第117話到着

「──さぁ到着したぞ」


 数十分間ひたすら船の上で揺らされた事によって地面の感触を忘れた足がふらつきそうになるのを抑えながら、エルピスは黙って海龍に対して会釈する。


 本来なら神人であるエルピスは船酔いになる事など無いはずなのだ。

 だが前世に船が苦手だった事もあり、前世で船に乗った時に酔った事を思い出して酔うという非常によく分からない方法でエルピスは酔っていた。

 想定では後一月ほどはかかる予定だったが、海龍がここまで引っ張って来てくれたおかげで早くついた。


『船の上で吐くんじゃ無いぞ? お前達が海に向かって吐くと生物がお前達の吐瀉物で進化して大変な事になるんだ』

「気おつけ…うぇっ……ますね」

『本当に気をつけてくれよ? じゃあ俺はもう此処から去るから本当に吐くなよ!』


 いっそ吐けと言われているのでは無いかと錯覚する程念を押され、エルピスは魔法で吐き気を抑えながら静かに頷く。


 そうは言っても動く船に合わせて少しだけ浮いていたセラとエラ、そしてニル以外は吐き気どころか意識すら何処かに行っているので、まだエルピスはましな方だろう。


 船の上で吐くと称号の効果で不味いことになるらしいので、代金だけ船の上に置いて全員を引き連れ船から去る。


「ここが土精霊ドワーフの街か……!」


 酔いが少しだけ収まり出し、顔を上げると眼前には土精霊ドワーフ達の国が広がっていた。

 ゴミが見当たらない大通りには等間隔で木や花々が育てられ、辺りには微かに花の匂いが充満している。


 白で統一された近代的な街並みは、機械臭いという土精霊ドワーフの印象を一変させるには充分過ぎるほどだった。

 土精霊ドワーフ用に作られたのか、かなり低い位置に扉はおかれ、遠方に見える王城らしき城には、盗神の能力によってかなりの量の罠が仕掛けられていることが分かる。


 恐らくあの城の建造には鍛治神が関わっているのだろうと考えながら足を踏み出すと、近くを巡回していた、全身を甲冑で覆った土精霊ドワーフがエルピス達に対して、笛の様なものを鳴らしながら近寄ってくる。


「そこの一行止まりなさぁい!!」

「止まりなさぁい!!」


 何処か幼さを感じる声音でそう言いながら、静止する様に手を向ける土精霊ドワーフ達に対して、エルピスは文句を言わずに指示に従うとそのまま相手の目線まで腰を下ろし、グロリアスに接する様にして声をかける。


「お勤めご苦労様です、街兵さん。僕達に何かご用ですか?」

「街兵さん…街兵さん…ふへへへ。初めて街兵さんと他の国の人に呼んでもらえたのです」

「こら、マーブル。見ず知らずの相手の前でにやにやしちゃダメでしょ!」

「あ、ごめんドリン。ついつい」


 甲冑越しでも分かる程の感情の起伏に、いよいよエルピスの中にある土精霊ドワーフのイメージ像が完全に崩れていく。


 それは気にせずに二人に話を進めるように目で促すと、それに反応するようにしてドリンと呼ばれた方の土精霊ドワーフが声をあげた。


「そこに居る女の人は森霊種エルフですよね?

 この国では森霊種エルフの入国は管理局を通ってからで無いとダメなのです!」

「なのです!」

「──私は森霊種エルフでは有りませんよ? 窟暗種ダークエルフと言うわけでも有りませんし……通していただけますか?」

「嘘つくのはダメですよ! その耳は貴方が森霊種エルフである事の証拠。

 それに周囲の精霊達が貴方に寄りかかって居るのが、僕には見えるんです!」


 レンズの様なものをポケットから出し、エラの事を見つめるマーブルと呼ばれていた土精霊ドワーフの視線につられる様にしてエルピスはエラを見つめるが、特にこれといって妖精がいるとかそう言ったのは見受けられない。

 最近意識すれば自分の周りにいる精霊や妖精は見れるようになって来たはずなのだが、どれだけ頑張ってみても見えてくるような感じはしない。

 自分の目がおかしくなったのかと何度か確認するようにして瞬きするエルピスを置き去りにして、土精霊ドワーフとエラは話を進める。


「精霊に多少好かれているだけで森霊種エルフ扱いなら、この人だって森霊種エルフになるわよ?」

「ちょ、アウローラ押すなって」

「この男の人が? あんまり精霊に好かれそうには見えないんですがーーって目が!目がぁぁぁ!!!」


 怪訝そうな顔をしながらレンズ越しでエルピスを直視したマーブルは、何処かで聞いた事があるような事を言った後に自身の手で目を覆い隠すと、よほど痛いのか涙を流しながらそこら中を駆け巡る。

 周辺の家から顔を出して不安そうにこちらを見つめる土精霊ドワーフ達に顔を覚えられたら面倒だと思い、魔法を使って認識阻害をかけながら回復魔法をかけ、エルピスはマーブルに対して申し訳なさそうに声をかけた。


「彼女は森霊種エルフ窟暗種ダークエルフのハーフなんだ。あんまり知られたく無いから黙って置いてね」

「なるほどそう言った事情でしたか、なら後で王城の方までお越しください。混霊種メディオの方々は丁重に扱うようにと様からの御通達ですので」」


 意外な所で出た鍛治神の名に眉をひそめそうになるが、〈詐称〉を使って適当にごまかしながら頷いておく。

 鍛治神はエルピスがこの国に来たことを既に察知しているだろうが、兵士達にまでわざわざエルピスが神である事を言う必要はない。


「では私達の名を門の所にいる兵士に出してくれれば、それで通れる様にしておきます」

「じゃあまたね~お兄さん」


 そう言いながらガシャガシャと音を立てながら去っていく土精霊ドワーフ二人の背中を眺めながら、エルピス達一行は何事も無かったかの様に足を進める。

 土精霊の国へとやってきた理由はもちろん鍛治神との接触であり、城へと迎える正当な理由ができたのは出来すぎていると言ってもいいほどにいい状況だ。

 だが直ぐに城へと向かい鍛治神と会うよりは、先に情報収集を行い鍛治神の人となりを多少なりと抑えてから行った方が交渉もうまく進むだろう。


「じゃあ僕達これからは自由行動って事で良いのかな? エルピス」


 ニルのそんな言葉に対してエルピスは首を縦に振る。


「そうだね。俺はこの国で一番の鍛冶師を探しに行ってくるよ。灰猫達も適当に観光してきてくれる?」

「私はどうすれば良い?」

「アウローラも自由行動で良いよ、ただ海の近くに行く時は気を付けた方がいいかも。

 子供みたいな姿をした笑顔が邪悪な凄い怖い人型の何かに引きずり込まれるからね」

「なにそれ!?  海麗種マーメイドだってもう少しは怖くないと思うんだけど」


 いっそ大袈裟にすら見える動作でそう言いながら騒ぐアウローラには、なんだか微笑ましいものを感じる。

 ここでその怖い生物が海神だと告げる事はアウローラの不安感を増させるだけだろうと判断し、愛想笑いだけ浮かべて答えを言わずに予定を決めたエルピスはその場を後にするのだった。


 /


 それから数分して、周りの建物とは完全に別物の──他の国の文化を無理やりに織り交ぜたような木製の建物から漂う酒の匂いに気づき、エルピスはその中へと足を運ぶ。

 冒険者組合かと最初は考えたのだが、店内を見回してみれば冒険者のような人物はあまり見えず土精霊の方がかなり多い。

 昼間から飲んだくれているのかと思えばそう言うこともなく、見た目はどれだけ若かろうとも酒に強いと言う伝承があるだけあって土精霊達は水を飲む感覚で酒を飲んでいる。


「ようこそアル=サージャの酒場へ!

 お兄さん他所の人かい? 好きなだけ飲んで行ってくれよ!!」


 店に入ってきたエルピスを迎え入れる様にして大きな声を上げながら接客する土精霊ドワーフを見た瞬間に、エルピスはほんの少しの間だけ意識をどこかへと飛ばしてしまう。


 もしかしたら、もしかしたら先程の街兵は特別で、他の土精霊ドワーフはもう少し大きいのが居てもおかしくないのではないか……そう考えていたエルピスの思考など無意味な物だと嘲笑うかの様に、目の前の土精霊ドワーフは鼻歌を歌いながら透明なグラスを拭く。


 王国含めてエルピスが出会った土精霊はこれで五人目、親方は自分で身長が低い方だと言っていたし、親方のところにいた土精霊はまだ成長期ではないといっていた。


 ならばもう少し大きいのが出て来てもおかしくはないと思ったのだが、誰も彼も小学歳程度の身長に髭も生やさず同顔で酒を煽っている。

 もしPTAが見れば卒倒するだろう後悔に何とも言えない違和感を感じながら、エルピスはカウンターに座り目の前の土精霊に声をかける。


「何か適当にお酒を」

「はいよ、他所の人だろう? 土精霊は珍しいかい?」

「すいません変な目で見てましたかね…?」


 新天地に来たばかりで現地の人間に目をつけられるのは厳しいところがある。


「いやいや、みんな最初はそんなもんさ。他の種族から見ても俺らは若く見えるだろう? まぁ実際ここにいる奴らはほとんど若いんだけどな! 俺は結構老けて見えるだろう?」


 実際そう言うだけあって目の前の人物は髭すら生えていないものの、小さい成人男性と言われれば納得できる顔ではある。


 エルピスの隣で『いい飲みっぷりだねぇ』とかなんとか言っている土精霊ドワーフもまた例に漏れず小さく、見た目だけ見るのならば小学生というのが相応しく思えるのだから、土精霊ドワーフという種族が人間的観点から見れば、かなり幼く法律的に危なく見える種族だと思ってしまうのは仕方ないだろう。


 そんなエルピスの疑問を察したのか、グラスを拭く手を止め店主はエルピスに向き直ると疑問に対して答える。


「昔はヒゲもじゃのずんぐりムックリな土精霊ドワーフや大きな土精霊ドワーフも居たんだがな、今は殆ど子供のような姿だよ」

「何か理由があったりするんですか?」

「話すと長くなりますし、有名な話ではありますが鍛治神に関係する情報です。その酒一杯程度では話せませんねぇ?」

「……分かりましたよ、一番高いやつください」

「喜んで」


 酒の味は毒と判断され水と同じになるし、酔いもしないのでエルピスからすればただ高いだけの水でしかない酒は、だが交渉材料になると言うのならばいくらでも飲もう。

 子供の容姿からは想像出来ない程の真剣な表情に意識を切り替え店員がこちらに向き直ると、硬貨をチラつかせながらエルピスは〈交渉〉を使い話を始める。

 剣撃によっての戦いでは無く口による舌戦。

 それは静かに土精霊ドワーフの国でのエルピスの始めての戦闘開始を予告していた。

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