第12話 口論

 里に足を踏み入れたボクは、さっそく族長宅へと向かうことにした。


 というのもさっき出会った見張りの女性から、ボク(というか厳密にはプレナリェル)は、なんでもこの里をまとめている族長の一人娘だと教えられたからだ。

 つまり帰宅である。


「……ふ、ふふふ……」


 自然と頬が緩んだ。

 歩きながらつい呟く。


「親かぁ、いい響きだなぁ。ふふふ」


 前世では割と親を蔑ろにしていたボクだけど、せっかくだし今世ではちゃんと親孝行をしようと思う。

 なんなら介護の手間だって惜しまないぞ。


「ああ、楽しみだ」


 ボクはウキウキしていた。

 だって仕方ないだろう。


 古今東西、親とは子を愛して止まない存在である。

 そんなことは今更あえて確認し直すまでもなく、子は親から無償の愛を授かるものだ。


 つまり親はボクを苛むこの孤独感を癒してくれる存在だ。

 きっと甘やかしてくれるには違いない。

 なぜか素っ気なかったさっきの見張りの女性とは違うのだ。


 そう言えばと考える。

 あの見張りのひとは、どうしてあんなにも冷たかったんだろう。

 彼女はボクにまるで関心がないようだった。

 あんなのは同じ里の仲間に取る態度ではない。


「……んー」


 首を捻って考えるも、理由を思いつかない。


「ま、いっか」


 きっと彼女はプレナリェルとの関わりが薄かった人物なのだ。

 ただ同じ集落で暮らしているだけの赤の他人。

 そうだったに違いない。

 ボクはそう思うことにして、それ以上考えることをやめた。


 ◇


 族長の家は里のほぼ中央にあった。


 幹周かんしゅうや枝ぶりが一際見事な、樹齢何年になるかも検討がつかないような巨木に、大きなツリーハウスが建てられている。


 なるほど、ここが族長の、ひいてはこれからのボクの住処になる家か。

 よそのツリーハウスの倍くらい大きい。

 住居が立派なのは良いことだ。


 ◇


 ところでボクは里を歩き出してから、幾人かの人間とすれ違った。

 そしてその度に笑顔で挨拶をした。

 けれども何故か、みんな素っ気なかった。

 なんとかしてこちらから会話を試みても、誰もがボクを無視して立ち去るのだ。


 ちょっと疑問に思う。

 もしかしてプレナリェルってば、里のみんなに嫌われていたのかな?


「いやそんな筈はないか」


 否定を呟いてから、ボクは片手を手鏡に変化させた。

 自らの擬態姿を確認する。

 鏡には可憐でお日様みたいに明るく、笑顔がとても良く似合う少女が映しだされていた。


 ……うん。

 やっぱりプレナリェルは抜群に可愛い。

 こんなの誰だって好意を持つに違いない。


 あまり長くは一緒にいられなかったボクですら、なんとなく彼女を好いているくらいなのだ。

 そんなプレナリェルが里の仲間すべてに嫌われているなんて、少し考えにくい。

 ならみんなの冷たい態度は他に理由があってのことだろうか。

 とは言え里についたばかりのボクにその理由など知るよしもなく、里人の冷たい態度についてはひとまず棚上げすることにした。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 気を取り直して、樹上の族長宅を見上げる。

 はやくあそこに入りたいのだけど、どうやって樹のうえまで上がればいいのだろう。


「……えっと、階段とかないかな……?」


 キョロキョロしながら大樹の麓まで近づく。

 すると突然変化が起きた。

 大地が淡く輝きだしたのだ。


 続いて地面がボコボコと隆起する。

 呆気に取られるボクの目の前で、瞬く間に階段が組上がった。


「うわっ⁉︎ なに今のすごい! も、もしかして魔法⁉︎ いまのは魔法の階段なのかっ⁉︎ すげー!」


 まるっきりファンタジーの世界だ。

 テンション爆上げである。

 ボクは興奮を隠さず、浮かれ気分のまま現れたばかりの階段を駆け上った。

 そしてバタンと勢いよく玄関ドアを開く。


「ただいまぁー! プレナリェル、ただいま戻りましたぁ!」


 内部は暖かみのある木造りのホールだった。

 そこにボクの元気な声が木霊する。

 けれども返事はない。


「……あ、あれぇ? 不在なのかなぁ?」


 よし、もう一度だ。


「ただいまー! 誰かいませんかー? このボクが、プレナリェルが戻りましたよー! お父さぁん、お母さぁん! 貴方たちの可愛い可愛い愛娘が帰ってきましたよー!」


 やはり誰からも返事はない。

 仕方がないのでボクは勝手に家に上がり、両親を探してそこいらを見て回った。

 ずいぶんと物が少なく、生活感が乏しい。


「んぬぬ。……おっかしいなぁ。二階かなぁ?」


 このツリーハウスは、外部からはわかりにくいが内部は二階建て構造になっていた。

 一階は玄関から繋がるホールに広くスペースを取っていて、部屋それだけ。

 代わりに二階には小さな個室がいくつもあるようだった。


 螺旋階段を上ったボクは、ひとつひとつ、個室を見て回る。

 すると廊下の最奥に書斎らしき部屋があり、そこで古ぼけた書斎机の椅子に鎮座するひとりの男性を見つけた。


 ◇


 ボクは見つけた男性を観察する。

 金髪の男性だ。

 まだ歳若く見えるが、恐らくはこの人がボクの父親なのだろう。

 念のために確認してみる。


「……あ、あのぉ? 貴方はお父さんですよね?」


 控えめに声を掛けるも男性はこちらを見ない。

 蔵書数が少なく歯抜けになった書棚を背に、椅子に座ったまま、さっきからずっと顔を下に向けて帳簿か何かをつけている。


 ひょっとして耳が遠いんだろうか。


「あのー! ボク、……じゃなかった、私です! プレナリェルですよっ!」


 今度は少し大きな声で呼びかけてみると、男性がようやく手を止めた。

 煩わしげに前髪をかきあげ、顔をあげる。

 紺碧の瞳がボクを捉えた。


 ちなみに美形だ。

 というかよくよく思い返すと、この里ですれ違ったひとはみんな美形しかいなかった。

 そして耳が長かった。

 なぜか年寄りも子どももいないし、まるで人里から妙齢の美男美女ばかりを集めて隔離した隠れ里のようである。


「…………何か用か」


 長い間を置いてから、男性が短く尋ねてくる。


「用というか、あのぉ、お父さん、ですよね?」


 ボクは尋ね返した。


「……その『お父さん』などという俗な呼び方はなんだ。いつも通り御父様と呼びなさい」

「あ、やっぱり私のお父さん! あぁ、よかったぁ。私です! プレナリェルです! えへへ、ただいま帰りましたぁ!」


 久方ぶりの親子の対面である。


 なんの用だったかまでは知らないが、プレナリェルは何日もの間、ずっとルィンヘンと一緒に樹海にいた。

 そしてボクに遭遇して食べられた。


 運のないことだとは思うがともかくそれはそれとして、愛娘が長期に渡り不在にしていたのだから、父親なら当然さぞや心配していたに違いない。


 ボクはワクワクしながら感動の再会シーンを期待する。

 けれども返ってきた言葉は意外なものだった。


「ふむ、『ただいま』? それはどういうことだ?」

「……えっ」

「プレナリェル、お前は今まで自分の部屋にいたのだろう? まさか里の外に出ていたんじゃないだろうね?」


 父はそもそもプレナリェルの不在を知らなかった。

 しかも今しがた発した言葉ぶりから察すると、ふたりはこの家で同居しているにも関わらず、だ。


 そんなことってあるのだろうか?

 たった数時間の話ではないんだ。

 恐らく半月近くもの長い期間、愛娘がいなかったんだぞ?


 呆然とするボクに目の前の男性が続ける。


「まぁそんなことはどうでもよろしい」

「ど、どうでもいいって、そんな……」


 娘の不在を気にもかけない親……。

 ボクはどんなリアクションを取ればよいのかわからなくなって、固まってしまった。


「それよりもだ。さっきからその言葉使いは何だ? いつも注意しているだろう。お前の振る舞いには栄えある妖精国アグラリエルに於いてもなお抜きん出て由緒正しき我が氏族、スーリンディアの娘たる自覚がまるで感じられない」


 ……アグラ、リエル?

 ……スーリンディア?


 なんの話だろうか。

 さっぱりわからない。


 ボクを置いてきぼりにして、父は話し続けている。


「そのように未熟で社交界に出られると思っているのか? よく聞きなさい。我々は有象無象のただのエルフではなく民の上にたつ上位エルフ、つまり妖精国における貴族で特権階級なのだ。それを常に忘れてはならない。今でこそこんな樹海の奥深くに落ち延びているが、そもそもにおいて、我が氏族は妖精国になくてはならぬ一族で――」


 彼の言葉には娘への労りなどまるで感じ取れなかった。

 肩透かしをくった気分だ。

 まさかこの男、父という立場にありながら、我が子に関心を持っていないのか?

 たまらずボクは、滔々とうとうと薫陶を垂れ続ける父の言葉を遮る。


「あ、あのっ!」

「……なんだ。まだ私が話している最中だぞ。弁えなさい」


 途端に父が不機嫌になった。

 けれどもそんなことには構わず、ボクは尋ねる。


「私の父親なんですよね? なんで娘がずっと家にいないのに、そのことにすら気付かないんですか?」

「……おかしなことを言う」


 父が心底不思議そうな顔をした。


「なぜこの私が、いちいちお前のことなど気に掛けねばならないのだ? プレナリェル、お前は私が再び祖国へと帰り、元の身分へと返り咲いた際に、政争の道具としてそこに居れば良いのだ。だからそれまでに貴族たる者の振る舞いだけは身につけよ」


 ◇


 これが父と子の会話?

 ボクは父が何を話しているのか、さっぱり理解できなかった。

 だから核心だけを問う。


「お父さん。あなたは私を愛しているんですよね?」

「……愛?」


 父が鼻で嗤った。


「……ふんっ、愛だと? ははっ、なんだそれは? 笑わせるな。そんな不確かなもので我が氏族の怨讐を晴らせるというのか? 受けた屈辱をそそげるというのか? 愛など無価値だ。そんなくだらん言葉は、二度と口にするな」


 一蹴された。

 だがボクは引き下がれない。

 愛を侮辱されたままでは引き下がれない。


「違うッ! くだらなくなんかない! 愛とは尊いものだ! キラキラ輝いていて、求めても求めても、この手に掴めないものだ! だから愛を笑うな! 愛されるとは、それだけで何よりも価値のあることだ! 無価値なんかじゃない!」

「……ふんっ、馬鹿なことを」

「取り消せ! 愛を愚弄した、いまの発言を取り消せ!」

「取り消せだと? なぜだ? むしろ何度でもいってやる。愛など何の役にも立ちはしない。ただの愚か者の妄執だ。そんなことよりもちゃんと私の話を聞いていたか?」


 こいつ……!


 ギリギリと食い締めた歯を鳴らす。


 許せない。


 許せない、許せない、許せない。


 許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない……!


 一度ならず二度までも!


 孤独に苛まされ続けるこのボクを前にして、ボクを癒すただ一つの手段である愛を否定するなんて、到底許せるものではない。


 ふざけるな!


 愛が無価値なら、どうやってボクは孤独を癒せばいいんだ!

 愛は価値あるものでなくてはならない。

 ただボクのためだけに、愛は素晴らしいものでなくてはならない!


 それをこの男……!

 この男、よりにもよってこのボクを前にして愛を侮辱するなんて!


 ◇


 擬態した少女の全身、頭頂から指先、足先に至るまで怒りが駆け巡った。

 頭がくらくらして、視界が赤く染まっていく。

 我慢が効かない。




 ――殺してしまおうか。




 そんな考えが頭の片隅をよぎった。


 たとえ父親でも関係ない。

 殺して食ってしまおう。


 決意した瞬間、ボクの殺意に呼応するように目の前の空間が揺らぎ始めた。

 息が詰まるほど空気が重くなる。


 どす黒い殺意を込めて睨みつけると、気圧された父は喉の奥で「ひぃ」と小さく悲鳴を漏らした。

 ガタンと激しく音を立て、椅子から立ち上がった。

 たたらを踏みながら後ずさる。


「プ、プレナリェル! な、なんだその目は! 仮にも貴族の令嬢ともあろうものが、そのような品位のかけらもない態度で――」

「……うるさい、黙れ」


 男には見えない位置で、ボクは右手首から先を槍の穂先みたいに鋭く尖らせていく。

 ゆっくりと、ゆっくりと、尖らせていく。


 愛を愚弄した報いだ。

 目玉から頭部を貫通してやる。

 この手を無理やり突き込んで、ぐちゃぐちゃに掻き回してから汚らしい脳漿をぶち撒けさせてやる。


 悪意とともに一歩踏み出した。

 ぎしりと床板が軋む。


 また一歩、そしてまた一歩。

 距離を詰めるごとに、父が慌てふためく。


「……ひ、ひぃぃ! く、来るな! プレナリェル! これは命令だぞ! それ以上、私に近付くんじゃない!」


 さぁ、殺そう。

 殺意を秘めた槍の右手を突き出そうとした。

 そのとき――


 ◇


「……族長。族長はいるか?」


 階下から声がした。

 男の声だ。

 誰かが訪ねてきたらしい。

 ボクはその場で行動を停止した。


「族長、二階にいるのか? 報告がある。上がらせてもらうぞ」


 訪問者が螺旋階段をのぼる足音がする。

 どうやらここに向かっているようだ。


「…………ふぅ」


 軽く息を吐いた。

 そして槍に変化させていた右手を、元の可憐な少女の手に戻す。

 それと同時にさっきまでボクを支配していた激しい怒りが急速に冷めていく。


「あー、危ない、危ない。ついカッとなっちゃった」


 冷静に考えると、いまここで父であるこの男を殺してもボクにはなんのメリットもないのだ。

 危うく里について早々、問題行動をやらかしてしまうところだった。


 ボクは父親に向け、お詫びの気持ちを込めた笑顔を向ける。


「えへへ。申し訳御座いません御父様。驚かせちゃいましたよね! ちょっと態度が悪かったです。反省しますので、お許しください」


 チロリと舌をだして可愛らしく謝ると、父はその場にすとんと尻餅をついた。


「……ぁ、……ぅあ……ぉぉ……」


 言葉にならないうめきを漏らしている。

 ボクはそんな彼の姿を流し見ながら、書斎をあとにした。

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