第118話鍛治神になれ無かった男
そうして舌戦が始まってから一体何杯の酒を飲まされたのだろうか。
鍛治神の話をしてやると店主に言われ早数十分。
店主の口はまだ動く様子はなく、エルピスがさすがに騙されたかと疑い始めたやさき、店の扉が開きボロボロのローブに身を包みここ数日は剃った様子のない顎鬚を蓄えた一人の男が入ってくる。
店主はその男の姿を見ると再び作業に戻り、その背中からは安堵した様子が感じ取れた。
どうやら彼が店主の代わりに話をしてくれるらしい。
男はそんな店主を一瞥しながら何の躊躇もなくエルピスの横に座りこむと、エルピスと同じ酒を頼み、それを一気飲みしてから口を開く。
「俺を呼んだってことは話があるんだろう？」
「こちらのお客様から鍛治神についてのお話が」
「なるほどな、遥か遠方の地からようこそおいでなさった。
神がわざわざ大海を超えてきたんだ、大事な用があるんだろう？」
まるで声帯を炎で直接燃やされたかの様に聞き取りづらい声ではあったが、はっきりと神と呼ばれエルピスは警戒心を顕にする。
そんなエルピスに対して目の前の男は手を頭の横で振って降参の意を示し、再び酒を飲むと先程よりは少し聞き取りやすい声で語る。
「怯えるなよ、別に俺は鍛治神じゃない。鍛治神の使いというわけでもない、通りすがりの土精霊というには少し違うが、まぁお前が聞きたい話を話せる人間だ」
「鍛治神のお友達ということですか？ 髭を生やした土精霊を初めて見ましたよ」
「俺はなりかけだよ。一時期俺は、鍛治神の座に就きかけた事があった。
だが神の称号は俺には不相応だった様でな、共に研鑽を重ねた友に称号を譲った」
「へぇ……ご友人がねぇ」
生産系の神の称号は技術もそうだが、生まれつきなれるかどうか決まっているとセラから聞いたことがある。
目の前の彼は技術だけなら鍛治神に届いたのだろうが、最後にたったそれだけが足りなかったのだろう。
もしくはそれらも足りていて、それを踏まえても神になることを拒否したか。
髭が生えているのは鍛治神になりかけているからなのかいまから始まる話の中に別の理由があるのか分からないが気になるところではある。
だが焦らず話を急かすのではなく、相手のことを知る為に視線や息遣いを見ながらどんな性格なのかを観察していく。
「じゃあ今はそのご友人が鍛治神と言う事ですか？」
「いや、彼奴はもう神としては老人だからな、隠居したよ」
「隠居？ 老人？ 神は老化などしない筈です、それに貴方の年齢を見る限り、そんなに老けている様には見えないのですが……」
「鍛治神は違うんだよ、常に新しいものを取り入れ続けないといけないからな。
それにしても嬉しい事を言ってくれるな神様よ。
まぁ俺と友の年齢差はかなりあるし、本来なら千二百歳手前の俺がこうして若さを保っているのは、鍛治神であった彼奴から預かって居た権能の効果。
だから今の俺の年齢は――まぁざっと
桁を一つ間違えて居るのでは無いかと思う年齢に、亜人だから仕方ないと割り切りながら得た情報を整理する。
目の前にいる男は鍛治神になりかける程の腕前の持ち主であり、彼の友人であった鍛治神から授かった権能、神の力を代わりに行使する権限を与えられ、その効果によって今も若々しい姿を保てているらしい。
だがそれは神の権能の中でも基本的な能力の一つであり、鍛冶神としての権能といいうよりは神としての権能であると口にした方が理解も早いだろう。
他にも色々と話のネタは尽き無さそうだと、予想よりも長くなりそうな話に万が一が有ってはとエラとニルに対して魔法を使用して遅くなりそうな旨を伝えておき、更に会話を進展させる。
「私が口にするのもなんですが、神の権能とは便利な物ですね。
能力だけでは無く年齢の増加まで抑えられるとは」
「単純な長寿もまぁ良い事ではあるが、それに見合った実力と精神力が無ければただただ辛く大変なだけさ。
だが神を含む上位種達は、愛する者や友に対して寿命の長期化を請い願う。
一人になるのは辛いからな、俺としては気持ちも分からなくはないが形あるものは本来なくなってしまうべきだと思うんだがな」
そう語る男の口振りは自身の経験を語っている様であり、その姿から漂うなんとも言えない空気に、実際にそうなのだろうと強く実感する。
もし自分のみが歳を取らないでは無く、歳は取るが老化が遅い様な状態にされたらと考えると冷や汗が流れるのを感じる。
不老と歳を取らないのでは、感じる時の流れの早さが違うのだ。
寿命でいえば神の称号を持つエルピスも例に漏れず不老なのだが、これからも共に過ごすであろう人物達は、アウローラと灰猫以外は寿命に囚われない様な種族の者達だ。
神としてはかなり恵まれた環境である。
だが目の前にいる男の状況が今のエルピス程恵まれては居ないだろうと感じ、自然と同情の視線を向けそうになる。
それに気付いたのか男は頬を掻きながら恥ずかしそうに語る。
「別に同情して欲しいって訳じゃないさ。まだ昔馴染みの子くらいなら生きているしな。
俺が後悔しているのはそこじゃ無い、今から話す内容の事だよ。
神ならば知っている――いやアンタが何を司っているかは知らないが、新米の神様なら知らないか。
権能を預かり受けた者は、権能を貸し与えた神が代替えや死亡した場合、急激に力を無くし能力値も一般の
寿命はその時のその種族のおおよそ適正な年齢から他の者達と同じように進んでいく」
「要は時間の流れも元に戻るという事で良いですか？」
「あぁ、その認識で間違って居ない。だからまあそれほど気にすることではない」
いつ死ぬかも分からない時間を過ごすことになるよりは、ある程度寿命も分かるようになるのだし多少寿命が延びるくらいならば問題ないのだろうか。
エルピスにはいまだに分からない話だが、とはいえそれを考える必要もいまのところはなく話は次の話題に代わっていく。
「取り敢えず話はここからなんだが、俺の友達—―鍛治神には一人娘が居るんだがその一人娘には所謂幼馴染というのに当たるのか？
そこら辺は詳しく知らんが、昔から随分と仲が良い友達が居たらしい」
先程までの警戒心が強めだった口調は何処かに鳴りを潜め、恐らく彼本来の姿であろう話し方を見て、エルピスは態度を軟化させながらも真剣に話を聞く。
「最初の頃は鍛治神の娘とは言え、世襲するのはどうせもっと後だろうしとこの二人の関係は黙認されて居た。
世襲前の鍛治神は恋愛沙汰は禁止だからな、後継問題に発展するといけないから。
だが彼奴が、俺の昔馴染みが鍛治神の座を今までと同じ全国民の中からの選出ではなく、娘に明け渡す事を公表した事によって、この国の鍛治一族、人間で言う所の貴族達が反発を起こした訳だ」
そう言いながら辛そうな面持ちで語る男からは怒りの感情が見て取れ、鍛治一族と呼ばれる者達に対しての憤怒が感じ取れた。
表向きは鍛治一族の怒りの原因は公平性が失われてしまうから、実際のところは自分達の家系から鍛治神を出したかったからだろう。
鍛治一族が鍛治神の血を自らの一族に入れようとしたのは、勿論この国の中での地位向上も有っただろうが、いま聞いた話と昔見た御伽話の内容を相対的に照らし合わせれば、鍛治一族が最も求めたのはいまエルピスの目の前に座る男が手に入れて居た、寿命だろうとなんとなく思う。
土精霊は常に上を目指して修練に励む職人ばかりで、人間に比べれば長命ではあるものの彼らの望むものを作り出すのにはまったく寿命が足りないと聞いたことがある。
「どこの国も問題を起こすのは貴族ばかりですね、力を持つものが目立ってしまうのは当然なので仕方のない事ではありますが。狙いは寿命でしょうか」
「だろうな。土精霊で長命を望まない者など居ない、禁術に手を出すものも少なくはないからな」
人間ももちろん長命を望むが、土精霊はその比ではない。
土精霊にとって鍛治は生きがいであり生活だ、それを続ける為ならば親であろうが子であろうが犠牲にしてでも自らの鍛治の為に動く。
それが彼らにとっては当然の行動であり、また共通認識でもある。
究極的にエゴイストであり家族に対しての情よりも自らの技術を向上させることを夢に見る、それが土精霊という生き物であり、それによって土精霊たちはこの世界でも屈指の技術力を有するに至っているのだ。
「だがとはいっても鍛治神の言葉は鶴の一声だ、直ぐに鍛治神の手によって鍛治一家は衰退し、一見潰れた様にも見えた。
だが神の称号を次代に託しついでに鍛治神になるお嬢の結婚式も同時にしようとなったある日、事件は起きた」
どうやってここから土精霊達の見た目が若くして止まっているのだろうかという話に落ちるのかと思えば、どうやら事件はそこで起きたらしい。
結婚式であり新たなる鍛冶神誕生の日ともなれば国を挙げての祝い事である、口ぶりからして男もどうやら現鍛冶神の事を知っている様子。
ともなればそれを祝わないわけもなく楽しそうに話をしてもよさそうなものだが、口に出すこともはばかられるような顔をして言葉を続ける男の顔を見ればそのあとの展開も予想できるのも仕方のないことだと思えてくる。
「まぁ聞け、本当なら俺も戦闘職でないにしろそれなりの力はあるし、元鍛治神であるダチならそれは尚更だ。
現場には多数の土精霊の兵士も居たし当代の鍛冶神も鍛冶神になる前から強かった、何も問題はなかったはずだったんだ。
だが遠方から飛来した矢は俺でも鍛冶神親子でもなく婚約者の男を狙い撃ちした、土精霊でしか作れない装備の性能に窟暗種しか持たない呪いの術、そして森妖種の弓の腕前を前にして旦那は一瞬で絶命した。
鍛冶神が助けようとしたときには既にこの世界に魂が残っていなかったほどの速度でな」
この世界において
人間にとっては遥か昔の話でも、亜人たちからすればつい先日の出来事だ。
その原因が今回の騒動に関係してくる鍛治一族だろう、権力と寿命を求めて旦那を殺された鍛冶神の怒りは容易に想像がつく。
もしエルピスもアウローラを狙われたとしたら、そうしたらきっと敵を根絶やしにするまで気が済まない程の怒りに追われることになるだろうから。
そうなるとだから管理局を通さなければ、
「目の前で愛する者を殺された鍛冶神は己の無力を嘆き、計画を企てた者に消えることのない忿怒を燃料として、数日間の特訓によって歴代最速で神の称号を操ることに成功し、裏切り者達を全て抹殺した」
「数日ですか、狂ってますね。僕でも結構かかったのに」
神の力の制御は難しい。
まず体にかかる負担が尋常ではない、少しずつ体を慣らしながら権能を使用しなければ自らの力で体を壊してしまうこともあるだろう。
エルピスが解放した権能を操れるようになるまでにかかる期間は大体半年程度、それも様々な技能やニルとセラの助けがあってである。
よほどの天才が途轍もない執念をもってしても一月はかかるだろうに、それを数日で終わらせてしまうのだから鍛治神の才と狂うほどの感情は押して図るべきだろう。
「神の称号の扱いは難しいらしいからな。
そうしてかかわった者達を片っ端から殺して回り、一年が過ぎたころに子供が生まれてようやく鍛冶神はほんの少しだけ丸くなった。
その頃は森妖種ともかなりバチバチにやりあってたが、今は結構緩和されてきたな」
「お子さんが居るんですか。それにしても一年で関係者を皆殺しですか、鍛治神とはそこまで強い者なのですね」
神の旦那を殺して神を失墜させようとしたのだ、相当の人数と実力を持った者達が大勢いたことだろう。
それを生産職の神が一人で殺しきったというのはエルピスとしても意外だ。
「あんたも神様なら分かってるだろ？ 神々と俺達では、強さのスケールが違うのさ。
それでだが、長々と話したが、結局の所何故
髭が残っている奴らは爺さんか鍛冶神に認めれらた奴だけさ」
たった一個人の思想が種族そのものの根幹を覆す事にエルピスが神の称号を解放する以前の話ならば疑っただろうが、今となってはそれも納得できる。
鍛冶神が年をとっても見た目が変わらないというのであれば、土精霊達は変わらないのだ。
「さて神様よ、聞いた話によると、この国で一番の鍛治師を探しているらしいじゃないか？」
「どこから聞いたんですかその話……まだ誰にも言ってない筈なんですけど」
「壁に耳あり障子に目ありって言うだろ？ どこの国でもおばちゃんは他人の話を聞いてるんだよ」
思い出せば大通りで話をしている海外の人間のことくらい気になって周りも調べるだろう。
そうしてエルピスの言葉を聞いていたやつがいたのか、それともニルたちの方からそういった話を聞いたやつがいたのか目の前の男もエルピスの目的を知っているようだった。
「という事でこれだけ腹を割って色々と話したんだ、この俺ゲイル・ヴァリアントがこの国に滞在する間専属の鍛治師になってやろう」
意外。
そう言うには随分と前振りが有ったゲイルの専属鍛治師の提案に、エルピスは食い気味に頭を縦に振ると店主に対して追加の酒を出すように促しながら自分でおつまみの食材を机の上に大量に置く。
どうせ遅くなるという話はしてあったのだから、もう少し話をして情報を聞き出したいところだ。
「良いのか？ 了承してくれたのは嬉しい限りだが、お前さんを待ってるお連れさん達が困るだろ？」
「彼女達には遅くなるように言って有ります。ーーそれと僕の名前はエルピスです、ゲイルさん」
「敬語はやめてくれエルピス、神様相手に敬語を使われたらかなわん」
「それもそうですね、じゃあ折角ですし飲み比べと洒落込みますか！」
「
飲み比べを始めたエルピスとゲイルの周りを囲むようにして
だが夜はまだまだ長くそして
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