第54話出立
王国から他国へ向かうのにはいくつかの手段がある。
まず自力で国境まで歩き、その後さらに目的の街まで歩てい渡る方法。
これには場所にはよるが危険な行路を通る可能性も低くはなく、力の弱いものやお年寄りは冒険者などを雇う必要がある。
だがその代わり陸路なので商品に通行税自体はかかってしまうものの、その他の移動方法に比べればそれほど関税は高くはなく、さらに一度に運べる量なども多い。
次にそれなりの金品を支払い、空船や列車に乗って移動する方法。
こちらは旅や出稼ぎなどとは違い、どちらかといえば旅行などで常用する事が多い。
持っていける荷物は船や列車の大きさにもよるが基本的に一人当たり鞄2.3個分とかなり少なく、商人クラスの人物が物を運搬するのにはあまり適していない。
最後は一般人が一年働いてやっとという金品を支払い、国から国へ転移魔法で転移するという方法。
手荷物などは特殊な
一般人が選べる移動方法と言えばこの三つが基本であり、もちろんエルピスもこの中の一つの方法で移動するのだが……。
「だからぁ! 僕が今回したいのは依頼であって、登録じゃないと何度言えば良いんですか!」
「まぁまぁそう仰らずに。いまなら最高ランクからですよ?」
「そんな期間限定みたいな言い方されても引っかからないけどね!?」
「ならポイントも付けますから、なんならデートでも行きます?」
「結構です!」
いまの時刻は昼下がり。
カウンターを挟んで言葉を交わす男女は、お互いの意見を通す為に周りの事など気にせず思った事を大音量で口にする。
—―ここは王国立冒険者組合本部、冒険者達の仕事場だ。
そんな場所で何故エルピスがこうして揉めているかと聞かれれば、それはもちろん冒険者組合がエルピスの力を欲しているからである。
この世界において強き者とはそれだけで価値があり、エルピスクラスの実力者ともなれば金鉱脈に匹敵するほどの資産価値となるのだ。
ならばこうして受付嬢が迷惑と思われようとも勧誘を続けるのは不思議ではないだろう。
「じゃあなんだったら良いんですか!?」
「なんでも嫌ですよ! 両親が行ってたみたいな遠征嫌いなんで」
「なんとか遠征をキャンセル出来るように言うので……お願いします!」
断固として拒否するエルピスに対して、受付嬢は頭をカウンターに打ち付けてまでエルピスにお願いする。
もちろん彼女がここまで必死になるのには、しっかりとした理由がある。
もしここでエルピスを組合に参加させる事が出来なければ彼女は良くて左遷、最悪の場合はクビだ。
非情なようにも見えるが、現実世界で例えればいまの組合の状況はいきなり大企業との契約が行えそう、という社運すらかかった大事な交渉であり、そう思えば目の前の受付嬢はエルピスから見ても大変可哀想に思えた。
多少の同情とこのままでは話が進まないという思いから、しぶしぶエルピスが無言で頭を縦に振ると、満面の笑みを浮かべて彼女は奥の方から書類を取り出してくる。
その数十数枚程。
両親から組合の書類は毎度多いとは聞かされていたが、まさか出立の日にこんな物を書かされなければいけないのかと少し億劫になる。
「おい、あれ見てみろよ」
「もしかしてエルピス・アルヘオか? ついに冒険者組合に参加するのか、これで王国も安泰だな」
「だが噂によると王国を出るらしいぞ?」
「そうそう、俺もそれ聞いたぞ。何やら四、五人ほどの少数精鋭で行くとか、他国の冒険者組合に取られなきゃいいんだが」
「だからいま登録させてるんだろ? 最初に登録した国が本拠地登録されるってギルドの規約に書いてあっただろ」
「そうだっけか?」
そんな声を聞きながら、エルピスは渡された書類に必要事項を書き込んでいく。
交渉の
それでも思っていたより時間は食ってしまったが。
「こちらが最高位冒険者の証であるカードです、無くされますと組合の方から依頼が優先して回ってくるようになりますので、なるべく無くさないようにお願いします」
「分かりました。それで本題ですが、共和国までの馬車の護衛を誰かにお願いしたいので、適当な人を見繕ってもらえませんか?」
「護衛ですか?」
そう言った受付嬢の頭の上には、分かりやすいほどに疑問符が浮かんでいた。
確かについ今しがた最高位冒険者の証を手渡された者が、多少危険もあるとは言え街道を移動するために護衛を要求するというのは少々おかしな話だろう。
だがこれにはしっかりとした理由があるのだ。
エラもセラも、もちろんアウローラもエルピスも冒険などした事もなく、基本的な準備などはさすがに分かるにしても、冒険中のノウハウなどはまだ何もわかっていない。
そこで冒険者歴の長い先輩に対して、それらのことを教えてもらおうという判断である。
「護衛ですか、少々お待ちくださいね。ええっと……いまなら美食同盟しか空いていませんね」
「ではそこでお願いします」
「呼び出しにある程度時間が必要なので、一時間ほどしてからお越しください」
登録さえ終わってしまったのなら後は早かった。
依頼料などは本人達で話し合って決めるらしく、ある程度の基準はあるものの自由に決めていいらしい事を聞いてから、エルピスは組合の外へと歩いていく。
午前の間に必要な荷物は全て
(どこかで見たような…?)
どこかで見たとこがあるその顔に誰だったかと頭の中で照らし合わせていると、向こうの方がエルピスに気がついて歩いてきた。
街中でも油断無く歩き、腰に挿した短刀が特徴的な目の前の猫人族の少年は、エルピスに対して笑顔で言葉を発する。
「ようやく顔見せましたね、人の尻尾触ったり勝手に僕の事買ったりした癖に、いまのいままでどこに行っていたんですか?」
どこかの天使と似たような事を言いながら、目の前の少年はそう言った。
その言葉にようやくエルピスは、目の前の少年が誰だったのかを思い出す。
ああ、そう言えば奴隷として捕まっていた時に、同じ牢屋にこんなやつ居たなと。
彼の事を同情で救ったは良いものの、その当時エルピス自体に時間的余裕があるような生活を送っていなかったので、確か誰かに生きる為に必要な分くらいの金銭を渡させてそれからは一切触れていなかったのだ。
「王城行ったり、天に浮かぶ島に行ったり、海底王国に行ったりしてたよ?」
「してたよ? じゃないんですけど一体何者なんですか!? というかこんなとこで何してるんですか? 王国から出るって聞きまたしたけど」
「冒険者に護衛をお願いしてたんだよ、あと敬語やめて良いぞ」
「ん? そうかい? 一応奴隷と主人の関係だから気を使ったんだけれど、ならそうさせてもらうよ。
そうか…護衛か……仕方ないから僕が請け負ってあげようじゃないか。これでも冒険者の間では疾足の灰猫と呼ばれるくらいには腕が立つんだよ?」
「もう既に護衛は頼んであるしな…それに護衛と言っても守って欲しいわけじゃないし別に良いよ」
「—―僕の強さが信用できないって言うのかい?」
そう言いながら彼は腰の短剣に手をかける。
猫人族は基本的に自尊心が強いタイプが多いのだが、その中でも彼は随分とその気が強いようだ。
自分で二つ名を名乗るだけ有って確かにそれなりに強いようで、現に短剣に手をかけて明らかに殺しにかかっているのに、近くの衛兵がこちらに向かってこない。
衛兵達はグロリアスの教育のおかげで自分たちが勝てない相手に対しては一切手を出さず、早急に応援を呼ぶように教育されている。
彼我の戦力差を見抜く能力は生き延びる上でも大切なものだ。
(これ本気で戦闘始まりそうだな)
そんな彼らが戦闘になりそうなのに動かないのは、狙われているのが一般市民ではなくエルピスだからだ。
王子や王女の教育の隙間を縫って何度かエルピスは兵士達と同じ訓練をしていたので、その時同席していた兵士達はエルピスの強さを知っている。
だからこそなのだろうがいまからエルピスがする行動に興味があるらしく、兵士達はこちらを真剣な眼差しで見ていた。
「分かった、そんなに旅に同行したいって言うのなら、実力を示してみろよ」
言うが早いがエルピスの首に最短速度で剣が振られる。
邪神の障壁で防ぐなり魔法で止めるなりいろいろと止める手段は有ったのだが、あえてそれをせずエルピスはただ突っ立って彼の剣を受け止める。
「—―っ! 硬いね」
エルピスの首元に短剣が当たりそのままピタリと動きを止める。
刃の先端すらエルピスの肌には突き刺さらず、数秒ほど時間をかけて切れない事が分かったのか少し離れてから彼はそう言った。
なぜエルピスの首が切れなかったのか。
理由を説明すれば簡単な事だ。
龍神の称号を解除しているエルピスの身体は、龍神の鱗と同じ硬さを持っているので、この程度の刃ならば例え誰が振るったところで傷にはならない。
目の前で二撃目を放とうとする彼に向かって、少し笑みを浮かべるとエルピスはその行動を手で止める。
「もう良いよ、殺れと言われたら殺れる人だって分かったから。一時間したら組合に来てよ、食料とかはこっちで揃えておくからさ」
「なんか納得いかないなあ。もう一回だけ刺して良い?」
「何回やっても一緒—―って無言で刺すな! 肌には刺さらないけどチクチクするんだぞ」
切れないから痛くないとはならないのだ。
感覚としては尖ったものが押し当てられる程度の痛みはあるのだから。
楽しそうな顔で一旦準備の為に離れると言って歩いて行った彼を見送り、エルピスも目的の場所へと向かうのだった。
/
ここから先の語り部は、何かと出番が少ない割に便利屋扱いされている可哀想な少女こと私、セラ・ゼーラフがお送りいたしましょう。
いま私達が居るのは、王城内に設置されたレクリエーションルームと呼ばれる場所。
世界各国の様々な蔵書や遊び道具が集められ、この場に来たもの全員を魅了するそれはそれは楽しい空間です。
チェスの駒を動かす音が耳に聞こえ、時折耳に入る本のページをめくる音がその音に合わせて心を落ち着かせてくれました。
「随分と余裕みたいね、もしかして私弱い?」
「まさか、余裕なんて無いですよ。セラさんは強いですから」
「ならもう少しは駒を運ぶ手を遅めてもいいと思うんだけれど」
私が皮肉気味にそう言うと、目の前の少女、エラは小さく微笑む。
その姿すら余裕があるように見えて、少し不機嫌になってしまうのは仕方のない事でしょう。
とはいえそれに対して気を荒だてた所で何かが変わるわけでもないので、私は冷静に駒を動かします。
そして先程までの静寂がまた訪れました。
結局のところ何故こんな事をしているのかと聞かれれば暇だからであり、主人が帰ってくるまでの少しの間を潰すためにこうしてこの世界の遊びに興じているわけなのですが。
—―まさかこれ程までに難しいとは。
天界では遊ぶ時間も惜しんで創生神の情報収集をしていたと言うのもありますが、とはいえこれほどこの世界の文明レベルが上がっていたとは少し驚きに値します。
「どうやらエルピス様が帰ってきたようですね」
チェスもあと少しで終わると言う頃に、外からエルピスが帰ってきたのを感じ取る。
それを聞いて目の色を変える目の前の少女を見て、ああなんだちゃんと可愛らしい女の子なんだなと思ったりもしてみるわけですが、結局のところ彼女はライバルなのでその気持ちは心の中にそっと押し込めて私も扉の方へと向かっていきます。
そんな私達の姿を見て、遅まきながらアウローラが身だしなみを整えているとエルピスが部屋に入ってきました。
朝に見かけた時とは違う服装で、わざわざ手に袋を持って楽しそうな笑みを浮かべています。
そんな彼に対して笑みが溢れそうになりますが、その感情を表に出さないように気をつけながらエルピスの方へと近寄っていくと、不意に手に持っている袋を渡されます。
隣にいたエラも一緒に。
「あの……エルピス様、これはなんでしょうか?」
渡された紙袋を手に取りながら、エラがそう言いました。
他人に荷物を持たせるような人では無いですし、いまこうして私達にこれを渡したという事は、きっと私達へのプレゼントなのでしょう。
紙袋を渡され戸惑う私達二人に向かって、エルピス様は笑顔で紙袋を開けるように言いました。
「では失礼しますね?」
そう言って渡された袋を開けると、中から出てきたのは服でした。
軍服を元として女性向けに作り直されたこの服は、確か地球では軍服ワンピースなどと呼ばれていた代物です。
露出はほとんど無いに等しく、装飾にも無駄な物は見受けられません。
強いていうのならば黒色の生地に対して金色の装飾が軽くなされているだけですが、それもこの服にあった丁度いい物で特に気にはなりません。
正直若干エルピス様の趣味が色濃く出ているなぁと思わなくはないですが、それでも彼から頂いた時点で私にとっては凄く嬉しい。
そもそもエルピスから頂いた物であるならばそれが何であろうと嬉しいのですが、この服は女神だった時の私に創生神様がくれた物とよく似ています。
生まれ変わっても趣味は変わりそうにないですねなんて昔言った事を思い出し、どうやら事実その通りだったようだと再確認できました。
「セラの服はさすがに普段着にはできないから、儀礼用に作ってもらったんだ。エラの方は普段着としてでも着れるようにしてもらったけどね」
「ありがとうございますエルピス様!」
感謝の言葉を伝えているエラの手元を見てみると、こちらは白色と黒色両方のパーカーが手に抱えられています。
こちらにも目立った装飾はありませんが、流行をしっかりと抑えられた装飾が悪目立ちしないように取り付けられています。
特別な魔法の効果は無いように見えますが、エルピス様の加護が付与されている事で普通の服とは一線を画す能力を得ています。
嬉しそうに笑うエラを見て、なんだか自分だけ一着しか貰えなかったと思ってしまうのはまだまだ心が育っていない証なのでしょうか。
以前ならばこんな事も思わなかったのに、随分と嫉妬深くなってしまったと心の中で思いながら頬を膨らませていると、エルピスがそれを見て微笑みを浮かべます。
「拗ねないでも、ちゃんとセラにも普段使いできる物を作ってもらったよ。はい、これ」
渡されたのは十字のネックレスと、煌びやかな装飾がなされた時計。
そのプレゼントを見ながら、きっとこの人は私に対して無意識でこの贈り物を選んだんだろうと思うと、言い表す言葉が見つからない程の喜びを感じる。
十字のネックレスは、私を助けに来てくれた時に
時計は彼が創生神という地位に就く前に司っていた時間を、身近に感じさせてくれるものです。
どちらもこれ以上ない程の贈り物であり、いつの間にか自然と私も笑みがこぼれてしまいました。
「ありがとうございますエルピス様。きっと貴方が覚えていなくても…それでも貴方は貴方のままなんですね」
「……うん、僕は僕だよ。いまから出発だから先に冒険者組合に行ってて、僕は少し用事があるから遅れて行くよ」
「はい、分かりました。それでは私達はお先に」
あなたがあなたとして覚えていなくても構いません。
世界中の全ての生物が貴方のことだけを忘れたとしても、私は貴方を想い続けます。
たとえ貴方に拒まれても、貴方が私の事を忘れても。
あの日誓った思いが私の中にある限り、私の名を貴方が呼び続ける限り、何度でも貴方の事を思い愛の言葉を紡ぎます。
だからまたもう一度だけで良いので、私に好きだと言ってくださいね。
/
暗い暗い闇の中。
世界のどこかも分からぬその場所で、一匹の獣は嬉しそうに喉を鳴らす。
主人の匂いと見知った匂いが一つづつ、こちらに近付いてくるのが感じ取れた。
愛おしくて愛おしくて、愛というものでは表現することすら困難なほどの想いを。
そんな思いを伝えられずに無意味に過ぎ去っていった日々を恨むように、数百年ぶりの再会を嬉しむようにして獣は遠吠えをあげる。
その声は想い人には届かない。
—―いまは、まだ。
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