第23話 食欲
ボクたち一家は、夜明け前から開拓村を発つことにした。
母親と一緒に荷車に乗り込む。
荷台には辺境でしか手に入らない魔物の毛皮なんかが雑多に積まれていた。
行商を生業とする父親が、都市との交易品として買い付けたものだ。
ボクがそれらの商品を何の気なしに眺めていると、御者台に腰を下ろした父が声を掛けてきた。
「じゃあ出発するぞ。少し揺れるからな」
荷車を引くのは二足歩行の大きな鳥だった。
ダチョウみたいな外見だけれども、それよりは首が短く頭部が大きい。
平たく表現すれば、前世の大人気ゲームに登場していた『チョコ◯』のリアル版みたいな感じである。
この異世界においては、この鳥(もうチョ◯ボと呼んでしまおう)が馬の役割を負うのだという。
性格は従順で大人しく、歩行速度も速くてスタミナもあるから、馬みたいに使うのにちょうどいいらしい。
見た目も存外可愛らしい。
「はいっ!」
軽い掛け声をあげ、父がチ◯コボに鞭をいれた。
◯ョコボがゆっくりと歩き始める。
車輪が回り、ガタンゴトンと車体が揺れだした。
荷車は徐々に速度を上げていく。
それに伴い、だんだんと揺れも激しくなってきた。
舗装された街道ならまだしもここにはまともな道すらない。
荒れ放題の大地をゆく車輪から、衝撃がお尻までダイレクトに伝わってくる。
正直、乗り心地は最悪だ。
ボクもお尻の下にぺたんこになった座布団は敷いているものの、こんな程度では気休めにもならない。
不快な乗り心地につい顔をしかめてしまう。
「ユウナ、大丈夫? はい、これ」
ボクが難しい顔をしていると、母が自分の座布団を差し出してきた。
「お尻、痛いんでしょう? このお座布団も使いなさい」
「……へ? でもいいの? それはママのぶんじゃない。お尻痛くならない?」
「ママはいいのよ。だって慣れてるから」
なんとも優しい気遣いである。
母親は柔らかな笑顔を向けながら、座布団を手渡してくる。
きっと自分が少々辛い思いをしても、我が子に楽をさせたいのだ。
そんな子を労わる母の愛情に、ボクはなんだか胸がぽかぽかと暖かくなるのを感じた。
ああ……。
家族っていいなぁ。
やはりユウナを食べたのは正解だった。
一時は早まったかと考えたものの、結果的にこうしてボクは優しい家族を手に入れることができたのだ。
ユウナには感謝してもしきれない。
今度は御者台から父が首を伸ばしてきた。
ボクと母との会話に割りこんでくる。
「ユウナ。遠慮なく使わせてもらいなさい」
「でも、ママのお尻痛くなっちゃうよ」
「ははは。ユウナは優しい子だね。でもママなら大丈夫だよ。だってママのお尻のお肉は、ユウナが考えているよりも、ずぅっと分厚いんだからね」
「はぁ⁉︎」
優しい表情から一変、怒った母が声を荒げた。
「なんですって⁉︎」
父の軽口に母が目を吊り上げる。
「酷い言いがかりだわ! 私のお尻のどこが分厚いのよ!」
「ひぇー、怖い怖いっ」
父が首を引っ込める。
母親はぷりぷりと怒ったままだ。
「あなた! あとで覚えてなさいよ!」
ボクも喧騒に参加する。
「パパ、ママ、喧嘩しちゃだめぇー!」
「あらあら、ユウナ、ごめんなさいね。喧嘩してる訳じゃないのよ? ただ後で、ママがパパを酷い目に合わせるだけだから」
「それもだめぇー!」
「ふふふ。ユウナは俺の味方みたいだねぇ」
「パパも反省しなきゃだめぇー!」
家族で騒ぎ合う。
じゃれ合いが心地よかった。
いつもボクを苛んで止まない孤独感も、いまだけは心なし薄まっているように思う。
なんとも幸せな気分だ。
こうしてボクたち家族の賑やかな旅が始まった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ガタンゴトン、ガタンゴトン――
車輪が荷台を揺らす。
振動が単調なリズムで繰り返される。
辺境の村を出立してから3日目。
ここにきて、不足の事態が生じていた。
ボクはお腹を押さえてうずくまる。
ショゴスたるこの身にハッキリとした胃袋なんてものはないのだけれど、それでもこうしてしまうのは前世の癖だろうか。
ボクは、腹が減っていた。
いや、一応の食事は摂っているのだ。
ちゃんと一日三食食べているし、両親は毎食自分たちのご飯を少し減らしてその分もボクに多めに食べさせてくれる。
けれども所詮は幼い少女の食事量である。
そんな程度では全然もの足りない。
だからボクはとても空腹だった。
もしかしてボクは大食漢なのかもしれないと思う。
腹を空かせたまま、過去の食事事情を振り返る。
思えばハクアの樹海を彷徨っていた間は大型の魔物を毎日捕食し放題だったし、エルフの里や開拓村にいたときも、なんだかんだで食糧となる魔物はたくさん取れた。
対して今はどうだ。
毎食ちゃんと食事が摂れているとはいえ、その内容は硬いパンとクズ野菜のスープと干した肉が少しだけ。
この程度では足りるはずもない。
ユウナを食べたのを最後に、ボクはもう丸3日以上もまともな食事にありつけていなかった。
「……うぅ……お腹空いた……」
荷台に横たわったまま
振動が煩わしい。
「ユウナ、大丈夫?」
心配した母親が声を掛けてきた。
ボクはまた同じ言葉を繰り返す。
「……ママぁ、お腹、すいたよぉ……」
「またなの? でもさっき食べたばかりじゃない。いくら成長期だからって、こうもお腹が空くだなんて……。ほら、お水でも飲んで気を紛らわせなさい」
母から水筒を手渡された。
けれどもボクはそれをぽいと放り投げて、駄々をこね始める。
「こんなお水なんかじゃ、お腹は膨れないよ! お肉がいい! お肉が食べたい! お腹空いた、お腹空いた、お腹空いた、お腹空いた! お腹空いたよぉ!」
両親がボクの態度に困惑する。
父親なんか、もう露骨に困った顔をしていた。
そんな彼が口を開く。
「ユウナ。わがままばかりを言うものじゃないよ。食事だって最大限食べさせているんだ。これ以上食べたら明日以降の分の食糧がなくなってしまう。そしたらユウナはもう、都市につくまでご飯が食べられなくなるんだよ? それでもいいのかい?」
父の説教に、ボクは押し黙った。
そりゃあ言っていることは理解できる。
彼の言葉は正しい。
旅路において食糧は有限だ。
貴重なものだ。
しかも今回は二週間近くにもなる長旅なのだから、食糧はなおさらよく考えて、計画的に消費していかなければならない。
だが理屈を理解できるからといって、空腹が収まるはずもない。
とにかくボクは腹が減ったのだ。
なんでもいいから食べたい。
食欲が疼いて疼いて仕方がない。
「……しょうがないわねぇ。はい、ユウナ。これを食べなさい」
母ががさごそと食糧袋を漁る。
その手にひと切れの干し肉を握っていた。
父が眉をひそめた。
「お前、言ってるそばから――」
「いいの。だってこんなにお腹を空かせて、ユウナが可哀想じゃない。だから私のぶんの干し肉をあげます。私は今晩、スープだけでいいわ」
「……そう言う訳にもいかないだろう」
父がガシガシと頭を掻く。
そして諦めたように深くため息を吐き出した。
いつもの優しい顔に戻る。
「ふぅ、仕方ない。じゃあ今晩はパパの食事をママと分け合う。浮いた分はユウナにあげなさい。それでいいね」
母が頷いた。
ボクの鼻先に干し肉が差し出される。
母の白く細い指が、目に映る。
甘い香りがした。
瑞々しさに満ちた、若い生命力の甘み。
漂いはじめた得も言われぬ芳醇な香り。
ボクは最後に食べた真っ当な食事を、ユウナの味を、思い出していた。
あれは美味しかった。
じゃあユウナの母親であるこの女性は、どんな味がするんだろうか。
「……ママ、……美味しそう……」
ボクは我慢出来ずに呟いていた。
母がにっこりと微笑む。
「ふふふ、そうでしょう? でもこれは大切な干し肉だから、ひと口で食べちゃったらダメよ? 少しずつ噛みちぎって、ゆっくりと噛んで時間を掛けて食べるの。そうしたら空腹も紛れてくるから。ね?」
こくりと頷く。
空腹を抱えたボクは、じっと母親の指先を見つめたまま、干し肉に齧り付いた。
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