第五話「はい、雷に打たれます」
「全十二レースの三連単を的中させたって話は聞いてましたが。そのお金を全部、人にあげちゃってたとは知りませんでした」
高速バスの窓にへばりついて外を眺めながら、ミコトがぼそりと呟いた。
東京駅に向かうため、在来線に乗ったときには人の多さにビクビクしていたけど、人がまばらな夜行バスに乗ってからは落ち着いている。
じいちゃん、ばあちゃんたちに囲まれたときもずいぶんと警戒してたけど、一体、今までどんな環境で育ってきたんだか。
夜に東京駅を出発して、明日の朝には目的地の避暑地に着く予定だった。
外は暗くて何も見えない。でも、ミコトは流れ去っていく街灯や車の灯りを目で追い掛け続けている。猫じゃらしを目で追いかける猫みたいだ。
「うちのあたりが火事になるってのは聞いてたのか」
「聞いてません。全十二レースの三連単を的中させたとき、夜逃げするつもりで荷物をまとめていた。おかげで助かったんだ……と、しか聞いてませんでした」
相変わらずの無表情だけど、嘘をついている感じはしない。
座り心地の良くない座席に深く腰掛けて、長く、ゆっくりと息を吐き出した。じいちゃんもばあちゃんも、みんな、無事だった。それで十分だ。そう思うことにしよう。
「……にしても、いつの間に住み込みのバイトなんて見つけたんだよ」
「
「手際がいいな」
「どうやって外堀を埋めようかと思ってましたが、実に都合の良い展開に……」
「外堀? 都合の良い?」
「いえ、なんでもないです」
物騒な言葉に引きつった笑みを浮かべて聞き返すと、ミコトはいつも通りの無表情で首を横に振った。
俺がミコトの話を信じず、協力を得られなかったときのことを考えて準備していたのだろうか。……なんて、俺は一人、納得してうなずいた。
「住み込みのバイトってのも母さん探しに関連してるのか」
「……そんな感じです」
ちょっと間を置いて、ミコトはこくりと頷いた。確信がある情報じゃないのだろうか。なんだか歯切れの悪い答えだ。
「お前の母さん、名前も年齢もわかんないんだよな。写真とかも……」
「ありません」
「だよなぁ」
ため息をついて、俺はバスの天井を見上げた。母親を探すのを手伝ってやると言ってしまったけど、なにせ手掛かりが少なすぎる。
「俺とお前の母さんって、どういう関係だったんだろうな」
「それも聞いてません。ただ……」
そこで言葉を切ったミコトは振り返って、表情の乏しい目で俺を見つめた。
「お互いに恋をして、両想いになって、私がやってきたんだと……そうは言ってました」
ミコトの言葉に思わず息を飲んで、すぐさまため息をついた。恋人同士ではあった、ということだろうか。正直、イメージが沸かない。
う~ん……と、首をひねりながら目を閉じた瞬間――。
「……っ」
真っ赤な口紅を塗った女の影がちらついて、すぐさま目を開けた。心臓がバクバク言っている。
顔をしかめていると、
「大丈夫ですよ」
ミコトが唐突に、窓にへばりついたまま呟いた。
「父さんが言ってました。お前の母さんに出会ったとき、俺は雷に打たれたんだよって」
「へえ、雷……雷に打たれる!?」
「はい、雷に打たれます」
ぎょっとして聞き返すと、ミコトは淡々とした表情であっさりと肯定した。
「雷って、あの……空から落ちてくる雷か!?」
「はい、空から落ちてくる雷です」
「ゴロゴロピカーン! って、雷か!」
「はい、ゴロゴロピカーンって、雷です」
「当たったら死ぬやつだろ、それ!」
「確かに死ぬことも多いですが、死なないこともあります」
そりゃあ、そうかもしれないけれども……! と、言う気力も出なくて、俺は頭を抱えた。
「雷に打たれたときに出会ったって……どんな出会いだよ」
「運命的な出会いですね」
本気でそう思ってるなら、もう少し、心を込めて言え!
無表情、棒読みのミコトを、俺はじろりと睨みつけた。
と、――。
「大丈夫です。父さんは死にません」
やけにきっぱりとミコトが言った。
「全十二レースの三連単を的中させた、という話と同じことです。雷に打たれた話は父さんの日記に書いてあったんです。つまり雷に打たれても父さんが死ぬことはない……と、いうことです。だから、大丈夫です」
それなら安心、と言っていいのだろうか。ミコトの瞬きの少ない目にじっと見つめられて、俺は引きつった笑みを浮かべた。
「ま、まぁ……それなら大丈夫か、な?」
「はい、大丈夫です」
こくりと小さく頷いて、ミコトは再び窓の外に目を向けた。そして、もう一度、
「……大丈夫、ですよ」
そう繰り返した。
やけに大丈夫と繰り返すミコトに抱いた違和感を放っておくべきじゃなかったのだ。もっと詳しく話を聞いておけば……いや、どっちにしろ雷には打たれてたか。
何はともあれ、このときの俺は大丈夫と繰り返すミコトの胸中なんて考えもせず、
「着いたら、まずは朝ご飯かな」
そんなどうでもいいことを考えていた。
「せっかくなら土地の物がいいよな。食べたい物あるか?」
「食べれる物ならなんでも」
本当に、今までどんな環境で育ってきたんだか。間髪入れずに返ってきたミコトの答えに苦笑いして、白い髪をくしゃりと撫でた。
「うまい物、食べような」
窓に映るミコトは相変わらずの無表情だったけど、ほんの少しだけ目を細めていた。それが嬉しそうに微笑んでいるように見えて、俺もつられて微笑んだのだった。
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