第42話上陸

 ーーーー気分が良い。

 共和国の裏の部分を生きてきた自分達とは違う。

 表の世界で貴族の娘として、華々しい将来を約束されていた者の人生を踏み潰す事の、ああなんと楽しい事か。


 捕らえた時のあの表情を思い出すだけで、自然と笑みがこぼれる。

 贅沢を言うのならば、もう少し身体が成長していれば陵辱でもしてやったのに。

 ……まぁどうせこの任務が終わる頃には、誰かの下で無様に腰を振る女に成り果てるのだから、それを思うと別にいま傷つける必要もあるまい。


 更にコネと運だけで暗殺部隊に所属する事が出来たくそったれブェルフも敵に捕まったし、このままいけば仕事も完璧に終わらせる事が出来る。

 口を割られたところでこちらの証拠は一つも残していない、狂言だと言ってそれで終わりだ。

 久々に楽しい仕事だったと言える。

 そう思った矢先の事、敵がやってきた。


 総勢は三十と少し程度。

 殲滅するのに時間はかからないだろうとは思いながらも、敵を確実に仕留める為に二十人程同僚を引き連れ、各個撃破する為にまず一人だけ敵がいる島に移動した。


「さぁかかってこい。手加減はしない、一人残らず地獄に送ってやる」


 海岸線を破壊する程の威力でこの場に移動してきたその少年は、精一杯の威嚇をしながら辺りを見回していた。

 その少年を見て数人の隊員からくすくすと笑い声が漏れる。

 過度だと言える着地と精一杯の威嚇、そして仲間からわざと離れてこの場に降り立った少年は、恐れられるでも無くただ鼻で笑われた。


 頑張って背伸びしているクソガキが、何かを言っているーーその程度の認識だ。

 確かに力はあるのだろう。

 だが操れない力を持つものなど、魔獣のそれとなんら変わらない。


(今日は見た事もないような上玉を結構見かけたが…こいつはその中でも別格だな)


 闇夜と同化する程に黒に染まった髪を腰の辺りまで伸ばし、紅い瞳を注意深く辺りに向ける目の前の少年を見ながら、男はそんな事を思う。

 まるで人形の様に不気味なほど整ったその顔立ちと、それとは対照的に怒りに燃えるその瞳は、男だと分かって居ながらも欲情を駆り立てさせるには十分すぎる。

 周りを見れば他の者も同じ事を考えて居たのか、唾を飲み込む音がこちらまで聞こえてくる様だった。

 この際別に男でも構わないか…そんな考えが男達の頭の中に浮かぶ。


「……早く出てきてくれないかな? じゃないとこっちから攻撃するよ?」


 少年がそんな事を言い出し、それはいけないとばかりに森の中から幾人かが姿を出す。

 目の前の少年が力を行使すれば自らの力の強さにその身を蝕まれ、みるも無残な姿になる可能性もなくは無い。

 もし自分の攻撃で怪我でもされれば、後の楽しみが減ってしまう。

 そんな思いからの行動を以外だと感じたのか、少年は一瞬だけ不思議そうな顔をした。


「言ってはみたものの、まさか本当に出てくるとは思ってなかったな。他の場所でも戦闘が始まっているみたいだし、早く蹂躙を始めよう」


「まぁ待て、俺達も無用な事で怪我をしたくは無い。和解でもしようじゃーー」


「ーーー和解なんて無い。アウローラの心に傷を負わせた分の代償は払ってもらう」


 生暖かい風が足元を吹き抜ける。

 その風には明確な死の気配が漂っており、こちらに対しての殺意がはっきりと分かった。


 どうやらーーもとより出来るとは思ってもいなかったがーー説得は無理らしい。

 向こうは元から殺すつもりで来ているのだから、それに対処する気でいたこちら側も多少の怪我など覚悟の内。

 だが目の前の少年を殺さずに捕らえようと思うと、怪我どころでは済まないだろう。


 なまじ力の強い生き物を捕まえる場合には、力加減が難しいのだ。

 隊員の全員がそれを理解しているが故に、隊員内で最も権限の高いものが、苛立たしげに口を開く。


「……めんどくせぇな。あんな貴族の娘がどうなろうと、別にどうでも良いじゃねぇか。 おい! 一旦軽く殺して縛ってから国に戻って蘇生魔法をかける。殺れ」


「了解、召喚魔法炎龍種サモン・フレイム召喚ドラゴン! 焼き尽くせ!」


 ローブに身を包んだ魔術師達が五、六名集まって魔法を唱えると、人類が召喚できる魔獣の中で最高位に位置する龍が、ゆっくりとその姿を現わす。

 龍としての階級は若龍だが、とはいえ並みの龍とは違い、体表が紅く染まるほどの炎の魔力を体内に溜め込んだその力は、青龍に匹敵する程の力を持つ。


 他の魔獣であれば即座に逃げ出し、熟練の冒険者達であっても警戒を解く事の出来ぬ強敵。

 単身で挑むともなれば、英雄や勇者と呼ばれる者でも無ければ無謀と言い切られても何らおかしくはない。

 だが例えそれ程までに強かろうと、たかだが若龍。


 これがまだ精霊や悪魔ならばいざしらず、龍神であるエルピスにはただの龍など文字通り敵ですら無い。

 それを知らない男達はーー知っていたところでとうに遅いのだがーー笑みを浮かべて勝利を確信する。


「さぁ炎龍よ! 目の前の敵を噛み砕け!」

「グァァァァァァッ!!」


 召喚された龍は魔力によって思考を操られ、その首をもたげ口を開き、エルピスにその牙が届いた様に見えたその瞬間。

 龍はピタリと動きを止めて、ゆっくりとエルピスから離れる。

 見えない壁に阻まれたというよりは、自らの意思で攻撃を辞めた様な。

 そんな動作を見て龍を召喚した者の内の一人が、身体の内側から湧き上がる思いを口にするように大声を上げる。


「どうした炎龍! 召喚主の指示に従って…敵を倒せ……?」


 男の声はだんだんと弱々しいものになっていき、最後には言葉を発さず口をパクパクと開くばかりだ。

 その次の言葉を代弁する様にして、近くにいたもう一人の魔導師が声を出す。


「…なぁなんであの龍はこっちを向いてるんだ?」


「ーーし、知るかよ! リンクはお前に繋がってるはずだろ! どうすんだよこれ!!」


息吹ブレスが! 息吹ブレスがくるぞぉぉぉっ!!」


 龍は自らを召喚した主人に対して、一切の躊躇い無しにその火炎を放つ。

 肉の焼ける匂いが立ち込め辺りは一瞬騒然とし、まるで今目の前で行われている事が理解出来ないとでも言いたげに魔法使い達は龍を見つめる。

 召喚主と召喚された生物の上下関係は絶対であり、召喚された生物が召喚主より圧倒的に強い場合を除いては召喚主を攻撃する事など不可能なはず。

 だと言うのに龍はまるでその制約を無いものとばかりに、止めどなく召喚主達に火を噴く。


「ギャァァアッッ!!?」


「火に対する耐性持ってる奴はいねぇのか!?」


「これだけいてなんで龍の一匹程度抑えられねぇんだ!!」


「このクソ龍が! こっちはなんとかするから先にあの小僧を! …を?」


 異常事態ではあるものの、彼等も統制された超級の暗殺部隊。

 炎龍とはいえ冷静に対処すれば負けるはずの相手ではなく、魔術師を含め数人が重傷を負ったものの、まだエルピスの対処程度ならば問題無く行えるーー筈だった。

 この場にいるもの誰もがそう思っており、またそれを確信していた。


「な、なんだよそれ…? 見えない、何も見えないっ! 何も見えないっ! 見えない見えない見えない見えない見えない」


 索敵や斥候を担当としている者の内の一人が急にそんなことを言い出したかと思うと、自らの皮膚を爪で傷付けながら膝を折る。

 まるで精神攻撃でも受けたかのようなその挙動に魔法を警戒するが、暗部に所属する以上精神異常に対してのかなりの耐性を保有しているはずの仲間が無詠唱の魔法で精神を破壊されるとは考えづらい。


 エルピスが鑑定に対して自動的に発動するように設定しておいた、エルピスからすれば解呪できて当然の呪い。

 だがそんな強力な呪いがあるとはしらず、一体何をされたのか分からない以上暗殺部隊の男達は身動きが取れず、耳が痛くなるほどの静寂の中でエルピスは砂浜を歩きながら男達に喋りかける。


「ーーようやく、ようやく決心が付いた」


「決心……? なんのだ?」


 先程までと同じように威圧感のない言葉を紡いでいる筈なのに、目の前の少年が与えてくる威圧感は比にならない。

 まるで自分達の隊長と対峙した時のような、いやそれよりも巨大な何かを感じて、身体は逃亡を願い足を震わせる。

 だがただ逃げ出したところで生き延びられるかと聞かれれば、その可能性は無いと言い切れる。

 だからこそ時間稼ぎの為に無意味な会話を交わす。


「貴方達を殺す決心です。なんだかんだ言っても殺されそうになるのは二度目ですが、人を殺そうとするのは人生初です。なんだか緊張と同時に昂ぶるものもありますね」


「そりゃ立派な決心だ、この場にいる全員の命を背負うだけの覚悟をしたったんだから素晴らしい決心だ」


「ーーん? いやですよなんで背負わないといけないんですか、殺す決心はしましたが、だからといって背負う気はさらさらありません。善人ならまだしもなぜ私が貴方達のような物に気を使う必要があるのでしょうか?」


 殺されることは回避できずとも、殺されるまでの時間を少しでも伸ばす事ができたら、そんな思いで発した言葉はだが無情にも空回りする。


「みんなが僕を人として扱うから僕も人として動くけれど、けれど僕の本質は半人半龍ドラゴニュート。なれば人を殺すことに躊躇いこそ覚えはするものの、少し嫌な気分になるだけです。だってそうじゃありませんか、似ている種族のものだと言え、知性を持って動いている生物だとは言え、僕目線から見れば貴方達は罪を明かしている分猿と大差ありませんよ」


 黒い魔力が少年の周りを渦巻く。

 それは夜の闇すらも飲み込み、光を覆い尽くし、心を絶望で染め上げる。

 その言葉に優しさはなく、けれど最初の様な怒りもない。

 そこにあるのはどうしようもないほどの力の差だけ、断頭台に首を置いた男達は自らの命が終わるその順番をただ眺めて待つのだった。


「ーーエルピス様もどうやら戦闘を始めたようですね」


 巧妙にーー探知系の能力者が全力で探っても、その一端しか感じられないほどにーー隠蔽された魔力の波動を感じて、フィトゥスは蹂躙が開始されたことを感じ取る。

 普段から定期的にエルピスから魔力を受け取っているフィトゥスですら、戦闘状態だからこそ気づけた程のその隠蔽能力はおそらく大陸随一だ。

 概念的な物でありながらも暴力的なまでに暴れ狂う魔力は、もはや災害と遜色ない程の猛威を周囲へと振るっていた。


 できることならば近くでその勇姿をじっくりと眺めておきたい物ではある、だがフィトゥスに課せられた使命はまた別にある。

 残念ながらそれは叶わない夢なのだ。


「この悪魔風情が……ッ! 殺すなら殺せ!」


「言われなくとも……そう言いたいところではありますが、イロアス様、並びにクリム様から敵を絶対に殺してはいけないとの命令がございますので、そう言うわけにも行きません」


 足下で無様に泣き喚く敵を見ながら、フィトゥスは冷静にそう告げる。

 本来このレベルの敵が相手であるならば、どれほど全力で攻撃しようとどこかで少なくない数が生存している事が多い。

 この世界で一定の実力を持つのは長い年月を経て強くなったものか、生まれついて持った物で強いかのどちらかで、つまりは前者の場合逃げるのが得意なものが多いのだ。


 だから話を聞くために残しておくのだとても、わざわざこうして傷も付けずに丁寧に残しておく必要などない。

 だが今回に限り事情が別だ。

 当初の予定ではエルピスが敵の親玉と戦い、イロアスとクリムがそのカバーに入る。

 ……という筈だったのだが、敵の姿を確認した事でエルピスの思考が殲滅のみに入れ替わり、それに合わせてイロアスの指示の元で作戦を立て替えたのだ。


 九十人ほどいた相手はエルピスに二十と数名、イロアスとクリムに四十と少し、召使い達にはその残りが、それぞれ戦いを挑んできていた。

 イロアスとクリムは生きたまま無傷で敵を捉えるすべを持っておらず、残念なことではあるが重症ないしは殺すことしかできない。


 かといって力加減の得意なエルピスは激高しているので、間違いなく敵を一人残らず殺しつくすことだろう。

 そんなこんなでエルピスの次に力加減が得意なフィトゥスに、敵を生け捕りにしろとの命令が降ったのだ。


「ヘルトを離せ! 下郎がァァァ!!」


 大地が爆ぜる程の勢いで飛び出した黒服の内の一人が、絶叫を上げながらフィトゥスの首元へと暗器を向ける。

 呪いの効果が付与されたその剣は、一般のものが食らえば抵抗するまでもなく命を刈り取られる事だろう。

 だがフィトゥスはそれを避けるでも防ぐでもなく、ただその場に直立して攻撃を待つ。


 フィトゥスの首に刃が届いたその瞬間ーー黒服は信じられないとばかりにその目を見開く。

 切りつけたはずの自らの武器が破壊され、それとは相対的に目の前の悪魔には傷一つ付いていない。

 不気味な肌に白い肌には赤い跡すら付いておらず、まるで何事もなかったかのような、常にそうであり続けるかのように白い肌は残っていた。


「満足しましたか?」


「そ……そんなありえないっ! ……悪魔が物理攻撃にここまでの耐性を持つなんて……! それも龍種並みの硬度なんてあって良いわけがない!」


 基本的に悪魔は魔法に対する絶対的な耐性を持つ生物であり、物理的な攻撃を防ぐ手段としては魔法障壁を貼ることしかできない。

 だからその可能性も頭に入れての物理障壁を破りやすい呪われた剣で切りつけたというのに、障壁を使用した痕跡すらも無く剣は無残にも破壊された。

 それが意味する事は目の前の悪魔が物理にも絶対的な耐性を持つようなーーもしくは実力に天と地のような開きのあるような、つまりどちらにしてもーー超高位の悪魔だという事だ。

 そんな思考を読んだかのようににったりと笑みを浮かべた悪魔は、答えを教えてやると言わんばかりに言葉を紡ぐ。


「とは言ってもこれが事実です。始まりに近づいた悪魔は物理にも強い耐性を持ちますので」


「あ……ああ……あああああっっっ!!!」


 優しげな声ではあるものの、その声はもはや届かない。

 倒せない生物など居ない、二人合わされば英雄と呼ばれる者たちですら倒せる自信が有った。

 だが現実を突きつけられ、ゆっくりと精神は崩壊していく。

 自殺用に用意していた魔法術式は軽く触られただけで無効化され、死ぬ事すらも許されず抵抗する気力さえ湧かないままに魔法で拘束される。

 戦闘開始から二十分程、戦況は各地で大きく変わろうとしていた。

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