第98話惨劇
会議を終えて静まり返った渡り廊下を歩きながら、エルピスは今後の策を考える。
エルピス含めて召使い達も帰省から全員帰ってきているので、アルヘオ家の力は王国内でも大きな影響力を持つ。
それ故にエルピスの一手はこの国において、国王の言葉の次に今回の事件に影響を及ぼす事だろう。
だからこそしっかりと状況を把握したくこれからエルピスはわざわざ自ら被害にあった村へと向かうわけなのだが、そんな状況を前にしてエルピスは果たしてどうやって向かおうかと頭を悩ませていた。
この程度の距離であれば転移しようが飛ぼうが走ろうが時間はさして変わらない。王国の端から端までとなれば多少面倒な距離ではあるが、一つや二つ向こうの街へ向かう程度であればすぐに着く事だろう。
魔法を使う必要もないかとエルピスが開けた場所で龍神の翼を広げた瞬間、ガチャガチャと音を立てながら衛兵がこちらにやってきた。
どこの所属かはここからは判断できないが、息遣いからしてかなり急いでこちらにやってきたようだ。
「すいませんエルピス様、王国騎士団第一部隊所属ライネ・レルロストと申します! 少々お時間よろしいでしょうか?」
肩を見てみれば鎧に取り付けられている鷲の部隊章は確かに第一部隊のものだ。
王国の騎士団は多く分けて12部隊に分けられており、それぞれがそれぞれの団長が考えた団員の印を肩に取り付けている。
声からしておそらくは女性だろう、ヘルメットを被っているせいで顔は見えないものの立ち振る舞いからそう判断したエルピスはなるべく丁寧な言葉で返す。
「──どうかしましたか? 時間がないのでできれば手短に」
「今から今回襲われた村へ向かうと聞きました!
あの村は私も何度か立ち寄った事のある村、案内できるかと!」
「隣の人もその類で?」
「はい! 私は王国騎士団第二部隊所属マッカス・ラルクールと申します!
遺体の処理をエルピス様一人に任せるわけにはいきません、我々もお供します!」
正義感溢れる面持ちでエルピスに対してそう言った二人を見て、エルピスはどうしようかと頭を悩ませる。
はっきり言って人手はいらない。
魔法を使えば遺体の焼却は苦にならないし、なによりも人質が取られる可能性があるのではっきり言ってしまえば邪魔になる可能性のほうが高いだろう。
だが目の前で自らが犠牲になる覚悟を決めてまでここにやってきた二人を無碍にするわけにも行かず、エルピスはしょうがないかと二人を連れて行くことにする。
「別に構わないですが二つだけ守って欲しいことがあります。
一つ目は絶対に俺の側から離れない事、二つ目は俺が敵に攻撃されたとしても間に入ったり助けに来たりしない事。
自分で対処できるので」
「「分かりました!」」
返事は良いが本当に言った通り行動してくれるかは怪しい物だ。
王国の騎士は民を守る自負と仲間を守る自己犠牲の精神が強く、自分が死んでも周りを助けようとするようなものも少なくは無い。
一応は襲撃も警戒するかと邪神の障壁を二人にも付与しつつ、エルピスはさらに大きく翼を広げた。
「なら同行を許可します。それじゃ行こうか」
「表に馬を用意させておきました! ここからならば一刻もあればたどり着けるかと!」
「ん? 馬はいらないですよ」
「しかし馬を使用しないとなるとかなり時間が……」
「なんだか久々ですねその現実的な考え方。とりあえず二人とも俺に捕まってください」
アウローラや灰猫にはもうない、常識人的な考えを持つ二人を見て微笑ましさすら覚えながら、エルピスは二人に対してそう指示する。
ガシャガシャと物音を立てながらおずおずとエルピスの近くに寄ってきた二人の騎士は、すごく申し訳なさそうにしてエルピスの服の端をちょこんと掴む。
できる事なら安全面も考えてもっとガッツリ掴んで欲しいので二人を腕の中に抱き抱え、エルピスは久々に龍神の翼を出来るだけ大きくして大空に飛び出した。
「エルピス様何を──って高い!?」
「ひぃぃぃ!! 僕高いところ無理なんです!!」
一度羽ばたけば、エルピスの翼は世界の法則を無視して何よりも早く上へと昇る。
王都が遥か下に見え、宇宙に手を伸ばせば届きそうになる高度まで高さを取ると両脇から大きな悲鳴が上がった。
飛行艇はあるものの、飛行機が飛ぶような高度を飛ぶことができる人工的な乗り物は人間の文化圏には存在しない。
故に彼等からしてみればこの高さは初めての体験なのだろう、エルピスももし自分が反対の立場であると考えるとぞっとするが暴れられても困るので落ち着くように言葉をかける。
「覚悟決めてきたんですよね。これくらいの事は耐えてくださいよ」
「は、はい。それにしてもまさか驚きました、
「まぁこれはちょっと特殊なやつなので」
そう言ってマッカスが見たのは、大きく羽ばたくエルピスの翼だ。
片方だけでも四メートル程はあるだろうか、エルピスの身体の大きさからして違和感は拭えないが、元は龍神の翼なのだから仕方がない。
それから二、三度羽ばたくと一分も経たないうちに目標の場所が見え、エルピスは滑空しながらその場所へと向かっていく。
腕の中から声にならない悲鳴が聞こえてくるが、それにかまってあげるほど今のエルピスは余裕もない。
自分の翼で飛んでいるのだからエルピスにはそのまま地面に突っ込んでも耐えられる程度の速さにしてあるが、両脇にいる二人にもしものことがあればそちらの方が問題である。
慎重に割れ物を扱うようにして予定地であった村に降り立つと、エルピスはその光景に一瞬だけ目を逸らしてしまう。
「……思っていたよりひどいな」
上から見えてはいたものの、実際近くで見ると思っていたより迫力があるものだ。
それなりの感覚を開けて立ち並ぶ家々には所々目も背けたくなるほどの血の跡があり、いくつかの家の壁には横たわっている人の姿も見える。
だがなによりも酷いのは、半分ほど土に埋れた状態で放置されている村の中心にある死体だ。
遊び半分か、それとも性濁豚特有の性質なのか、引き摺り出された腸と上顎から上が欠損した頭部を見て気分が悪くなるのを感じる。
「ゔぉぇええぇええぇ」
急降下による気圧差で内臓が狂ったか、はたまた目の前の光景を見てか。
ビチャビチャと近くで水音がするが、この腐乱臭の中ではいまさらゲロを吐かれたくらいでは臭いは気にならない。
実際の戦場よりも下手をすれば酷い光景を見て殺意が湧きそうになるが、今のエルピスの殺意は例え気配感知の能力を持っていない生物でも本能的に受け取ってしまうので、位置をあまり知られたくないエルピスはそれを必死に抑える。
もう片方の村には発覚当日に既に向かったとの事なので、エルピスが残されたこの村でするべき事はとりあえずは生存者の確認、後は死体を纏めて火葬だ。
「二人は中心にある死体を纏めておいてください。俺は家の中を探ってきます」
無言で頷く二人のことを確認してから、エルピスは一つ一つの家を確認する。
生活感のあまりなかった外とは違い、数日前まで生きていたであろう面影が見える室内での死体はエルピスをしても吐き気を催すほどだった。
キッチンで内臓を引き摺り出された母親の姿、二階では陵辱されたであろう年端もいかない幼い少女。
それを目の前で行われたであろう死んだ父親の姿を見て、エルピスは頭が痛くなるほどの怒りに襲われた。
どこの家も大体全てが同じようなもの、どうやら連れ去った人間は極少数のようだ。
一人一人の遺体を綺麗に洗浄し、魂を浄化させながらエルピスは休むことなく全ての家々を見て回る。
そして最後の家にたどり着いた。
エルピスがこの家を最後にしたのには理由がある、この家からは僅かではあるが生物の気配がするのだ。
それが果たして敵なのか味方なのか、判断するには少し材料が足りないが、どちらにしろ確かめる必要がある。
「失礼します」
声を出しながらエルピスは部屋の奥へと向かって進んでいく。
入って直ぐキッチンが見え、隣の居間では皮が剥がれたおそらくは女性であろう遺体が上に引っ掛けられ宙ぶらりんになっていた。
それをおろしエルピスは生体反応のある二階へとゆっくり向かう。
その道中でおそらくは父親らしい人物と、性濁豚が一匹死んでいるのを見た。
目にナイフが差し込まれ大量の出血で死んだのだろう、普通にやっても性濁豚の身体に傷をつけるのは難しいので、死に物狂いでなんとか捌いたというところだろうか。
そこまでして守りたかった物、考えるまでもなくエルピスはこの家にある生体反応が一体なんなのかを察する。
母親を無惨にも殺され、自らの命を犠牲にして父は愛する我が子に向かう脅威に対して対抗したのだろう。
「開けるよ」
一番奥の部屋に迷いなく向かったエルピスは、一言声をかけながらゆっくりと怯えさせないように動作を行う。
もし敵だと思って自決でもされたら大変だ、今のエルピスはセラが近くにいないので回復魔法を使用できない。
転移する間に死ぬことは無いと思うので命の危険はないだろうが、普段よりは痛みを感じる時間が長くなってしまう。
心配しながら入ったエルピスは、だが意外な事態が起きて一瞬身体が固まる。
部屋を開けた瞬間に包丁を持った女の子がこちらに一目散に迫ってきたのだ。
明確な殺意を持って向けられた刃は訓練された兵士のそれにこそ遠く及ばないものの、明確な殺意で持ってエルピスの命を狙いに来ていた。
それを避けることもせず障壁で受け止めたエルピスは、殺意を全身から滲み出すようにして醸し出す目の前の少女と、部屋の隅で怯えながらこちらを見つめる少年を見てあらかたの状況を把握する。
「このっ! このっ! お母さんの敵っ! 死ね死ね死ね死ね!!」
「──お、お姉ちゃん! その人は敵じゃないよ!」
「死ねっ! よくもお母さんを! お父さんを! 返せ! 返せ!」
「弟くん…かな? お姉ちゃんはいま心に深い傷を負ってるから良いんだよ。それよりも大丈夫? 何も食べてないみたいだけど」
今回の事件が発生してからおよそ二日と半日ほど、その間何も食べずにこの部屋でただいつ来るか分からない敵に対しての恐怖と憎しみを抱きながら、この姉弟は死ぬように生きてきたのだろう。
見てみれば服装もとてもでは無いが清潔とは言えない。
この村は一通り見た限りかなり裕福な方の村だ、だというのに目の前の少年の服装はエルピスにはとてもではないが裕福には見えなかった。
その理由は所々破けているのもあるが、一番の理由は緊張から来た汗や血で酷く変色しているからだろう。
冷静に分析しているエルピスを横に怒りと復讐心で身体を動かしていた姉の方は、気力で動かしていた身体がついに言うことを聞かなくなったのかその場に倒れ込む。
「僕は大丈夫です。だからお姉ちゃんに食べ物を!」
「安心して、お姉ちゃんは助かるし君の分の食べ物もちゃんとある。はいこれどうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
「ちょっと待ってね。えっと…これでよし、いきなり食べるとお腹壊しちゃうから魔法でちょっと体調整えさせてもらったよ」
弟と姉、両方に体調調整用の魔法をかけながらエルピスはパンと水、保存食として残しておいた乾燥肉を
本来ならば豪華な料理をこの場で食べさせてあげたいが、両親が死んで傷心も癒えない少年少女に向かってそんなものを出すのは場違いなように感じられる。
美味しい食べ物ならば彼等がこれから生きていけばいつでも食べられるようになる、いまは栄養価の高い食べ物を胃の中に入れることが先決だ。
「はぐっはぐっ、美味しい…美味しいよお姉ちゃん」
「うっ、ひっく、うっ」
「よく頑張ったねお姉ちゃん、よく弟を守った。弟君もよくお姉ちゃんを支えたね」
「ひっ、うっ、うわぁぁぁぁぁぁん」
涙をボロボロとこぼしながら、手は止まることなく口に物を入れていく。
生きる意思を強く持っている二人の姉弟を見て、これならば下手な事はしないだろうと安心しエルピスは二人が泣き止むのを待つ。
それから十分と少しして、食事も終え少し泣き止んだ二人をエルピスは父と母の姿はとてもでは無いが見せられないと板で打ち付けられた窓から外に出す。
見てみれば姉の方も弟の方も手にかなりの傷があり、この板を打ち付けるのに相当苦労したようだ。
板を外すときの音でこちらに気がついたのか、二人のこちらを見る騎士と目が合った。
生き残りを見つけた事で少しは肩の力が抜けたのか、二人の騎士はここに来て初めて笑顔を見せる。
「エルピス様、生き残りがいたんですね!」
「ええ。二人はこの子達の相手を、俺は今から遺体を焼きますので」
エルピスが周りの家の中を回っていた理由は生きている人間の探索もあるが、一つ一つの遺体の近くにマークを刻む必要があったからだ。
魔力を少し使ってその魔法術式を使うと、周囲の家から遺体だけが転移して目の前の空間に現れる。
数にして四十と少し、そこには集落の大半以上が死体となって転がっていた。
「ほらライフ、お父さんとお母さんに別れを言いにいくわよ」
「……うん」
消えてしまいそうなか細い声で、二人はエルピスの隣に立つ。
この二人の母にだけ限った事では無いが、皮を剥がれたり臓物が飛び出たりしていた遺体は、全てエルピスが邪神の権能を使用して死化粧をしておいたので見れないほどに酷い死体はもうない。
邪悪を司る神で邪神だが、その本質は意外なことに正義に近い。
こうして誰かの為に権能を使うのは初めてだなと思いつつ、エルピスは今一度神の権能を使用する。
「お父さん、お母さん? どうして? なんで!?」
「お父さん! お母さん!」
エルピスの目にはぼんやりと何かいるようにしか見えない。
だが隣にいる二人は、まるで自分達の父と母が実際に見えているかのようにして空へと向かって声をかける。
これが邪神の権能の内の一つ、死んだ魂との会話だ。
戦闘には応用できないし死んだ魂の側が会話したいという意志があることが前提だが、こうして死んだ人間とも喋る事はできる。
これがこの二人の姉弟にできるエルピスの最大限の優しさだった。
二十分ほどだっただろうか、一頻り会話を終えて涙を拭いた姉はエルピスに向かって「焼いて」と小さく呟いた。
「鎮魂魔法〈浄化〉」
広場にある遺体、周りにあった家々が一瞬赤く煌めいたかと思うと、一瞬にして消えていく。
残ったのは荒れ果てた土地のみ、エルピスがわざわざ家を消したのは姉弟が過去に囚われないようにするためだ。
まるで幻だったと言わんばかりに急に消えた思い出に耐え切れないのか、涙を流す弟とは対照的に姉の方は必死に涙を堪えていた。
「ありがとうございました。父や母と喋れるとは思っても見ませんでした」
「間に合わなかったせめてもの贖罪だよ。感謝されるような事じゃ無い」
常に王国全土を警戒でもしていなければ今回の事件を防ぐ事は出来なかっただろうし、そんな事はさすがにエルピスでも長く続ける事は出来ないだろう。
だから謝る必要などないと言われればそれまでだが、それでも間に合わなかったのは確かな事実なのだ。
「それでもです。それで一つよろしいですか」
「どうしたの?」
「無理は承知でお願いします、貴方のところで働かせてください!」
決死の覚悟で頭を下げた弟の後ろで、おずおずと申し訳なさそうにしながら姉の方もエルピスに対して頭を下げる。
いま先程人違いであったとは言え全力で殺しに行った相手に対してお願いをするなど複雑な気持ちだろう、だが彼等が生きていくにはエルピスに頼るか国家に頼るかのどちらかしかない。
「いいよ」
「本当ですか?」
「お母さんから聞いたんでしょ? 実際言われなくてもそうするつもりだったし。
元よりこの二人はうちで保護するつもりだった。
両親からは常に困った人は助けられるように教えられてきた、それはこの世界で生きるエルピスにとって家族の次に大切な行動指針の一つである。
それに登っていった彼等の両親の魂、二つの魂が確かにエルピスに対して子供達をお願いしますと言ったように聞こえたのだ。
既に空に登って行った二人の両親を思い出して、エルピスも少し感傷に浸る。
だがそんな暇はない、まだ死体の焼却業務だけで言うのであればもう一つの村が残っているのだ。
「誰か!」
「──お呼びでしょうか」
「誰が来るかと思ったけどフィトゥスならちょうどよかった。
俺はもう一つの村に行ってくるからこの二人とあそこにいる騎士の事は任せたよ」
「おおよそ理解しました、お任せください」
「エルピス様、我々はここで。お力になれずすいません」
「その二人と話してあげてください。人でない僕には難しい事なので」
背後に現れたフィトゥスに一瞥すら入れず、エルピスは次の村へと向かって飛び立つ。
あの二人はフィトゥスが上手く仕込む事だろう、騎士二人には悪いがここで仕事は終わりだ。
次の村から漂う確かな敵の気配に集中しながらエルピスは最短コースで次の村へと向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます