第22話お嬢様

 原稿用紙三十枚分くらいの契約書を全て読んで、尚且つサインと契約書の不備を直す作業を、気合いと魔法を使い二十分程度で終わらせたエルピスは、アルキゴスの後を追う様にして外見からは予想できない程に入り組んだ廊下を黙々と歩く。


(やっぱ慣れない事はするもんじゃ無いなぁ……書類作業が一番疲れる)


 文書の添削なども魔法でできるようになればいいのだが、そこまでいってしまうともはや魔法でもなく奇跡の領域だろう。

 そう考えると工業が発展した世界も中々なものに思え、エルピスはなんとかして工業的発展を遂げられないのかなと頭を軽く回してみる。


 だが基礎的な知識がそもそも足りていないし、あったところで魔法があるこの世界では普及しなさそうなので、エルピスは考えを途中で放棄した。


「おい。お嬢様はこの扉の先だ、気を引き締めろよ」


「失礼しました……ふぅっ。良し。行きましょうか」


 アルキゴスさんの声で無意味な思考の渦から復帰したエルピスは、気を引き締める為に深呼吸をしてから、エルピスとアルキゴスが並んで入っても余裕があるほど広い扉の奥へと進む。

 扉を開けて直ぐにエルピスの鼻孔を擽ったのは、森でたまに嗅ぐ事のある花の匂いだ。

 決してキツイ匂いでは無いが部屋中を満たす様に匂いが漂い、呼吸をする度に肺の中を花の匂いが満たしていく。


 夕日が差し込む窓辺からは、その匂いと混ざり合う様にして新鮮な空気が常に入ってきている。

 窓辺から目をそらし部屋の右側を見ると、キングサイズに近いベットが重厚感を漂わせながら存在を主張しており、ベットの上には女性の部屋らしい熊や兎のぬいぐるみがいくつも置いてあった。

 ベットの側に置かれた鏡台にも同じ様なぬいぐるみ置いてある事から、この部屋の主人が如何にぬいぐるみが好きなのかが、見て取れる。


 その主人はと言うと、大きな窓とは別に部屋に備えられた小さな小窓から身を乗り出す様にして、鼻歌を歌いながら外の景色を眺めていた。


「お嬢様、エルピス・アルヘオを連れて参りました」


「あら、と思ってたけど。以外に早かったわね」


 アルキゴスがそう言った事によってこちらに気付いた彼女は、同じ歳にしか見えない顔付きながら何処か大人びた雰囲気を醸し出し、ゆっくりとこちらへ近寄ってくる。

 闇夜の様に綺麗な黒色の髪を背中辺りまで伸ばし、髪と同じ綺麗な黒色の目でエルピスの事を見つめると、彼女はゆっくりと口を開く。


「私はヴァンデルグ王国最大派閥の貴族の一人娘、アウローラ・ヴァスィリオよ。よろしくね? エルピス・アルヘオ君」


「え、ええ。よろしくお願いします」


 耳元まで近寄り囁く様にそう言われたエルピスは、不意の事に身を固くさせながらも失礼の無いように答える。

 そんなエルピスを見てにっこりと笑みを浮かべると、彼女は椅子に腰をかけてエルピスにも座るよう勧めた。

 ーーこの出会いが後に壮絶な物語の始まりとなるとは、この時のエルピスはまだ知らない。


 ♪


 メイドが後から部屋の中に持ってきた椅子に腰を下ろし、エルピスはアウローラの対面に座る。

 アルキゴスは何時もの癖なのか、静かに部屋の隅に行こうとしていた所をアウローラに止められ、今はアウローラの斜め後ろに立っていた。


 もちろんそこに立つのは護衛としての役割であり、エルピスの事を信用していないからな行動だろうが、奴隷としてここに来たエルピスからしてみればその行動に違和感はない。


「機嫌悪くならないのね?」


「私はいま奴隷ですからね、両手も自由ですし半人半龍ドラゴニュートであることを踏まえたら当然の反応かと」


「んーまぁ確かにそっか」


「本当に手錠かけなくていいのか聞きたいくらいですよ、この距離も相当危ないですよ?」


 テーブルの直径が大きいので手を伸ばしてもアウローラにエルピスの手が届くことはないが、だとしてもエルピスがアウローラの首に手をかけるまでそれほどの時間はかからないだろう。

 それに魔法の使用も禁止されていない今では、もはやこの部屋の何処にいたとしても手を出せる。


 安全は確保できていないと言ってもいいだろうそんな場所にいる彼女だが、エルピスの目から見ればそんな状況でも落ち着いているように見えた。

 よほどアルキゴスに対しての信頼が厚いのか、もしくはエルピスが攻撃を仕掛けてくる人物ではないと知っているのか。


「アルが居るから大丈夫よ。攻撃仕掛けようとした途端に腕落ちちゃうわよ?」


「その位置から腕落とせたらびっくりですよ……なんですかその試しにやってみろ見たいな目。いやですよ」


「あら怯えているの? 龍の子供ともあろう子が」


「いきなり見知らぬ女の子の首絞めることに怯えてますよ。なんですかこの状況」


 エルピスはアウローラのなんとも言えない表情を眺めながら、何故いきなりそんな事を言い出したかを考える。

 明らかにアウローラは自らを攻撃させ、アルキゴスに迎撃させようとしており、その目的も意図も全く想像できない。


「これじゃいつまで経っても出来ないし、時間も結構押してるわね。アル、やっちゃって」


「いいのか? まずいと思うが」


「大丈夫よ……多分」


 不安そうな顔でそう言ったアウローラに対して、アルキゴスは仕方がないと大きく息を吐き出すと、エルピスに申し訳なさそうな顔を見せながらわざと音を立てて武器を抜く。

 先程エルピスが渡したばかりの血雀、まさかそれが自分に向けられるとは思っておらず、エルピスは座ったままの体制を崩さず全力で物理障壁を展開する。


「ーーっ! 硬いな」


 アウローラの後ろから地を這うようにして飛んできた刃は、エルピスの首に向かって一目散に飛んでくるとすんでのところで障壁に弾かれる。

 力の入れ方からして直前で止めるつもりだったらしいが、あまりの障壁の硬さにアルキゴスの手はびりびりと痺れていく。


 エルピスからしてみれば初めて武器を殺意を持って向けられ、平常心を保とうとしていたが胸はどくどくと波打っていた。


「どうだアウローラ? お前の見たい物は見れたか?」


「えぇ予想以上。さてエルピス・アルヘオ君、相談だけど私の部下にならない?」


 妖艶な笑みを浮かべてそう語る彼女の目をじっと眺めながら、エルピスは一つの答えを出す。

 おそらくーーではあるがエルピスのこの疑問当たっているはずだ、前回と同じ雰囲気がある。

 アウローラの機嫌を損ねない様に静かに、それでいて確信を持った口調で口を開く。


「いきなり武器向けて部下になれって交渉ド下手ですね、おにぎりの流通止めますよ?」


「……おにぎり? おにぎりの流通……って、あ! もしかして!」


 エルピスがこの数分間で得た答えは、目の前の人物が異世界人ーーつまり同郷という事実だ。

 年齢に比例しない口振り、普通では考えられない動作、そして何よりもエルピスが確信したのはそのステータスだ。


 名前:アウローラ・ヴァスィリオ〈レベル14〉

 種族:人間

 性別:女性

 称号:貴族の娘・智略の女帝・異世界からの転生者

 魔法:王国式軍事魔法 六

 技能スキル: 速筆Ⅳ・速読Ⅲ・即睡眠Ⅴ・隠蔽Ⅲ ・鑑定Ⅱ・

 特殊技能ユニークスキル :指導者・皇帝・魅惑・ステータス開示

 耐性:睡眠

 体質:疲れ気味

 加護:王の加護


 見た目に似合わない色香の原因は、特殊技能ユニークスキル魅惑の影響だろう。

 こちらを見つめる目が一瞬ずれて違う方を見たかと思うと、アウローラはアルキゴスに声をかける。


「アル、少し席を外してて」


「大丈夫か、こいつ強いぞ? なんかあったら部屋に入る前に終わるけど」


「分かってるそんなの、良いから行って!」


「分かった、分かったからそんなに押すなって! お前なんか地の性格が出て来てんぞ! ーーったく、なんかあったら言えよ? まぁ大丈夫だとは思うが」


 そう言いながら出て行くアルの背中を真っ赤な顔で眺めながらも、真剣な表情になったアウローラはこちらに向き直り再度椅子に座る。

 先程までの妖艶さはもはやなく、今となっては年相応の顔つきに変わっていた。

 その仕草からは思っていたよりも動揺が目に見えず、何となくその事が気になりながらもエルピスはアウローラが喋り出すのを待つ。


「ーーそれであんたは何者なの?」


「何者とは、随分な言い草ですね。アウローラ様」


「いきなりこんな事も言われたら口も悪くーーとは言っても私の素がこれだから、悪くなったと言うのは語弊があるけど、なるわよ。ーーあんた、私の鑑定技能でも何も分からないって何者なの?」


 焦った様子は無く、だが心からの警戒心を見せながらアウローラはそう言った。

 アウローラの特殊技能ユニークスキル〈ステータス開示〉は確かに情報が全てであるこの世界において非常に強い効力を発揮するだろうし、してきた事だろう。


 いままで様々な人物の鑑定を行ってきたであろう彼女からすれば、全てが謎に包まれたエルピスのステータスを疑問に思うのも仕方がない。

 そんなアウローラに警戒心を抱かせないためにも、エルピスは詐称と交渉のスキルを使いその警戒心を解こうとする。


特殊技能ユニークスキル程度だったら、僕のステータスは見えませんよ。ちゃんと対策してるので」


「な、なんで私が特殊技能ユニークスキル持ってること知ってるの? 鑑定すきるかとしか言ってないのに」


「僕も持ってるので。それはもう事細かに見れますよ」


 リリィが出発前に小腹が空いたらと渡してくれたクッキーを机の上に広げ、なんでもないことのようにそう言ってエルピスはもぐもぐと食べる。

 特殊技能ユニークスキルを防ぐには最低でも自分が#特殊技能__ユニークスキル__#以上の隠蔽能力を持つ必要があり、アウローラからしてみればそんな相手は初めての事だ。


「えっち! ………なんか言いなさいよ」


「滑ったからって人に振らないでくださいよ。それでさっきのはなんだったんですか? いきなり攻撃なんかさせてアルさん可哀想ですよ」


「後で分かるわよ」


「そうですか。それじゃあ僕王様のところに用があるので行きますね」


 後で分かる事なら考える必要もなく、エルピスは椅子から腰を上げて部屋の外へと向かおうとする。

 だが手を掴まれ呼び止められると、エルピスは嫌そうな顔をしながら椅子に腰をかけた。


「どうしたんですか?」


「まだ聞きたいことはあるの。それにちょうど話し相手が欲しかったところだし」


「貴族の一人娘ってやっぱり結構暇なんですね」


「そうよ、特にこの季節は何もないしね。一応とはいえ今は私の家の持ち物なんだから話くらいしていきなさいよ」


「嫌ですよ。僕早くお使い済ませて家帰りたいんですから、お金ならアルさんに渡してありますし」


「ぐぬぬぬぬ」


 早く国王のところに向かいたいエルピスだが、アウローラがなぜかエルピスの事を待たせたいようなので、エルピスはぐたぐだと言葉を返しながらも椅子に深く腰掛ける。


「アルヘオ家といえば英雄イロアスの息子でしょ? 何か面白い経験あったんじゃない?」


「昔の話ですか? 良いですよいろいろあります。どんな話にしましょうか」


 十分か三十分か、はたまた一時間以上かかるかは分からないが、一週間何もない荷馬車で過ごしたエルピスからしてみればこのくらいなら待つのに苦はない。

 目をキラキラとさせながら話を聞いてくれるアウローラを前に、エルピスも調子に乗っていろいろと話をするのだった。

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