第14話 罰ゲームだった

 校長先生の長い話が終わりを迎えると、いよいよ夏休みに入った。何か特別な予定があるわけでもなく、これまでと同じように時間の流れに身を任せ、日々を無計画に過ごすだけの、それはありきたりな夏休みだった。

 ただちょっと違うところを上げるとするなら、小学校のときとは違い、夏の午前は部活動に費やされた。他の一年生がボール拾いや素振りの練習に励む中、僕は先輩たちと練習試合をしていた。四番手の――いわゆる補欠として、一年生ながらベンチに座らせてもらえることになっていたのだ。

 夏の総合体育大会。三年生の試合は惨敗だった。団体戦で一番手と二番手が負け、チーム全体の負けが確定したとき、僕は三番手の代わりとして一試合だけ試合に出させてもらった。三年生の引退試合としてはあまり褒められた試合ができず、どうして自分がこの場所に立っているのだろうと、茫然としていたことをよく覚えている。帰り道で泣き腫らす先輩たちの姿を見て、そもそも何のために部活を始めたのかすらわからなくなった。きっと、そこに大した理由なんてなかった。


 総体が終わってからも部活の練習はあった。三年生がいなくなったテニスコートで、これまで素振りばかりをやっていた同級生たちがボールを打つ練習をしていた。一足早くコートに入って練習をやって来ていた僕は、ときには教える側に回っていたこともあったけれど、だからといってそういう自分に酔いしれたりすることはなかった。何事も器用にこなせてしまうのは昔からのことで、その所為ですべての物事を中途半端に終わらせてしまうのも、昔から変わらないことだったからだ。

 そしてその変わらない性質は、もしかしたら多方面に影響しているのかもしれない。そう思ったのは、夏休みが明けて一週間が経ってからのことだった。


「ごめん!」男子トイレ前の廊下で、眼鏡をかけた男子が顔の前で手を擦り合わせていた。「もうこのことは話してたんだと思っててさ、口が滑った!」

「……は?」僕は何のことだかわからず、間抜けた返事しかできずにいた。

「ほらお前、藤崎さんと付き合ってただろ? それが罰ゲームから始まったこと、言っちまったんだよ」

「言ったの? あれを?」


 彼は肯くと、その経緯を申し訳なさそうに語り出した。

 夏休みが明けてすぐ、僕たちのクラスでは席替えがあった。公平を期すためにくじ引きで行われたのだが、その席替えで彼は、藤崎さんと隣の席になったらしい。そこで僕と藤崎さんが交際していることを思い出したのだが、そのときはあえて交際していることについて訊ねることはしなかった。しかし、前の席の友達と、授業中にノートの切れ端で会話しているときのことだ。

 今なら訊けるかもしれないと、彼は隙を見て藤崎さんにノートの切れ端を渡した。それから何回か切れ端を交換するうち、「好きな人とかいる?」とおそらくはいたずらな気持ちで、彼は訊いた。


 藤崎さんは少しためらいながらも、「いる」と答えた。


「それって誰?」

「このクラスのひと」


 それが誰のことを指すのか彼は知っていたが、白々しくも「えー! 教えてよ」という風に訊ねていた。藤崎さんはこれ以上は言えないと言った。しかしヒートアップしていた彼は、


「もしかして、〝く〟から始まる名前の人?」


 と、ついに踏み込んではいけないところへ踏み込んでしまった。

 藤崎さんがびっくりした表情でノートの切れ端を見ている。そしてそれを皮切りとして、彼は嘘告白のことを彼女に話した。僕が藤崎さんに告白したのは、罰ゲームだったということを。

 ああそうだったのか、と僕は思い至った。今日の国語の授業で、藤崎さんがいきなり教室を飛び出していったのは、これが原因だったのだ。


 目の前の彼を見据える。悪いやつではなかった。そこまで頻繁に遊ぶほど仲が良いわけではないけれど、小学校の六年間という決して短くはない時間、僕は彼と共に過ごしてきたのだ。しかし人への気遣いというものが決定的に欠けているやつだった。それを見抜けなかったのは、その六年間というのが偽りだらけの時間だったということなのか、あるいは僕自身も彼と同じで想像力が欠如した人間だったのか、結局のところわからなかった。

 

 僕は急いで藤崎さんのいるところへ向かった。昼休みは図書室にいるはずだった。そして階段の踊り場を曲がろうとしたところでちょうど、藤崎さんと鉢合わせた。彼女は本を抱きかかえながら俯いていたのだが、僕に気がつくと、嬉しさとも悲しさともつかない曖昧な表情を浮かべて、唇を噛んだ。

 

 僕はちゃんと説明するつもりだった。きっかけは嘘だったとしても、今は嘘偽りなく藤崎さんを好いていると。そして彼女ならきっと赦してくれると思った。それが彼女の優しいアイデンティティでもあって、いちばんの魅力でもあると僕は信じていた。

 しかし僕が口を開く前に、藤崎さんは恨めしそうな顔で言ったのだった。


「最っ低……!」


 そのときの彼女の表情を、僕は今でも忘れられない。未だかつて彼女がここまで大声を上げたことがあっただろうか。ないと言える。彼女に睨みつけられ、咄嗟の弁解もできずに僕は口を噤む。

 小さな拗れで、僕たちの間には大きな溝ができた。しかしそれを修復することはこのときの僕にはできなかった。階段を上っていく彼女の足音だけが、物寂しく響いていた。

 

 


 

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