第5話 巣穴

 来る日もくる日も、淡々とエサが運ばれてくる。


 女王蟻に扮したボクは、兵隊蟻どもが運んでくるそれを、ただ貪り食うだけの毎日だ。

 ぶっちゃけ暇である。


 本来の女王なれば、産卵という大切な役目を負っているのだろう。

 けれども所詮擬態に過ぎないこの身に、卵を産むなんて芸当は出来ない。

 まぁボクの擬態は、女王蟻が醸し出すフェロモンまで真似て合成するほど完璧なものではあるのだが、流石に産卵までは無理。

 だからこの蟻社会において、ボクに出来ることはこれといってなかった。

 完全に穀潰しである。

 そしてただ食っちゃ寝するだけの毎日に、ボクは少々飽き始めていた。


 ◇


 日課になった食事を終える。

 ボクは暇潰しがてら、今日もまた蟻たちで遊ぶことにした。

 これは近頃のボクの、密やかな娯楽なのである。


 女王姿のまま、身体の一部から触手を生やす。

 そしてボクは、今しがたエサを運んできてくれた兵隊蟻の頭にそれを振り下ろした。

 ガチッと音がして、戯れに振った刃が蟻の頭殻に食い込む。


「――ギィッ⁉︎」


 なんの落ち度もないのに前触れもなく攻撃された兵隊蟻が悲鳴を上げる。

 だかしかし、叫ぶだけでこの場から逃げたり反撃してきたりはしない。

 他の蟻たちも見ているだけだ。

 まったく薄情なことである。

 とはいえ、まぁそれも仕方があるまい。

 しばらくここで暮らしてわかってきたのだが、この大きな蟻たちの社会において、女王蟻とはどんな無茶も横暴も許されるほどに絶対的な存在なのだ。


「……ギ、ギギ……」


 理不尽な暴力で頭を半分ほどまで割かれた兵隊蟻が、ピクピクと痙攣している。

 触手にぐいっと力を込めると、サクッと気持ちのよい感触が伝わってくるとともに、刃が兵隊蟻の頭を完全にカチ割った。


「――ギャ!」


 蟻が断末魔を叫びながらその場に崩れ落ちる。

 脳漿と一緒に緑色した体液が飛び散った。


 よし!

 ついにやった!

 ボクは内心ガッツポーズだ。

 これまでは頭殻に深めの傷をつけるが精一杯だったのに、今日はついに硬い頭を真っ二つに両断できたのだ。

 ボクの力は、確実に増してきている。

 楽しい。

 ゲームみたいでとても楽しい。

 試しにもう一匹、殺してみようかな?

 自分の成長が実感できて、ボクはなんとも愉快な気分になった。


 ◇


 どうやらボクは、喰えば喰うほどに力を増すタイプの化け物らしかった。

 概念的にはレベルアップというやつなのだろうか。


 もちろん生物である以上、無限に強くなれる訳ではないだろうし、いつかは能力の上昇も頭打ちになるのかも知れない。

 だが今のところは、喰えば喰っただけ、順調にボクは強くなっている。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ――この蟻の巣を乗っとってから、もうどれくらいの時が流れたのだろうか。

 ずっと女王蟻の間にいるだけのボクにはよく分からない。


 代わり映えのしない毎日。

 しかし緩やかながらも変化はあった。

 蟻たちの個体数が、あからさまに減ってきたのだ。

 多分これは、ボクが毎日娯楽代わりに何匹もの蟻をいたぶり殺していることや、産卵していないことが原因なのだろう。

 あんなにたくさんいた蟻の群れが、いまや見る影もない。

 それに伴い運ばれてくるエサの量も減っていた。


 ボクは思う。

 そろそろここでの生活は潮時なのかも知れない。

 もともとこの蟻の巣には、いずれ来たる孤独死を回避するべく、仲間を作りにやってきたのだ。


 そう、仲間が欲しいのは孤独を癒すためだ。

 けれども現状はどうだ?

 ボクは孤独なままだ。

 蟻なんかで孤独を癒そうと考えたボクが馬鹿だったのかもしれない。


 第一、なりは大きくとも、蟻は蟻。

 こいつらには知性がない。

 いくら発達した社会性を獲得していようとも、所詮は低俗な虫ケラ。

 こんな虫どもの群れにいくら混じろうとも、ボクの孤独が癒されるはずがなかったのだ。


 そのことに思い至ったボクは考えた。

 では仲間とはなんだろう?

 少なくともこの蟻どもは、ボクの仲間にはなりえなかった。


 仲間、仲間……。


 頭を捻り、答えを導き出す。

 ボクが思うに、おそらく仲間とは、互いに絆で結ばれている存在なのだろう。

 では絆とは?

 よくは分からないが、絆とは、知性に裏打ちされて生じる何かなのではないだろうか。


 ……うん、きっとそうに違いない。

 すとんと腑に落ちた。

 つまりボクが仲間にすべきは、薄気味悪い虫ケラなどではなく、知性を備えたもっと高度な生き物だったのだ。


 ◇


 結論に至ったボクは、擬態を解いた。

 巨大な女王蟻の似姿がドロドロに溶け出し、玉虫色に光る黒い粘液状の生物へと変じていく。


 ショゴスの姿に戻ったボクが、這いずりながら女王の間を出ると、兵隊蟻たちがこちらを見とめた。

 しばしの沈黙の後、一斉に騒ぎ出す。


「ギギ! ギギギギッ!」


 何匹かが顎をカチカチと打ち鳴らし、またほかの何匹かは叫びながら襲い掛かってくる。

 しかし今更こんな雑魚どもがいくら束になってこようとも、ボクの敵にはなりえない。


 この巣に来てからというもの、毎日毎日、ただ運ばれてくる大量のエサや、いたぶり殺し続けた無数の蟻どもを喰らい尽くしてきたのだ。

 その都度レベルアップしてきた。

 いまのボクの力は、女王蟻と戦ったあの頃とは比べ物にならないほど、飛躍的に向上していた。


 落ち着いたまま、身体から無数の触手を生やす。

 それらを一息に、目にも止まらぬ速さで鞭のごとくしならせた。

 ヒュンヒュンと音を鳴らし、襲ってきた兵隊蟻どもを次々に細切れに刻んでいく。


「ギィ⁉︎」

「ギャ⁉︎」


 あちらこちらで湧き上がる断末魔を楽しみながら、刃の触手を振り抜く。

 かつてはあんなに硬いと感じていた分厚い甲殻ですら、まるで熱したバターでも割くように、いとも容易く斬り割いて回る。


 ◇


 視界に映るもの、すべてを殺し尽くした。


「……ギギ……ギ……」


 頭と胴と腹を切断され、解体された状態で痙攣していた最後の兵隊蟻を飲み込む。

 ボクが通った後には死骸のひとつも残らない。

 惨殺した蟻どもは、まだ新鮮なうちにすべて溶かして喰らった。


 さて、もう行くか。

 空っぽになった巣穴をゆっくりと進む。

 こうして巨大な蟻の巣は、我が手により死せる迷宮と化し、ボクは再び地上へと戻ったのだった。

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