第十一話「……私は、秋穂姉さんや夏希さんとは違うんです」

 雷に打たれた直後は意識がなかったし、目が覚めてからは室内の限られた範囲しか移動しなかった。相当に広いお邸なんだろうなぁ、とは思っていたけど――。


「ただのホテルじゃん」


 裏口を出て、三階建ての建物を見上げた俺の口から乾いた笑い声が漏れた。

 上から見たらL字になっているのだろう藤枝家の邸は、一見すると洋館風のホテルだった。どういう家柄なのかはわからないけど、相当に良い家柄なのは確かだ。


「……こちらです」


 俺たちを案内してくれているのは使用人の園田さん。俺とミコトの教育係を秋穂さんに命じられた四十代頃の女性だ。

 裏口を出ると洋風の庭が広がっていた。白い石畳の道を歩いて行くと突き当りには大きな広葉樹と目隠し用の植木があって、隠れるように鉄柵と扉が設置されている。その扉をくぐった先、敷地の最も奥にある裏庭で園田さんは足を止めた。

 ちなみに園田さん、メイド服姿だ。古めかしいデザインの、足首まで隠れるロングスカートのメイド服姿。でも、メイド服は若くて可愛い子が着る物だろーなんて冗談でも決して言えない空気をまとっている。気迫が違う。藤枝家に仕える使用人としてのプライド的なモノが滲み出ている。

 ピン! と、背筋を伸ばし、荒れた裏庭の片付けを命じた園田さんは、最後に俺の目を真っ直ぐに見据えて言った。


「秋穂お嬢さまからお話は伺っているかと思います。邸内の至るところにわたくし共使用人の目があることをどうぞお忘れなく」


「ひゃ、ひゃひ……」


 奥歯がガチガチ言い過ぎて、はい、すら言えなくなる俺。

 藤枝家に仕える使用人たちはみんな、秋穂さんの目であり手足であり、心を共にしているという宣言だ。

 そう言えば、十何人もの使用人を見かけたけど、男性の使用人は一人も見ていないような……。

 ピン! と、背筋を伸ばして去っていく園田さんを見送って、


「こ、怖……」


 俺は両腕で自分の体を抱きしめた。ぶるぶると震える俺を見上げてミコトは相変わらずの無表情だ。全然、動じているようすがない。


「……なんでお前、そんなに平然としてるんだよ」


「僕は女なので、この家から追い出されることはあっても去勢される心配はありません」

 〝去勢〟という言葉にヒッ! と引きつった悲鳴をあげた。


「そーだったな、そうだったな! お前は女だから関係ないんだよな! ……って、関係大ありだろ!」


「そうですか?」


「お前は俺の、未来の娘なんだろ? 今、俺がせん馬にされちゃったら生まれてこれないんだぞ! もうちょっと自分事として心配しろよ!」


 と、怒ってみたものの、のれんに腕押しだ。ミコトはガラス玉みたいな目でじーっと俺を見つめたかと思うと、


「そうですね」


 びっくりするくらい感情のこもってない声で言った。


「っの野郎! まぁ、お前が生まれてるってことは、せん馬にならずに済んだってことか。ある意味、安心……なのかな?」


「……そうですね」


 腰に手を当ててやけっぱちで笑う俺を見上げて、ミコトはまたもや感情のこもってない声で言った。

 妙な間があったけど、このときの俺は気にもしていなかった。それよりも目の前に広がる荒れた庭のどこから手をつけようか。そちらにばかり気を取られていた。

 裏庭の一部だというのに学校のプールくらいの広さがある。ヘチマ棚とか藤棚とかがあったのだろうか。くずらしきツルがびっしりと巻き付いて、こんもりと山を作っていた。冬で葉こそ落ちているものの、絡んだ茶色いツルはそのままだ。

 白い石畳もずいぶんとツルに侵食されている。でも、どうにか道具が保管されている物置までの足の踏み場はありそうだった。


「物置って言うか、ちょっとしたログハウスじゃねえか」


「父さんのボロアパートより立派です」


「やめろ、ことあるごとに比べるな。悲しくなってくる」


 裏庭の一番奥に建てられたログハウスにしか見えない物置のドアを開けながら、俺はげんなりとため息をついた。


「獣道みたいでしたね」


「きつねとかたぬきが住んでるのかもな。いや、鹿かも……」


 石畳を歩くときも物置の中をのぞきこむときも、ミコトは人と鉢合わせた野良猫みたいに姿勢を低くした警戒モードだった。

 俺が鎌を手にツルを刈ろうとしたときも、


「父さんは警戒心がなさ過ぎです。まずは爆発物等、危険がないかを確認して……」


 なんて言い出す始末だ。


「お前はどんな生活を送ってたんだよ」


 けらけらと笑うと、ミコトは唇を尖らせた。

 こうして、俺たちの荒れた裏庭掃除が始まって――……。


「まっっったく終わりが見えねえ!!」


 ……――延々と続いていた。

 もうそろそろ十六時だろうか。昼食を挟んで、ずっとツルと格闘し続けていた。

 広い庭の一角どころか、ヘチマ棚だか藤棚に絡まったツルすら片付かない。なのに、刈ったツルの山は高くなっていく。何年ものだよ……と、いう感じの絡まったツルに、俺は今日、何度目かのため息をついた。俺もミコトも、借りた白色のつなぎは泥だらけになっていた。

 ミコトは俺が刈ったツルを焼却炉のそばに運んで、燃やしやすいように短く切っている。レンガ造りの立派な焼却炉が物置の脇にあるのだ。ヘチマ棚だか藤棚だかを攻略したら燃やそうと思っていたけど、すでに相当な量のツルが溜まっているはずだ。


「一回、燃やすか……」


 汗を拭って一向に小さくならないツルの山を眺めていると、ギィ……と、背後で扉が開く音がした。俺は慌てて鎌を構えてツルに掴みかかった。教育係の園田さんが来たのかと思ったのだ。

 あまりの進まなさ具合にちょっと絶望していただけで、サボっていたわけじゃない。サボっていたわけじゃないけど、勘違いされたら白い目で見られそうだ。これだから男は……とか思われそうで、なんか怖い! 秋穂さんの耳に入るのは、もっと怖い!!

 でも――。


「トウマ、さん……?」


 振り返って見ると、そこにいたのは園田さんじゃなくて千鶴ちゃんだった。

 すらりと背が高くて、黒猫みたいに艶やかな髪は短く切ってある。昨夜、会ったときと同じようにニットとスキニージーンズというシンプルな出で立ちで、巾着袋と陸上用だろう靴を胸に抱えていた。と、すると巾着袋の中身はジャージだろうか。

 ツルだらけの裏庭だけど、ぐるりと獣道が出来ていた。もしかして――。


「千鶴ちゃん、ここで走ってるの?」


 俺が尋ねると、千鶴ちゃんは巾着袋と靴をぎゅっと抱きしめた。目を泳がせて、うつむいたあと、


「……」


 小さく頷いた。

 秋穂さんや使用人のみんなには内緒でこの裏庭を使っているのかもしれない。千鶴ちゃんが使っていると知っていたら、ここの片付けを俺に命じたりしないはずだ。


「陸上部?」


「昔は」


 短い答えと千鶴ちゃんのつり目に、俺はそろそろと視線を彷徨わせた。

 会話が続かなくて気まずいというのもあるけど、よくよく考えたらこの状況は危機的状況だ。秋穂さんに見つかったり、使用人の誰かに見られて報告が上がったりすれば、せん馬の危機である。俺の金タマの危機である。


「じゃ、じゃあ……俺は焼却炉で刈ったツルを燃やしてるんで。裏庭の死角になってるから大丈夫! 少っしも千鶴ちゃんが走ってる姿は見えないし、見ないから大丈夫! だから、ちょっと煙いかもしれないけどゆっくり練習してね!!」


 過剰なくらい言い訳をして、俺はそそそーっと後退ろうとして……足を止めた。

 危機的状況かもしれない。でも、これだけは言っておかないといけない。


「昨日はありがとう。千鶴ちゃんが秋穂さんにお願いしてくれなかったら、俺たち、今頃は路頭に迷ってたよ」


 首をすくめて警戒しているようすだった千鶴ちゃんは、俺の言葉を聞くなり目を丸くした。かと思うと、ゆるゆると首を横に振って寂し気に微笑んだ。


「今夜はどこで寝るんだろうとか。次にお金が入るのはいつだろうとか。このお金であと何日、暮らさなきゃいけないんだろうとか。そういう不安な気持ち、わかるんです」


「千鶴ちゃんが?」


 こんなに立派な家に住んでいるのに? と、思わず苦笑してしまったけど、すぐに後悔した。


「……私は、秋穂姉さんや夏希さんとは違うんです」


 千鶴ちゃんの顔はぐにゃりと歪んでいた。

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