第18話 慟哭

 戦いの火蓋が切られるのと同時に、襲撃してきたエルフのうちの一人が突進してきた。

 ボクは改造エルフの傍に控えて、その様子を見守る。


「うぉおおおっ!!」


 見れば駆けてきたのは、さっきまで小屋のなかでボクに襟首を捕まれていた男だった。

 雄叫びをあげ、まさに必死の形相である。


「エルミアぁ! 待っていろ! いま助け出す!」


 どうやら彼はすぐにでも実験室に戻りたいらしい。

 言葉ぶりから察するに、室内で昏睡中の幼馴染エルフを救出するつもりのようだ。


 ボクは彼のこの行動に首を傾げた。

 だって不可解極まりないのである。


 考えてもみて欲しい。

 頭蓋を剥かれ脳を晒し出された実験体を、そのまま小屋の外に連れ出して、それからどうするつもりだというのだ。

 大体、治療のあてはあるのだろうか。

 下手に動かして脳に損傷でも負わそうものなら、よくて廃人、普通は死亡である。

 それはとても勿体ない事だ。


 エルミア氏はボクにとっていわば献体のようなものだと思うし、だったら彼女からしても何の実験成果も得られずにただ死んでしまうだけなんて無念以外のなにものでもないだろう。

 きっと彼女だってそう思うに違いない。


 そういった諸々を勘案するに、男性エルフのとったこの行動は短絡的すぎると言うほかないのだ。


 第一、小屋の入り口は、ボクの命を受けた改造エルフの女性が塞いでいる。

 彼程度の実力では、彼女を排除して室内に押し入るなんてことは叶わないだろう。


「……ふぅ。やれやれ……」


 ボクは軽くため息をついてから、肩をすくめた。

 男が改造エルフ目掛けて突進していく。


「そこを退けぇ! エルミアを助けるためなんだ! 邪魔立てするなら、たとえ里の同胞とて容赦はしない!」


 彼は脚を緩めない。

 むしろ更に助走をつけた。

 このまま改造エルフにショルダータックルをぶち当てて、突き飛ばそうという算段だろう。


「うぉおおおッッ!!」


 男と改造エルフが接触しようとした。

 まさにその直前――


 ◇


 ボクの改造エルフが、野球の投手ピッチャーのように大きく拳を振りかぶる。

 次の瞬間、ドカンと物凄い音が鳴り響いた。

 改造エルフが、突進してきた男の頭頂部を思い切り殴りつけたのだ。


「ぎゅぷぁッ⁉︎」


 不細工な悲鳴がした。

 まるで踏み潰された蛙が死に際にあげる断末魔みたいな、醜い悲鳴だ。


 もうもうと立ち込めていた砂埃が晴れる。

 威勢の良かった男は上体の半分ほどを地面にめり込ませ、呆気あっけなく絶命していた。


 彼の脳天には巨大なハンマーでぶん殴られたような陥没跡ができていた。

 たったいま改造エルフに殴られた跡だ。


 死んだばかりの男の身体は、まだピクピクと小刻みに痙攣している。

 ボクは彼の遺体を眺めて、そのタフネスに感心した。


 ふぅん。

 なかなかやるじゃないか。


 ボクの改造エルフは、大岩をも一撃で砕くほどのパンチ力を誇っている。

 そんな彼女の全力の殴打を受けて、頭蓋骨陥没骨折程度のダメージで済んでいるのだから大したものだ。

 普通なら頭が爆ぜる。

 これは彼の魔力操作が優秀だった証拠に他ならない。

 まぁ結果的に死んではいるけれども。


 なんでもこの世界の戦士たちは、魔力なんて曖昧なもので自己を強化できるらしい。

 攻撃力や防御力を飛躍的に高めることができる。

 便利なものである。

 その効力はいま見た通りだ。


「……しかし里のエルフって、お年寄りの割には結構強いんだなぁ」


 そういえば歳をとったエルフは魔力をたくさん蓄えていると聞いた。

 だから強いのかも?

 こんなに強いのなら、ひょっとするとこいつら、ボクの良い餌になってくれるのかもしれないぞ。

 ボクは周囲のエルフたちを眺めて、少し食欲が疼いた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ボクが食事についての不穏な思考を巡らせていると、また一人、襲撃者の輪のなかからエルフが歩み出てきた。


 今度は女性である。


 恐る恐る前に出てきた彼女は、おっかなびっくりしながらも改造エルフに向かって話しかけた。


「……ね、ねぇ、ディネリンド? 貴女、ディネリンドよね?」


 改造エルフは何も反応しない。

 女性はゆっくりと距離をつめていく。


「私のこと、わかる? わかるわよね? だって、もうずっと長い間、ふたりで支え合って生きてきたんだもの……。少し前から貴女の姿が見えなくなって、私、とても心配していたのよ。……え、えっと、今からそっちに行っていいかしら? い、行くからね? ダメって言われても、私、行くんだから!」


 無防備この上ない行動だ。

 たったいま目の前で仲間が殴り殺されたばかりだと言うのに、猪突猛進で死んだ男といい、この警戒心の欠如した女といい、もしかしてエルフって馬鹿なんだろうか。

 女は語りかける。


「ねぇ、どうしちゃったの? 貴女、昔から狐の子一匹すら殺せないような優しい性格をしていたじゃない。狩りだって嫌だって……。だから畑を拓いたり、菜園を作ったりしていたわよね?」


 一歩、また一歩。

 思い出を語りながら、彼女は歩み寄っていく。


「あの日だってそうよ。出来の良いエルフ豆が実ったんだって、嬉しそうに笑いながら私にお裾分けしてくれたこともあったじゃない。それから貴女がエルフ豆のキッシュを作って、私はお礼に搾りたての山羊のお乳を持ち寄って、ふたりで色んなお喋りをしながら食べて、……ねぇ、覚えているでしょう?」


 二人の距離が詰まった。

 彼女が改造エルフの肩に、そっと手を添える。


「ねぇ。なんとか言って、ディネリン――」


 拳が振り抜かれた。

 改造エルフの彼女が、近づいてきた女性の頬を殴り飛ばしたのだ。

 首がぐりんと一回転した。

 口からごぼりと血が噴き出る。

 殴られた女性は「なぜ?」と表情で疑問を露わにしたまま、ドサリとその場に崩れ落ちた。


「……あー、ぅう、ぁ……」


 足下に血溜まりが広がっていく。


「あー……ぁあ……あー!」


 改造エルフはしゃがみ込み、大地に沁み込もうとする血液を何度も両手で掬い上げては、死体へ返そうとする。

 生き返れとでも、願うかのように……。

 だがしかし、失われた命は戻らない。


「あぁあー! ああ! ぁあっ! あああああああ……! あああああああああああああああっ!!!!」


 ディネリンドと呼ばれた改造エルフは、奇声を上げ、理性を奪われたまま、ただ泣いていた。

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