第六話「死んじゃいやです、父さん!」

 森の中をアスファルトの車道が貫いている。足元にはうっすらと雪も残っていた。夏は木々に茂った葉が青く美しいのだろうけど、冬の今は幹と枝だけが残されて物寂しい。

 何より――。


「さっむいぃ……!」


 車道脇を歩きながら俺は悲鳴をあげた。

 高原にある避暑地だ。夏の時期は涼しくていいが冬は寒い。寒くて仕方がない。空には薄雲が掛かっていて、今にもしとしとと雨が降り出しそうだ。見た的にも寒々しい。

 もっと分厚いコートを着て来ればよかったと後悔している俺の視界には、小さくスキップするミコトの姿があった。


「~~~♪」


 なぞの鼻歌まで歌って上機嫌だ。

 夜行バスを降りたあと、朝ご飯を食べるために喫茶店に入った。そこで出てきたのが、ごろごろと柔らかいお肉が入ったビーフシチューと焼きたてのパン。ミコトはさらに、しぼりたて牛乳を使ったソフトクリームまで追加注文していた。この寒い中、だ。


「……! ……!!」


 無言で目を輝かせ、出てきた料理すべてをはぐはぐと勢いよく食べていた。食べ物への執念とがっつき具合も野良猫そっくりだった。

 思い出して、くすりと笑っていると――。


「……」


 ミコトが足を止めて、空を見上げた。ゴロ……と、雷の音がしたのだ。


「なんだ。雷は苦手か?」


 眉間に皺を寄せるミコトを見て、俺はけらけらと笑った。ミコトは渋い表情のまま振り返った。


「お前の母さんに出会ったとき、俺は雷に打たれたんだろ? もしかしたら、早速、見つかるかもしれないぞ~」


 なんて、のんきに笑ってたのは今じゃないという妙な自信があったからだ。

 ここは避暑地で今は冬。しかも朝の七時台。すでに一キロほど一本道の車道を歩いているけど、人が住んでいそうな建物もないし、人とも車ともすれ違っていない。鹿とはすれ違ったけど。

 人も車も通らないのならミコトの母親とも出会いようがない。

 つまり俺が今、雷に打たれることもない――!


「鹿が母親なんてファンタジーな展開でもないかぎりはな~」


 けらけらと笑いながら、俺は一人、呟いた。

 我ながら浅はかだったと反省している。ぎんじいちゃんにも散々、言われた。人生なんて一寸先は闇だ、と――。

 ゴロゴロ……と、いう雷の音が止んだ。ミコトの表情が少し緩んだ気がする。代わりに近付いてきたのは、車のエンジン音だった。道の先はカーブしていて車の姿はまだ見えない。

 人の気配に内心、ちょっと驚いていた。この道を登った先に住み込みで働く予定の古関さんのお邸がある。車が通るくらい当たり前。むしろ人の気配がないと困るのだけど。

 黒塗りの車が姿を現した。避暑地に別荘なんて持ってる人は車も立派だ。そんなことをのんきに考えながら、俺たちの横を通り過ぎる車を見送った。

 黒いスモークガラス越しに目があった彼女・・が三姉妹の誰だったのか。多分、この先ずっとわからない。彼女・・がミコトの母親だったのかもしれないし、違うのかもしれない。

 それはわからないけど、ただ一つ、俺が言えることは――。


 ピッ、シャーーーン……!!


「…………っ!!」


 雷に打たれるというのは俺ごときの頭で処理できる衝撃ではない、ということだ。

 雷が落ちたときの光も、音も、衝撃も。すべてが一瞬だった。事前に雷に打たれると聞いていても、やっぱり非現実的な展開についていけるもんじゃない。

 何がどうなってアスファルトの上に引っくり返ったのか。いつの間にか俺は灰色の空と葉のついていない枝を下からのぞき込んでいた。

 俺の視界に三人の女性が飛び込んで来た。


「ちょっと、あんた! 意識ある!?」


「バウッ」


 髪を二つに結った少女は犬のぬいぐるみを抱えていた。小学生……中学生だろうか。ミコトと同じくらい小柄で童顔だけど、抜群に可愛らしい少女だ。

 飼い犬なのだろう。クリーム色の毛をしたゴールデンレトリーバーも俺の顔をのぞき込んでいる。吠えた拍子によだれが垂れた。


「大丈夫、ですか?」


 よだれか、別の何かをそっとハンカチで拭ってくれたのはショートカットの少女だ。すらっと背が高くてつり目だけど、手つきも声も控え目で優しい。制服を着ているから高校生だろうけど、もっと大人びて見える。抜群に綺麗な少女だ。


「彼を車に運ぶのを手伝って! それと戸延とのべ先生を起こしておくように伝えて!」


 俺の顔をのぞき込んだ直後、振り返って鋭い声で叫んだのは私服姿の女性だ。長い髪はハーフアップにしている。グラビアアイドル並みのスタイルといい、垂れた目や厚みのある唇といい、三人の中で一番、女性的な見た目をしている。

 でも、表情も声も凛としていて、抜群に艶っぽい大人の女性だ。


「この……中に……」


 ミコトの母親がいるということだろうか。俺が好きになって、俺のことを好きになってくれる女性がいるということだろうか。

 いや、でも――雷にまで打たれたのに、三択っておかしくないか? 神さま、ケチ過ぎないか?

 心の中でハハ、と乾いた声で笑っていると、


「なんで……? 嘘、本当に打たれるんですか……!?」


 ミコトの声が聞こえてきた。ずいぶんと動揺している。声が震えていた。


「父さん……父さん……!!」


 ミコトもわかっていたことのはずなのに。ミコトの母親と出会ったときに俺は雷に打たれたんだと、そう教えてくれたのはミコト自身なのに。


「死んじゃいやです、父さん!」


 ミコトは今にも泣き出しそうな声で、そう叫んだ。

 泣くなよ、妙なやつだな。

 心の中で呟きながら、ミコトの頭をなでるために手を伸ばそうとして、結局、ぴくりとも動かせないまま。

 俺は意識を手放したのだった。

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