第9話 仲間に……

 捕まえた男を観察する。


 無造作に短く切ったアッシュグレーの髪に、浅黒い肌と筋肉質で逞しい体つき。

 全身に多くの古傷が刻まれていて、まだ二十代そこらの容姿に見えるというのに、まるで熟練した歴戦の勇士といった雰囲気を纏っている。

 ちなみにイケメンだ。


 ともかくようやく見つけた人間である。

 ボクは何とかしてこいつと仲良くなろうと、さっきからずっと、ひたむきに努力を続けていた。


 具体的にはまず彼の警戒心を解くべく、以前捕食したことのある四本腕のサル型生物に擬態しながら、目の前でコミカルな動きのダンスを披露していた。

 まぁ、ぶっちゃけヒゲダンスである。


 コミカルでリズミカルに踊ってみせる。

 しかし反応はない。


『…………』


 男は笑うどころか、無言のまま厳しい目つきでボクを睨み付けたままだ。

 これはかつて、日本全国のお茶の間を笑いの渦に巻き込んだパフォーマンスだというのに、ぴくりとも笑わないとは。

 まったく、前途多難である。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 数時間が経過した。

 まだ男の警戒は解けない。


 ところでこの人には、さっきからの短い時間で幾度となく逃走をはかられた。

 その度に阻止はしたが、こういうのは少し疲れる。

 さて、どうしたものか。

 

 きっとこの人はまた逃げ出そうとするのだろう。

 縄状になったボクの分裂体に縛り付けられ、地に転がっている彼を眺める。


 ……そうだ。


 逃げられないよう、足の健を切ってしまおうか?


 うん。

 それがいい。

 

 健を断てば彼はこの先歩けなくなるだろう。

 けれどもそこは何も問題ない。

 多少身体に不自由が生じたとしても、仲間になったボクがしっかりと介護してあげれば問題はないのだ。


 いや待てよ。

 介護だろう?

 つまり感謝される行いである。

 ボクはきっと、歩けなくなった彼を献身的に補助すると思う。

 となると介護を通じて、ボクと彼の間にある種の絆が生まれる可能性がある。

 いや、生まれるに違いない。


 素晴らしい。

 これは妙案だ!


 そこでボクはさらに思い付いた。

 健を切るだけで良いのか?

 ボクからすれば障害はなるべく重いほうが補助のしがいがあるし、介助される側もより一層深い感謝を抱くだろう。

 なら健を断つだけでは足りない。


 そうだな……。

 左右の足首を切り落としてしまうくらいが、ちょうど良い塩梅だろうか。

 うん、そうしよう。


 ボクはさっそく最高の思い付きを実行するべく、身体から刃の触手を二本生やした。

 倒れ伏した男の両足を目掛け、躊躇なく振り下ろす。

 刃がサクッと骨ごと肉を断ち、彼の両足首が切断された。

 鮮血が噴き出す。

 

『ぐぁぁっ!』


 男が苦悶に喘ぐ。

 歯を食いしばり、口の端から泡を噴きながら大量の汗を流している。


『……ぐ、ぐぎぎ……』


 可哀想に……。


 激痛に耐える彼の姿は、不憫で見るに堪えない。

 ボクはすぐさま小さな分裂体をふたつ作り、彼の足首にくっ付けて止血してあげた。

 ついでに鎮痛剤を生成して注入し、彼を襲う痛みをひとつ残らず取り除く。

 この人は、これからボクの仲間になる相手なのだ。

 だったら優しくしないといけない。


 ふと眺めると、激痛から解放された彼は、焦燥したまま気を失っていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その後も気絶から回復した彼に、丸一日に渡り、昼夜を問わず猿に擬態した姿でおどけて見せる。


 すると一日後、ようやく少し心を開いてきたのか、男が重苦しく口を開いた。

 疲れた顔で枯れた声を聞かせてくる。


『……俺を、どうするつもりだ。何故すぐに殺さない。こうしてなぶり続けてから殺すつもりか』


 何を言っているのだろうか?

 ボクにはこの世界の言語がわからない。

 これは困った。

 どうしたものかと悩んでいると、男が急に突飛な行動に出た。

 服の内側に隠し持っていた短刀を引き抜き、襲い掛かってきたのである。


『――おおおおおおッッッ!』


 すごい気迫だ。

 まさか両足首を切り落としたというのに、こうも素早く動けるなんて油断した。

 避ける間もなく、ざっくりと首を裂かれる。


『……はぁ、はぁっ! や、やったか?』


 真っ当な生き物が相手なら、いまので勝負ありだっただろう。

 だがボクには何のダメージもない。

 そりゃそうだ。

 猿に擬態しているとは言え、ボクの身体は本質的に粘液なのである。

 こんなチンケな短刀でちょいと斬られたところで、怪我なんて負うはずがない。


『……ば、化け物め! まさか、首を断たれても死なんとは……』


 男が驚く。

 ボクは内心でため息をつきながら、彼の手から短刀を奪い取って、お返しにぶすりと腹部に突き刺した。

 ぐりぐりと深くねじり込む。


『……ぅぐっ⁉︎』


 これは反抗的な態度に対する仕置きだ。


『かはっ!』


 吐血した男が、苦悶に顔を歪めながら崩れ落ちた。

 腹から真っ赤な血を流し、全身からは大量の汗を吹き出させている。

 自業自得とはいえ、惨めな姿である。


 その様を眺めながら、考えた。

 この男、態度が悪すぎだ。

 ボクはこんなにも友好的に接しているというのに、いくらなんでもいきなり殺しに掛かってくることはないだろう。


 こうまで反抗的となると、仲間とするのはちょっと難しいかもしれない。

 けれども今のところ、この人以外にボクの仲間に出来るような知性を持った生き物にアテがない。


 ん、違うな。

 ああ、そういえば……。


 ボクはこの男と一緒に、もうひとり金髪の少女がいたことを思い出す。

 ボクを魔法で攻撃してきたあの女だ。

 仲間にするなら、あっちだろうか。


 そうだな。

 そうしよう。

 そっちの方が楽そうだ。


 ならこの男はどうしよう。

 ボクは考える。

 …………喰ってしまおうか。


 倒れ伏し、歯を食いしばって腹部の痛みを堪える男を見下ろす。

 こいつはようやく見つけた人間だし、食べてしまうのは少々勿体ないようにも感じるけれど、なぁにこの男がこの異世界のアダムという訳でもあるまい。


 男女あわせて二人も人間いたからには、探せば他にもいるに違いないのだ。

 ならこの個体だけをそこまで丁重に扱い続けることもないだろう。


 さて、そうと決まれば――


 ボクは一計を案じた。

 この男を喰って、姿を拝借しよう。

 そして擬態してから、あの女と合流するのだ。


 推測するにこいつらは、仲間なのだと思う。

 この男が逃げていくあの女を、身を挺して庇ったことからもそうは確かだ。

 いやそれどころか、ふたりはつがいだったりするのかもしれない。


 だとするなら儲けものだ。

 うまくすれば、ボクはこの男になり代わり、仲間としての絆どころか、番いとしての愛情すら労せずあの女から得ることが出来るかもしれないのだから。

 そうなれば、この身を苛む孤独ともおさらばである。


『……ぐ、ぅぐ……。死んで、たまるか……』


 男が生き汚く這いずりながら逃げようとしている。

 まったく、こいつは。

 そうまでしてボクから逃れたいのだろうか。

 ボクがどれだけ心を砕いて接してきたか、少しも理解しようともせずに。


 彼の失礼な態度にわずかばかりの腹立たしさを感じながら、ボクは猿の擬態を解いた。

 ドロドロした粘液に戻る。

 そして這いつくばる男に背中から纏わりつくと、早速衣服を剥がしてその身体だけを溶かしていく。


『……ぐぁっ! ……やめろ! 俺は、死ねないっ。プレナ、リェル。……お前と、この先もずっと……』


 肌が溶け、脂肪が溶け出す。

 次いで筋肉や内臓が溶けて、白い骨が剥き出しになる。

 少しすると、その骨も溶けた。


『……俺は、……お、前を……』


 声も、想いすらも、みな虚無へと溶け出して、ボクの体内に飲み込まれていく。

 そうしてやがて、男のすべてが泡のように消え去った。

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