第17話 実験室

 数人のエルフたちが、いまやボクの実験室と化したルィンヘンの小屋に踏み込んできた。

 そして息を呑む。


「――――ッ⁉︎」


 押し入ってきたメンバーの中には族長もいた。

 彼らが視線を向けた先。

 そこには今しがたボクに頭蓋を半分剥がされ、脳みそを外気に晒しながら昏睡している女性がいる。


「……な、……な、な、な……」


 やってきたエルフたちは、みな一様に言葉を失っていた。

 まるで地獄にでも迷い込んだみたいな表情だ。

 恐怖を孕んだ目で、室内を見回している。


 ◇


 そこは血色ちいろと闇色が混じり合う、おどろおどろしい空間だった。


 真紅に染まった手作りの手術台が、中央にぽつんと置かれている。

 部屋の四隅には天井照明の光が充分に行き届いておらず、ぼんやりとして薄暗い。


 ボクが使い潰したエルフたちは、廃棄され、この十数畳程度のスペースしかない狭い小屋に無造作に転がされていた。


 彼らは四肢欠損しているなんて当たり前。

 なかには死んで腐乱が始まり、蛆が湧きかけているものまである。


 まだ生きている個体も、虚ろな目をして呼びかけても反応を返さないようなものばかりだし、さらには肉塊(これは正真正銘エルフの肉塊であって、比喩表現ではない)だって転がっていた。


「……ぅ、……ぅぷっ……!」


 踏み込んできたエルフの一人が、嗚咽を堪えようと口元を手のひらで覆った。

 そのまま室外に向かって駆け出していったかと思うと、しゃがみ込んで嘔吐し始める。


 ボクは唖然としている彼らを観察しながら思った。


 なるほど、きっと真っ当な感性を持つ者からすると、この小屋の内部は相当に酷い有り様に見えるのだろう。

 特に臭気がきついのだ。


 まぁ要は慣れの問題ではあるのだけれど、それは逆説的に考えれば慣れないうちは気分を害してしまうということでもある。

 だとすれば、ボクは反省しなければならない。

 いつこのように来客があっても良いよう、常日頃から整理整頓を心掛けておくべきだったのだ。


 これはちょっと配慮が欠けていた。

 ボクは踏み込んできた彼らの気持ちをおもんばかって、少し申し訳ない気持ちになった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 みなが反応出来ずに固まっている中、族長だけが口を開いた。

 激しく身震いしながら呟く。


「……な、なんだこれは……? エ、エルミア? お前はエルミアなのか……?」


 彼は開頭された女性の名を呼びかけた。

 しかし当然ながら返事などない。

 というかこのエルフは『エルミア』って名前だったのか。

 初めて知った。

 とはいえ特に覚えておくつもりはないのだけれど。

 族長の呟きは続く。


「……は、ははは……。なんだこれは……、なんなんだ、この地獄は……!」


 族長が、部屋の奥に立っているボクを見た。

 彼の瞳は、すでに狂気に濁り始めていた。


「……ははは、なぁ、プレナリェル……。こ、これは、お前が、やったのか……?」


 ボクは簡潔に答える。


「ええ、御父様。やったのは私で間違いありません」

「……これは、なんだ……?」

「何って、実験ですけど」

「……実……験……とは?」


 族長はまだ理解が追いつかない顔をしている。

 愚鈍なことだ。

 仕方がないので、ボクは一から説明してあげることにした。


「実験は、実験ですよ。いままでボクは、色んなアプローチで貴方方エルフにボクへの愛を植え付ける実験をしてきたんです。その過程で何人ものエルフを死なせてしまいました。その事については謝ります。黙っていてごめんなさい」


 ペコリと頭を下げた。

 特段反省はしていなくとも、取り敢えず謝っておけば物事はスムーズに運ぶ。

 これは日本人なら誰もが常識として知っていることだ。

 ボクはゆっくりと顔を上げてから、また話を続ける。


「たくさん失敗しました。でもボクは諦めなかったんです」

「プ、プレナリェル? お前は何を言って――」

「今日の実験なんて特に凄いんですよ? なんと! 脳を直接弄ってボクへの愛情を植え付けることを思い付いたんです! それでついさっきまで彼女の頭蓋骨を切って開頭作業をしていたんですが、見て下さい! この仕上がり! 綺麗に脳を露出できてるでしょー!」


 段々と説明に熱が入ってきた。

 しかしそれはすぐに遮られる。

 彫像みたいに固まっていたエルフたちの一人が、突然叫びだしたのだ。


「……エ、エルミア! エルミア! うぁ、ぅああ……。なんて姿に……!」


 叫んだ男性は半狂乱だ。

 駆け出し、エルミアに縋りつこうとする。

 ボクは焦った。


「ちょ⁉︎ あぶっ、危ないですって!」


 すぐさま彼の襟首を掴んで静止する。


「いきなり何するんですか! 気をつけて下さい! 彼女はいま、脳が剥き出しなんですよ⁉︎ すっごく無防備なんです! だから触るならそっとです、そぉっと!」

「うぁあああっ! 離せぇ! 離してくれぇ!」


 男性がジタバタと暴れる。

 泣き喚きながらも、昏睡したままの実験体から目を逸らそうとしない。


「エルミアは俺の、俺の、幼馴染なんだ! それがどうしてこんな事に! ぅおお……! うおおおおおッ!!」


 彼の叫んだ内容を聞いたボクは、軽く苛ついた。

 ふぅん、幼馴染ね。


「エルミア! エルミアぁ! なんで! どうして!」


 彼の嘆きには彼女に対する気遣いが溢れていた。

 愛すら感じる。


 ボクは一瞬でシラけた。


 ◇


 泣き叫ぶエルフの男性を捕まえたまま思う。

 なんだコイツ……。

 歳を経たエルフは、自然と他者に興味を持てなくなるはずじゃなかったのか?

 だからこそボクはこうして、七面倒しちめんどうくさい実験なんかで愛を植え付けようと試行錯誤してきたのだ。


 というか、だ。

 年老いても誰かを愛せるのなら、こいつらエルフはなぜボクを愛さなかった。

 愛してくれなかったんだ。


「……はぁぁぁ……」


 深く、深く、ため息を吐き出した。

 ボリボリと頭をかく。


「なんだかなぁ」


 誰かがボク以外の誰かへ愛を謳う場面を、こうして直接見せつけられることほど腹の立つものはない。

 ボクのことは愛してくれなかったんだから尚更である。


 一度シラけてしまうと、色んなことが煩わしく思えてくるものだ。

 それはボクとて例外ではない。

 もうこいつら滅ぼしちゃおうかなぁ、なんて安易な考えが浮かぶ。

 だってこの世界には、エルフの代わりが務まる知的生命体くらいたくさんいるみたいだしさぁ。


「まぁ、それはそれとして……」


 ともかくいまは、目の前の茶番劇を終わらせよう。

 ボクは男の襟首を離し、入り口に向かってドンと突き飛ばした。

 倒れた彼が軽く悲鳴をあげる。


「うぐぁっ!」


 まったく……。

 塩があれば撒きたいところだ。


「さぁさぁ! 他のみなさんも、お帰りはあちらですよー! さっさと小屋から出て行って下さいねー!」


 硬直したままの彼らを横目に流し見ながら、部屋の隅へと移動する。

 そこには改造エルフの女性が眠っている。

 というか気絶中だ。

 ボクはアンモニア系の刺激臭がする気付け薬を体内で精製すると、改造エルフに匂いを嗅がせた。


「……ん、……んん……」


 改造エルフが意識を取り戻した。

 目覚めたばかりの彼女は、ゆっくりと室内を見回した。

 そうして彼女は、まだ悪夢が続いていると理解する。

 瞳を絶望の色に染まらせていく。

 起きたばかりのその女性は、ボクの顔を見るや否や懇願してきた。


「お願い殺してぇ……、どうか、お願いよぉ! い、痛いのはもう嫌なの! 苦しいのももう嫌なの! ……嫌、嫌、嫌、こんなのは嫌ぁ! だからお願い、もう、殺してぇ……!」

「はいはい、また今度ねー」


 ボクは改造エルフの涙ながら訴えを華麗にスルーして、いつもの様に首筋に注射針を突き刺した。


 彼女の肢体がビクンと弾む。

 間髪入れずに薬物を注入した。


「あ、ア、あ、あ゛……」


 今回投与した薬物は、いわゆる興奮剤だ。

 それも投与された人物の理性を薄め、反対に攻撃性を飛躍的に高めるボク謹製のオリジナル薬剤である。


 たっぷりと興奮剤を注入し終えてから、ついでに素直になるよう自白剤も追加して操り人形の出来上がりだ。

 ボクは彼女に命令する。


「悪いエルフたちに襲撃を受けているんだ。だからキミは襲撃者たちを追い払って欲しい」


 白目を剥いて涎を垂らした彼女が、コクリと頷いた。

 実に素直でよろしい。

 だからボクは彼女にご褒美をあげることにした。


「あ、そうそう。なんなら死ぬまで戦ってくれていいからね。だってキミ、死にたいんでしょ? なら本望だよね」


 うんうん。

 希望は叶えてあげないといけないのだ。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 室内まで踏み込んできたエルフどもを、改造エルフが小屋から追い出した。


 襲撃してきたエルフの数は、小屋の外で待機していた者を合わせると30人にものぼった。

 その人数は里に残ったエルフの半分にあたる。


 対してボクらの側は改造エルフが1体だけだ。

 こんな状況下で戦うなんて、事情をなんにも知らない誰かが見れば無茶だと思うだろう。

 普通に考えて1対30なんて勝負にもならない。

 けれどもボクは躊躇なく命令を下す。


「さぁ! やっちゃえ改造エルフ!」


 こうしていま、交戦が開始された。

 

 

 

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・作中設定の補足

 年老いたエルフは他者への興味を失う、という設定についてですが、これは厳密には間違っていて、正確に言うと偏屈になっていくわけです。

 その辺りは人間と同じですね。


 偏屈になったエルフは一見すると排他的に見えるようになりますが、その反面、気を許した相手にはとことん優しくします。

 つまり作中に登場するお年寄りエルフも、愛情を向ける対象が狭まっているだけで、実はとても愛情深い生き物というわけです。

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