エルフ

第6話 限界集落

 ハクアの樹海と呼ばれる大森林の奥に、見目麗しいエルフたちの暮らす里がある。

 その里のとある屋敷で、いま、ひとりのハーフエルフの青年が、族長に頭を下げていた。


「……ふんっ」


 青年とは異なり純血のエルフである族長が、吐き捨てるように鼻を鳴らす。

 青年に向ける視線も、汚物でも眺めるかのように忌々しげだ。

 そのおさが、目の前で膝をつきながら傅く彼を見下ろして口を開いた。


「……森に棲まう巨大蟻ギガントアントが、みな一様に姿を消した。噂は耳にしているな」


 青年が視線を伏せたまま、コクリと頷く。


「なら話がはやい」


 族長が冷酷な口調で告げる。


「ルィンヘンよ。貴様、かの凶悪な蟻たちがなぜ姿を消したのか、森に潜ってその原因を探ってくるのだ」


 ルィンヘンと呼ばれたハーフエルフの青年が、わずかに身体を強張こわばらせた。

 その反応に長老が苛立つ。


「……返事はどうした? まさかとは思うが、嫌などとは申さぬだろうな? いや言わせぬぞ。穢れた人間ヒューマンの血が混じった半端者のお前を、今日まで育てて来てやった恩。まさか忘れたとは言わせぬ」


 俯いたままのルィンヘンが、気付かれないよう小さくため息をついた。

 これもいつもの事だ。

 このエルフの里ではなにか事件が起きる度に、危険な役割は自分に回されてくるのである。

 過去の経験から十分過ぎるほどそれを承知していたルィンヘンは、諦め混じりに首を振った。

 感情の籠らない声で応える。


「……分かりました。では俺が行って調査をしてきます」

「うむ、うむ。それで良いのだ。よろしく頼んだぞ」


 ルィンヘンの返事に気を良くしたエルフの族長が、うんうんと満足げに頷いた。

 続けて話す。


「では早速今日にも出立するがいい。念を押すが、自らのことよりも、この里に及ぶやもしれぬ危険を第一に考えて行動するのだぞ?」


 なんとも身勝手な言い分である。

 しかしルィンヘンは反論しない。


「わかったな? しっかり原因を見定めて、正確な情報を素早く持って帰れ。貴様の調査が遅れれば遅れるほど、高貴な我が同胞たちに危害が及ぶやもしれぬのだ。それを肝に銘じていけ」


 族長の態度からは、里のためなら彼など死んでも構わないという考えが、ありありと滲み出ていた。

 しかし混血児であるルィンヘンにとって、こんな理不尽はもう慣れたものだ。


「……すぐに出発します」


 さも当然とばかりに頷き返した彼を一瞥すると、ルィンヘンはそれ以上なにも語らず屋敷を後にした。


 ◇


 里の外れにあるみすぼらしい掘立て小屋(ここが彼の住まいではあるのだが)に戻ったルィンヘンは、出発の準備を整えながら考える。


 巨大蟻ギガントアント

 それはハクアの樹海に数多あまた棲息する凶悪な生物のなかでも、特に危険度の高い魔物だ。


 個々の大きさは成人のエルフと同程度。

 魔物としては決して大柄ではない。

 だが巨大蟻の膂力りょりょく咬筋力こうきんりょくは、並の魔物の比ではなく、かつ硬い外殻で身体が覆われている。

 その分厚い殻はどんなやじりも魔法も弾き飛ばすのだ。

 それは弓の名手が揃ったエルフの里において、なお比類なきルィンヘンの強弓とて例外ではない。


 戦力を分析するなら、蟻一匹に対して熟練のエルフの戦士が三人でようやく拮抗できるという具合だろう。

 巨大蟻の戦闘力とは、それほど抜きん出たものなのである。


 しかもだ。

 単体でも強力で凶暴な巨大蟻の真の恐ろしさは、その群れにあった。

 蟻とは社会性昆虫の代表格だ。

 常に複数からなる集団で行動し、個々の危険よりもまず群れの存続をなによりも優先する。

 敵対したが最後。

 殺しても殺しても一切怯むことなく、冷徹に、かつ無限に湧くかのごとく次から次へと大挙して襲い掛かってくるのである。

 ルィンヘンはそんな蟻の脅威をただ想像するだけで、身の毛がよだつ思いがした。


 ◇


 ところで巨大蟻は時折、巣を捨てて引っ越しをする習性をもつ。

 新たな女王蟻の誕生にあわせてのことか。

 はたまた巣に何らかのトラブルが起きてのことか。

 詳細は定かではないものの、引っ越しをするのだ。


 かつて巨大蟻たちがハクアの樹海を抜けて、大陸辺境の人間ヒューマンの国のすぐそばに新たな巣を作るという事件があった。


 当時の人間たちはさぞや焦ったことだろう。

 実際に被害も甚大なものだったらしい。

 定期的に巣穴から湧き出てくる蟻どもに、村や町の住民が幾人も攫われる。

 さらには行動範囲を広めた蟻はやがて、都にまで出没するようになった。

 人間の小国も軍を起こして蟻退治に動いたものの、結果は惨憺たるものだったようだ。

 結局、最後にはその小国は巨大蟻との戦いに敗れ、滅亡してしまった。


 ◇


 これはかの蟻どもの恐ろしさを端的に表したエピソードである。

 そしてエルフの族長は、里が亡国と同じ憂き目にあうことを恐れている。

 だから彼は、危険な蟻たちの巣食っていたテリトリーに、薄汚れた混血の自分を向かわせて、情報を得たいと思っているのだ。


 そんなことを考えながら旅支度を終えたルィンヘンが、小屋から出る。

 すると、ちょうど彼を訪ねてきていた人物と遠目に目があった。


「ルィンヘン!」


 それは美しいエルフの少女だった。

 心配そうに眉尻を下げた彼女は、小走りで駆け寄ってきたかと思うと、早口で捲し立てる。


「良かった、まだ出発してなかったのね。それより聞いたわよ! 行っちゃダメ! 巨大蟻ギガントアントの巣穴の辺りは、ハクアの樹海の中でも特に立ち入りを禁止された危ない場所じゃない! なのに、そんな場所にルィンヘンをたったひとりで向かわせようだなんて、御父様ったら酷いわっ。貴方の安全のことなんてまったく考えていない。とんでもない人でなしよ! いいこと? 私が御父様を説得するから、貴方は早まった真似をしないこと!」


 ルィンヘンは苦笑しながら、少女の名を口にした。


「落ち着け、プレナリェル」

「なによ? 落ち着け? 落ち着けですって⁉︎ 私は十分に落ち着いてるわ! 落ち着きながら、でも冷静に怒ってるの!」


 どこが冷静なんだか。

 それに結局、怒ってるんじゃないか。

 ルィンヘンは口には出さず、ただ苦笑いを深めながら目の前の彼女を眺めた。


 生粋のエルフらしい輝く金の髪。

 白磁のように透き通ったきめ細やかな肌に、美しい紺碧の瞳。

 容貌にしても美形だらけのエルフ族にあって、なお優れている。

 いまは目を釣り上げて怒ってはいるものの、本来の彼女には笑顔こそが良く似合う。


 エルフの母よりも人間ヒューマンの戦士だった父方ちちかたの特徴が色濃く出た、無骨な彼とは大違いなのである。


 ルィンヘンはプレナリェルを眺めながら思う。

 この花と太陽の名を冠されたまばゆい少女は、エルフ族、族長の娘だ。

 しかし長と異なり、混血の自分にも優しい。

 選民思想にまみれたあの族長の子に、こんな真っ直ぐな瞳の心優しい少女が生まれたなんて、奇跡としか言いようがない。


「……ィンヘン? もう、ルィンヘンってば! また上の空! 貴方ってばいつもそうなんだからっ。ちゃんと私の話を聞きなさい!」


 物思いに耽っていた意識が引き戻される。

 そして彼は、不満を露わにするプレナリェルに向けて、自然と柔らかな笑みを向けた。


「な、なによその顔は。ふ、ふんっ! そ、そんな風に優しく笑っても、誤魔化されてあげないんだから……!」

「ふふ。そうか、それは残念だな」

「そ、そうよ! とにかく危険な調査になんて、行っちゃダメだからね!」


 ルィンヘンが普段のいかめしい表情に戻る。


「……そういう訳にはいかない。俺は、ハーフエルフであるこの身を見捨てずに育ててくれた里に、恩を返さなくちゃいけない」


 プレナリェルが呆れたようにため息をついた。


「……ねぇ、ルィンヘン。貴方は里が自分を育ててくれたって言うけど、そんなの当たり前のことなのよ? だって貴方は私たちの仲間じゃないの」


 いや違う。

 混血の彼に分け隔てなく接するのは、プレナリェルだけなのだ。

 だからこそ、彼女の発した偽りのない本心からの言葉が、ルィンヘンの胸に暖かく染み入っていく。

 彼はその温もりを感じながら、自らに課した誓いを新たにした。

 自分は里に、引いてはプレナリェルのために尽くす、と。


巨大蟻ギガントアントが姿を消した件については、遅かれ早かれ誰かが調べる必要がある」

「そ、それはそうかも知れないけど、なにも貴方ひとりを危険な目に遭わせなくても……」

「ありがとう。お前は優しいな」


 ルィンヘンが大きな傷跡の残る右手を、少女の頭に乗せた。

 プレナリェルがわずかに赤面する。


「でも俺なら大丈夫だ」

「そんな……。あ、そうだ! 良いことを思いついたわ。私も一緒に行けばいいのよ! そうよ、それがいいわ! 待ってて、すぐ御父様の許しを――」

「ダメだ」


 きつい口調で言葉が遮られた。


「絶対についてくるな」

「嫌よ! 私も一緒に――」

「ダメと行ったらダメだ。俺は必ず無事に戻るから、お前は里で待っていろ」


 有無を言わせず言い切ると、ルィンヘンはもう話は終わったといわんばかりの態度で荷物を背負い直し、足早に里をあとにした。

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