第8話 遭遇

 蟻の巣を滅ぼして地上に戻ったボクは、今後の方針について考える。


 さて、これからどうしようか。

 孤独から逃れるため、知性ある生物を仲間にしようと決めたまでは良いが、そんな生き物が都合よくこの樹海にいるとは限らない。


 前世ではイヌやネコ、サルやイルカなんかが比較的知能の高い動物だったけれども、それらとて知性を獲得しているとはとても言えない。

 長い地球史において、知性を得た生物なんて人間くらいのものだったのだ。


 ふと思う。

 そういえば、この世界って人間はいるのだろうか。


 ……緩やかにかぶりを振った。

 いや厳密にはショゴスたるボクにかぶりなどない。

 だから代わりにぶるぶる震えた。


 ともかく人間についてだ。

 ボクはこの異世界にも人間が存在していて欲しいと願っている。

 けれどもこれは、正直なところ望み薄だろう。

 ここは地球ではない。


 人間は猿から進化して知性を獲得した生き物だが、進化とは環境に大きく左右されるものだ。

 ダーウィンの進化論など持ち出すまでもなく、そんなことは前世では常識だった。

 なら地球と環境の異なるこの世界で、人類の誕生なぞは望めまい。


 それに、よしんばこの世界に猿が人間に進化する条件が整っていたとしても、時代が違えば生息する生き物も変わる。

 見た感じ、ボクが転生したこの樹海は、大樹やシダ系植物だらけでジュラ紀なんかを彷彿とさせるし、だったら地球においては恐竜時代の生態系だ。

 地球でもその時代に人間などいなかった。


 いやはや、弱ったぞ。

 どうしたものか。


 ボクは触手を一本生やしてから、下あごに添えるみたいに考えるポーズを取った。


 ……んんー、あ、そうだ。


 またふと思いつく。

 なんとなく恐竜時代という単語から連想したのだ。


 恐竜といえば、竜、ドラゴンである。

 たしか前世で昔観た映画『ネバーエンディング・ストーリー』では、ファルコンという名の、知性を持ち会話すらこなすドラゴンが登場していた。

 もしかすると、この異世界にもあの様な不思議な幻想生物が存在しているかもしれない。


 別に人間やドラゴンでなくとも、知性さえ備えておりボクの孤独を癒やしてくれるのであれば、『E.T.』でも『グレムリン』でも何だっていいのだ。

 なら諦めるのはまだ早い。


 よし。

 いっちょそういう生き物を探してみようか。

 思い立ったボクは、即座に行動を開始した。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ………………


 …………


 ……ひと月ほどが経過した。


 この世界にこよみなんてものがあるのかは知らないが、体感的にはそれくらいの時間が流れたと思う。


 あれからボクは、ずっと知性ある生物を探し続けている。

 だが結果は芳しくなかった。

 この大樹の森には多種多様な動植物が存在していたが、どれもこれもボクの仲間になり得るほどの知性を兼ね備えてはいなかったのだ。


 まだボクはひとりきり。

 その事実に、寂しさに、心が凍てついていく。

 孤独は嫌だ。

 絶対に嫌だ。


 だがこのひと月で、別方面の成果はあった。

 それはショゴスたるこの身の能力についてだ。


 いくつか判明したことがある。

 なんとボクは、分裂することが出来たのである。

 これには自分自身びっくりした。


 検証してみたところ、ボクはある程度の質量を維持した核となる本体を残しさえすれば、際限なく分裂することが可能だった。

 しかも驚くべきことに、分裂体が個々に思考能力を有していた。

 とは言え元は同じ存在である。

 分裂体の各々の思考傾向は、本体とさほど変わりはしなかった。

 これでは擬似的な一人脳内会議なんかはとても無理だ。

 また分裂体は基本的に本体の命令に従うため、多数に分かれたとしても結局トータルとしての意識はひとつであり、分裂したボクたちは別個の個性の集団ではなく、いわば個を複製しまくった群体のようなものだった。


 残念に思う。

 もしかするとボクから分裂した複数のボクたちで社会を形成できるかもと期待したボクは、肩透かしを受けた気持ちになった。

 もしそれが叶ったなら、仲間探しの苦労から即座に解放されただろうに……。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 探索に疲れ、なんとなく蟻の巣の付近に戻ってきたボクは、食事のために大型爬虫類を捕まえた。

 体内に引き摺り込み、溶かして吸収しながら考える。

 この辺りはもう隈なく探したけれども、知的生物は発見出来なかった。


 それは仕方がない。

 だが諦めた訳ではない。

 そんな簡単に諦められるほど、ボクの孤独に対する恐怖は生優しいものではない。


 ……もっと遠くに、旅に出ようか。

 こうなれば時間が掛かってもいい。

 世界を隅々まで旅して、仲間になりうる存在を見つけ出そう。

 そんなことを思った矢先――


 ◇


「*******(……あれ? なんだろう、あれ)」


 信じられない出来事が起こった。

 どこからか、流れるような音が聞こえてきた。


 い、いまのは……⁉︎

 言葉だ!

 言葉だった!


 それはまるで、女性の発する声のよう。

 ボクは反射的に音の出元に意識を向ける。

 感覚器を兼ねた全身を聴覚に集中させて、微かな物音まで届いてくる音をあまさず拾う。


 ……いた!

 発見した!

 ふたりいる?

 そうだ、これは会話をしている?

 また聴覚を澄ます。


「*******(ねぇルィンヘン。あれが何だか分かる?)」

「*******(……いや、あんなもの見たことがないな)」


 それは紛れもなく声だった。

 というか人間だ!


 今度は全身を視覚に特化させて観察する。

 向こうもボクをマジマジと観察している。


 ああ、やはり人間だ。

 恋しかった!


 男と思わしき個体のわずかに尖っただけの耳と違って、女らしき個体の耳は極端に長く伸びている。

 ボクの知っている人間とは少し違うのか?

 でも多少の違和感はあれど、とにかく彼らは二本足で歩き、他者と言葉でコミュニケーションをとる動物。

 つまり正真正銘、人間なのだ!


 ボクは驚きのあまり、体内で溶解中だった獲物を思わずぶほっと吐き出した。

 それを目撃した彼らに緊張が走る。


『――ッ⁉︎ プレナリェル、気を付けろ! この泥は生きている! しかも他の大型生物を捕食する、肉食の魔物だ!』


 ボクには彼らの使う言語は理解できない。

 だから叫び声の内容はよく分からないが、見た感じこのふたりはボクに警戒心を抱いたようだ。

 いまにも逃げ出しそうである。


 だがそれは困る。

 彼らはようやく出会えた知性をもつ生き物だ。

 しかも人型のシルエットを持った、馴染み深い生物だ。


 きっとボクを仲間にしてくれる。

 ここで逃す訳にはいかない。

 なんとしてもお近づきになりたい。


 ボクは高速で思考を巡らせる。

 そしてすぐに答えを導き出した。

 どうやらこの人間たちは、未知で不気味な外見の生物であるボクを恐れ、警戒心を抱いている。

 ならまずその警戒を解かねばなるまい。

 その為には――


 ◇


 粘液状のボクの身体が、ぐにぐにと気味悪く蠢く。

 かと思うとすぐに哺乳類型の生物に変化した。

 女らしき個体が息を呑む。


『……ひぃっ』


 目を剥いてこちらを凝視してくる彼女の様子に、ボクは内心決まったと思った。

 何故ならいま擬態したこの姿は、これまで捕食してきた中で最も可愛いと思える、ウサギ型生物の似姿だったからだ。


 ふふふ。

 まさかこの愛らしい姿に警戒心など抱くまい。


『な、なに……? なんなの⁉︎ あの気味の悪い泥が、一瞬で角兎ホーンラビットになったわ。な、なんなのよこれ! ねぇルィンヘン。私たちの目の前で、一体なにが起きているの⁉︎』

『……わ、分からん。だが、まるで悪い夢でも見ているようだ……』


 おかしい。

 一向に警戒が解かれる様子がない。

 それどころか、男女はジリジリと後退りを始めた。


『とにかく、一旦、この場を離れるぞ』

『わ、わかったわ』


 ふたりが背を向けて駆け出した。

 これはまずい。

 ボクは彼らを逃さぬよう、樹々の枝に伸ばした触手を絡め、蔦を伝うターザンの要領で素早く彼らを追いかける。


『――ッ⁉︎ お、追ってくるわ⁉︎ しかも速い! こ、このままじゃ追いつかれる! ッて、きゃ、きゃあ! 脚がッ⁉︎』


 耳の長い女と思わしき方の個体が、蔦に足を取られて転倒した。

 やった!

 捕らえるチャンスだ。

 倒れた女に触手を伸ばすと、耳の短い男性の個体が割って入ってきた。


『くっ!』


 自らの身体を盾にして、倒れた女性を庇う。

 触手が男に絡み付いた。


『ああっ⁉︎ ル、ルィンヘン⁉︎』

『くッ!』

『私を庇って⁉︎ なんてこと……。待っていて! 今すぐに助けるから!』


 女がボクに向けて腕を伸ばした。

 広げた手のひらに、なにか威圧感を伴う力が集中していく。


『風よ! 風の矢よ!』


 女が叫ぶと彼女の手のひらで渦巻いていた力が、凝縮された空気の矢となり、周囲の風を孕みながら飛んできた。

 ボクにぶつかる。

 ポスっと軽い音がして、ウサギに擬態した身体に小さな穴が穿たれた。


『よし、穴があいたわ! 効いている! ルィンヘンを離しなさい! 風の矢!』


 立て続けに風が飛ばされてくる。

 何度も、何度も。

 それらがボクに当たるたびに、この身にポスポスと無数に穴が穿たれていく。


 これはおそらく魔法だ。

 そう、この異世界には魔法が存在していた。

 だがこうして、人間が魔法を行使するのを目にするのは初めてだ。

 ボクは感心した。

 けれども今更驚くには値しない。


 というのもここは地球と異なる異世界。

 だから何が起きても不思議ではないし、加えていうとボクがこれまで対峙した獣のうちには、こういった魔法を使う相手がいて、そんなヤツらを既に何回も捕食してきたからである。

 つまり魔法については、もう一頻り驚いたあとなのだ。


『えやぁ! 風よ吹け! 風の矢よ!』


 ボクは黙ったまま魔法を受け続ける。

 とは言えダメージなど少しも負っていない。

 退屈であくびの出そうな攻撃だ。

 そうしているとやがて疲労したのか、女はボクを攻める手を休めた。

 もう諦めてくれたのだろうか。


『……はぁ、はぁっ。ど、どう? これ以上痛い目にあわされたくなければ、大人しくルィンヘンを離しなさい! さもないともっと酷いことになるわよ!』


 女は息を切らしながらも、厳しい表情で威嚇してくる。

 どうやら諦めた訳ではなく、ボクに手傷を負わせたと勘違いしているらしい。

 そんな彼女の目の前で、ボクの身体に穿たれた沢山の穴がみるみると再生していく。

 女が驚愕した。


『ま、まさか、あれだけ攻撃したのに効いていないの⁉︎ なんてこと……かくなるうえは……!』


 女がより強い力を周囲から集めはじめた。

 彼女の全身から、これまでとは比較にならないほどの強烈な威圧感が発せられる。

 と言ってもこんなもの、ボクにとってはそよ風みたいなものだ。

 ボクは捕らえた男を掴んだまま、落ち着いて女の次のアクションを待つ。

 しばしの時間の後、集中を終えた彼女がキッと睨みつけてきた。


『はぁぁぁっ! いけっ竜巻!』


 彼女が叫んだ瞬間、凄まじいまでの暴風が辺りに吹き荒れた。

 渦巻く風が辺り一面を囲み、内部で発生した鎌鼬かまいたちが、間断なく四方八方から襲い掛かってくる。


 ふぁ⁉︎


 ボクは焦った。

 この女、考えなしだ!

 仲間を捕らえられた状態で広範囲に魔法を放つなんて、ボクはともかく一緒に仲間の男まで殺すつもりか⁉︎


 さては頭に血がのぼっているな?

 仕方がない。


 ボクはウサギの擬態を解き、粘液状の身体を薄く広げ、男を守るようにすっぽりと覆ってから硬化した。

 矢継ぎ早に遅いくる風の刃を弾き飛ばしていく。


 ◇


 竜巻が止んだ。

 周囲では巨木が薙ぎ倒され、刻まれた枝や岩なんかが散乱している。

 なかなかの威力の魔法だった。

 しかしやはりボクは無傷である。

 金髪の女はわなわなと肩を震わせ、そんなボクを慄きながら眺めている。


『……そ、そんな……。い、いまの魔法で、手傷のひとつも負わせられないなんて……』


 女がごくりと生唾を飲み込んだ。


『……ば、化け物……』


 女が戦意を喪失した。

 だらりと腕を下げ、構えをとく。

 するとそれまでずっと沈黙したまま、油断なくボクから逃げる機会を伺っていた男が叫んだ。


『プレナリェル! 逃げろ、逃げてくれ!』


 硬化したボクに全身を覆われて、逃げることを諦めたのだろう。

 静かだった男は、さっきまでと打って変わって必死に声を張り上げる。


『俺のことはいい! 早く逃げろ!』

『で、でもっ!』

『逃げろ! お願いだ、頼むから逃げてくれ! 俺なら大丈夫だ! 必ずあとから追いつくから、今は逃げてくれ!』


 逡巡しゅんじゅんする女に、男が続けて叫ぶ。


『もうわかっただろう! この魔物はお前の手に負える相手じゃない! 最上位の力を備えた化け物だ! だが俺一人ならなんとかしてみせる! だから頼む! プレナリェル、お前は後ろを振り返らずに、いますぐ真っ直ぐに逃げるんだ!』


 何かすぐ目の前で必死なやり取りがなされている。

 というかこの状況はなんだろう。

 まさかボク、悪者になってる?

 えっと、ボクはただ、このふたりに仲間になって欲しいだけなのに……。


『で、でもっ! やっぱりわたし……!』

『言うことを聞いてくれ! この際だから言ってやる。お前は足手まといなんだ! お前は邪魔だ! けれども俺ひとりなら絶対になんとかしてみせる! 俺は死なない! だからプレナリェル! 今だけは言うことを聞いてくれ!』


 女が何度も躊躇するそぶりを見せる。


『逃げろ! 逃げてくれ!』


 だがやがて女は、男の剣幕に背中を押されるようにしてこの場を離脱した。

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