第43話龍神

 最後の一人の頭が爆ぜた。

 真っ赤な血潮を撒き散らして、血の雨を辺りに降らしながら、頭部を失った身体は一瞬ふらふらと揺れたかと思うと、ばたりと倒れる。

 周囲には同じように頭部のみを欠損した肉片が転がっており、この場に起きた惨状を理解させるには十分だった。


「…これでここら辺にいる奴らは全滅したかな」


 特殊技能ユニークスキル〈神域〉に敵の反応が無いことを確認してから、エルピスは言葉を漏らす。

 血に濡れた自分の手を見つめても特に思う事は無く、次の敵を探すためにゆっくりと敵が出てきた森の中へと足を踏み入れる。


 いまのエルピスの〈神域〉の範囲は周囲一帯の島程度ならば、その全域を完璧に把握する事が出来た。

 森に仕掛けられた罠の数々も物理・魔法障壁の前に無力に散っていき、例えエルピスの身体まで届こうとも龍神の鱗で防がれる。

 邪魔な木々をかいくぐりながら歩くエルピスに対して、ふと影の中にいる龍が声をかけた。


『浮かない様子だな、龍神よ』


 久々に聞く龍の声に少し驚きながらも、エルピスは思った事を素直に口にする。


「ーー簡単に物事が進み過ぎている気がするんだ…なにかを見落としているような」


『そうか……同種を殺してもなにも思わぬのだな』


「何か言った?」


『いや、何も。無駄な事を気にせずとも神の称号を振りかざせば、人間など呆気なく倒せるさ』


「そんなものなのかな」


「そんなものなのだよ」


 ーーなにせ我らの神なのだから

 小さくそれだけいうと再び龍は影に身を潜めた。

 そんな様子で少しずつではあるものの、エルピスは森の奥へと足を進める。

 アウローラの場所と生きていると言う事は、〈神域〉によって把握出来ている。


 敵の位置も把握出来ているし、見落としなど何処にも無いはず。

 だと言うのに拭いきれない不安感が、エルピスの心の中に言い切れない不快感と共にずっと存在している。


「ここがアジトみたいだな…罠の類は無いみたいだけど」


 森の中に巧妙に隠された出入り口はそのまま地下に通じており、いくつかの技能スキルを使用してからゆっくりと降りていく。

 盗神の称号を使えれば罠など警戒しなくとも良いのだが、エルピス自身これ以上神の称号を解除すれば、身体が崩壊する事は何となく分かるので、神の称号の代わりに技能スキルを使いながら注意深く見ていく。


 森の中などであれば罠はどうしても地表に出るので対処も簡単なのだが、相手のアジトともなれば壁から何からどこからでも罠が飛び出てくる可能性がある。

 傷を負うことは無いだろうが移動阻害などに引っかかった場合は、かなり面倒な事が予測されるので注意しながら足を進めていく。

 足音を殺しながらゆっくりと進んでいると、不意にエルピスは動きを止めた。


「遅かったな小僧! さてさっそくではあるが聞こう、俺の手下を殺した気分はどうだ?」


 地下とは思えないほどに開けた空間。

 そこに居たのは二メートルを越えようかという大剣を側に起き、口元が見えないほどに髭を伸ばした大柄な男だった。


 椅子に腰掛けているというのに隙のない動作と鋭い目付きは、エルピスに警戒心を抱かせるには十分で、今日初めてエルピスは腰に挿した剣に手をかける。

 両親ほどの威圧感は無いにしろ、神の称号の力無しには相対する事すら困難だろうと思わせるその威圧感を前に、エルピスは気を引き締め直す。


「不躾な質問だ、それに傲慢な態度でもある。答えとしては良い気分では無かったな、あれを平気でするお前達の精神が理解できないよ」


「そうか? その割には随分と楽しそうな笑みを浮かべているが」


 嫌味を言ったエルピスに対して、敵は余裕の表情で言葉を返す。

 エルピスの威圧を受けても落ち着いたその雰囲気は、かもすれば数々の修羅場をくぐってきたのであろう余裕からか。

 強者である事は明白、だが警戒には値しない。


「勘違いするな、俺が楽しんでいるのは他人の命を奪うことでは無く、全力で戦闘できる事だ。殺したのは結果」

「そうか? なら話は早い、俺と戦おう。生き残った方が利益を手にする、分かりやすくて良いじゃねぇか。さて、やるぞ」


 男が大剣を持ち上げ、ゆっくりと上段に構えた。

 戦闘開始の合図などは無く、どちらかが切りかかった瞬間にこの戦闘は開始される。

 最初に飛び出したのはエルピスだった。


 地面にめり込む程の威力で足を踏み出し、必殺の殺意を持ってそのままの勢いで相手に斬りかかる。

 鉄と鉄がぶつかった事によってギャリィィンと甲高い音が辺りに響き渡り、そこから更にエルピスよって追撃の一手が放たれた。


「ーーったく手グセの悪い小僧だ。剣の戦闘してるってのに小細工魔法はいけねぇだろ?」


 剣が受け止められた瞬間に、エルピスは魔力によって矢を形成して敵の頭に向かって放つ。

 だがその放たれた矢は敵の手前で何かに掻き消された様に消えていき、両親が持つ特殊技能ユニークスキルと同じタイプの能力かと判断する。


 一定以下の魔法・物理による攻撃を防ぐ特殊技能ユニークスキルを持っているという事は、この近くにアウローラが居る以上物理による攻撃をするしか無く、エルピスは悪態をつきながら状況を整理するために敵から一旦距離を取る。


「ーーーチッ! 人が放った魔法を打ち消しておいて、それは無いだろうよ」


特殊技能ユニークスキルも勿論あるが、この剣は魔法を限りなく弱める効果を持っている。本来は捕らえた奴隷達に手錠として付けたりする物なんだが…どうだ?  中々良い武器になってるだろう?」


「総重量を考えたら良い武器とは言えないね、一体何トンあるのか考えたくもないよ」


「確かにそれはそうかもな。だけどこういう使い方も出来るんだぜっ!」


 互いに間合いを調整しながら会話を交わしていると、エルピスより先に男が飛び出した。

 左から右に、大雑把に放たれた横薙ぎの剣をすんでのところで回避し、エルピスは反撃に出ようとする。

 ーーー瞬間。

 大剣の重量を活かして男はその場で綺麗に回転すると、自然に大剣も一周回ってエルピスの側面に叩き込まれる形で放たれる。

 反撃に出ようとしていた為に完全に出遅れたエルピスは、その大剣の一撃をもろに受けた。


(ーーーっ!?)


 予想していた数倍の威力を受けて、エルピスはまるで体重を失ったかの様に軽々と地表へ吹き飛ばされる。

 地形すら変えるその一撃を受けて、エルピスは咄嗟に剣と自身の体の間に腕を挟み衝撃を抑えようとした。

 上手くは言ったものの多少傷ついた腕を見て、エルピスは力ばかりの脳筋ゴリラではないらしいと判断を改める。


「咄嗟に剣と腕で自分の身体を守ったのは良い判断だが…どうやら相当のダメージは入ったみたいだな。まだ生きてるか?」


「はっ! これくらいどうって事ねぇよ!」


「なら追撃だ!」


 近寄ってきた敵が地を這うようにして剣を払うと、その威力に逆らわずエルピスは地下から地表へと地面を突き破って飛び出る。

 地表へと吹き飛ばされた事によって周囲は森の中となっているので、隠れる為の場所はいくらでもある。

 息を殺し、可能な限りの気配を消しながらなんとかバレない様に立ち回る。


「小癪な真似をするじゃねぇか小僧! でもまだまだ戦闘慣れしてねぇなァ!!」


 だが相手の方が一枚上手だ。

 男が大剣を再び横薙ぎに一振りすると、周囲の木々がまるで紙細工のように容易く切られて吹き飛んでいく。

 直接剣が当たる範囲の木はもちろんの事、男から遠く離れている木々までも剣から発せられた圧によって吹き飛ばされる姿を見て、エルピスはこの世界での戦闘について意識を改める。

 エルピスの常識など通用する筈もなく、これこそがこの世界における本物の殺し合いなのだと。


『龍神よ、何故手を抜く。何故殺さぬ、先程から何度でも殺れたはず。まさか龍神の力はその程度だと言わぬだろうな』


「……怖い声をだすな、せっかく良い相手が見つかったんだ。邪魔をするな」


『我らが龍種の誇りは龍神の一挙手一投足にかかっている事を忘れるな』


 それだけを告げて龍は再び影の中へと戻っていく。

 エルピスはといえば楽しかった時間に水を刺され、少々苛立ちながらも龍の言うことも理解できないわけではなかった。

 龍神たるエルピスはいまや龍種の代表であり、エルピスが負けると言う事は龍種が負けると言う事だ。

 億に一つもあり得ないことではあるが、エルピスは意識を集中させ先程までよりもさらに深く龍神の力を使う。

 いつでも殺せるように必殺の準備をしつつ、地形を変えるほどの男の攻撃を目視してからギリギリのところでいなし、躱す。


「ーーあぶないな!」


「どうだ小僧! 戦闘は荒々しければ荒々しいほど楽しいだろう?! 小細工は辞めて正々堂々戦おうぜぇ!」


「嫌だよ筋肉ダルマ! 一人で勝手に遊んでろ!」


「逃げんなよ小僧!」


 隠れようにもあれ程の範囲攻撃を何度も行われては、隠れる事も満足に出来ない。

 となればエルピスにできる事は走って場所を変える事だ。

 幾度かの攻撃をなんとか捌ききり、そして辿り着いたのは最初戦っていたのと同じ海岸線。

 先程までの名残で砂の色は赤く染まり、この島で行う最期の戦闘を飾るには十分だなと自嘲気味に思う。


「逃げてばっかりじゃ勝てねぇぞオイ! かかって来いよ!!」


 木々をなぎ倒しながら浜辺に現れた男を見て、エルピスはそろそろ言いかと判断する。

 距離も十分離れたし、それに敵の動きもだいたい分かった。

 いくつか学ぶ点もあったし、反省するべき点も見つけることができた。

 遊ぶのはもう終わりだ。


「これくらい離れてれば、どんな能力かは分からないかな」


「どういう事だ?」


「本気を出すってことさ」


 敵に対して見えないように特殊技能ユニークスキル〈メニュー〉から装備一括切り替えを選び、服装を一新する。

 先程までの戦闘用衣服はマギアから直接渡された品なのだが、いまエルピスが着込んでいるのは自らの手で作り出した装備だ。

 聖剣と魔剣を除き、一から様々な工程を踏んでエルピスに作られたその武具はたった一つの長所を持っていた。

 ーーそれは壊れにくいというものだ。


 神の力を使えば通常の剣など握る力だけで壊れてしまう。

 靴や手袋なども同じで、神の力に耐えられる素材はこの世界の自然界にはあまりない。

 だからただ単純に壊れないようにと、ないのならば作れば良いのだと、エルピスに作られたそれをエルピス自身が着用し、全力で神の力を使用する。

 鱗は先程までよりその存在感を誇示し、徐々に犬歯は伸びて目は人の物から龍のそれへと変わっていく。


 翼は魔力で形作られたものから概念的な物へと変化し、能力が急激に強化されるのを感じる。

 この瞬間、この時を持って半人半龍ドラゴニュートとしてのエルピスは真の意味で世界から消え、神人としてのエルピスがこの世に生誕したのだ。


「多分今からあっけなく、あっけからんと、まるで飛んでる蚊でも潰すようにして、貴方は死ぬ。散り際の美を求める訳ではないけれど、でも貴方の実力を知らぬまま殺してしまうのは僕にとっても嬉しくない。だから今から全力で足掻いてよ」


 全能感が身体中を襲い、酔ってしまうほどの力が溢れ出てくるのが感じられる。

 だがエルピスには油断はない。

 両親すらも視界に捉えるほどの目の前の敵の力を油断するほど、エルピスは自惚れてはいない。


 能力や技術は及ばずとも、身体能力は両親より少し下か同等。

 だからこそ相手の全力を引き出し、それを叩き潰すのだ。

 新たなる強さの高みへ登るための足がかりとして、目の前の男はこれ以上の適任はいないと言うほどに、まるでそうあるべくしているかのように、適任だ。


「全力を見せろだと? …確かにこれ以上続くのは面白くない。良いだろう」


 何か薬の様な物を口に含んだ瞬間、男の力が急激に膨れ上がる。

 どういった効果を持つ薬品なのか判断する事はできないが、おおよそまともな薬ではないであろう事は見ただけで分かった。

 筋力を上昇させる薬か、はたまた身体のリミッターを外す薬か、何かは分からないがその薬を飲んだ男の変化は劇的だ。


 筋肉は先程までとは比べ物にならないほどに肥大化し、魔力は一気に膨れ上がる。

 先に攻撃を仕掛けたのは男の方だ。

 砂を片手に掴みエルピスに対して目くらましの様に投げながら、男は先程までは重そうに扱っていた大剣を難なく片手で振り下ろす。

 圧倒的な質量の物を音すら越える速度で振れば、その破壊力は語るまでも無く。


 砂浜に隕石が落ちたかと見間違うほどの巨大な穴を開けた一撃を、だがエルピスは特に驚愕の表情を見せずに片手で受け止める。

 これが力の差、これが神の力、くどいように言うが超えられない壁なのだ。


「ーーーっ! さっきまでのそれとは比べ物にならねぇな。なんだその力?」


「会話する暇があるなら戦闘をしよう。貴方の人生の全てをこめてくれ、この程度で終わりじゃないだろう?」


「はっはっは! 言ってくれるじゃねぇか小僧っ! それもそうだーーッな!」


 男が剣を振るうたびに、あたりの地形は変わっていく。

 超常の力をその手にした者達の戦闘は、音速という壁をいとも容易く破り、島そのものの形すらも残さないほどの破壊を幾度となく打ち込み合う。

 それを時にはいなし、時には躱し、数千の剣撃が繰り広げられた頃。

 男に異変が起きる。

 薬の副作用かはたまた技能スキルによるものか、それを見極める為にも距離を取りつつ攻撃の手を止めた。


「俺はっ….まだっ……飲まれ、呑まれ、のまれてなっ…。」


「薬の副作用…か」


 目の前で頭を押さえながら蹲った男を見て、エルピスはやらかしてしまったとばかりにため息を吐く。

 攻め時を誤ってしまった、大事な大事な物だったのに最後の最後に失敗してしまった。

 もう少し早く隙を見せるべきだったのだ、もう少し早く全力を出させてあげるべきだったのだ。

 エルピスの声はもはや届いては居ないだろう。


 明らかに異常な程の量の魔力を放出し、口や鼻から血を垂れ流すその姿はまさに異常だ。

 人と言うよりは獣のそれ。

 いや、食欲でも使命感でもなく、ただただ目の前の敵を殺そうとするその姿はもはや獣以下の存在だ。


「ヴァァァァァァッ!!!」


 人の言葉のそれでは無い。

 別の種族だと言われても充分納得できるその咆哮を受けて、エルピスは再び深い溜息を吐く。

 男の目には凡そ理性と呼ばれるそれは見受けられず、ただエルピスに対しての敵意だけで動いている様にすら見える。

 次の瞬間、男の姿が消えエルピスの首元に剣が振り下ろされた。

 その神速の斬撃を聖剣で受けながら、エルピスは言葉を発する。


「技術を無くした人間など、この世界においては獣にすら劣ると言うのに……残念です」


 出来ることならばもっと技を見たかった。

 卑怯で、卑劣で、狡猾で、時に滑稽で、そんな彼の剣筋はほとんど見極めたとはいえ、まだ何か引き出しがあってもおかしくはなかった。

 せめて人として、人生の中でも一番の強敵として全力で殺す事を決める。

 龍神の効果は多岐に渡るが、その中でも一、二を争う威力を持つのが息吹ブレスだ。

 古今東西全ての書物に記される龍の息吹ブレスは、鎧を溶かし人を焼き尽くし大地を溶かす程の威力を持つ。

 ならば龍の神である龍神のブレスはどうなるのか。


「さよなら。龍神閃光ブリッツ・ドラッヘ


 龍神のブレスは概念的に敵を焼き尽くすという性質を持つ。

 例えどれほどの距離離れていようとも、例え相手が何層の防御壁を張っていたとしても。

 放たれたその瞬間に、龍の息吹は敵の命を吹き消す。

 死以外の選択肢はそこにはなく、故に龍神をして最強の権能なのである。


 チリすらも残さずに龍の息吹は対象の全てを燃やし尽くし、そして戦闘は終わった。

 全霊をかけて行った戦闘が終わり、言い難い虚しさを感じながら、エルピスは天に昇っていく魂をただ立ち尽くしながら見つめるのだった。

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