第7話


07



 ごめんで済むなら警察はいらないなんて言うけどさ、

 そもそもの話、ごめんで済むほどのことを怒っていられるほど僕って暇じゃないんだよね。

 ごめんなさい——御免なさい——御免させてください。

 ごめんなさいとは、突き詰めて正確に言うと、謝罪させてください、となるわけだ。

 で、あなたは僕にごめんなさいと言った。

 だから僕はこう答えよう。——いいよ、と。

 ——謝罪を許可する、と。そう答えよう。

 ん、謝罪を許可すると僕は言ったと思うんだけど、ところで、それはなに?

 膝を畳んでつむじを見せるっていうのが、それが謝罪ってわけ?

 謝罪、つまり許しを請うということについては、明確で正確な形式なんてないけれど、でもその謝罪としたものを相手側が、十分な謝罪を受け取ったとしなければ、その謝罪は謝罪足り得ないよね。

 相手にとって十分な誠意と内容を伴っているものこそが、謝罪なのだと僕は思うのだけど、あなたもそう思うでしょ?

 謝罪でまかなえない場合は、言わずもがな罪として、罰で補う。

 別に僕は誠意を求めているわけじゃない、ましてや内容だってね。

 僕が求めているのは、その誠意と内容の本質さ。

 あなたが今しがた僕に差し出した誠意と内容の、その中身を教えてほしい。

 謝罪の形式なんてものはない、けれどしかし、その都度失態を犯した場合における謝罪形式というのは大方決まっているよね。

 まあ、謝罪を行う人間の位や価値観、文化だったりで若干の違いはあるけれど、

 だいたいの場合は、誠意を込めた謝意の言葉と、誠意の詰まったお詫びの品。

 お金だったり菓子折りだったりするけれど、

 あなたが今僕に向かって——謝罪を行うべき僕に対して差し出したのは、僕にとってどうしようもない姿勢と、それとつむじが一つ。

 そのつむじを僕に見せて、それでなに?

 毛づくろいしろってこと?サルじゃねえんだから、勘弁しろよ。

 いくら文化が違うったって、お前何時代の何人だって話。

 ああ、それともそういう趣味の人?

 踏みつけて、なじられて、けなされたい。

 人の嗜好はそれぞれだ、否定はしないよ。

 だけど、あなたみたいに場面すら無視して自己を押し通すような真似は看過できないね。

 状況が少し違えばセクハラだぜ?

 てめえのしょうもない趣味に付き合わせようなんてあわよくばな思考、まじで出るとこ出るぞ?あん?

 忌々しい官能主義者め。

 マゾヒズムの始祖とされる作家、マゾッホの生まれ変わりだと言われても僕は信じてしまいそうだよ。

 いっそのこと、マゾッホみたいに僕と奴隷契約でも結んでみるかい?

 あなたの全てを差し出して僕に隷属を誓うというなら、僕としてもやぶさかではない。

 僕があなたを本物にしてあげる。

 本物のマゾヒストに。

 だいたいお前は甘いんだよ。

 殴ってください、足蹴にしてください、嬲ってください。

 ねだって殴られても大した快感は得られないだろう?

 殴られる工夫を、足蹴にされる創意を、嬲られるための着想を。

 今のあなたのように、僕のこのピカピカのブーツで踏みつけられたいとしたらどうしたらいいか、

 少しは物事を考えろよ豚野郎。

——ああ、違う。

——全然ダメだ。

——そうじゃねえだろうって。

 まるでわかってない。

 いいかい肉塊。

 よくマゾヒズムとサディズムが対立的関係として語られることがあるけれど、それらの異常性癖は実をいうと全く以て対を成していないなんていうのはあなたからして明白だよね。

 同じ精神疾患とされているそれらでもまるで別物。

 サディストがサディズム的性的欲求を解消する場合は、相手に少なからず過度な虐待を与え、相手の苦痛によって解消するとかっていうのが、まあ、一般的だ。

 対してマゾヒストがマゾヒズム的性的欲求を解消する場合には、肉体的苦痛を与えられることだったり、あるいは羞恥心を過度に刺激されることで解消を図ったり。

 以上の二つの欲求は表裏一体であるという主張がどうやらあるらしいけれど、僕にしてみれば表裏一体どころか対極さ。

 対を成さない対極。

 性的嗜好とは、僕に言わせてみれば、その人間が培った生の中で最も欠如している事柄を欲する生物元来の欲であり、

 またフェティシズムとは、それぞれの内で一番汚らわしい欲を体現化したものである。

 サディストは相手に苦痛を“与える”ことで性的欲求の解消を図り、

 対してマゾヒストは苦痛を“受ける”ことで性的欲求の解消を図る。

 能動的解消、受動的解消。

 性行為という観点から上記を括れば、男性と女性だ。

 同性愛者による同性間性的接触にしてみても、以上と似たような文法を用いて議論を進めることができるよね。

 能動的であるか、あるいは受動的であるかという一点のみに焦点を当てればこれらは等しく対を成していると言えるだろう。

 しかしサディズムとマゾヒズムというところに視点を置けば、果たしてそれらは対を成していない。

 オーガズムに論点をずらせばわかりやすい。

 現代じゃあ子を成すことを目的とした性行為を働いている人間がどれほどいるだろう、なんて、上記の議論から極めて逸脱した論争を繰り広げたいところだけど、今は置いておこう。

 話を戻すけれど、オーガズム。

 オーガズムに達するには、基本的には物理的刺激が不可欠だ。

 まあ、稀に心理的興奮のみによってオーガズムに達する人種もいるといえばいるけれど、しかし彼らはあくまで少数派。少数派の彼ら彼女らには申し訳ない限りだけど、今は議論から除外させてもらうよ。

 結論から先行して言えば、サディストはサディズム的性的欲求を解消しているだけでは、オーガズムに達することはできない。

 当然の話さ。だって、オーガズムに達するための物理的刺激が皆無なのだから。

 対してマゾヒストは、マゾヒズム的性的欲求を解消しているだけで、オーガズムに達することができる。

 これまた当然の話だよね。だって、物理的刺激どころか、鞭でしばかれているわけだから。

 性行為をするうえでオーガズムに達するか否かというのは重要なポイントだ。体の相性なんて言葉が広く認知されていることから頷ける事柄だと思うけど。

 性思考異常という非常に大きなジャンルの内、傍から見ればそれはまるで磁石でいうS極とN極、サディストとマゾヒストはさも対等であるかのような、相性抜群というような捉えられ方をしてきたわけだけど、オーガズムという観点からしていえば、対極だの対等だのなんていうのは、まるで見当違い甚だしいことは明白だよね。

 ここら辺で、僕にしてサディストとマゾヒストの非対称性理論は幕引きとしておくよ。

 僕としてはまだまだ論じたりないくらいであることはおろか、今僕がペラペラとおしゃべりした論理なんてほんの一部なんだけどね。

 さて、それじゃあここにきてようやっと、現在の状況に立ち返ろうか。

 あなたはマゾヒストであり、僕に頭を踏まれたい。

 僕に頭を踏ませることで、自身のマゾヒズムを曝け出し、隷従するにあたる忠誠を誓うことを望んでいる。

 なんとも口にするだけで気が滅入るような状況ではあるけれど、しかしこの状況に目を向けなければいつまで経っても一件落着とはいかないよね。

 現在の状況において、解決の糸口を垂らす前に、そもそもの話、あなたはそのマゾヒズム的性的欲求を解消するにあたっての正しい教養を学ぶべきなのさ。

 僕に踏まれたいにしても、先述したようにそれじゃあセクハラとなんら違いはない。

 ハラスメント——それは強要だ。

 ではどうすればいいのか、なんて聞かないでよね。

 簡単さ。

 つまりマゾッホのように、僕と奴隷契約を結ぶという少し前に話したところへ無事帰結するわけさ。

 だってそうでしょ?僕はサディストでもなければ、あなたと愛し合っているわけでもない。ましてやつがいでも。

 僕に全てを捧げ、全身全霊を以てして尽くし、寵愛を頂戴するためにその生涯を奉る。そしてその褒美として鞭をいただく。

 どう?嬉しい?

 でもまだ喜ぶのは早いよ。

 だって僕たちはまだ奴隷契約を結んでいないのだから。

 主人と従者の関係になっていない。主と奴隷の関係に至っていない。

 いまだあなたは僕に対して誓いをたてていない。

 誓いは必要さ。必ず要るよ、その文字通り。

 今一度考えてみなよ。

 あなたが捧げた全てを、そのマゾヒズム的嗜好を含めて、僕はそのおよそ全てを受け取らなければならないわけだ。

 つまり僕はあなたの全てをこの小さい御身に背負わなければならないのさ。

 肉体は勿論のこと、その上で、その心も。

全ても全て。善も然り、悪感情はおろか、仮になんらかの企みを企てていた場合のその企てだって、僕は引き取らなければならない。

 だからあなたは誓いをたてるんだ。

 僕に対して、忠誠を誓うんだ。

 その全てと引き換えに、僕の寵愛を納めるに相応しい器であることを。

 あなたの全てと、僕の寵愛が釣り合うということを僕に知らしめなければならない。

 あなたが僕に害をなさない確証なんて現状どこにもない。

 だから僕たちはこれから契約を結ぶのさ。

 さあ、証明してごらん。

 あなたの全てを、僕に見せて。

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