第十三話「人類には早過ぎる食べ物です」

「例えば……なんですけど。トウマさんやミコトちゃんが想像するホットケーキって、どんなのですか? ……家で作るやつです」


「どんなって、普通の……」


「薄っぺらいやつですよね?」


「そうそう。で、あればマーガリンを塗って……」


「蜂蜜とかメイプルシロップがあったら最高に贅沢ですよね」


 くしゃりと笑う千鶴ちゃんに、俺は大きく頷いた。


「それはかなり贅沢だな! 初めてファミレスで食べたとき、感動したもん」


「わかります、わかります!」


 拳を握りしめてホットケーキ談議に花を咲かせていた俺と千鶴ちゃんのあいだに、ミコトがぬーっと割り込んできた。


「……僕はカリカリのベーコンがいいです」


 ジト目だ。なぜだかはわからないけど、エサを催促するボス野良猫並みのジト目をしている。なぜだかはわからないけど、とりあえず、ミコトの白い髪をくしゃりとなでた。


「……っ」


 ミコトはきゅっと目をつむって大人しく撫でられている。多分、きっと、ご満悦だ。

 ミコトのようすに千鶴ちゃんはくすりと笑った。


「でも、この家で出てくるホットケーキってそういうんじゃないんです。ホテルとかで出てきそうな感じというか」


 その微笑みが、また困り顔に変わった。


「厚さは一センチくらいあって。脇にバニラアイスとフルーツがたっぷりと添えられてるんです。いちごとか、ブルーベリーとか、ラズベリーとか。あと生クリームも。で、粉砂糖がまぶしてあって」


 大正風の上品な部屋、テーブル、イス。高そうな紅茶のポットとカップ。背筋を伸ばした使用人たちが運んでくるお皿に乗っているのは、ホテルで出てきそうなホットケーキ。

 うん、簡単に想像できる。ホテルで食べたら数千円しそうなホットケーキが、部屋の空気感とともに簡単に想像できる。


「それをフォークとナイフで上品に食べる秋穂姉さんと夏希さんを見てるうちに、ずいぶんと場違いなところに来ちゃったなって。万事がそんな感じで……邸の中にいると、自分の部屋にいても落ち着かなくて……」


 短い髪を撫でて、千鶴ちゃんはへら……と、笑った。笑っているのに、今にも泣き出しそうな顔だ。

 千鶴ちゃんはすらりと背が高い。俺の身長と変わらないくらいだ。ちょっとつり目で、一見するときつそうな雰囲気に見える。半年とは言え、小柄な夏希ちゃんよりも年下だなんて信じられないくらい大人びた外見をしている。

 でも、今、目の前にいるのは迷子になった幼い子供みたいな。頼りなげな表情をした女の子で――。


「……」


 俺は千鶴ちゃんの頭を撫でようと手を伸ばして――。


「ホットケーキ……!」


「ぶひゃほ、ホ、ホットケーキ!?」


 ミコトに腕を引っ張られて奇声をあげた。

 て、いうかあっぶねえ! 千鶴ちゃんの頭なんて撫でようもんなら、せん馬までのカウントダウンが始まるわ! ホント、もう出来た娘!

 なんて思いながら、バクバク言ってる心臓を押さえ、俺の腕をぐいぐいと引っ張っているミコトに泣き出しそうな笑顔を向けた。

 ミコトが心配してたのはそんなことじゃなかったんだけど……そのことを知るのは、あと数時間ほど先の話。


「父さんが作ったホットケーキ、食べたいです」


「はぁ!?」


「久々に食べたいです。もう、十年は食べてません。食べたいです!」


 お前に作ってやったことなんて……と、言いかけて、慌てて口をつぐんだ。未来の俺がミコトに作ってやったのだろう。

 そう言えば俺も、何年も前に金子のばあちゃんといっしょに作って以来、食べていない。

 腕組みをして、考え込んで、


「キッチンを使っていいって言われたらな」


 そう答えると、ミコトはぴょん! と、小さく飛び跳ねた。


「じゃあ、早速、聞きに行きましょう!」


「……て、おい! 今からか!?」


 ミコトは俺の腕を引いて、さっさと邸に引き返そうとする。千鶴ちゃんはどうするんだろう。裏庭に残って、ジョギングだか練習だかをするのだろうか。

 振り返ってみると、千鶴ちゃんは俺とミコトのことをじっと見つめて、口をもごもごさせていた。言おうかどうしようか迷っている感じだ。やっぱり迷子の子供みたいな顔をしている。

 そんな表情を見たら放っておけるわけがない。


「作ったら千鶴ちゃんも食べるか? 夕飯前だから、ほんのちょっと。味見程度になっちゃうけど」


 俺は思わず誘っていた。

 せん馬になるのは嫌だけど。めっちゃ嫌だけど! 泣きそうな顔をした子を放っておくこともできない。

 だって、ほら。俺の言葉を聞いただけで。ド素人の俺が作る薄っぺらいホットケーキを味見するかって聞いただけで。お母さんを見つけた子供みたいに目を輝かせるのだ。顔をくしゃくしゃにして笑うのだ。

 ちょっとくらいのリスク、冒してしまうに決まってる。

 苦笑いして、俺は千鶴ちゃんに手を差し出した。千鶴ちゃんは、はにかんで目を伏せて。再び、顔をあげると俺の手を取ろうとして――。


「やめておいた方がいいと思います!」


 それより先にミコトが俺の手を取った。無表情な白猫は、背の高い千鶴ちゃんをじっと見上げた。睨まれてるらしいと気が付いて千鶴ちゃんはたじろいだ。


「やめておいた方がいいって……?」


「父さんのホットケーキは危険です。人類には早過ぎる食べ物です」


 困り顔で尋ねる千鶴ちゃんに、ミコトはツン、とそっぽを向いた。


「どういう意味だよ、おい。その人類には早過ぎる食べ物を食べようとしてるお前はなんなんだ」


 俺のツッコミに、ミコトは反対方向にツン、とそっぽを向いた。無視とはいい度胸だな、この野良猫が! あ、人類じゃなくて野良猫なのか、こいつ。

 ミコトを睨みつける俺と、ツン! と、したままのミコトを交互に見て、千鶴ちゃんはくすりと笑うと俺の左隣に並んだ。


「じゃあ、人類には早過ぎる食べ物。ちょこっと味見させてください」


 千鶴ちゃんはそう言って、俺の右腕にしがみついているミコトに意地の悪い笑みを向けた。俺の体を挟んで、だ。


「……本当に食べるんですか」


「はい、ぜひ」


「本当に?」


「はい、絶対」


 全く引くようすのない千鶴ちゃんを無言でじっと見つめていたかと思うと、


「……仕方が、ないですね」


「イデデデ!」


 ミコトは俺の右腕に爪を立てた。なんか良くわからんけど、八つ当たりされてる!


「うるさいですよ、父さん。黙っててください」


「って、言いながらさらにガリガリ爪立ててんじゃねえよ!」


 これは八つ当たりだ! 絶対に八つ当たりだ!

 ミコトの頭をガシリと掴んで、腕から引き剥がそうとした。ミコトは無表情のまま、爪を立ててしがみついている。なかなか剥がれない。体も細けりゃ頭も小さいもんだから、力を入れるのがちょっと怖い。力任せに剥がせないのがもどかしい。


「そう言えば、ミコトちゃんはどうしてトウマさんのことをトウサンって呼んでるんですか?」


 荒れた裏庭と整った裏庭を区切る鉄柵の扉を開けながら千鶴ちゃんが首を傾げた。まぁ、兄妹なのに〝父さん〟呼びはおかしいよな。


「なんでも何も、父さんは僕のとう……んぐっ!」


 どう答えたものかと考えているあいだに、ミコトが馬鹿正直に答えようとするので慌てて口をふさいだ。話をややこしくするな、野良猫!


「何するんですか、父さん!」


「えーっと、ほら、あれだ! 俺の名前、トウマじゃん。紺野 トウマ! トウマのトウを取って、トウサン!」


「兄弟なのに、さん付けなんですね」


「違います、父さんは……んにゃ!」


「そういう兄妹もいるって!」


「千鶴自身、夏希のことを夏希さんってさん付けで呼んで……ぶにゃ!」


 ミコトの額を、俺は平手でぴしりとはたいた。余計なことを言わなくてよろしい!

 ちらっと千鶴ちゃんを見ると、つり目を丸くしたあと、眉を八の字に下げた困り顔で微笑んだ。


「……そうですね」


 あぁ……だから、そんな迷子の子供みたいな顔をしないでよ。歯痒い気持ちで千鶴ちゃんの微笑みを見つめて、


「……ぶにゃ!」


 俺はもう一度、右腕にしがみついているミコトの額をぴしりとはたいた。

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