第三章
第十七話「……空き部屋です」
ベッドに潜り込んだあと、俺は頭から布団を被るとスマホで調べてみた。
――犬を爆弾にって、そんな前時代的なやり方……。
ミコトの話を聞いたとき、俺は思わず鼻で笑ってしまった。
――……昔の人間も、そんなことをしてたんですか?
俺の不用意な言葉を聞いて、ミコトは失望の表情を浮かべていた。
ファンタジー小説か何かに書いてあったのを現実の話と混同したのだ。これまでの人間の歴史でそんなことは――犬や人間以外の動物を兵器として使ったなんてことはなかった。そんなことは一度もなかった。
だから、人間を――人間である自分自身をそんな風に嫌ったりするなと。明日の朝、起きてきたミコトに、せめて、そう言ってあげられたらと思ってスマホで調べてみたのだ。
笑えるくらいにあっさりと、犬や人間以外の動物を兵器として使った話が出てきた。
第二次世界大戦では犬たちが対戦車犬・爆弾犬と呼ばれて実戦で使われていたらしい。
中東では現在も人間による自爆テロの代わりにロバ爆弾が使われているらしい。
そう言えば、時代劇とかでも武士を乗せた馬がバッタバッタと倒れていく。
真偽のほどは定かではないけど、軍用イルカが一九九一年の湾岸戦争や二〇〇三年のイラク戦争で実戦投入されたなんて話もあるらしい。
つまり人間は、人間以外を巻き込んで戦争をしまくってきたということだ。失望の表情を浮かべていたミコトに、そんなことはなかったなんて少しも言えないということだ。
――だから僕は……僕を死刑に処すために、
ベッドに入る前、ミコトはそう言った。怒りを押し殺した声で。怒りを目の奥に押し込んだ表情で。
ぎんじいちゃんの〝目の前で困っているやつがいるんなら、助けてやるのは当然〟という想いを引き継ぐつもりで生きてきた。だから、ミコトが望む通りにしてやりたいと思っている。
でも、このままミコトが望む通りにしたらミコトは死んでしまう。消えてしまうのだ。
「そんなの……はい、そうですかって簡単に飲み込めるわけないだろ」
自分のベッドに入って、背中を向けてしまったミコトを見下ろして、俺はそう言った。
ミコトの目を真っ直ぐに見つめるわけでもなく。この先、俺はどうするのか、どうしたいのか、決められないまま。頭から布団を被っていて、起きているかも聞いているかもわからないミコトにそう言った。
ミコトは本当の目的を明かした。
まだ気持ちを決めきれていないとは言え、俺はミコトの目的を受け入れられないと伝えてしまった。
だから、もしかしたら……朝起きたら、とんでもないことが起こっているんじゃないかと内心、ビクビクしていた。
例えば、秋穂さんに呼び出されて藤枝邸から追い出されるとか。
例えば、去勢執行を宣告されるとか。
例えば、すでにオペ台の上で、モグリの医者がメスを構えているとか。
例えば、ミコトが姿を消しているとか――。
でも、そんなことはなく――。
「父さん、起きてください。……起きてください!」
俺はミコトに揺り起こされて目を覚ました。寝不足で重たいまぶたをどうにか持ち上げると、ミコトはいつも通りの無表情で、じっと俺の顔をのぞき込んでいた。今が何時だとか、睡眠中だとか、こっちの都合なんて一切、お構いなしで自分の要求を押し通すボス野良猫の貫禄だ。
苦笑いしながら上半身を起こして、ぶるりと体を震わせた。
「……さむっ! なんだなんだ、まだ五時じゃねえか。あと三十分は寝てられるだろ!」
ミコトは昨夜、給仕を手伝うときに渡されたメイド服姿だった。小柄なミコトに合うサイズがなかったのだろう。大きくて服に着られている感はあるけど、そこも含めて可愛らしい。
……って、ちょっと親バカ感が出てきたかもしれない。
俺は襟首をぽりぽりと掻いた。
「朝一番にやってほしいって頼まれてた仕事があるんです。父さんに言い忘れたまま、寝てしまって……」
首をすくめるミコトに俺はため息をついた。昨夜、あんなことがあったのだ。仕方がない。
「うっし! すぐに着替えるから、ちょっと待ってろ!」
ほんの一瞬、ミコトの白い髪に触れることをためらってしまった。
それでも俺は、白い髪をくしゃりとなでた。ミコトは猫のようにきゅっと目をつむった。大人しく撫でられているようすからして機嫌は悪くなさそうだ。
冬の朝。覚悟を決めて、布団から冷え切った空気へと飛び出した。
***
真っ白なつなぎに着替えた俺は、ミコトのあとを追いかけて長い廊下を歩いていた。
秋穂さんの執務室みたいな部屋も、食堂やメインで使われているキッチンも二階にある。俺とミコトが使っている使用人部屋や風呂は一階だ。
だから、三階まであがってきたのは初めてだった。
階段を上り切ると、左右に廊下が伸びていた。ミコトは左手にある部屋の前で足を止めた。
「誰の部屋?」
「……空き部屋です。中にベッドがあると思うので、そこに乗っている物を運んでほしいとのことです」
俺が尋ねると、ミコトはいつも通りの感情がこもっていない声で言った。
〝空き部屋です〟の前に妙な間があったのだけど、このときの俺は全く気にしていなかった。あれだけ、ミコトに何度も〝父さんは警戒心がなさ過ぎです〟と言われていたのに、だ。
大正風の古めかしい木のドアを開けると、中は薄暗かった。大きな窓はレースだけ閉めて、分厚いカーテンは束ねられていた。目も暗さにすぐ慣れるだろうし、日も昇り始めて窓の外も徐々に明るくなってきている。
灯かりをつけなくても大丈夫だろうと、そのまま部屋の奥に置かれた天蓋付きのベッドに歩み寄った。ほこり避けにシーツでも掛けてあるのだろうか。ベッドの上はこんもりとしている。
サイズ的には巻いてある絨毯とか、マネキン……は、さすがに普通の家にはないか。いや、藤枝家は普通の家とは言いがたいから可能性はなくはない。
何を運ぶにしても高い物じゃないといい。せめて壊れにくい物だといいな……なんて、考えながらベッドをのぞきこんだ瞬間――。
「……へ?」
俺の緩みきっていた顔が一気に強張った。
これはまずい! 相当にまずい!!
慌てて飛び退こうとして、
「いでっ!」
それより早く、ケツを思い切り蹴り飛ばされたのだった。
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