第10話 告白

 今しがた喰ったばかりの彼の姿に擬態したボクは、首回りの筋肉をほぐすみたいにして軽く頭を回してみた。


 続いてぐるぐると大きく腕を回し、手のひらをぐーぱーしてから屈伸運動をしてみる。


 うん。

 擬態とはいえ、久しぶりの人間型だ。

 この姿はボクによく馴染むし、とても心が落ち着く。


 ひとしきり人間の姿を楽しんでから、女の逃げ去った方角を確認する。

 さて。

 ではそろそろあの少女の跡を追うとしよう。

 ボクは足取り軽く歩き出した。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 少女の消えた方角へと樹海を進みながら、ボクは考える。

 彼女を逃がしてから、もう結構な時間が経過してしまっている。

 丸一日と少しというところか。

 こうしてショゴスの感覚を総動員し、痕跡を探しながら追いかけてはいるものの、正直なところ彼女に追いつけるかは定かではない。


 しつこく探すつもりだけど、もし追いつけなかったら困るなぁ。

 けれどもボクは、すぐにその懸念が杞憂だったと知ることになった。

 というのも彼女のほうから姿を現してくれたからだ。


 ◇


 生い茂った植物をガサゴソと掻き分けながら、人影が近づいてくる。


「ルィンヘン!」


 現れたのは逃げた彼女だった。

 もう遠くまで行ってしまったかと思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。


「……ああ……無事だったのね⁉︎」


 少女が駆け寄ってきた。

 目いっぱい両腕を広げ、細い身体でギュッと抱きついてくる。


「……良かった。本当に良かった……」


 顎を引いて胸のなかの少女を眺めた。


 捕まえた。

 まさか自ら飛び込んでくるとは。

 ボクはまるで巣を張りめぐらせた蜘蛛のような気持ちだ。

 だとすると彼女は罠かかった蝶だろうか。


「すごく心配したのよ? ねぇルィンヘン、怪我はない? あのドロドロした粘液みたいな魔物は?」


 どうやらこの子はあの男を心配して、逃げずに留まっていたらしい。

 まったく健気なことである。


「怪我はないのよね?」


 少女が目を凝らしてボクを観察する。


「……ん、えっと、……あれ?」


 何か違和感を覚えたのだろうか。

 首を傾げて不思議そうにしている。


「……あれ? あ、貴方、ルィンヘン、なのよね?」


 もしや擬態が見抜かれたのだろうか。

 ボクは少し心配になったものの、脳裏に浮かんだ不安を即座に否定する。

 だってボクの擬態は完璧だ。

 完全にあの男の姿を再現している。

 だからそう易々と見抜かれるはずがない。


 しばらくすると、少女が勝手に納得してくれた。


「あ、あはは。変なこと言ってごめんなさい。ちょっと暗くて、貴方の顔がよく見えなかっただけだから」


 彼女の言葉につられて周囲を見回す。

 そういえばここは、樹海のなかでもほとんど陽が差さない辺りだ。

 きっといま彼女にはボクのシルエットくらいしか視えていないだろう。


 そんなことを考えていたボクは、ふと自分に起きたとある変化に気付いた。


 待てよ?

 言葉がわかる!


 この女が何を喋っているのか、理解できるのだ。

 これはもしや、あの男を喰った影響だろうか。


「とにかく移動しましょう。ここでじっとしているのは危険だわ。またあのドロドロの魔物に襲われるかもしれないし」


 やはり言葉が理解できる!


 素晴らしい。

 姿だけでなく言語まで与えてくれるとは、なんと素晴らしいことか。


 ありがたい。

 これは実にありがたい。

 ボクは反抗的だったあの男に、今更ながら深く感謝した。


 ◇


 感動に打ち震えるボクに少女が話しかけてくる。


「ル、ルィンヘン? ブルブル震えてどうしたの?」


 そうか。

 この姿のもとの持ち主だった彼は『ルィンヘン』という名前だったのか。

 ありがとう、ルィンヘン。

 ボクは彼の名前もありがたく頂戴することにした。


「ねぇルィンヘンってば! さっきからずっと黙ったままだけど、ホントにどうしたのよ?」


 喋らないのは、つい先ほどまで言葉が分からないと思っていたからだ。

 しかし言語は習得した。

 とは言え、話す前に少し発声練習がしたいし、会話内容からボロが出てもいけない。


「……あ! もしかして喉を怪我しているの⁉︎」


 どうやら彼女も都合よく怪我だと勘違いしてくれたようだし、それならしばらくはこのまま黙っていよう。


「た、大変! 早く治療しないと。ともかくもう少し明るい場所にいかなきゃ。ここじゃ、治療しようにも手元がよく見えないし……」


 少女がボクの手を引いてきた。

 握られた箇所から、彼女の瑞々しい肌と柔らかな手のひらの感触が伝わってくる。


「さぁ行くわよ、ルィンヘン。里に帰るのよ」


 ほう、里があるのか。

 それは良いことを聞いた。


「早くこの場を離れましょう。ぐずぐすしていると、あの奇妙な泥の魔物が追いかけてこないとも限らないし」


 ボクは頷き、手を引かれるまま彼女について歩き出した。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 少女の一歩後ろについて、森を歩く。

 やがて暗がりを抜け、周囲が少し明るくなってきた。


「…………」


 少女は無言になっていた。

 さっきまで、あれほどボクを心配して声を掛けてきていたというのに、どうしたのだろう。

 自然と歩みも遅くなっている。


「…………」


 黙々と歩く。

 里とやらはまだ先なのだろうか。

 まぁ彼女のようなか細い女の足で向かえる場所なのだから、そう遠くはないと思うのだが……。


 いずれにせよ楽しみだ。

 里というからには、大勢の人間が暮らしているに違いない。

 もしその集落の輪に溶けこむことが出来れば、ボクはこの身を苛む孤独を癒せるかもしれない。


「……え、えっと……」


 ふいに少女が呟いた。


 立ち止まり、恐る恐るといった様子で背後のボクを振り返る。

 はて?

 どうしたのだろう。


「……ね、ねぇ、ルィンヘン? 変なこと聞いていいかしら? ぁ、貴方は、本当に、ルィンヘンなのよね?」


 まただ。

 さっきも同じ確認をされたが、実はもう正体を見抜かれているのだろうか?


 ボクは内心でかぶりを振る。

 いや大丈夫のはずだ。

 だって繰り返し確認した。

 擬態は完璧のはずだ。


 それに姿だけでなく振る舞いにしたって、ボクはずっと黙って彼女と一緒に歩いていただけだから、口調や話題から疑念を持たれた訳ではないだろう。

 なら大丈夫。


「ご、ごめんなさい。私ってば、おかしわよね? ルィンヘンはルィンヘンに違いないのに」


 やはり見抜かれている訳ではなかったらしい。

 ならこのまま騙し通したい。


 ここまで歩きながら少女の話を聞いていて、理解した。

 どうやらはこの娘はルィンヘンに思慕を寄せている。

 恋愛対象として見ているのだ。

 そしていまは、誰あろうこのボクがルィンヘンである。


 ボクは、彼女の愛を受け入れてみせよう。

 ボクは、ボクを苛むこの孤独を癒せるのならば、是非とも彼女と番いになりたい。


「あ、あはは。おかしいわよね? 自分でもおかしいって。そう思うんだけど、……で、でもね? どうしても、気になっちゃって……」


 黙って耳を傾ける。


「……ねぇ、ルィンヘン? あのね? ……ぅ、腕の怪我は? 右腕にあったでしょう? 貴方が私を助けてくれた時に負った傷。私達を繋いでくれた、大切な傷……。あ、あの傷跡は、どうしたの……?」


 言われて気付いた。

 そう言えば、この姿のもととなったあの男は、まるで歴戦の傭兵みたいに全身が古傷だらけだった。

 なかでも特に、右手の甲から肘にかけて、大きな傷跡のようなものがあったように思う。


 ボクは擬態した自分の右腕を見つめた。

 そこには傷ひとつついていない。


 ああ、なるほど。

 またボクの能力について、ひとつ判明した。

 ボクの擬態は生来の外見を完璧に似せることは出来ても、例えば後天的に負った傷跡などは再現できないのか……。

 これは盲点だった。


 ◇


「…………」


 押し黙ったままのボクに、少女が懇願するかのように問い掛けてくる。


「……お願いよ、何とか言って……。ねぇ、ルィンヘン。右手の傷は? 貴方は、ルィンヘンなんでしょう?」


 これはまずい。

 何とかして騙し通せないだろうか。

 ともかくボクは、笑みを浮かべてみることにした。

 両目を半月状にし、口角を釣り上げてピエロみたいな笑みを浮かべる。


「――ッ⁉︎」


 少女が息をのんだ。

 かと思うとすぐに、だだをこねる子供のように頭を激しく左右に振り始める。


「……ち、違う……。そんなんじゃない……。ルィンヘンは、そんな風には笑わない……!」


 失敗した。

 どうやらますます疑念が深まってしまったようだ。

 けれどもまだボクは諦めない。

 どうにかして彼女の心を繋ぎ止められないだろうか。


 考える。

 前世では好きあった男女は告白を通じて番いになった。

 幸いこの娘はルィンヘンを愛している。

 なら彼の姿に擬態したボクから愛を告白をすれば、彼女と番いになれるのではなかろうか。


 よし、告白してみよう。

 ものは試しだ。


「……ア、……ア……アイ、……愛シテ……マス……」


 声を出すのは随分と久しぶりだった。

 そのせいなのか、はたまた擬態したこの姿の発声器官が完全でないせいなのか、発したボクの声は妙に甲高くて耳障りなものだった。


「……ぅ、ぅう……」


 少女が瞳からぼろぼろと涙をこぼした。

 これは告白が受け入れられたと言うことだろうか。

 彼女からの返事を待つ。


「……違う……。違うよぉ……」


 少女が泣きじゃくる。

 両目から次々と大粒の涙をこぼし、しゃくり上げ、鼻をすすりながら泣き続ける。


「そんなんじゃない……ルィンヘンは、そんなこと言ってくれない……。いくら望んでも、言ってくれない。なのに、なのに、どうして……!


 ボクは思った。

 これはもうダメだ。

 この少女とはこの先ずっと仲睦まじく生きていきたかったが、もうすでに手遅れだ。

 完全に不信感を持たれてしまった。


 少女が怯えを孕ませた瞳で、不安げに見つめてくる。

 ボクも見つめ返す。

 やがてボクは目元は無表情のまま、口元だけでニィッと嗤った。


「――ヒッ」


 不気味な笑みに、彼女が小さく悲鳴を漏らす。

 ボクは笑顔のために持ち上げた口角を、さらに持ち上げていく。

 唇が横に裂けた。

 さながら今のボクの顔は、口裂け女のようだろう。


「……ぁ、ぁぁ……」


 少女が瞳に絶望の色を灯した。


「……貴方は……ルィンヘンじゃ、……ないのね……?」


 こくりと頷いてみせる。

 ボクは彼女の目の前で、さらに大きく、口を裂いていく。

 少女が固めた小さな拳を、自身の心臓の上において息を荒げだした。


「……はぁ、はぁ、……ルィンヘンは、どうしたの……?」


 知りたいなら教えてあげよう。

 裂けた口で応える。


「……ク、……喰ッ、タ……」


 彼女の瞳が絶望の色に染まった。


「……た、食べ……た? ルィンヘンを……? そ、そんな……」


 一拍の間を置いて、目の前の少女がまた泣きだした。


「ひ、ひぐっ、そんなことって……。ひ、酷い。ぅ、うええ。酷いよぉ……」


 自分の胸に当てていた小さな拳で、今度はボクの胸をトントンと叩いてくる。


「……ぅええ、返して……。返してよぉ」


 この少女は正体を晒したボクが怖くないのだろうか?

 逃げもせず、無防備なまま叩き続けてくる。


「……ひっく、返して……。ルィンヘン、返してよぉ……。わ、私には、ルィンヘンしかいなかったのに。ルィンヘンだけだったのに。独りにしないで、ぅぇえ……」


 そうか。

 ボクは理解した。

 この少女は、いま独りになったのだ。


 ボクにはわかる。

 ボクだからこそわかる。


 孤独とは何よりも辛いものだ。

 それは死の恐怖すら上回るほどに恐ろしく、忌むべきものだ。

 その耐え難い苦痛に、いま、目の前の少女は捕らわれてしまった。


「……嫌だぁ……嫌だよぉ……。ルィンヘン……ルィンヘン……。返してよぉ、ぅええ……」


 泣きじゃくる彼女を眺めた。


 ……可哀想に。

 心底そう思う。

 はやく楽にしてあげなければならない。


 ボクは横に広げていた唇を今度は縦方向にも広げ、顔全体を口にして、開花する花びらみたいに大きく開いた。

 孤独に捕らわれた少女の頭部に齧り付く。


「――ひぐっ⁉︎」


 彼女が小刻みに震えているのを感じながら、頭の半分ほどを噛み切った。


 もうひと口、齧る。

 そのまま持ち上げると、だらんと弛緩した少女の白い身体が、一度だけびくりと大きく痙攣した。


 噛み切った頭部をぐしゃりと咀嚼したのと同時に、頭部を失った胴体が落ちる。

 地に赤い血溜まりが広がっていく。


 死んだ。

 だがこうするしかなかった。

 孤独というの恐怖に囚われてしまった彼女に、ボクから与えられる慈悲はこれしかなかったのだ。


 足下に視線を落とし、首無しになった少女をじっと眺める。

 赤い血に塗れている。

 食欲が刺激された。

 ボクは擬態を解いて泥の姿に戻り、悲しみから解放されたばかりの彼女を溶かして、余す事なく平らげた――

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