第41話海岸線で
ーーーこの世界での海とは人間のものではない。
支配権を握っているのは陸の生物ではなく、海で暮らす者達だ。
この世界ではそもそも人類の、というより陸に住む生物の大多数は、海に出る事を許されていない。
それは海に住む亜人種達の影響によるものだ。
王国周辺の海には、長い時を生き続け単体としては海の中でも強者に分類される
この二種族が王国周辺の海域を制圧しているため、気安く海に出る事も出来ないのだ。
とは言っても海産資源は両種族と結んでいる契約のおかげで安定して供給できるので、
だがだからといって取引先であるだけで海岸沿いに街が作れるほど仲が良いわけでもなく、完全に人の手のつけられていない海岸沿いを歩きながら、エルピスはフィトゥス達が到着するのを待つ。
波風が久しぶりに頬に当たり、前世以来の感触にエルピスは目を細める。
優秀な彼らのことだ、あまり待つ時間は必要ないだろう。
そう思っていたエルピスの思いが通じたのか、複数の砂を踏む音が聞こえる。
「ーーここでしたかエルピス様」
一番最初にエルピスに対して声をかけてきたのはフィトゥスだ。
普段とはまた違った装いの彼は黒い大きなコートを着用しており、対魔法用の術式が組み込まれているのが確認できる。
暗闇に紛れるフィトゥスの姿はさながら悪魔そのもので、事実そうなのだが普段とは違う雰囲気の彼に、エルピスはいつも以上の心強さを感じていた。
もちろんそれはフィトゥスだけではなく膝をついてこちらを見つめるアルヘオ家の僕達全員に当てはまるのだが。
「どうやらみんな揃っているようだね、敵のおおよその位置は分かった?」
「もちろんです。敵は二手に分かれており片方は我々で既に潰しております、銃など確認できましたのでアウローラ様を襲った方はこちらの部隊かと。残りの敵は
フィトゥスが腰の辺りに付けていた地図を取り出し、エルピスに見せるようにしながら指を移動させていく。
小さな孤島が連なる辺りに指を持っていくと、フィトゥスが不意にピタリと手を止める。
数十個ある島の内の大体中間地点ほどであり、おそらく敵はここで一旦休息を取っているのだろうという事が分かった。
「エルピス様。イロアス様やクリム様もこちらに向かっているとの事ですので、少し待ってから出撃した方がよろしいかと」
「悪いけどその案は却下だリリィ、敵の居場所が分かった以上一秒たりとも無駄には出来ない」
「ーーですがエルピス様、敵がどの様な能力を持っているのかも分からないのに闇雲に突撃しては、犠牲者が出る可能性があります。いくらエルピス様の頼みと言えそれは承諾しかねます」
この場所は王国の端であり、この先には人間の国は無い。
言わばここはまだ人類生存可能領域と呼ばれる範囲だ、ここから先には人類が生存できる保証など何一つなく、そしてそれは亜人種も同じだ。
だが逆に言ってしまえば普段は周りに被害が及ばない様にと制限している神の力も、この先の領域ではためらう必要がないのだ。
いまはまだ一つしか開放出来ない神の力、だが一つだけでも足りるだろうと思っていたエルピス対してのリリィの反論は戦士として正しい。
正確にいうのならばリリィはエルピスが神の称号を持っている事は知らないので、戦力について正当な評価ができているかと聞かれれば疑問点は残るが、行っていることに関して言えばエルピスに反論できる要素など一つもない事は誰の目にも明らかだ。
その目からは何がなんでも行かせないという意思を感じ、エルピスは渋々一人で行くのを諦めてその場に座り込む
「分かったよ……父さん達は後どれくらいでこっちに来るの?」
「予定では後二分貴族向けの演説が有りますので、三分もすればこちらに来るかと」
「演説終わって一分でここまで来るの!? ならそれまでに出来ることはしておかないとな」
いくら四大国と呼ばれる国に比べれば小さいとはいえ、王国は数ある国の中でもかなり大きい部類の方に入る国だ。
その国の首都からこの辺境の地まで1分足らずで来れる両親の力は、やはりエルピスをしても測り知る事はできない。
ただ一つ言える事は、そんな両親は言うまでもなく頼りになる。
たった三分とはいえ時間を無駄にすることなどできるはずもなく、エルピスは目の前にいる召使達に指示を飛ばす。
「まず三人ほど海に住んでる奴らに手出ししてこない様に言ってきて。ええっと、そこの君と君、あと君が行ってきてくれ頼んだ。もし面倒な事を言い出す様なら僕が後で直接出向いて話つけるからとりあえず時間を稼ぐだけでいい」
「「了解しました」」
「次は今回の件に関わった王国貴族に対しての制裁だけどーー」
「ーーその件に関しまして既に調べが付いております。リストは既に作成し、アルヘオ家の情報網で回しています」
「ならそれをアルさん達近衛兵に。こちらは任せて反乱の芽を摘む様言って来ておいて」
ああ、優秀な部下のなんと素晴らしいことか。
言わずともこちらの指示を事前に把握し行動、そして結果だけを伝えてくれる。
さすが父と母の元に集った人達であり、だからこそエルピスも安心して仕事を任せる事ができる。
王国内でこの件に関わった貴族は明日の朝にはおそらく家財も奪われ良くて追放、下手をすれば投獄あるいは死罪だろう。
元より今回の件に関わった人物は全員身包みを剥いで死ぬより辛い目に合わせようと決心しているので、そいつらがどうなったところでエルピスの知るところではない。
「ーーさて、これで一通り必要なところに人員が回っている事は把握できたし次の話に移ろう。どうやらここから〈技能〉を使用して探った結果敵は六十八人で来てるようだ」
「六十八ですか、どうやら数だけは一丁前な様ですね」
「こら、僕が言えた義理じゃないけれど、油断するんじゃないフィトゥス。相手の強さは元から計画網を知っていたとはいえ王国の宮廷魔術師達が作った包囲網を突破するレベル、それを頭の中に入れてーー」
「ーーすいませんエルピス様……」
「どうしたリリィ?」
「先ほどの話に矛盾するようなので言いづらいのですが、この場にいる全員が宮廷魔術師程度ならば制圧する事が可能な実力を持っています。エルピス様からすれば誤差程度でしょうが、この場にいる面々は各地から選りすぐられたエリートなんですよ、これでも」
そう言われてしっかりと個人個人の魔力量を見返してみれば、なるほど宮廷魔術師程度話にならない力を感じる。
最低でも近衛兵クラス、さすがにアルやマギアに勝てると断言できるほどの実力者はいないが、宮廷魔術師や上位の冒険者程度ならば手玉にすることも可能だろう。
この世界に来て平均の値をアルヘオ家に設定していたことを今更ながら恥ずかしく思い、エルピスは少し顔を赤くする。
「もう、せっかくかっこよく鼓舞してみんなのやる気出させようと思ってたのに」
「まぁまぁ、ここは一つ無かった事にしてお願いしますよ。僕らもそれがあったほうがやる気出しやすそうですし」
改めてこちらを見ながらフィトゥスがそう言うが、そう言われると少しこっぱずかしい様な気がしてくるのだから不思議だ。
咳払いを一つついてからエルピスはフィトゥス達に向かって声を投げかける。
「ーーいいか諸君! 敵がいくら強かろうと圧倒して殺せ! 幸い今回の敵は数だけは揃えてきてくれているらしい、的が増えて嬉しいだろう? 我らの誇りを踏みにじったゴミ虫共には鏖殺すら生易しい! 奴らは龍の尾を踏み荒らした! ならば我が母と父の名の下に、その魂の一欠片も残すな! 良いな!?」
「ええもちろんです、我等はアルヘオ家に仕える者。たかだか共和国の暗部程度、殺せずしてどう致しましょう
か」
「さくっと終わらせて祭りの続きをしましょう! まだ食べてないものいっぱいありますから」
「食い意地張ってるなお前は本当に。雰囲気を壊すんじゃない」
「エルピス様本当に成長なされて…このヘリア、一生ついていきます」
言葉をみんなに投げつけながら、エルピスは自らの体内で膨大な魔力を作り上げ無理やり封じ込めていた神の称号を解除する。
エルピスがいま現在解除出来る神の称号は一つだけ。
だが逆に言えば、一つだけならば権能も含め完全に神の力を使用する事ができるのだ。
精霊神、盗神、鍛治神、魔神、邪神、龍神と六つある神の称号。
その中でエルピスが解放した称号は、龍神の称号。
この世に存在する全ての龍の祖であり親でありそして子でもある。
龍という生物の可能性の全てを持ち、そしてこの世に存在する全ての龍の力を操り、何者も汚せない純白の鱗を持つ龍神は数千年ぶりにこの世に生まれ落ちた。
透き通った白い魔力はエルピスの身体を徐々に包み、その姿を変えていく。
皮膚はゆっくりと龍の鱗に覆われ、背中からは魔力によって白亜色の翼が形成されていく。
神人として
龍神の能力に呼応して龍の魔眼はその真の力を発揮し、溢れ出る魔力は止まる事を知らないようにエルピスの周囲へと漏れ出ていく。
「それが本気の時の姿かエルピス?」
「もう来たんだね父さん、母さん。そうだよ、これが今の僕に出せる全力」
龍の力を得た事で少なからず外見に違いが出ているのにも関わらず、イロアスは一瞬の間すら置かず目の前の少年がエルピスだと見抜いた。
それはクリムも同じ事で、エルピスの翼を優しい手つきで触りながらエルピスに声を投げかける。
「……綺麗な翼ね、ダレンにも見せてあげたいくらいだわ」
「ダレン叔父さんが今の僕を見て僕って気づくかな…?」
「ダレンなら気付くわよ。それにアウローラちゃんもね、待たせて悪かったわ。行きましょうか」
翼を生やしたクリムは、エルピスにそれだけ伝えると早々に移動を開始する。
それに続く様にして全員が移動を開始し、エルピスも移動を開始する。
移動とは言っても翼は使わない。
この翼は魔法によって生成された物であり、魔神やその他の称号を完全に使用不可にしている今の状況では細かなコントロールが難しいからだ。
ただ一歩、敵がいる島に向けて、ゆっくりと足を踏み出す。
ーー瞬間、景色は当の本人であるエルピスですら知覚出来ないほどの速度で、瞬きより速く駆け抜けていく。
理不尽を嘲笑う程の理不尽、不条理を捻じ曲げるのでは無く、不条理に対する不条理になる者。
それが神たるが故に。
八つある島の内、最も手前の島にまるで隕石が落ちたのかと思わせる大穴を開けて、エルピスは移動を終える。
純粋で無垢であるが故に狂気を孕んだ笑みを浮かべて、エルピスは小さく呟く。
「お前達のお遊びはここで終わりにしてもらおうか」
英雄の子は笑う。
自らの友に手をかけんとする敵に。
その姿に英雄らしさは無く、そしてその周りに仲間はいない。
後に人類史上最強と歌われる英雄は、敢えて仲間と離れた位置に降り立った。
自らの獲物を、他人に取らせはしまいとでも言いたげに。
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