、欲情を抱かずにはいられないその姿に己の役目を忘れてしまいかけながら、エルピスは言葉を漏らす。
「その……師匠、ごめんなさいこれから行かなければ行けないところがあるんです」
「そうなのか? それはその…少し残念だな。
私は最後だったからな、その分時間も他のみんなよりはあると思って居たのだが……そう言うことであれば仕方がない。行ってくるといい」
「そんな顔しないでくださいよ師匠…もし良かったら一緒に行きますか?
少し長い旅になるでしょうが」
「構わないのか!? そうか嬉しいなぁ、待っていてくれすぐに着替えてくる」
ほんの一瞬扉を挟んでエルピスの視界から外れるとすぐに戻ってきたレネスだが、服装はいつも通りのラフなものに変わっており先ほどまで来ていたワイシャツは手にかけられていた。
「本当にすぐですね」
「準備は早いに越したことはないだろう。すまないけどこれ持っておいてくれるか?」
「良いですよ。それじゃあ行きましょうか、行き先はアスカルド王国です」
「アスカルド王国というとエルピス相手に自国防衛でごねていたやつか」
「よく覚えて……ってあの場所に居ませんでしたよね師匠」
「まああのくらいの距離であればそれほど問題でもないさ。人用に作られた対妨害術式も私には大した効果も与えられんしな」
世界会議の場で行われた発言のすべては国家の最上級秘匿機密として処理されており、そのためあの場所にはそれ相応の様々な防壁が展開されている。
だというのにも関わらずそれらすべてを突破して話を聞いていたのだ、桜仙種の耳というのはやはり侮れない。
「さすがですね師匠。とりあえずは徒歩でそこまで向かう予定です、一応道中桜仙種の村に立ち寄っていく予定ですが」
「桜仙種の村にいくのか? 何をしに?」
「師匠の武器を直してもらわないといけないでしょ、もちろん俺も師匠の事を守りますけど多勢に無勢で攻められたら守り切れるか分かりませんし」
室内から外に出て〈神域〉を使用し誰にもつけられていないことを確認したエルピス達は宣言通り桜仙種の村に向かっていた。
桜仙種の最高傑作であるレネスはもちろん打撃に関してもこの世界でトップクラスの実力を誇り、エルピスと戦ってもそれなりに戦える程度の力を保有している。
ただ同じ程度の戦力を持つ敵が相手になった場合リーチの差というのはなかなかに大きく、何が起きるか分からないエルピスとしては少しでも早くレネスの武器を確保しておきたい。
創生神が提示してきた時間制限は二日後まで、どうせ深夜に警告しに行ったところで警戒され門前払いされて終わりである。
であればそれまでの時間つぶしの為に桜仙種の村に向かい時間を潰すのも有意義な時間の使い方であるといえるだろう。
「それも確かにそうか。であれば桜仙種の村までどちらが早くたどり着けるか試してみるか?」
「師匠勝負好きですね、いいですよ魔力的強化なしの身体能力だけでどちらの方が足が速いかやってみましょうか。負けたらもちろん罰ゲームですよ」
「構わんよ? なんせ私は負けないからな」
「ではお先に」
自信たっぷりのレネスに負けないようにエルピスは渾身の力を込めて地面を蹴り前へ前へと進んでいく。
そうしてどのくらいの時間が経過しただろうか。
気が付けばいつの間にか魔界を横断していたエルピスとレネスは、ほとんど同時に桜仙種の村に到着する。
「同着ですか、残念ですが」
「次は勝つさ」
桜仙種はセラ達と同じく眠る必要がなく、無限の時間を生きる彼らは気が向いたときに眠るので村は朝でも夜でもその活気を変える事はない。
村に入った瞬間にエルピスに対して刺さる様な視線が送られてくるが、何も彼らも悪意があってそのような視線を送ってきているわけではないこともエルピスは重々承知している。
単純に彼らはエルピスの戦闘能力が気になって仕方がないだけだ、レネスの横にいる時点でエルピスが誰なのかは必然的に割れてしまう。
そうしてレネスを打ち破ったという話を小耳にはさんでいる彼らからしてみれば、いったいその強さがどれほどのものなのか気になって仕方がないのだ。
一度でいいから圧倒的な強者と戦ってみたい、そんな彼らの欲求は自分たちが常に圧倒的な強者の側にいるからこそ生まれた心理的な余裕といっても差支えはないだろう。
誘うような視線に対して沈黙で返しながらエルピスとレネスが村の中を歩いていると、土精霊の国でもよく見た工房が建っておりそこからはもくもくと白い煙がたちのぼっていた。
レネスが先にその工房に入るとエルピスもそのあとを追って工房の中に入っていく。
「外から見るよりも広いですねここ」
「物がたくさん落ちているから注意しながら後をついてきてくれ」
外から見た時はそれほどの大きさではなかったのだが、室内に入ってみれば以外に中は広いものである。
どうやら空間拡張系の術式を家の中に編み込んでいるようだが、消費魔力はかなりのもので弱い亜人種であれば生活すらままならないほどの魔力が吸い取られていくのをエルピスの権能が感じ取った。
しかしそこは規格外の桜仙種、特にこれといって辛くもないのかレネスがずんずんと奥に進んでいくと、そこには一人の桜仙種が立っていた。
レネスの見た目は黒めに黒髪、最近は短くしているが先祖返りとしては珍しくない目の色と髪色である。
それ以外に出会ってきた桜仙種も全員が黒髪。
唯一、一番最初の桜仙種であった人物に関して言えばメッシュのように緑が入っていたこともあったがその程度で、やはり黒というのは桜仙種にとって基本的な色であることは間違いがない。
そんな中で目の前の彼女は異色の存在であった、作業機こそ土精霊達が好んで着るような皮の服装だが目も髪も驚くほどに白かったのだ。
まるで氷の彫像のようなその美しさに何とも言えない感覚を覚え始めたころ、氷の彫像は一転してその表情をきらびやかなものに変えてこちらへとやって来るではないか。
「誰かと思ったらレネスちゃんじゃん!? 元気してた?」
「相変わらずだねブランシェ。そちらこそ元気にしていたのかい?」
「──その口調! やっぱりもしかして感情が戻ったの!? 昔のレネスちゃんが戻ってきたんだ! わーい!」
レネスの手を取りぴょんぴょんと飛び跳ねるブランシェと呼ばれた桜仙種は、レネスの口調から感情が戻ったことを察したのかあまりの嬉しさにレネスへと飛びついた。
隣居るエルピスはといえばいったいいつ振りかも分からないおそらくは親友同士の会合に居合わせて何とも言えない表情を浮かべながら、自分の気配を消すことだけに全神経を集中させていた。
「こらブランシェ、悪いけどあんまり時間無いからまたこんど」
「えーツレないよレネスちゃん、こっちの男の人のせい?」
だが桜仙種相手では権能を使用しなければ完全に意識の外に出ることはかなわない。
相当高いレベルの隠ぺいをしていたはずのエルピスをいとも容易くにらみつけ、レネスに向けるのとは全く違う刺すような視線をエルピスに対して与えてくる。
そこには明確な殺意が見え隠れしており、エルピスはその余の迫力にほんの少しだけたじろいでしまった。
ニルから激情を向けられた時と雰囲気は似ているが、向こうが愛情であるならばこちらは純然たる殺意そのものである。
「ねぇレネスちゃん、レネスちゃんを狂わせちゃうならこの男殺し──」
「ブランシェ、彼に手を出すなら君でも殺すよ?」
エルピスに対して手を伸ばしたブランシェの腕をなんの躊躇いもなくへし折ったレネスは、至って普通な表情をしながらも明確な殺意で持って言葉を発した。
一瞬驚いたように瞳孔を開いたブランシェであったが、そんなレネスの姿を見て満足したのか鼻息をふんと鳴らすと鍛冶場の方に向き直る。
「いいよーだ、もう沈丁花治してあげないから!」
「なっ! それはまた違う話だろう、悪かったブランシェ」
「嫌だよレネスちゃん私の腕折っちゃったもん、私この腕じゃとてもじゃないけどアレに匹敵する武器なんて作れないなー」
「うぅ…エルピスぅ……」
「そんな目で見ないでくださいよ師匠。アレだったらこちらで用意しても良いんですが……そうしたら怒りますよね?」
「私のことがよく分かってきたじゃないか。レネスちゃんをここに1時間置いていけ、そうすれば新しい刀を作ってやろう」
どんな無理難題をふっかけてくるのかと思えば案外と簡単なものだ。
そう考えて差し出そうとしていたエルピスの横で、頑なに動こうとしないのはレネスである。
押しても引いても頑なに動こうとしないレネスの顔を見てみれば、まるで怯えているかのようだ。
「エルピス置いてかないでくれ! ブランシェと1時間同じ部屋なんて何をされるか分かったものじゃない!」
「確認ですがブランシェさん、レネスに対して危害を加えるつもりはありませんよね」
「ないよ、殺すぞ」
「口悪いですね。まぁだったら良いんじゃないですか? 置いていくので好きに使ってください」
「エルピス! エルピスぅぅっ!!」
どのような理由があるにしろ結局のところ武器は必要なわけで、エルピスとしてもブランシェのようなタイプの人間を敵に回したくはない。
今回に関しては仕方がないので生贄になってくれることをレネスに対して感謝しつつ、エルピスは工房から外に出る。
エルピスがわざわざ外に出てきたのにはもちろん理由があって、それは仙桜種達の村長である第一作目の仙桜種であるエモシオンに出会うためである。
「随分とまたレネスが迷惑をかけているようだの」
「気にしないでください、師匠は面白くて好きですよ」
「それは良かった。まぁここで話すのもなんだ、村の中を歩きながら話そうではないか」
「ではお供させていただいきます」
エモシオンが山神と呼ばれる神の一柱であることは既にエルピスとしてもニルから聞いてはいるものの、それほどエルピスとしてはエモシオンに対して警戒の色を示していないようである。
桜仙種が創生神に作られた種族であるという事もエルピスの安堵を作らせる要因にはなっているだろうが、それよりも大きな要因として考えられるのはエモシオンが帯刀していない事だろう。
それに横を歩くエモシオンの表情からは戦闘するような気配を感じられず、エルピスは武器を収納庫に入れてその隣を歩く。
「魔界での動きに関してはこちらで全て把握しておる、それに関しては質問せん。
私が聞きたいことは一つ。レネスは幸せか?」
「それは私の口から言うべきことなのか分かりませんが、幸せそうにしているとは思いますよ。
少なくとも感情を取り戻させるという事事態は間違っていたようには思いませんが」
「そうか」
何を聞かれるのかと思えば案外とエモシオンも孫思いの良いお婆ちゃんであったらしい。
仙桜種の感情を奪ったのはエモシオン本人であり、その理由は大きく分けて二つである。
一つ目は仙桜種のこれ以上の変化は自己破壊を招くと考えたからだ、この村はいまや止まった時も動き出し大きな力として徐々にその胎動を始めていた。
仙桜種のルールとして敵から攻撃された場合を除いて攻撃するべからずとちうルールを作ったのもエモシオンだったが、それは暴走した仙桜種が他種族に攻撃をしかけ世界の敵になる事を防ごうとしたのだ。
大きすぎる力は敵対者を作り、そして数はいずれ質すらも超えて脅威となり得る。
仙桜種がいまもまだこうして誰一人かける事なく生き抜いているのはエモシオンのおかげ、そう言われれば仙桜種の誰もが正しいと頭を縦に振るだろう。
二つ目の理由は自己性の補完のためである。
エモシオンが仙桜種達から奪い取った感情はその全てが仙桜種の村にあった木に集められていた。
感情とはつまるところ経験であり経験とは人を変えていくものでもある。
長い時を生きていけば生物は徐々にその性質を変質させていき、善性は悪性へと、悪性は善性へと変化していく可能性もあり得る。
それは創生神に破壊神への対抗手段として作られた仙桜種としては絶対になってはいけない状況であり、だからこそエモシオンはそうならない様に気をつけていたのだ。
だがそんな理由があろうと他人の感情を奪う様な行為をしておいて気分がいいわけもなく、エモシオンは村の外に出たレネスの動向が気になって仕方がなかったのだ。
「確かに楽しそうだな。ブランシェとあんなに楽しそうに話しているレネスは久々に見る」
「ブランシェさんはレネスと仲が良さそうでしたね」
「あの子の武器の真価を発揮できるのはレネスだけだからだろうの。
一時間とは言っていたがまぁもう少しくらいはかかりそうなものじゃ」
「まぁ夜明けまでは時間があるので別に構いませんが。
そういえば今回の魔界での騒動ですが仙桜種の力をお借りしても?」
「もちろん構わんよ、破壊神が関係しているのであれば我々が動いた方がいいだろう。
ただなにぶん魔界は広いでな、魔界の外周に連なる山々をぐるりと囲んだ場合は動けるのは一人か二人くらいだの。
どうせ弟が行くだろうからそっちで上手いこと使ってやってくれ」
レネスの弟というと仙桜種の二番目に作られた個体であるエイルの事だろう。
強者と戦うことのためだけに自ら封印されることすら許容していた彼のことだ、確かに魔界で暴れまわって良いと言われれば喜んでやってきそうなものだ。
「さて、一旦はこのくらいか。あとは好きに村を見て回ってくれ」
「また何かレネスについて聞きたいことがあったらいつでも聞いてください。それじゃあ」
過ぎ去っていくエモシオンの背中を見送りながら、エルピスは時間を潰すために雑貨屋の方へと足を伸ばしていく。
それからブランシェとレネスの会話が終わったのは夜が明けきってからのことであった。
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