第55話道中

  王都から出て三時間ほど。

 かつて魔法の訓練のために何度か訪れた草地も通り過ぎ、辺りにはエルピスが見知ったような物は一つもない。


(牧歌的だなぁ……眠い)


 親がこうなる事を見越してか事前に用意してくれていた馬車に乗り、眠たくなってきた目を擦ってエルピスは見送られた時の事を思い出す。


 転移魔法や通話魔法でいつでも会えると言うのに、それでも涙を浮かべながら見送ってくれたグロリアスや他の王族の子達を思い出して少し感傷に浸ってしまうのも仕方のない事だろう。

 荷台で眠るエラ達の姿を見ながらこれから先は自分がしっかりしなくてはと思っていると、不意に隣から声がかかる。


「それにしても、まさかあのエルピスさんから声がかかるとは思ってもいなかったぜ!」


 そう言ってこちらを見ながら楽しそうにしているのは、エルピスが雇った冒険者パーティー、美食同盟の一員であるグスタフという青年だ。

 エルピスが始めて王都を訪れた時、すなわち丸飯を売り込みに行った時なのだが、彼はその時に一番はじめに手をつけてくれた人物でもある。


 いまのエルピスの年齢が15歳だから、美食同盟のメンバーとあの場で出会ったのは六年前になるのだが、エルピスの記憶が正しければ特に外見上の違いもなくなんのことなら見た目は若々しくすら見える。

 この世界では魔力量が多い生物は基本的に長寿な事が多く、つまりは強ければ強いほどに老化が遅いので、目の前の彼もそれなりに強いと予想できた。


「こらグスタフ! あんたまたそんな言葉遣いして、もっと礼儀正しくしなさいよ! すいませんエルピス様、こいつも悪気があったわけじゃないんです」

「構いませんよ。それに貴方方とは初対面というわけでもないですし、助けられた恩もありますから、タメ口の方がいいくらいですよ?」

「私達がエルピス様を助けた事など無いように思うんですが…」


 申し訳なさそうな顔をしながらそんな事を言う彼の名前は、確かディルだったか。

 美食同盟のリーダーであり行動の端々から礼儀正しさが見える彼にそう言われると、本当に覚えていないんだろうと言うことを認識させられる。

 五年も経っているのだから仕方ない事だろう、そう判断したエルピスは過去に会ったときの話をした。


「覚えてませんか? 丸飯屋の小さな店員、あれ僕ですよ」

「えっ! あの時の子供、エルピスさんだったんですか!?」


 どうやら思い出してくれたようで、エルピスはそっと胸をなでおろす。

 向こうからすれば尊敬の対象のように移っているのかもしれないが、エルピスもただの人間なので間を取ってしゃべられるとやりにくい。

 だが過去にあって居た事をお互いに認識した事で、親近感も多少は増して随分と楽になった。


「あの時は小さかったですから、覚えてないのも無理は有りませんけどね」


 思えば丸飯の販売を始めてから、かなりの時間がたった。

 9歳の頃に販売を始めたのだから、六年ほどは経っているということだ。

 日本にいたころに持っていたものも捨てなければいけないものは捨ててきたし、捨てたとこによって見えるようになった価値観もある。

 きっといまの自分と日本にいた頃の自分をつなぐものは、もう同級生と食べ物くらいしかないと思うと、少し感傷に浸ってしまうのも仕方のないことだろう。


「という事でタメ口でお願いします。共和国まで三週間ほどかかりますし、敬語で呼び合い続けるというのは少し寂しいので。

 もちろん僕もタメ口で喋らせていただきます」


 エルピスがそう言うと、冒険者達は困ったような顔を見せる。

 そもそもエルピスは貴族の息子だという自意識が欠けており、相手からすれば貴族の息子が相手なのだから敬語を使わない方がおかしいのだ。


 しかもエルピスの首に分かりやすく取り付けられている一枚の札は、最高位の冒険者の証であり、それだけで他の冒険者からすれば一国の王よりも強い力を持つのだから。

 とはいえ本人にそう喋れと言われたならそうするしかなく、渋々と言った風にディルが口を開く。


「ならそうさせてもらうけど……そう言えばエルピスはどうして俺達を雇ったんだ? ある程度の話は聞いていたが、冒険者としての知識ならそこにいる灰猫に聞けば良いと思うんだが」


 そう言いながらディルが指を指すのは、エルピスの膝の上でスヤスヤと眠りについている灰猫だ。

 本人が言っていた通り冒険者の間で噂になる程度には強いらしいこの灰猫、確かに今まで一人で行動してきたらしいので知識を教えて貰うには十分な相手だろう。

 だが知識面以外でもしっかりと冒険者を雇った理由はあるのだ。


「人数を集めれば盗賊が寄ってこないようになるからね。その点も危惧してだよ」

「なるほどな、確かにそれならうちのパーティーは良い具合に働けそうだ。なんてったってグスタフみたいなデカイのもいる事だしな」

「身体のデカさには自信があるぜ!」

「あと頭の悪さもね」

「酷くないかサリア!?」

「そう? 妥当な判断だと私も思うわよ?」

「アリアまで!?」


 ある程度の雑談を交わしたことで、ようやく美食同盟というパーティーの弱点と長所が見えてくる。

 戦闘面に関して言えばまだ一度も見ていないのでなんとも言えないが、パーティーとしての完成度で言えばエルピスの予想していた基準値より遥かに上のようだった。


 パーティー内でも男女が揃っていれば少しはギクシャクしている物だろうと思っていたが、別にそのような事はなく随分と楽しそうだ。

 リーダーのディルが軽口を言い、それにサリアと呼ばれた魔法使いが軽口を重ね、グスタフにその軽口が飛んでいき、最後にアリアと呼ばれた僧侶が話を締める。


 両親から理想的なパーティーは会話が円滑に進むパーティーだと聞かされていたエルピスからすれば、彼らの会話は一種の理想像とも言えた。

 弱点を挙げるならば仲が良すぎる事だ、果たして誰か負傷した時にまともな判断ができるかどうか。


「エルピスってたまにすごく分かりやすい表情するわよね」

 

 いつのまに起きていたのか、軽い欠伸をしながらアウローラがエルピスに対してそう言った。

 分かりやすい表情とはどういう表情か。

 そう聞こうとして、だがなんとなく自分でそれを理解してエルピスは誤魔化すように笑う。


「……まだまだ目的地まで遠いぞ? もう少し寝てたらどうだ?」

「それもそうね。おやすみエルピス」


 誤魔化しすらならない誤魔化し方で納得してくれたアウローラに感謝して、エルピスも軽く仮眠する。

 —―それから数時間後。

 やはりと言うかなんと言うか仮眠したところで日が暮れるまで寝られるはずもなく、趣味の話や最近興味がある話などをしながら街道を歩いていると、不意に先を歩いていたディルの足が止まった。


「そろそろ暗くなって来たので、休めるところを探したいね」

「もう止まるんですか? あと一時間くらいは大丈夫なように思うんだけど」


 寝る場所を探し出したディルに向かって、エルピスは純粋な疑問を口にする。

 別に急ぎの用があるわけでもないので、そこまでせかせかと進む理由もないのだが、いまの太陽の位置からしてあと二時間ほどはまだ空に浮かんでいるだろうから、無理せずとも進めると思うのだが。


「ここら一帯はまだ王都に近いから安全だけど、そろそろ盗賊達が現れてもおかしくないからね。なるべく寝込みを襲われないようにここらで一度睡眠をとるのさ」

「そういう事か」


 確かにそう言われて周囲の気配を探ってみれば、少し行った先の洞窟に人がいる気配を感じる。

 おそらくこの気配が盗賊なのだろう。

 ここから先に行けば盗賊達に襲われる可能性があるのは理解できたので、素直に納得してエルピス達も近くに馬車を止める。


「……ふわぁっ。今日はここで寝るの?」

「おはようアウローラ。今日はここらで寝る予定だよ、道沿いを一時間くらい行った先に盗賊のアジトがあるからそこに行く前に寝るつもりらしい」

「了解っ。なんかした方がいい事ある?」

「うーん、どうだろうねぇ」


 起きて来たアウローラに対してエルピスがそう言った理由は、ディル達が率先して寝床の確保などをしてくれているからだ。

 魔獣などが入ってこないように障壁は既に貼ってあるし、何かあれば即座に対応できる自信もある。

 食事などもここまでの道中に任せて欲しいと言われているので、正直に言ってやることが無いのが現状だ。


「おはようございますエルピス様」

「おはようエラ。食事とかは作ってくれるらしいから、そこで嘘寝してるセラとチェスでもしてたら?」

「……バレてましたか。せっかく驚かせようと思って能力まで使って寝たふりをしていたのに」

「チェスするなら私も入れてよ、三人でチェス一回やってみたかったのよね」


 三人でチェスなどどうやるのか気にはなるものの、楽しそうにしている三人の邪魔をするわけにもいかないのでエルピスは自分の作業を開始する。

 まずは魔物避けの設置だ。

 障壁を張っているとはいえ襲われれば交通路の安全面も考えて殺さなければいけないので、それを防ぐためのものなのだが……。


(こんなんでしっかりと効くのかな)


 エルピスの手に握られているのは、少し大きめの魔石。

 それも一部の魔物から手に入る周囲の魔力を取り込み自らの力とする特殊な魔石らしいのだが、商人の話によればこれを使えば魔物が寄ってこなくなるらしいのだ。


 とある店で買い物をした際についでに貰ったものであるが、手のひらから微かに魔力が吸われていく感覚があるので、言われた通り魔力は吸うのだろうが…。

 どのような原理で魔物を遠ざけるのかは、正直言って不明だ。


 後でセラ辺りに聞いてみようと考えていると、グスタフから声がかかる。


「終わったぜエルピス! まさか龍の肉がこんなに良い状態で食えるなんてありがてぇ」

「こら、グスタフ。いくら敬語を使わなくて良いと言われたからと言って、もう少し敬意を持って喋りなさい。相手を誰だと思っているの?」

「ん? ああ、そう言えばお前結構ミーハーだもんな。この前の王国祭からグッズ集めとか—―」

「それ以上言ったらぶっ殺す!」

「やれるもんならやってみろよバーカ!」

「すいませんエルピスさん、申し訳ないです」

「いえいえ構いませんよ」


 楽しげなみんなの会話を聞きながら、エルピスは収納庫ストレージから机や椅子を取り出し草原の上に置いていく。

 少し遠くでチェスをしている三人を呼び戻し、調理された料理を並べてそれぞれ用意された席へと座る。


 完璧に調理された龍の肉はこの世界において至上の肉とされているが、それが過剰な表現ではない事がまだ口にしていないと言うのに匂いだけでそれがわかる。

 早く口にしたいという思いをなんとか意志の力で抑えつけながら、みんなが座ったことを確認してから料理に対して深く頭を下げた。


 この世界において手を合わせたり頂きますと言ったりする文化はそもそもなく、こうして出された料理に礼をするのがこの世界においての食事のマナーなのだ。


「んー! 美味しいっ! そう言えばだけどエルピスはこのお肉食べても良いの?」


 出された料理に舌鼓を打っていると、不意にアウローラからそんな疑問が投げかけられる。

 一体なんのことかと少し頭を捻らせると、すぐに原因は分かった。

 アウローラはエルピスが半人半龍ドラゴニュートだと言うことを知っているので、それを心配してのことなのだろう。

 考えてみれば確かにそう言いたくなる気持ちも分かるなと思いながら、エルピスは笑って言葉を返す。


「大丈夫だよ、半人半龍ドラゴニュートとは言ってもそもそもこれは飛龍で、僕のお母さんは龍人だからね」

「そんなもんなの?」

「そんなもんさ、怒る人いるからあんまり言わない方がいいよそれ」


 食べる事に嫌悪感などは特にないし、そもそも今は半人半龍ドラゴニュートですら無くなっているので、忌避感がないのも仕方のない事なのかもしれない。

 体感的には人と猿というよりは人と他の哺乳類程の違いだ。

 その後も手が止まる事もなく食事が終わり、エルピス達は就寝の為の寝床の準備を始めた。


「そういえばセラとかエラとかずっと寝てたけど、今からまた寝られるの?」

「私は大丈夫です、寝る為の訓練は一応されていますので」

「私も問題ないです」

「なら良かった」


 私も気にしなさいと言わんばかりにアウローラがエルピスの事を見るが、エルピスからしてみれば常にぐうたらしている君なら、別にいまから寝ろと言われてもすぐに寝られるでしょという感じだ。

 それぞれが自分達の寝る為の設備を整えて、日が沈み少し寒くなった夜を越えるために深い眠りにつくのだった。

 

/


 目が痛くなるほど照らされた洞窟内で、数十人の男達が楽しそうに騒ぎ立て声を上げる。

 男達の手には共通して大きなジョッキがあり、その中におそらくは並々と注がれていたであろう飲料が半分ほど無くなっていることから、かなり酔いが回っていることが見て取れる。


 男達はここら一体でも有名な盗賊団であり、今日も今日とてその力を振るって酒を奪い人生を謳歌していた。

 日が昇るまで続くと思われたこの馬鹿騒ぎ、しかし今日は意外なところでその終わりを迎える。


「どうしたんだ? 迷子か?」


 不気味なほどに黑い装束を着たおそらくはまだ成人にも満たしていないような、そんな何かが洞窟の入り口で何も声を発さずにただただ立ち尽くしていた。

 ここら一帯には村はないものの少し離れれば村はいくつかあるので、おそらくはそこでなんらかの事情によって捨てられた子なのだろうと男は身なりから判断する。


 王国は比較的に飢餓率も低く農民が自らの子を捨てるようなことは少ないが、それでも全くないと言うわけでもない。

 彼等も元はそれに近い出であり、となれば彼等が一人でやってきた人物の身を案じるのも無理のない話だ。


「人の気配は…まぁ少し多いけど情報通りかな。金品は特になし、武器は血がついてるものの人間のじゃないな……本当にここが噂の盗賊団か?」


 ポツリポツリとこぼす程度に少年が呟いたその言葉が何故か不気味なほどに耳に残り、騒いでいた盗賊達も無意識のうちに武器に手を伸ばしながら油断なく少年の方を見据える。


「もしかして風の旅団と間違えてないか?」

「ああ、あそこと間違えたんなら納得だ。俺らは盗賊って言っても基本的に獣とかしか殺さない盗賊団なんで、あっちに入りたいんならそっち行った方が良いぞ」

「いつも思うけど俺らって絶対盗賊じゃねぇよな」

「違いねぇ!」


 王国において盗賊は自国民としてカウントされず、税金やその他一定量の金額を収める義務が発生しない。

 それによって王都に入る際などは身分証明書などが必要になるものの、前国王が本当に私生活に困った者達への救済処置として影ながらこういった制度が実施されているのだ。


 つまりは彼等は自由に移動できる狩人に近い存在であり、勿論誰一人として人間に対して危害などは加えていない。

 危害を加えると言うことはつまり少なからず王都の騎士団が動く可能性があり、彼等にとってもそんな事をしたところで何も利益が無いからだ。

 とはいえやはり本物の盗賊も存在する。

 その一つが先程話題に上がった風の旅団であり、この盗賊グループは国内でも最大規模のかなり危ない集団だ。


「……ならお兄さん達は危ない人達じゃ無いってことですか?」

「いやそんな事はないぞ? お兄さん達はそれはそれは凶悪な盗賊さ、この前なんかアラクネを捌いたしな」

「おい冗談はやめろって!?」


 アラクネとは王国内において、超危険物として取り扱われている依存度が極めて高い麻薬である。

 一度使用してしまえば二度と通常の状態に戻ることが出来ず、人間だけでなく亜人種すらも精神を崩壊させるほどの危険な薬物だ。

 その薬物の名前が出た瞬間に目の前の少年の雰囲気が変わる。


 最初はどこか少しの違和感から、徐々に恐怖心を心に芽生えさせ、そして絶望へと心を染めさせる。

 荒れ狂う魔力によって顔を覆っていたフードが弾け飛び、部屋の中を魔力の奔流が暴れ狂い少年の紅い目がただ静かに男達を見た。


 いままで戦ったどの生物よりも確実な死の予感を目の前の少年に叩きつけられ、男達はただただ絶望の前に足を折る。


「すいません嘘ですよね、分かってるんですけどちょっと反応してしまって」


 そんな少年の言葉共に、身体から緊張感が抜けていくのが感じ取れた。

 言葉尻から冗談だと言うことが伝わったのか、はたまた何か別の手段によって許されたのか。

 盗賊達は自らの生命の危機が過ぎ去った事を感じてホッと一息つく。


「死ぬかと思ったぞ…飲んでくか?」

「いえいえ申し訳ないですよ、皆さんで楽しんでるのに邪魔してしまっては」

「そう言うな、聞きたい話が山のようにあるんだから」


 盗賊の一人がそう言うと、少年は渋々と言った風に置いてあるジョッキを手に取る。

 それから少ししてまた男達の宴は始まった。

 一人の来訪者を仲間に入れて、今度は日が昇るまで、その宴が終わる事は一度もなかった。

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