第十六話「だから僕は……過去に来たんです」

「探してないですよ、母さんのことなんて」


 ミコトはゆっくりと、はっきりとそう言った。

 相変わらずの無表情だ。でも、ミコトがボロアパートにやってきてから四日。今ほど何を考えているのかわからないと思ったことはなかった。

 白い髪の野良猫はベッドの端に座り直して、俺のことをじっと見上げた。


「探してるなんて言ってません。心当たりがないかと聞いたんです。母さんを見つけたいとも、会いたいとも言ってません」


 そうだっただろうか。……そうだったかもしれない。

 でも、だとしたら何のためにミコトは俺に会いに来たんだ? 本当は俺に、何をさせたかったんだ?

 俺の疑問に、ミコトはすぐに答えてくれた。


「父さんに、母さんの心当たりがないかと聞いたのは、母さんから父さんを遠ざけるためです。僕は父さんと母さんが出会わないようにするために。もし出会っても、仲良くならないよう邪魔をするために過去ここに来たんです」


 答えてはくれたけど、やっぱりわけがわからない。大体、おかしいじゃないか。


「俺とお前の母親が出会ったとき、雷に打たれたってお前は知ってたんだろ? だから、この避暑地に連れてきたんじゃ……」


 そこまで言って、思い出した。


 ――なんで……? 嘘、本当に打たれるんですか……!?


 雷に打たれたとき、ミコトは驚いていた。本気で動揺していた。

 母親と出会ったときに俺は雷に打たれたんだと、ミコト自身が教えてくれたのに。おかしなやつだと思っていたけど――。


「比喩だろうって。恋に落ちた瞬間を雷に打たれたってたとえたんだろう、ベタな喩えだよって。私を育ててくれたとんばあちゃんが言ってたんです。本当に雷に打たれるなんて思ってなかった。だから、人が少なそうなところに父さんを連れてきたんです」


 そういうことだったのか。本当に雷に打たれるなんて思ってなくて。だから、動揺してたのか。


「とんばあちゃんにだまされたんです、僕は」


 唇を尖らせるミコトに俺は首を傾げた。どういう意味だろう。


「雷に打たれた父さんを診たお医者さん……」


戸延とのべ先生……だっけ?」


 ミコトはこくりとうなずいた。

 俺が目を覚ましたときにはもういなかったから顔は見てないけど、藤枝家の主治医だと言っていた……気がする。


「ずいぶんと若かったけど、あれは間違いなくとんばあちゃんでした。とんばあちゃんは父さんが本当に雷に打たれたと知っていて、比喩だなんて嘘をついたんです」


 ミコトは仏頂面でそう言った。

 でも、これで藤枝三姉妹の中にミコトの母親がいる可能性がますます高くなった。


「折角、住み込みのバイトも女の人がいなさそうなバイト先を選んだのに」


 それで男色家の古関さんちに住み込みでバイトすることになったのか。

 どれもこれも、ミコトの母親になるかもしれない女性と俺が、鉢合わせないようにするために。


「なのに……全然、上手くいかない。計画は狂いっ放しです」


 無表情でカリカリと爪を噛みながら、ミコトは吐き捨てるように言った。

 思い返してみると、腑に落ちるところはたくさんある。

 雷のこともそう。古関さんちの住み込みバイトのこともそう。

 千鶴ちゃんが秋穂さんに藤枝家で俺たちを雇ってくれないかと頼んだときも、ミコトは断ろうとしていた。さっさと藤枝家から出ていきたそうなようすだった。

 裏庭で千鶴ちゃんと俺が話しているときも、ミコトはちょこちょこと邪魔してきた。俺のせん馬の危機を心配していたんじゃない。俺と千鶴ちゃんが――母親候補が仲良くならないように邪魔していたのだ。

 今回の秋穂さんへの報告も、藤枝家の三姉妹と――ミコトの母親候補と俺を引き離すための行動だったなら納得だ。

 納得だけど……。


「なんのために、そんなこと……」


 俺とミコトの母親が出会わなければ。出会っても親しくならないまま、縁が切れてしまえば。ミコトは生まれずに消えてしまうかもしれない。

 それなのに、どうしてそんなことを――。

 俺の疑問に、ミコトはやっぱりすぐに答えてくれた。


「軍法会議で決まった刑罰です。僕は犯した罪に対する刑の執行を受けるため……自ら刑を執行するために過去ここに来ました」


 やっぱりよくわからない答えだったけど。

 俺は思わず鼻で笑っていた。


「軍法会議? 刑罰? お前が何したって言うんだよ」


 確かに、図々しくて、太々しくて、ボス野良猫みたいに可愛げのないやつだけど。細くて、小さくて。小学生か、せいぜい中学生にしか見えないこいつが。十六才の少女が。軍法会議? 刑罰? 全く意味がわからない。どこの世界の話をしてるんだ。

 鼻で笑う俺を見上げて、


「軍の偉い人たちを何人か殺して、何人かに大怪我を負わせました」


 ミコトはさらりと言った。


「戦争をしてるんです。今、世界は。この国もです。それで、僕が訓練した犬たちがたくさんの敵を殺したとかで、賞状とあと何かいろいろともらうことになったんです。捕まったあとで全部、取り上げられちゃいましたけど」


 あぁ、そうか……。

 未来の――ミコトが生まれて、生きている時代の、世界の話だ。

 ミコトの警戒心の強さを野良猫みたいだと思っていた。でも、そうじゃなかった。想像もできないけど、警戒心が強くないと生き残れない場所でミコトは生きてきたのだ。

 正直、こんな話、知りたくなかった。聞きたくなかった。未来の俺の娘かもしれない少女には……ミコトには、のんきに、幸せに、今までの人生を生きてきてもらいたかった。のんきに、幸せに、生きてきたんだと思っていたかった。

 なのに――。


「僕は手紙を運ぶって聞かされて犬たちを訓練したんです。険しい山や川も、犬たちなら人間よりずっと速く越えられるからって」


 ミコトは淡々とした表情で、ミコトが生きてきた、俺が想像していたのとは全然違う世界の話を続けるのだ。


「とんばあちゃんちの裏山に暮らす犬たちは僕にとっては家族でした。でも、軍にとってはただの野犬。狂犬病が怖いからってみんなを殺そうとしたんです。でも、手紙を運ぶように訓練できたら殺さないでやるって。そう言われて……」


 そのときのミコトがいくつだったかはわからない。でも、きっと、ミコトは大切な家族を助けられるかもしれない。助けなきゃいけないと必死に頷いたはずだ。


「犬たちが銃弾や爆撃に巻き込まれて死ぬ確率は、裏山に暮らしてるときと同じくらいだって言われたんです。断れば、みんな、殺されてしまう。だから、みんなに手紙の運び方を教えたんです」


 必死に、犬たちを訓練したはずだ。

 それなのに――。


「でも、全部、嘘でした。手紙を運んでいたのは、ほんの何匹かだけ。ほとんどは爆弾を運ばされてました。……違います。あいつらはみんなを爆弾代わりにしたんです」


 相変わらずの無表情だけど嘘をついている感じはしない。ミコトは、きっと本当のことを言っている。

 最低だ。最低な話だ。

 だけど――。


「犬を爆弾にって、そんな前時代的なやり方……」


 心が追い付かなくて。古い戦争映画や文明が発達していない異世界のファンタジー小説みたいな話に現実感がなくて、つい鼻で笑いながら言ってしまった。

 でも、すぐに後悔した。


「……昔の人間も、そんなことをしてたんですか?」


 表情に乏しいミコトが。いつも淡々とした表情をしているミコトが。失望の表情を浮かべた。肩を落として呆然と呟いた。かと思うと、


「人間の勝手で戦争を始めたのに……どうして人間だけで殺し合わないんですか。どうして人間以外の動物まで巻き込むんですか……!」


 威嚇する猫のように歯を剥き出した。怒りを、あらわにした。


「犬たちが運んでいたのが手紙じゃなくて爆弾だったって。最初からそのつもりで訓練させてたんだって知ったのは、賞状をもらう一週間前でした。授賞式の日を教えられたときでした」


 怒りに体を震わせながら、ミコトは握りしめた拳で自分の太ももを殴った。何度も、何度も、何度も。力一杯。


「……っ、やめろ!」


 放っておいたら、足が真っ青になっても、骨が折れても殴り続けそうだった。俺が手首をつかむと、ミコトはショートボブの白い髪を揺らして顔をあげた。


「そこから一週間、たくさん考えました。髪が真っ白になるくらい、たくさん」


 俺を見つめるミコトの目はガラス玉みたいだった。

 なんとも思わずに眺めて、なでてきたミコトの白い髪。でも、今は目を背けたくて仕方がなかった。

 なのに、じっとミコトに見つめられて目を背けることができないのだ。


「頭が良くて、いろんなことを知っていたら、もっとたくさんの人を上手に殺せたかもしれません。でも、僕ができたのは、軍の偉い人たちを何人か殺して、何人かに大怪我を負わせることだけでした」


 〝失望させないで〟と言いながら、何の期待もしていない秋穂さんが見せたガラス玉みたいな目。それとそっくりな目で、ミコトは俺をじっと見つめた。


「捕まって、軍法会議に掛けられて、言われたんです。反省して謝るなら無期懲役にしてやるって。……僕の家族を爆弾にしても。犬たちを殺しても。謝るどころか賞状なんて渡そうとしてきた連中が、そう言うんです」


 ミコトはゆらりと、ベッドから立ち上がった。そして――。


「お断りです。そんなの、絶対に……!」


 全身の毛を逆立てて化け猫のように牙を剥いた。多分、ミコトはそのままの言葉を、感情を、軍法会議とやらに出席していた連中にぶつけたのだろう。


「それで死刑が決まりました」


 すぐに怒りの表情は、すーっと剥がれて、流れて。

 ミコトは、いつもの無表情に戻った。戻ったように、見えた。


「ちょうど過去に行ける機械の実験体を探していたとかで選ばれて。実験の一環として、過去を変えて自分の存在を消して来いって言われたんです。……断っても死刑になります。過去を変えずに自分を消し損ねても、いずれは元の時代に戻って死刑になります」


 見えただけで、腹の底には怒りがドロドロと渦巻いているのだろう。


「あいつらに殺されるくらいなら、自分で自分を殺す方がずっと良い……!」


 俺をじっと見つめるミコトの目の奥は静かに、炎のようにゆらゆらと揺れていた。


「だから僕は……僕を死刑に処すために、過去ここに来たんです」

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