青年期:鍛治国家編

第116話海龍

 王国から土精霊ドワーフの国に向けて出ている船は、王国管理直営の年数回ある指定便を除くと無いと言ってもいいほどの量である。


 その理由としてはまず土精霊の住んでいる海の近くには、強力な海の獣が多く生息していることなどが挙げられる。

 海竜と呼ばれる海に住まう龍種や、深海種アクアスと呼ばれる10メートルを超える大型の肉食魚類など、脅威は様々あるが最低でもオリハルコンクラスの冒険者が複数名搭乗していないと運航は難しい。


 土精霊の国へと向かいたい人間は多くいるが、こう言った理由から交通手段が限られているため多くの冒険者や商人は強い人物が土精霊の国へと向かうのを待つしか無いのだ。

 だがその点エルピス達ならばそれらの問題は全て解決する事ができる、問題は船をどうやって調達すればいいのかという問題だけであった。


 この話を聞いたグロリアスから定期便の枠を無理やり開ける提案をされたものの実年齢は年上。

 精神年齢的に言えば年下であるグロリアスに頼りっきりになるというのもエルピスとしては微妙な気分だったので、その数少ない船にエルピスたちは乗っていた。


 船が行くのは果ての見えないほどの広さを持つ広大な海であり、出発から早いことで二週間が経過しているが到着までにはまだ一月ほどかかる予定である。


「いやぁ船って本当になんかあれね、楽しいわね!」


 デッキの手すりから体を乗り出すようにして海を眺めるアウローラは、顔に当たる水飛沫を機にすることもなく嬉しそうにそう口にする。

 先程まで船酔いで倒れていた人物には見えないが、吐くものを吐いてどうやら楽になったらしい。


 帆を張って進むこの船は風が吹かない間は本来なら速度も出ないのだが、エルピスやセラの協力の元この船は常に一定の速度を保っていた。


「海も綺麗だし色んな海龍とか見えたりするから、結構飽きないな。

 ……灰猫飛んでる魚を手で捕まえてそのまま食べたら腹壊すと思うんだけど」

「ふょうはひってもお腹が──っと、空いたからね。遠洋の魚も中々いい味だね」

「貴方さっき食べたばかりですよね灰猫」


 先程食べた海鮮料理を思い出しながらエラがそう言うと、灰猫はやれやれと呆れた様に手をヒラヒラと振りながら、そのの言葉に対して反論する。


「あんなのは食べたって言わないよ。まぁせめてあと五匹は食べないと」

「灰猫、貴方太るわよ? というか太り始めてるわよ?」

「ただでさえ最近戦闘訓練をサボって居たから、戦場でもバテて居たのに……そろそろ私からも仕込んであげましょうか」

「セラさんエラさん勘弁してください、死にます助けてくれエルピス……ってこっちも埋まってるし」


 反論を完全に押さえつけられぐうの音も出なくなった灰猫は、いじけてエルピスの元に行こうとするものの、それも膝の上を陣取るニルによって防がれた。

 ニルの顔には明らかな嘲笑の色が見え、灰猫はまたもや抗議の声を上げる。


「なんなんだい、いったい! というか後から来たんだから一応後輩でしょ! エルピスの膝は僕に譲れ!」

「猫の癖にベタベタとくっつき過ぎなんだよ。猫なら猫らしくそこら辺をふらついてたら良いんじゃないかな?」


 珍しく強い口調で灰猫に対してそう返したニルの目には少なくない嫉妬の色が見える。

 同性でありエルピスに出会った頃から気を許され、宿泊先では同室で買い出しも同じとなれば嫉妬するのも無理はないのかもしれない。


 彼我の戦力差は尋常でないほどに広がっていることを知っている灰猫は戦略撤退を決め込み、この群れの中でエルピスの次に発言権の強い人物に助けを求めた。


「もうやだこの人達! アウローラ助けて」

「はいはい皆も灰猫に悪気があってやっている訳じゃないから。気にしないの」

「悪気が無い方が逆に心にくるんだけど!?」


 そんな事を言って楽しく遊ばれる灰猫だが、一瞬鼻を動かし匂いを嗅いだかと思うと、瞬時に顔つきが変わる。


 それは他のメンバーも同じで、先程までは笑いに包まれて居たこの空間も張り詰めた物へと変わっていく。

 気配察知の範囲内に明らかにこちらへと向かってくる大きな影が飛び込んできたからだ。


「なんだ!? でかい波がこっちに来るぞ!」

「冒険者さん達お願いします!」

「乗客のみなさんは船内へ移動してくださいっ!」


 船の上は大荒れだ、気配察知を持っていないものにはその全容を把握することはできていないが、それでも動くだけでできる巨大な波はそれだけで畏怖の多少になる。


 そうして徐々に近寄ってくれば来るほどにその正体がなんなのか明確化していき、それと同時に一部の冒険者達は絶望の顔色を見せる。

 やってきたのは海龍、波の切れ目から見える人よりも大きな背鰭を見て海竜だと見極める事は海に関係した仕事をしている人物であれば簡単なことだった。


 普通ならば船を襲うことはそうない海龍が、その巨体を使って船の動きを止めている状況に違和感を抱くところだが、エルピスはなんとなく目の前の海龍がなぜここにいるのかを把握できている。


『──よく来たな客人よ。待ち侘びていたぞ』


 龍の言語の中でもかなり古い聴き慣れない言葉に耳を傾けながら、エルピスはようやく使いを送って来てくれたかと安堵する。


 この船での長旅の間エルピスは何度かわざと海の上で神の力を使用し、海の神と交渉できるように場を作ろうとしていた。

 本人が来てはさすがに対処に困ったところだが、代理人を立ててくれたのはエルピスとしてはありがたい。


 海の上は海神と呼ばれるこの世界の神の中でも最上位クラスの神の領土であり、他の神ですら窺いを立てる彼を仲間に出来れば破壊神に対しての大きな対抗手段になることだろう。


『遅いですよ、もう少し早く来てくれないと。こんなに土精霊の国に近いところで来られたら国が混乱しちゃうかも知れませんし』


 こんなに、とは言っても船で一月かかる距離があるのだが、海竜が船を襲ったという情報はそれぐらいの距離ならばすぐに伝播する。

 だが龍はエルピスの言葉に対して一瞬船の上にいる他の面々に目を向けると、興味なさげに視線を逸らし話を戻す。


『知ったことではない、我の要件はお前だ』

「エルピス様お下がりください! ここは我々が!」


 護衛が震える手で武器を持ち前に出るが、もし戦闘になれば数分も保つ事はないだろう。


「どうにもなりませんよ。大丈夫、一応半人半龍ドラゴニュートだから龍とは話せますので」


 嫌々という表現がお似合いな表情で椅子から立ち上がったエルピスが問いかけると、それを特に気にした様子もなく海龍は自然体だ。


 アウローラ含めて話の内容を聞かれるのはまずい、一応龍の言葉で話していれば意味を理解できるのはニルとセラ、あとはフェルくらいのものなので、いやいや説得していると思われるくらいで良い。


『なんだかそこの猫から殺意や警戒心以外のなにかを感じるのだが──』

『気のせいです話を続けてください』

「……ねぇエルピス、もし戦闘になって倒すんだったら肉ちょっと残しといて」

『それもそうだな。でだが、私が態々出向いた理由は二つ程ある。

 わたしとしてはどうでも良いのだが、とはいえ先に聞いておけと言われた事だけ聞いておこう。

 貴様は海に関する称号を持っているか?』


 海に関する称号、つまりは海神の称号を持っているかと言う事だろう。


 海龍に称号関係について気を使われるという、なんとも言えない経験に顔をしかめそうになるが、話が拗れるだけなのでエルピスは黙って首を横に振る。

 たったそれだけの動作で一応は納得したのか、海龍は尾を緩め船を圧迫していた力が消えた。


 耳に聞こえる大きな安堵の息を耳にしながらも、エルピスは一応言質が取れるまで慎重に海龍の次の言葉をまつ。


「なるほど……ならばこの話題はもう終わりだ。気を抜いて良いぞ、戦闘になる事はもう無い」

「あっぶねぇぇ、戦闘になったら俺死んでたわ」

「バッカ声がでかいわ!」

「エラ、チェスの続きしましょ」


 そう言われた瞬間に、エラ達はいつでも戦闘を行えるように上げていた腰を下ろすとチェスを始め、ニルは撫でろとエルピスに対しての催促を始め、灰猫は我慢ならないといつのまにか作った釣竿で釣りを始め出す。


 神の使いである獣が嘘をつくとは思えないが、それでも敵になる可能性がある者が目の前にいるのに、自由にしすぎなのではなかろうか。


 自由すぎる目の前の人間達に対して少し興味が湧きそうになるのを押し殺し、海龍はエルピスに対して再び声をかける。


『では二つ目だ。貴公が所有する物が何か聴きたい。正直に答えられよ』

『そうは言われても……隠してるので言葉から探られても嫌ですし、実演でもよろしいですか?』

『ふむ…ちょっと待て──良し良いぞ』


 目を光らせたかと思うと一瞬海龍の動きが止まるが、何もなかったかのようにエルピスに対して実演を始めるよう催促する。


 恐らくは海神と通信を取ったのだろうと思いながら、エルピスは一番最初に盗神の力を行使する。

 権能は使えないが、能力程度ならば四つ目も使用可能になった。

 権能には及ばなくとも、神の力は十分な効果を生み出してくれる。

 現にアウローラは普段ならこの様な能力を使えば真っ先に飛びつくだろうが見向きすらもせず、ニルは一瞬忘れたような表情を浮かべるが直ぐにエルピスと目があった。

 たとえ技能を使っても無効化できない認識阻害なはずなのに、ここまで正確に目を見られると背筋がゾッとする。


『ん? どこに行って…あぁ、そこか。なるほどな』

『よく見つけられましたね。さすが神の僕ですか』

『褒めるな』

『次行きますよ』


 解放した能力は鍛治神の能力。

 空気中の酸素すら鍛えて武器に変えられるその力をどう実演しようかと悩むが、無駄な事をしてもしょうがないので適当に収納庫ストレージから鉄を取り出すと思い出しで甲冑を作り海龍に対して投げつける。


『おい投げるな! というか貴様一体幾つの神の称号を持っているのだ?』

『七つある。まぁ、全部が権能使えるわけじゃないけどさ』

『七つ!? 裏方がえらい事になってるからちょっと待て──五月蝿いな脳内で直接騒ぐな! 

 なに? 面白そうだからこっちに来る!?

  やった瞬間多分こいつ逃げるぞ!?』


 なんだか嫌な予感がするので魔神の権能で半径数百キロに雄二と戦った時と同じような転移阻害と空間断絶、更に加えて転移魔法を使用したものに対する攻撃魔法を設定しておく。


 それから一瞬もまたずに、魔法に誰かがかかった様な感触で、やっておいて良かったと心の底から安堵する。

 更に何かあってからでは怖いので、邪神の障壁を船に乗っている全ての人間にかけてから船の周りも障壁で囲っておく。


『防がれたぁ? 馬鹿だなお前は。

 だからあれだけ酒を飲むなと言ったんだ、かなり酔いが回っているぞ』

『お取り込み中のところ悪いんですが、これで大体は分かってもらえましたか?』

「あぁ。神は酒が回って使い物にならないが、裏方は有能だからな。

 あと三つを見せてくれたらお前達が向かっている大陸まで直ぐに送ってやるから早く見せろ」


 そう言われても後の二つは実演し難い。

 魔神、邪神、鍛治神は簡単だったが残り三つの実演はかなり難しい。


 とりあえず妖精神は海の精霊を適当に呼び出する事で証明したものの、本当にこれでよかったのか疑問に残るところはある。

 盗神の能力は消える能力を見せたのでもう良いかと飛ばして、最後の一つを試すためにエルピスは海龍に対してお願いする。


「じゃあ最後の一つは海龍さんにも関係している事なんで、協力お願いしますね」

「あぁ、別に構わんが。何をすればいい?」

「なんらかの手段で適当に攻撃していただければ結構です」

「そうか、なら遠慮なく」


 そう言いながら海龍が放ったブレスは、エルピスに当たる直前にまるで見えない何かに弾かれた様に、まったく違う方向へと飛んでいき海に超巨大な穴を開ける。

 遠慮なくとは言ったが遠慮がなさすぎではないだろうか。

 あんなもの直撃を喰らえば船の上にいる人物全員死んでもおかしくない。


「な、何事!? っていうかそう言えば、なんかでっかいドラゴン来てたんだった!!」

『──ふはははっ!! なるほどな、そういう事か。まったく……我らの種族の天敵が二千年ぶりに現れたか…気がやられるよ』


 龍神は基本的に翼を生やした龍のことしか司っていない事が多い。

 多少はその代の龍神によって扱いな差はあっただろうが、海龍などは龍として扱われなかったことも多いと聞く。

 だがそれはその代の龍神が龍とは翼を持つ空の王者であるとし、海に住む龍種のことを劣等種であると考えていたからだ。


その点エルピスは龍と名のつく物全てどのような造形であろうと龍であると考えている、攻撃が無効化されたのはそう言ったところが大きい。


「まぁこれで全てらしいし、もう良いだろう。先の約束通り送ってやるからあまり動くなよ」


 そう言いながら海龍は再び船の下に潜ったかと思うと、魔法を使って泡を吹いて倒れている船乗り達より圧倒的に早い速度で穂を広げると、全速力で泳ぎだす。

 何かに捕まっていなければ、立っている事すら居ら出来なくなるほどの風に身体を包まれながら、エルピスは海を眺め静かに呟く。


「最近ヤバイ奴らとしか会ってない気がするなぁ……」


 そんなエルピスの言葉すら遥か彼方に置き去りにしながら、一行は土精霊ドワーフ含む亜人達が住まう大陸へと進むのだった。

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