第5話
05
「うまいタレを作るコツはな、甘味を惜しまないことだ。砂糖でもいいが、果物の果糖を用いるのが望ましい」
「へえ。でもこのタレ、甘いって気は、全然しないけど」
「味噌ベースの醤油ってのを最近開発してだな。それに玉ねぎと、あとはゴマ油をたっぷりと入れる。ああ、あと漬けマグロをペーストにして。それにあれだ、おろしにんにく」
「すげえな。ざっくりとしたレシピ聞いただけで、もうおいしそうじゃねえか」
龍と焼肉。
僕は今、伝説の龍みたいなのとグリルを囲んでいた。
実に熱々である。
なんだったら、ドラゴン秘伝のレシピまで
龍と焼肉。
僕は龍と友達になった。
「しかし果物って言っても、色々あるだろ?どんなの入れているんだ?」
「俺の場合はリンゴとバナナに、ドライフルーツ。あと、ドラゴンフルーツはかかせない」
「ドラゴンだけにってことか?」
「発想はそこからだが、これが意外といい仕事をしてくれる。ドラゴンフルーツの、甘みを含んだような刺激のある酸味が、このタレにメリハリをつけて、味を整えてくれる」
「ふうん、ドラゴンフルーツなんて食べたことねえや」
「あれはそのまま食べるもんじゃねえからやめておいた方がいいぜ。アメリカの安いゼリーみたいな味だ。勧めることはできねえな」
「アメリカの安いゼリー食べたことあるのかよ」
「たとえだよ、たとえ。捕まえないでくれ。ほら、肉食え肉。カシラだ、うまいぜ」
「んん。うま」
食は進む。
「なあ、一つ聞いてもいいか?」
「なんだ?」
「どうして僕に、こんなによくしてくれるんだ?会ったばかりもいいところだろうに」
「ああ、まあ、そりゃあ疑問に思うだろうな。しかし別段特別な理由があるわけじゃあない。ただの気まぐれで、暇つぶしだ」
見ず知らずの僕をこんなにも豪勢にもてなしてしまうくらいには、暇で暇で仕様がない龍なんて、イメージ崩れもいいところだけど、しかし現状僕からしたら有難いことこの上ない話だ。
ここまでで、どうやら僕の対面する龍の人柄(明らかに人間の姿形を成していない)が
僕の見立てによると、彼は相当に人柄がいいはずだと、僕はここでそう結論付けた。
ここまでのことをしてもらっておいて、厚かましいにも程があることは重々承知の上で、そのうえでさらに僕は世話を焼かれようと思うのだけど、どうだろう。
いやまあ、僕だって過ぎた施しを頂戴するのは気が引けるけれど、しかし、状況が状況である。
今や僕は右も左もわからない、どころか、先ほどの女性の話によれば生後数時間といったところの赤ちゃんであるわけで。
ぶっちゃけた話、そのときは生後も生後で混乱していたことも相まって、彼女の弁のおおよそがチンプンカンプンだったのだけど、彼女の話によればここは裏側だそう。
裏側だろうが表だろうが、輪廻だろうが転生だろうが、結局のところ僕は一度死んでいる。
そして、生まれている。生を受けている。
新生児。そう、僕は新生児。
僕は赤ちゃんだ。…僕は赤ちゃん。
………。
…。
赤ちゃんの定義は、たしか、生後一年未満を指すということだったような。
どうして赤ちゃんの定義なんてものを知っているのかなんて聞かれたとしても、僕は頑として答弁するつもりはないけれど、だからつまり、曰く裏側での僕は赤ちゃんなのだ。
赤ちゃんなのだから、過ぎた施しくらいが丁度いいというものだ。
加えて彼は気まぐれで暇だとも言っていたし、そのくらいのこと気にも止めないだろう。
まあ、気まぐれで赤ちゃんを放ってしまうと言うならば、僕は甘んじて放り出されよう。
ハイハイでこの世の右と左を確かめてやるぜ。
「暇つぶしついでに僕に色々と教えてくれないか?僕、さっきこの裏側だかなんとかの世界に来たばっかりで、なにがなんだかさっぱりなんだ」
「ふうん、んん、いいぜ。何でも聞きな」
ほんの少しだけ、彼の中でなにかを吟味するような間があったことは、対面している僕からして否めなかったけれど、しかしここで身を引いたとしてどうする。どうしようもないだろう。
現状からして、僕には躊躇する間も気を使ったりしている余裕もないように思える。
一刻も早く僕が置かれている状況の把握に努めたい。
いくらなんでも、今の僕は宙ぶらりんに過ぎる。
それに世界の構造が無茶苦茶だ。
生前の十八年間で培った常識観念が全くと言っていいほどには通用しない。
少なくとも生前じゃあ、わけのわからない講釈を垂らすことや、お客様を座敷に放り出すなんてことを常識だっていう風には、僕はお母さんから習っていない。
冷静かつ厳かに、慎重かつ丁寧に。
まあ、先まで和気あいあいと龍と肉を食っていた奴が言ったところで、なんの緊張感も伝わらないだろうけれど。
腹が満たされて我に返った途端、急に不安になってきたというのが本音のところ。
「それじゃあまずは、この世界のことについて教えてくれよ。ついさっきの話なんだけれど、いや本当、魂が震えちまうくらいのすげえ美人なお姉さんが僕に、この世界は裏側だとか輪廻だとかって、まるで電波じみたことを永遠と講釈垂れてきたのだけど、その、裏側だとかって、一体なんなんだ?」
「んん、悪いが裏側だとか表側だとかは俺にもわからない。お前だって、自分の世界のことを教えてくれなんて言われたら、答えに困るだろう」
ん、確かに。
そう言われると、見事に腑に落ちる。
「まあ、そりゃあ、自分の目で見るのが一番早いんじゃあねえか?」
「んん、そうか——そうだな。じゃあそれはひとまずは置いておくよ。それじゃあ最後に一つ、あの女の人は誰なんだ?というより、いったい何なんだ?」
あの魔女も計らうようになった、と言っていた。
魔女を魔女以外で聞き違えるなんて、たぶんありえることではない。
つまりあの女の人が、魔女ということになるのだろう。
あの女の人を、この龍は魔女と呼称したのだ。
この龍は、魔女を知っている。
僕をこの場所へ連れてきたやつだってまるで出鱈目、その魔法の如き業のカラクリこそが、この世界の色々を知る取っ掛かりとなるのではないだろうか。
「何だと聞かれてわかるかよ。きちんと知りたいことを伺え」
むむ、難しいな。
僕が今知りたいこと。
ダメだ、たくさんありすぎて上手に抽出できない。
知るべきことの優劣だってまともにつけることができない。
んん、んん。
「ああ、いい。わかった。連れて行ってやるよ」
「ええ⁉いいの⁉魔女ってそんな簡単にお目通りが叶うものなのかよ!」
「まあ、別にいいんじゃねえの」
この龍の荘厳な見た目も相まって、今のような、一見適当に聞こえるようなものも、どこか説得力を含んだものに聞こえてしまう。
冷静に考えるべきだと本心ではわかっているものの、僕はどこかで期待する。
適当ではないと、都合のいい解釈がどこまでも追いかけてくる。
結局僕は、それに捕まった。
「じゃあ、頼んでいいか?」
「ああ、いいぜ。それじゃあさっそく、ほら」
——あーん。
龍は大きく開口する。
僕に向けて、そのただでさえ大きな口を、である。
「な……なんのつもりだよ?」
「ああ、連れてくとは言ったけどな、まさか堂々と、正面から魔女の所に行くのはちょっとな。だからお前を俺の中に隠して、まあワープみたいなことをする。残念だが俺のワープは特定の場所にしか行けないし、及び単体にしか作用しない。だからお前を一瞬だけ、俺の一部にするんだよ」
さっきはあっさりと騙されたがしかし、こう、すぐ目の前にある死へのリスクといざ直面すると、どうも臆病になってしまう。
恐怖と全く別の感情ではあるのだけど、如何にしてもその選択を、本能的にというかなんというか、とにかく拒みたくて仕方がない。
こんな世界に突然として連れてこられて、言ってしまえば僕はもう既に死んでいるようなものだが、肉体に意思、意識、総じて自我を認識してしまうと、どうしようもなく現在が惜しい。
なにより、龍に丸呑みにされて死ぬなんて絶対に嫌だ。
「なあ、相談なんだけど、なんとかして僕を飲み込む以外の選択肢を探らないか?時間が限られているわけでもないし、なんだったら、その大きな口の中で僕がうずくまるように膝を抱えて小さくなれば、その状態での運搬は可能だと僕は思うのだけど、それはどうだろう」
「そんなペリカンみたいな真似できるかよ。お前舌の上に物乗せながら走れるか?」
たしかに、言われてみれば、そんな芸当は僕自身チャレンジしたことはないけれど、とても難しいだろうことは想像に難くない。
「お前が衝撃かなにかで俺の喉に詰まりでもしたらどうするんだよ。俺が死ぬかお前が死ぬか、よくわからなくなるだろうが」
「そのときはもういっそのこと僕のことを飲んで、丸呑んで殺してくれて構わねえよ」
「だから殺さねえよ、お前は死なない。一瞬だけ俺の腹に入るだけだ」
「……信じていいのか?」
「いいぜ。信頼なんていうのは今まで一度もされたことねえけどな」
信じていいのかなんて聞いてみたものの、どうしても今一歩決断が前に出ない。
殺されてしまうことに恐怖しているのでない。
その過程、仮にこの龍が悪い龍だったとして——及び仮に僕が騙されているとした場合の、死に至るまでのプロセスに、僕は酷く怯えている。
言ってしまえば、僕は死んでしまうことに対してはむしろ肯定的である。
確かに生にしがみつこうとする自分がいることは否定できない、が、しかし、こんなわけのわからない世界で生きていくくらいなら、いっそのこと死んでしまった方がいいとさえ思う。
一晩眠って目が覚めたら、人類は文明を廃棄した挙句、みんな空を飛んでいたとか、自分でも何をたとえているかわけがわからなくなってしまうような、僕にして不条理じみた、そんな無茶苦茶な次元の話で、そんな世界なのだ。
だから僕は、死んでしまっても構わない。
しかし、この状況。死を帰結とするその過程においては、状況からして僕は龍に食べられてお陀仏、というプロセスを辿ることになるわけで、そうなると自然、この目の前の龍は僕を噛み砕くということになる。
丸呑みを主な捕食手段とする生物なら、牙なんてどれだけ多く見積もってもせいぜい十本くらいだろう。蛇は二本で、ペリカンにいたっては零である。
そしてこの龍。口腔内を凝視したわけでもなければ、見聞きしたわけでもないのだけれど、推定五十以上。
ていうか、先ほどこいつは肉を山ほど食っていた。つまり肉食、あるいは雑食。
人間だって食べるだろうことは、容易に想像できるわけで。
まあ、なにが言いたいかというと——進撃の巨人。そんなかんじ。
噛み砕かれて死ぬかもしれないという可能性の含まれた選択肢、容易にその手を取ることはとてもじゃあないが僕にはできない。
考えたって仕方がない。いつまでもここで立ち止まっているわけにもいかないし。
まさかこの厳めしい龍と死ぬまでここで暮らすつもりもないし。
…いや、いや?
別にいいのでは?
ここでのんびりと、そしてまったりと、あるいは、ほのぼのと。
なんら変哲のない話をして、腹が減ったら龍に食事を出してもらって、そして睡魔に逆らうこともなく惰眠を貪って。
そんな生活、悪くないじゃあないか。
そんな日常を生前僕は望んでいたじゃないか。
なにひとつとして不自由がない、挙句学校にも行かなくていい。
あのスーパー美人な講釈お姉さんのお目に掛かることができなくなってしまったことは残念ここに極まれりといった具合ではあるのだけど、しかしそれを捨てて尚、僕にしてそれを上回る最高の日常が手に入る。
どの観点からしても、僕の選択に間違いはない。
正しくセカンドライフ。
まあ、生前を思い返すと、僕は苦労ばかりだったように思えるし、こちらで多少はぐうたらとしていても罰なんて当たらないだろう。
家族に友達、おまけに小都子の奴には悪いけど、僕はこっちで幸せになることにしよう。
元の世界に帰ることを目的とした覚えはないし、ないしそれはおそらく不可能なわけだし?
今までありがとう、と、直接言えないことは残念ではあるけれど、この際仕方がない。
たぶん向こうでは、僕は死んだことになっているだろうし、幽霊だと誤解を受けて祓われたりしてもたまったものじゃないということで、ここは黙って死んだことにしておこう。死人に口なしである。
まあ、表と裏の世界を跨いだようなものだと現状僕は推測しているのだが、しかしその表の世界、つまり僕からして現世(前世?)から僕は実際離れたことになるわけで、要するに、どちらにせよ僕はやはり、本当の意味で死んだと捉えておよそ差し支えないだろうという話。
して、僕はこの龍に、僕のセカンドライフの件を伝えなければいけないわけだけど、まあ、普通に伝えればいいか。
「なあ、やっぱり僕、ここに住むことにしたよ。色々面倒かけると思うけど、よろしく頼むよ」
「よろしく頼むじゃねえよ。いいわけねえだろ」
「ええ⁉何故だ!僕がここに来たときはそこそこに嬉しそうな顔していたじゃないか!」
「それはそれ、これはこれだ。なにはともあれ、今は俺の言うことを聞いておけ」
「………」
切羽詰まったように龍が言ったそれは、ここに来て初めての親切なように感じた。
親切だと言うのなら、親切だと感じたなら、疑わしくても、受け取らなければなるまいて。
——わかった、と、そう、短く返事をする僕に、龍はまるで笑ったような、まるで、微笑むような、そんな空気を瞳に被せて瞑った。
後、開口。
改めて、龍の口腔内を見やる。
凶悪に映った。獰猛に見えた。知れず自分自身引いてしまうくらいには、それはあまりに狂暴に映った。
けれど、しかし、決意させるには十分なほどの親切はもう受け取った。
あろうことか、瞬間僕はこの龍に少し、少しだけ母親を意識した。
人の形をしているなんてとんでもない、まるで全てが、なにもかもが違う。それでも事実、僕に決意を促すだけのなにかがあった。
信頼していいと言われた。
お前は死なないと力強く言われた。
殺さないと、やや乱暴に放った。
内に湧いた小さな決意から、龍の言葉が溢れてくる。
全幅の信頼を寄せることに、もはや躊躇なんてなくなってしまった。
口腔内に左足を突っ込む、して、「うわあ」と、僕は思わず声を零す。
恐怖や驚嘆ではないことはたしかで。
たとえるならそう、テーマパークの乗り物に乗り込んで、出発を待っているときのような、期待や高揚、その類。
夢の国のホーンテッドマンション、あんな感じ——いや、カリブの海賊か?
遥か昔の大昔に訪れた夢の国の記憶を手繰りながら、龍の大きな上顎をくぐるようにして、そうして僕は思い出す。
死んだ時を想起する。僅か少し前。
あの時に似た、期待や高揚。
死ぬことだって厭わない、非日常への憧憬。
後悔を置いてきぼりにするほどの、未知への渇望
つくづく、ほとほとと、嫌になる。
この命を懸けた選択を経て、やがて僕は、僕に成る。
臥間 寧々。
「それじゃあ、よろしく頼むぜ。ドラゴン」
直後、ゴクンと一つ、音が反響する。
体感的なことは全然わからなくて、その音一つだけを聞いて僕は飲みこまれたことを推測した。
五感が溶ける。なにもわからない。その感覚を、僕自身不思議に思いながらも心地よく思ってしまった。
臥間 寧々は、やがて目を閉じた。
急にシリアス。
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