第135話エルピスの一日

 朝日の光で目を覚まし、身体を魔法で洗浄した後にエルピスは昨日の夜のうちにクローゼットから出しておいた制服に袖を通す。

 まるで何度もしてきたかのような慣れた手つきで着替えを終え身嗜みを整えると、自分で作ったテーブルに軽く作った朝飯を置き食事を始めていく。

 とはいえ朝からがっつりと食べると人間だった時の感覚の名残で上手く身体が回らないので、ミノタウロス特性チーズを乗せたパンとエラからこれに合うとオススメされた紅茶だけである。

 地球とは違う種族が多く存在するこの世界では、地球では食べられなかった美味な食べ物がたくさん存在し、そのうちの一つがこのチーズである。

 牛に詳しいミノタウロス達がチーズ作りに特化した牛を交配させる事で作り出したからこそ、このチーズの風味たっぷりで後味がすっきりとしたチーズが出来上がるのだ。

 かなり値段はするが、それにふさわしい味わいである。

 朝からそんな豪華なものを食べつつも、エルピスは口にパンを加えたまま再び寝室まで戻って行き、クローゼットを押し開けた。

 すると小さな悲鳴と共にアウローラとニルが現れ、エルピスは大きく溜息を吐きながら口を開いた。


「なにしてんのさ」


 いきなりクローゼットを開けたことで倒れかかってきた二人を受け止めながら、エルピスはジト目で睨みつける。

 二人とももう既に制服を着用しており、アウローラは灰猫の予想通り王国式の制服を、ニルは驚いたことにエルピスと同じ帝国式の制服を着用していた。

 元気っ子というイメージのあるニルが真面目な制服を着ているとそれだけでギャップが生まれ、やっている事は阿呆だがその姿には少々心を揺さぶられる。


「いやー驚かそうと思って部屋侵入したら、丁度起きちゃったから……ね?」

「まぁその、こう言うこと言うのはあれだけど、彼女なんだし許してほしいなーって感じもあったり……なかったり」

「どっちかっていうとアウローラはこういった面では真面目なキャラだと思ってたけど、案外お茶目なところもあるんだな。別に怒ってないから気にしなくていいよ」


 エルピスがそう言うと、二人とも目に見えてほっとした顔をする。

 悪戯しにくるのに怒られる覚悟が無いのはどうかなと思うが、アウローラの言った通り友達ではなく恋仲なのだ。

 それくらいの感覚の方が丁度いいのだろう。

 はじめての彼女なので四人に対する接し方をいままで計りかねていたが、エルピス自身もこれを機に距離の測り方を学んでもいいかなと少し頭の中に思い浮かべる。


「よかったぁ……エルピス怒ると怖いから」

「まだ僕は怒られたことないよ! すごいでしょ!」

「いま怒る原因が一つできたけどな! 朝飯もう食べた? 食べて無かったら作るけど」

「まだ食べてないから出来れば欲しいけど時間ある?」


 現在の時刻は時計は8時30分。

 教室には8時35分までに着かなければいけないので、ぶっちゃけると普通に走っても間に合わない時間帯ではある。

 転移魔法と飛行魔法が使えない以上アウローラからするとクローゼットの中に隠れていた場合ではないのだが、エルピスとニルは余裕そうな表情を浮かべ、困惑するアウローラを他所にニルは台所の方へと向かっていく。


「時間なら沢山あるよ、この部屋いま時ほとんど止めてあるし。1秒が一時間くらいの換算かな? 空間ごと世界から切り離したから」

「無茶苦茶するわねあんた!? 大丈夫なのそんな事して?」

「元ある世界を切り離すのは案外簡単なんだよ? 新しく作るってなるとかなり厳しいけどね」


 エルピスに出されたチーズが載せられたパンを美味しそうに頬張りながら、まるで世界から切り離してかつ維持する事自体は簡単だとでも言いたげなニルを見て改めて規格外な人物と共に自分は生きているのだとアウローラも実感する。


「それでエルピス、時間的に常識的な速度で走ると間に合わないけどどうする?」


 頬を膨らましもっちゃもっちゃとパンを食べていたニルが、それらを飲み込むと首を傾げながらエルピスに疑問符を投げかけた。

 確かにここから学舎までは走って10分はかかるし、エルピス達のクラスは四回の一番奥なので更に2分はかかるだろう。

 身体能力に物を言わせればアウローラだって1分もかからずに到着できる自身があるが、とはいえここは人間の治める人間の学校である以上はヴァスィリオ家の名を汚すわけにもいかないので屋根伝いに走っていき窓からダイナミックに突入というわけにもいかない。

 何か良い案が有ればいいが、そう思っていたアウローラの目の前でエルピスがにやりと悪い笑みを浮かべる。


「お姉さん方、俺の種族が何か忘れちゃったのかな?」

半人半龍ドラゴニュートでしょ……ってそれはさすがにどうかと思うんだけど」

「魔法でもないし半人半龍ドラゴニュートからすれば飛ぶのなんて地面歩くのだと一緒だから問題なし! それじゃあニルも食べ終わった事だし行きますか!」

「いや私まだ食べ終わってないし、せめて体勢だけでも整えさせて! むりむり絶対むりー!!」


 結果からして、当然の如くエルピス達は授業開始の時間に間に合うことができた。

 音速に近い速度で飛んだのだから当たり前なのだが、誰にもぶつからないようにしつつそのままの速度で教室に突っ込んだので技能スキルによる周囲への補正がなければと思うとエルピス本人でも少々ゾッとする。

 ちなみにしっかりと突入の際に技能スキルを使用して姿を隠しているので、エルピス達の姿は呆れ顔のセラとエラにしか見られていない。

 一限目の授業が終わり、二限目の授業も終われば少々長い昼休みが訪れる。

 一限目と二限目は必修だったので出ることになってしまったが、今週の内あと朝早く起きなければいけないのは一度だけなのでそれを思うと少し心は楽だ。

 エラやセラは昨日のエルピスと同じく質問攻めにあい、ニルは灰猫に修行のお願いをされたので付いていくらしく、フェルは特殊なタイプの悪魔という事で悪魔研究会なるオカルト部に連れ去られ、アウローラはアウローラで色々なところに挨拶しにいかなければならないので、久しぶりにエルピスは一人になってしまった。

 時折話しかけられはするもののおおよその挨拶は昨日のうちに終わらせておいたので、挨拶に来たとしても小さな貴族の子供達と言ったところである。


「暇だな~やる事ないなぁ~なんか面白い事ないかなぁ」


 いよいよを持って余りにも暇を持て余し、独り言を呟き始めるエルピスではあったが、ふと何か食べ物を食べたい気分になり食堂へと歩いて向かう。

 この学校の食堂はそれこそ城を思わせるほど大きな見た目をしており、一回には大食堂、二回からは王族や貴族の娘や息子達が別途料金を支払って一年間使いたい放題の個室があるらしい。

 王族貴族を相手にするのだから豪勢になるのは分かるが、それにしてもこの施設一体どれだけの金が動いたのかエルピスとしても機になるところではある。


 食堂棟の中に入り大食堂への扉を開けると、中は食事中の生徒で溢れかえっていた。

 生徒達はおおきなグループごとにそれぞれ別れているらしく、同じ国同士で食べる者、違う国同士で交流を深める者、うるさい輩に静かに食べる子。

 様々な生徒達の個性が食堂で見て取れ、エルピスは身嗜みに気をつけながらも昨日のうちに聞いておいた説明の通りにカウンターの方へと向かっていく。


「おいあれって……」

「ああ、アルヘオ家のエルピスだろ。国を超える力を持ち女を侍らせ大貴族を超える金を持つとか」

「おいおいマジかよ、転校してきたのは知ってたけど羨ましい限りだぜ」

「おいお前ら辞めとけ、共和国の奴らがどうなったか知ってるだろ。ヤバイぞ」

「あんなの冗談に決まってるだろ、王に手をかけられる奴なんて一人も居ないさ。そいつの息子がこの学園にいたら聞いてやれたんだかな」


 いかにもチンピラと言った風貌をした生徒三人がそんな会話をしているのを横にしつつ、エルピスはカウンターで注文を決めその場で受け取り適当に座れる席を目で探してみる。

 とは言ってもある程度座る場所は決まっているらしく、それぞれが固まっているのでエルピスが座れそうなところはどこにも見受けられなかった。

 面倒だが追加料金を支払って上で食べるか……そう思っていた矢先、近くの席に座っていた生徒が一つ隣にずれてくれた。

 座ってもいいと言うことだろう。

 とはいえ確認を取らずに聞くのもどうかと思うので、エルピスは申し訳なさそうにしながらその席の方へと向かっていく。


「あの……もしよかったらこの席座っても良いですか?」

「どうぞ! エルピスさんの事は父から聞いています!」


 赤い髪に黄土色の目、鍛治神の教えてくれる気配からしてどうやら土精霊ドワーフのハーフらしい。

 親にどんな話を聞いたのかエルピスとしては非常に気になるところではあるが、いまはそれを追求しても意味がないので特に口は挟まずにありがとうとだけいって席に座る。

 なんだかこの学園に来てから、こういったタイプの子にばかり合う気がするのはわ果たして気のせいなのだろうか。

 親から聞いただの父親と仲が良かっただの知らないところで話が進んでいることがエルピスは一番嫌なのだが、広まってしまった噂を止めることなど今さらできないので特に何かすることもない。

 それに配膳中近くでコソコソと話していた三人組の様に、当たっているわけではないが、外しているわけでもないようなのもいくつかいる。

 ああ言う輩にもわざわざ訂正を入れていたら、それこそ変な噂が広まりそうなところだ。


「そうですか? 私などまだまだ未熟者ですので恥ずかしいですね」

「いやいや、王国での国土防衛戦では一人で亜人の連合軍を相手どったとか? まさに英雄級の働きですよ」

「いやいやそんな、あの時は他の人のサポートがあってこそでしたよ。それに私は犠牲者を出した戦闘を誇るつもりはありません」

「そうですか、立派なお心構えですね。我が弟にも聞かせてあげたいところです」


 その言葉は世辞か本心か、見極めようと思えば簡単にできるが、しても気分は良くならないだろうからしないでおく。

 それから少ししてエルピスが食べ終えると、それを待ち構えていたかのように再び教室での時と同じように質問責めが始まった。

 ただ今回は昨日のクラスのような敬意と節度を保った質問だけではなく、無礼な質問も何度か飛んでくる。


「エルピス様はご家族に捨てられたとお聞きしましたがーー」

「話が名はイルサルム、貴殿の女を是非我が側室にーー」

「大量虐殺した上にそれを隠したって本当ですかーー」

「そんな質素な料理しか頼めないなんて程度が知れてーー」


 ーーなどなど。

 人としてどこかヤバイ奴らには出会ってしまったものの、二度と合わないようにすれば良いだけなので少しの間心が少しざわめく程度ですんだ。

 これでもし直接的に言ってくれば流石に止められなかっただろうが、一応気を使っているのか遠回しに行ってくるので気にしなければ問題はない。

 逃げるようにして食堂から去っていったエルピスは、人から話しかけられない場所に行こうと図書館へと向かっていた。


「ーーようやく終わったよ、ったく暇な奴らばっかだし。二人目の奴とかヤバ過ぎるでしょさすがに」

「ーーご機嫌ようエルピス様。お独り言を呟いていらしたようですが、どうかいたしましたか?」

「丁寧な挨拶ありがとうございます。お気になさらず、ただの考え事ですので」


 一歩外に出て誰かと出会えば強制挨拶イベントが始まるこの学園にもう嫌気がさし始めたエルピスだが、彼らがこうして喋りかけてくる理由ももちろん理解はできる。

 エルピスと仲良くなりアルヘオ家の後ろ盾が出来れば、他国と貿易する際にアルヘオ家経由で商品を売買できるようになるのだ。

 我が家からある程度は手数料として持っていたかれたとしても、それはかなりの金額になる。

 王国が貿易国として名を馳せているのも、イロアス主導の元アルヘオ家の物流ラインに商品をいくつか乗せているからだ。

 現在は王国が主導となってはいるが、次期当主であるところのエルピスと仲良くなっておけば自分の国も優遇してもらえると思っているのだろう。

 その後も何度か挨拶をされつつ歩いて向かうと、食堂よりもさらに広い図書館へと辿り着く。


「学生証の提示をーーエルピス様ですね、話は学園長から。こちらのカードをご使用ください、退出時に回収させていただきます」

「ありがとうございます。これは何に使えば?」


 兵士から手渡されたのは、黒い黒印が押された鉄に似た物質でできたカードだ。

 この学校の証である杖と月桂樹によって作られた校章が裏に彫られており、魔法的な力をそこから感じ取る事はできなかった。


「すいません、説明がまだでしたね。そちらは中にいる司書に見せますと、すべての本を閲覧可能になります。所属しているクラスによって見れる本の量が変わり、いまエルピス様のお持ちになっているそれは最上位のカードになります」

「なるほど、ありがとうございます」


 兵士から説明を受けたエルピスは、軽く頭を下げると図書館へと入っていく。

 入ってすぐ少しの埃っぽさと本の匂いが感じ取れ、近づいてきた司書にカードを見せると軽く本棚を案内される。

 各本棚には閲覧可能なカードの色が記載されており、最後にエルピスが紹介されたのは黒いカードしか見ることのできない本棚だ。

 他のカード見れる棚とは違い魔法によって厳重にロックされており、本棚自体も他の棚が大体四つから八つほどあるのに対して、二つだけとかなりすくなめになっている。


「これは確かに一番上のクラスじゃないと使えないか」


 軽く本を開けてみてみれば、中に記載されているのは軍事機密にも分類されかねない、かつての様々な国における極秘の魔法研究の記録だ。

 動物実験から人体実験など、決して公には出来ない様々な国の実験がどこで行われたかは記載されておらず、ただ記録だけ残されている。

 本棚事一気に記録を読みあさり、数十分かけて二つの棚の内容をおおよそ暗記したエルピスは、特に気になっていた本を手に取り再び最初から読み返す。

 著者は誰か分からず、時代もいつのものか分からないが、本を鑑定にかけた所どうやら最近できたばかりの本らしい。


「土精霊と高位魔術師の魔法・科学面においての生物改造ねぇ」


 いかにも怪しいタイトルである。

 この世界に所謂日本でいうところのマッドサイエンティストが居るのか、はたまた異世界人の誰かが悪さをしようとしているのか。

 どちらでもあまり嬉しい結果は得られそうにないところではあるが、記事の内容自体は非常に学びを得られるものである。

 人体に機械を組み込んだ際にどれくらいの期間から魔法的な強化が行えるようになるか、またその際拒絶反応などは出るのかなどなど。

 する気は無いが方法を知っているだけでも、もし何かあったときに対策として使える可能性もある。


「それじゃあとりあえずここにある本全部読み切るか」


 ーーそれから大体二時間後。

 宣言道理すべての書物を読み終えたエルピスは、カードを兵士に手渡すと再び学舎へと向かって足を進めていく。

 理由としてはそろそろ用事も終わっているであろうアウローラ達に会いに行くためだ。

 だが着いてみればそこにはぐったりとしたフェルしかおらず、他のメンバーの影は見えない。

 どこに行ったのかと当たりを探ってみるが、気配は感じるもののあちらこちらに分散しており何をしているかはここからでは把握不可能だ。


「ううっ……お帰りなさいエルピスさん。みんなまだ帰ってきてないですね、セラとエラはふんわり帰ってきましたけどまたすぐどっか行っちゃいました」

「わりかしみんな自由に過ごしてるみたいだし、邪魔しても悪いか。部屋帰ってトランプしようよフェル」

「やりますか? カードゲームは得意ですよ」

「俺だって結構得意だからな。勝負だ!」


 他のみんなが帰ってきていないのならば、これ以上無駄なことをして時間を潰していても仕方がないので、フィルと一緒に宿舎へとエルピスは帰っていく。

 こうしてエルピスの1日が終わるのだった。

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