第19話 惨劇

 日が傾き出した。

 時刻はそろそろ夕刻に差し掛かろうという頃合いだ。


「……ぁあああああぁ……、ぁ、ぁぁぁ、……ああああああああぁ……」


 茜色に染まっていく空に、改造エルフ(さっき知ったばかりだが、どうやら『ディネリンド』という名前らしい)の慟哭が木霊こだましていく。


 ボクは場の空気が変わったのを感じていた。

 エルフたちが怯えだしたのだ。


「ぅあああ……ううううう……」


 ディネリンドは、殴り殺してしまった友人の死体を、ゆさゆさと揺さぶっている。

 起きろ、起きろと願いながら泣いてる。

 エルフたちはそんな彼女の奇行から目を離せない。


 きっと彼らはこう考えているのだろう。

 たった今、目の前であっけなく二人が撲殺された。

 次は自分の番かもしれない。

 あんな風になるのは嫌だ、と。


「ど、どうする?」

「いや、どうするって言われたって……」


 そこかしこでエルフたちが耳打ちしあっている。


「……逃げるか?」

「わ、私に聞かないでよ」


 彼らはじわじわと後ずさっていく。

 恐怖が伝播しだしたのだ。


 けれども広まりだした不安を無理やり振り払い、彼らの足をこの場に留めさせるものがあった。

 それは族長の叫び声である。


「……ひ、ひぃ⁉︎ 里の皆よ! こ、攻撃だ! 攻撃するのだ!」


 エルフたちがハッと我にかえる。


「ディネリンドは狂ってしまった! ふ、ふたりも殺された! こんなことが許されるのか! もうディネリンドは殺してしまうしかない!」


 族長の言葉は臆病風に吹かれてのものだろう。

 けれどもそれで十分だったらしい。

 及び腰になっていたエルフたちの瞳に、力が戻っていく。


「そ、そうだ。俺は何を呆けていたんだ」

「同胞が殺されたのだ」

「ああ、この事態は捨て置けない」

「……ディネリンドには悪いけれど、やるしかないわね」


 気を取り直した彼らが、改めて武器を手に取った。

 族長は狂ったように叫び続けている。


「は、はやくしろぉ、誰でもいい! はやくディネリンドを倒すのだ! 弓を射掛けよ! ま、魔法を放てぇ! ひぃぃ! ひぃぃいい……!」


 ◇


 狂った族長の言葉に後押しされたのか、エルフたちの一斉攻撃が始まった。

 番えた弓から、風の属性を帯びた矢が次々と放たれる。


 その様を目の当たりにしたボクは感心した。

 これが魔法付与エンチャントってやつか。

 へぇ、凄いじゃないか。

 見たところ飛んでいく矢は明らかに速度が上昇しているし、それに加えて若干ではあるもののホーミング性能まで付与されているようだ。


 エンチャントって凄いんだなぁ。

 ボクにも出来るかな?

 これはいずれまた研究してみよう。


 そんな風にゆったり構えて観察していると、矢がディネリンドの背中に刺さった。

 矢は次々と命中し、やじりが彼女の白い肌を食い破って深々と突き刺さっていく。


 一本、また一本。

 ディネリンドが泣いたまま躱さないものだから、あっという間に彼女の背中は刺さった矢で剣山みたいになってしまった。


「よ、よし!」

「やったぞ!」


 エルフたちが勝利を確信する。

 構えていた弓を下ろし、攻撃の手を止めた。


 ボクはそれを眺めながら「こいつら、何にもわかってないなぁ」なんて独りごちる。


 確かにいま彼らの戦っている相手がただのエルフなら、これで終わりだろう。

 勝負ありだ。


 けれどもそうではない。

 いま彼らが相手にしているディネリンドは、有象無象のエルフなどでは決してなく、このボクが改造を施した特別製のエルフなのである。

 まだ戦いは決着していない。


「……ぅあ、……ぁあああ……」


 血溜まりにしゃがみ込んで泣いていたディネリンドが、顔をあげた。

 背中に何本も矢を生やしたまま、幽鬼みたいにふらりと立ち上がる。

 虚ろな目でゆっくりと周囲を見回した彼女に、エルフたちがどよめく。


「な、なんで動けるんだ⁉︎」

「あれだけ矢が刺さったんだぞ!」

「なぜ死なない⁉︎」


 彼らの疑問は、まぁもっともだ。

 けれどもボクからすれば、ディネリンドが動けるなんて当然なのだ。

 だって彼女にはこのボクから分裂したショゴス細胞を組み込んである。

 そしてボクの細胞は凄い。

 治癒力なんかかなりのものだ。

 それに常時細胞から分泌されているモルヒネ効果のある薬物のおかげで、改造エルフは痛みも感じにくい。

 だから簡単には倒れないのだ。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 生気の抜けた顔で辺りを見回していたディネリンドが、男性のエルフに狙いを定めた。

 奇声を上げながら飛び出す。

 ドンッと音がするのと同時に砂埃が舞い、彼女が立っていた地面が丸く陥没する。


「ぅ、あぁ……、あああああああああああっ!」


 瞬く間に間合いを詰めた彼女は、拳を垂直に振り上げた。

 力任せに叩きつける。

 ボゴッと頭が潰れた。


「ぎょぷぃ⁉︎」


 為す術もなく殴られたエルフは、頭部が丸ごとひしゃげ首までぺしゃんこになっている。

 ボクはぷっと吹き出しそうになった。

 だってまるで『ジャミラ』みたいで少し滑稽なのだ。

 彼は噴水みたいに赤い血を吹いたかと思うと、数歩後ろによろめいてから、仰向けにどさりと倒れた。


「あああああ! ああああああああああああああッ!!」


 ディネリンドが吠える。

 狂ったように暴れ回る。

 次の標的はすぐそばで佇んでいた女性のエルフだった。


「い、嫌ぁ⁉︎ こっちに来ないでぇ!」


 女性が背を向けて逃げだした。

 その背中をディネリンドが蹴り倒す。


「きゃあ!」


 倒れた彼女の脚をむんずと引っ掴むと、ディネリンドはそのエルフを逆さ吊りに引きずり起こして、顔を殴り始めた。


「うぐッ⁉︎ やめて! あがっ!」


 美しかった女性の顔が見る間に膨れ上っていく。

 けれどもディネリンドは拳を休めない。


「ぎゃ⁉︎ や、やめ! 痛いっ、やめ――」


 女性が死んだ。


 ディネリンドが次の獲物を探して辺りを見回す。

 その時、トスッと音がして、彼女の背中に新たな矢が突き刺さった。


「……ふ、ふざけるな! ふざけるなよ! これ以上、好きにさせてたまるか! 俺がお前を仕留めてやる!」


 矢を放ったエルフが叫ぶ。

 肩を怒らせ息を巻きながら、新たな矢を弦に番えた。

 しかし彼が再び矢を放つ前に、ディネリンドはその豪腕で今しがた殴り殺したばかりの女性の死体を、彼に投げつけた。


「なっ⁉︎ ぐぉ⁉︎」

「……ああああああああッ!!」


 ディネリンドはすぐに男に飛び掛かり、無茶苦茶に腕を振り回す。

 死体の上からめちゃくちゃに殴りまくる。


「や、やめろ! くそっ! は、離れろ!」


 ディネリンドが腕を振るうたび、ドカン、ドカンと重たい振動が大地を揺らした。

 それに伴奏するかのように、ぐちゃぐちゃと音が響く。


「ぐぁ! は、離れ……ろ! は、な……れ……」


 やがて男は物言わぬ骸と化した。

 けれどもディネリンドは殴り続ける。

 ものの十秒そこらで、血溜まりと一緒に二人分のミンチが出来上がった。


「きゃ、きゃあああああ! いやぁ! もう嫌ぁあああ!」


 エルフの誰かが叫ぶ。


「なんでこんなことに? 酷い……酷すぎる!」


 続いて他の誰かも。


「……あれはディネリンドじゃない! ば、化け物だ!」

「何だって、こんなことに……!」

「わ、私は死にたくない。まだ死にたくない!」

「うるさい! 喚いている暇があるなら戦え! 一斉に矢を放つんだ!」


 エルフたちが団結してディネリンドに対抗しようとする。

 再び矢が放たれた。


「……ああッ! ああああああああああああああ……!」


 ヒュンヒュンと風を切る音が止まない。

 雨のように降りしきる鏃の中を、ディネリンドは吠えながら暴れ回った。

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