第十二話「なら、どうして物置に隠れてるんですか」

「……私は、秋穂姉さんや夏希さんとは違うんです」


 そう言った千鶴ちゃんの顔はぐにゃりと歪んでいた。

 俺の視線に気が付いたのだろう。千鶴ちゃんはハッと目を見開くと、慌てて微笑んだ。多分、微笑んだつもりなのだろう。でも、その微笑みは眉を八の字に下げた困り顔だった。


「今朝、秋穂姉さんの部屋に呼ばれてましたけど……父の話、聞きました?」


「……き、聞きました」


「秋穂姉さん、いつもはすごく大人だし、優しいし、上品なんですけど……父の話になると人が変わっちゃうんです。気持ちはよくわかるんですけどね」


 わかるのか……。

 乾いた笑い声が口から漏れた。


「古関さんの家でバイトの予定だったって言っていたので、秋穂姉さんも許してくれましたけど……そうじゃなかったら、絶対に男の人の住み込みバイトなんて許さなかったと思います」


「ま、待って、待って!」


 また、古関さんちの住み込みバイトが出てきた。


「一体、古関さんちってなんなの? なんか特殊な家なの!?」


 震えながら尋ねると、千鶴ちゃんが目を丸くした。


「え……もしかして、知らなかったんですか?」


「いや、だから……何を? 俺は何を知らずにいたの!?」


 怖い。なんだか聞くのがものすごく怖い! でも、聞かないままというのも、それはそれで怖い!

 半泣きになっている俺をじっと見つめたあと。


「古関のお邸はうちとは真逆で、男性の使用人しか雇わないんです。古関のおじいちゃんが、その……だ、男色家……で」


 千鶴ちゃんは目を逸らして、小声で言った。

 男色家……。


「…………っ」


 言葉の意味と藤枝家の面々に俺がどう認識されているかを飲み込んで、めまいを起こしそうになった。


「契約の際にも、そ、そういう……ごにょごにょ、ごほん! お仕事もあると説明があったと思うのですが……」


 どういうお仕事――!?

 バイトについてはミコトが手続きから何から全部やっていた。多分、ミコトは仕事内容について聞いていたはずだ。内容を理解していたかは疑問だけれど。


「本当にご存知なかったんですね」


 凍り付いて、青ざめて、怒りに顔を真っ赤にする俺を見て、千鶴ちゃんは呆然と呟いた。かと思うと、


「このことは絶対に秋穂姉さんに知られないように気を付けてください!!」


 真剣な表情でそう言った。怖いくらい真剣な表情だ。俺は真っ青な顔で勢いよく頷いた。

 千鶴ちゃんからも早く離れないと、本格的にせん馬ルートかもしれない。

 と、思っているのに、千鶴ちゃんは焼却炉へと歩き出す俺のあとをついて来るのだ。いや、でも焼却炉のそばにはミコトがいる。二人きりよりは、まだマシか。

 足早に焼却炉に向かいながら、俺は内心でため息をついた。

 藤枝家での住み込みバイト、思っていたのとは斜め上な方向で大変だ。ミコトの母親をとっとと見つけて、一旦、藤枝家から離脱しよう。そうしよう。

 なんて、こっそり拳を握りしめている俺を追い抜いて、千鶴ちゃんが前を歩き始めた。


「藤枝家本家の子供は、本当は秋穂姉さんと夏希さんの二人だけなんです。私は私生児。父が愛人に産ませた子なんです」


 苦笑交じりに言う千鶴ちゃんに俺は目を丸くした。

 驚いたけど……でも、そうか。さっき千鶴ちゃんが、秋穂さんと夏希ちゃんとは違うと言ったのはそういうことだったんだ。三姉妹のあいだにある温度差も、きっと、そういうことだ。


「私の母は父が妻子ある身だと知っていて好きになったんです。私を身ごもったときに父には迷惑を掛けられないと別れて、それからは一人で私のことを産んで、育てて……。でも、私が十二才のときに母は余命宣告を受けたんです」


 後ろ手に組んで歩きながら千鶴ちゃんは空を見上げた。冬は日が暮れるのが早い。逆光で黒くなった木々の上に、薄い灰色と赤色の空が広がっていた。


「身寄りのなかった母は父を……藤枝家を頼ったんです。でも、父は不在で。対応したのは私と三つしか変わらない、当時、高校一年生だった秋穂姉さんでした。私を藤枝家の養子にする手続きを進めて、母の入院やお葬式の面倒まで見てくれて、私といっしょに泣いてくれて」


 今朝の秋穂さんからは想像もできないな、と思ったけど……すぐに思い直した。そういう秋穂さんだからこそ、父親や藤枝家の男性たちの行動が許せないのだろう。

 焼却炉の脇にしゃがみ込んでいたミコトが、俺と千鶴ちゃんの姿に気が付いていきおいよく立ち上がった。相変わらずの無表情だけど焦っているようすだ。

 もしかして俺がせん馬の危機だということを察してくれたのだろうか!

 駆け寄ってきて右腕に抱き付いたミコトの頭を、俺はくしゃりと撫でた。出来た娘だ……なんて感動していたけど。ミコトが心配していたのは全然、別のことだったと知るのは今夜の話。

 ミコトが来たことでちょっとだけ安心した俺は、千鶴ちゃんに向き直った。


「秋穂さん、優しいんだね」


「そうなんです。父の話になるとちょっとだけ人が変わるけど、秋穂姉さんはとっても優しいんです。お金持ちは性格が悪いなんていうのも大嘘です」


 千鶴ちゃんは教師みたいに人差し指を立てて胸を張った。お道化た仕草にくすりと笑うと、千鶴ちゃんもつられて微笑んだ。


「母に先立たれて、慣れない藤枝の家や学校で戸惑っている私を何かにつけて気遣ってくれて。……秋穂姉さんも、夏希さんも、使用人のみなさんだって、とっても優しい」


「なら、どうして物置に隠れてるんですか」


 微笑んで目を伏せる千鶴ちゃんに向かって、ミコトは冷ややかな声で言った。千鶴ちゃんの微笑みが強張った。え? と、俺は腕にしがみついているミコトを見下ろした。


「隠れてる……?」


「鎌とか道具が置いてあるあたりは埃が溜まっていたのに、窓のそばに置かれた作業台はきれいでした。それに、この獣道。この物置に頻繁に来ている証拠です」


 全然、気が付かなかった――!

 と、思いっきり顔に出ていたらしい。ミコトは俺の顔をジト目で見つめて唇を尖らせた。


「だから、言ったじゃないですか。父さんは警戒心がなさ過ぎです、って」


 そんなに警戒しなくていいと馬鹿にしたことを根に持っていたらしい。ちょっと申し訳なくなって首をすくめたが――。


「千鶴に殺意がなかったから命があったようなものの。やはり、まずは爆発物等、危険がないかを確認して……」


「殺意ってなんだ。爆発物等ってなんだ」


 即座にツッコミを入れた。ミコトもミコトで唇を尖らせたまま見つめ返してきた。表情が変わらないからわかりにくいけど完全に睨んでいる。

 だから、どういう生活を送ってたんだよ、この野良猫が!

 と、――。


「……っ、すみません。……ふふっ」


 千鶴ちゃんが吹き出した。

 口を押さえて一度は真顔に戻ったけど、またすぐに吹き出してしまった。我慢するのは諦めたらしい。そのまま、女子高生らしい明るい笑い声を立て始めた。


「喧嘩するほど仲が良い兄妹きょうだいって……きっと、本当はこんな感じなんでしょうね」


 ひとしきり笑ったあと、千鶴ちゃんは目元に浮かんだ涙を指で拭った。

 きっと、本当は――。

 それはつまり、秋穂さんや夏希ちゃんとは――千鶴ちゃんにとっての姉妹きょうだいである二人とは〝こんな感じ〟にできていないということだろう。

 俺の表情を見て、俺が何を考えているのか察したのだろう。千鶴ちゃんは困ったように微笑んだ。

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