第34話 踏みつけられた思い

倉庫を改造し、その中にテナントがいくつも入った集合施設とでもいうのでしょうか、ショッピングモールとでも言うのでしょうか、そんな倉庫が3つ程並んでいる。3つと言えばそうでもない規模に感じるが、1本の倉庫がとても大きいのだ、船に積み込んだり下ろした荷物をまとめて保管する倉庫なのでその大きさは自ずと想像できるかと思う。


まず龍一は人の流れに乗って全ての倉庫を見て回ることにした、折角来たのだからと言う考えもあり、建物の雰囲気を感じる為でもあった。


なんでこんなお店がここに必要なのか?と言うお店もたくさんあった。この街とは関係ないインドの雑貨屋さん、ジュエリーショップ、面白雑貨、石鹸屋さんなどなど。とは言っても観光客は手に取り観て、日本だと言うのに海外のアクセサリーなどを買いあさる、その光景に龍一は中学生ながらに首を傾げたのだった。


浪漫の街と謳うだけあって、この倉庫の周囲は情緒そのものだった。龍一は日本の和の雰囲気が好きだったので、この倉庫周辺のレトロな雰囲気はとても気に入っていた。一通り見て回ると龍一はあまり人の通らない場所を選んだ。龍一の考えは人の波で押されてしまっては自分の絵に目を止めるチャンスがないのではないか?だったからだ。荷物を下ろし、遠足のシートを広げて1枚1枚手書きのタイトルと値段を付けたイラストを丁寧に並べ始めた。1枚1枚想いを込めたイラストを眺めては並べ、一歩引いては眺め、並べては眺めた。


日差しが強い日だったので日陰を選んだが、それはそれで少し肌寒く感じたのだが、太陽が上がると同時に気温も増してきて、日陰でも温かみを感じて来た。お日様って大事だなぁと感じつつ、ぱらぱらと流れる人の影を見ながらあぐらをかいてシートに座った。


素通りする影を何度か見た龍一だが、きっとチラ見はしてくれているはず、そしていつかあの時あそこで絵を売っていた少年が今では・・・そんな妄想をしていると、待つのも楽しくなってくるわけで、そう考えると妄想上手は待ち上手かもしれない。


ふとシートの前に影が落ちた、龍一が顔を上げると老夫婦が立っていた。龍一は取り敢えず声を掛けたかったが何と言ったらわからなくとっさに『こんにちは』と言った。白髪で丸顔に丸メガネの外国人のおばさんがニッコリ笑うと英語で何かを言ってきた。わからないので首を傾げる龍一を見ておばさんが横にいる旦那さんと思われる背の高い男性に何かを言った。旦那さんは話を聞いた後一歩前に出て『うちの家内が旅の中で凄く素敵な作品に出会えたわ、ありがとう』と言ってますと日本語で話してくれた。口角が引き千切れるほど笑顔になった龍一は立ち上がってキチンと頭を下げながら『サンキュー!』と言った。夫婦は笑顔で『ばぁい』と言って立ち去って行ったのだが、龍一は嬉しくてずっと立ったままその後ろ姿に手を振り続けた。


売れなかったのに100万円で売れたくらい心が高揚して嬉しかった、中学生になってこんな気持ちになったのは初めてではないだろうか、本当に本当に嬉しくて、今日一日何が起こるかと思うとワクワクが止まらなかった。


これをきっかけに通行人に声を掛けることにした龍一。いらっしゃいませはお店だし、売ってるけどお店じゃないし、お店だと耳から情報が入ると素通りする人も多いし、実際自分もそうだし。


『あ、そうだ、さっきのおばさんは『こんにちは』と言ったら話しかけてくれたから『こんにちは』にしよう。』


こんにちはは挨拶だ、人間の習性と言うかそう言うモノで挨拶されたら挨拶した人をついつい見るはずだ、それで無視されても挨拶できた自分をちょっと誇れる気がしたのだ。思えば明るい子ではなかった龍一、色々な出来事が小さいうちから起こりすぎて環境や運命がそうさせたと言っても良いくらい基本的には心を閉ざした少年だった。ましてや見知らぬ人に挨拶をするなんて考えられない、それがどうだろう、今この瞬間、こんにちはを心から言っている。彼の中にある希望が後押しして言葉を出しているのかもしれない。


ほとんどの人は龍一のこんにちはに対しては無視だった、でも龍一はそれを観察することを始めた。完全に視野から外して自分に言っているわけないと言う顔をする人、視界に龍一を入れつつ顔は前に向けて見えていない聴こえていない表情を作る人、あいさつに反応するが物売りだと気づいて即座に目線をそらす人、あいさつに対して軽く会釈してくれる人と様々であるが、なかなか足を止めてくれる人は居なかった。それでも龍一は楽しくて仕方がなかった、今現在のこの状況が楽しくて仕方がないのだ、自分の絵を全く知らない不特定多数の人に見せるなんて初めてだからである、学校の壁に貼り付けられた美術の作品を生徒たちが見るのとはわけが違う。


そこへ一人の女性が足を止めて龍一の作品を観始めた。龍一は『こんにちは』と声をかける。女性はその長く垂れ下がった黒髪を右手で軽く上げ、自分の顔を見せる様に出すとニッコリ笑って見せた。龍一はそれ以上声を掛ける事はしなかった、なぜなら作品を見て欲しいから、ただそれだけだ、声を掛ける事で面倒になって立ち去ってしまったら折角の出会いが台無しになってしまう。龍一の頭の中では服屋さんの店員でいっぱいだった、龍一は服を買いに行くと知りたくもない情報を押し付けてきて、あれこれ買わせようとする店員が苦手だったからである。


『あなたが・・・描いたの?』


その長い黒髪の女性が声を掛けてくれた。


『は、はい!全部!その、きゃきました!』


『クスっ・・そうなの、素敵ね』


『ありがとうございます』


『旅行中だから買えないけど、あなたの絵には魅力あるよ、頑張ってね』


『はい!ありがとうございます!』


龍一は凄く凄く嬉しかった、老夫婦に続きお姉さんにも褒められた、何百人も通り過ぎた中でのたった2名だけれど、龍一の中で希望がより大きく輝き始めた。全く知らない人が自分の絵を見て素敵だと言ってくれた事実、これはとてつもなく大きな自信へと繋がって行った、それは数億人の中の2人だとしても、2人居た事実が何より嬉しいのだった、だってゼロじゃないのだから。


『なんら~これ』


喜びに満ち溢れていると不穏な予兆とも思える言葉が聴こえた。でもお客様なので龍一は『こんにちは』と声をかけた。


『お前か?これ描いたにょ』


見るとグレーのスーツ姿の小太りの男で、ぼさぼさ頭に黒ぶちメガネをかけた男が立っていた。右手には飲みかけの缶ビール、男は既に酔っぱらっているらしく、フラフラとおぼつかない足取りだった、ろれつも回っていない。


『はい、そうです』


『なに、なんかにょ漫画のキャラらクターか?』


『いえ、オリジナルです』


『あのな、中学生かろお前、毎日悶々としてるんなろ?俺の時は溜まっちゃって毎日抜いてたもんら、そう言うエネルギーをぶつけろろ』


『意味がわかりません』


『エロいのを描けつってんにょ!おっぱいとかよ!あ、中学生だからまだ見たことないんらな、おっぱい。』


『今回は…描いてません』


『あぁ!?おっぱい見た事ないんらろ?どうやって描くんだよ!あぁ?大体誰の許可取って売ってんだ?ここで売って良いって許可取ったんらか?こんなクソみてぇな絵!誰が買うんらよ!』


『許可は…その…でもクソみたいなって言われる筋合いありません!』


龍一は少しだけ怒った、いや精一杯がこれだった。本当ならこんなものではない怒りなのだが、今日と言う日が台無しになってしまうから我慢に我慢を重ねたのだった。『我慢は得意だ、今までだってそうだった』そう思うと冷静さを失わずにいられた。しかしその我慢した結果が男に火をつけてしまった。


『なにぃこの野郎!』


そう叫ぶと龍一の絵を踏みつけだした。


『やめてください!』


必死で止める龍一だったが、その男は身体も大きく、しがみつく龍一を吹っ飛ばして龍一の店で暴れ始めた。何度も止めに入る龍一だったがその度に地面に転がされた。目の前で踏みつけられ、踏みにじられ、メチャクチャにされて行く龍一の想いの詰まった絵画たち。


もう龍一には止める力も無くなっていた、痛さとか疲れとか、そういうものではない、気力がなくなってしまったのだ、これが絶望と言うのだろう。両膝を突いて地面に両手をついて、ぐちゃぐちゃになってゆく自分の作品を見つめるだけだった。


いい大人が中学生相手に暴れていると言うのに他の人々は通り過ぎる。


『これが大海か…』そう痛感する龍一。誰も助けてくれない状況なんか今までに何度もあった、こんなのいつもの事だ。でも今までは微かな希望があった、我慢すれば終わる、耐えれば終わる、そんな龍一の【希望】は今回ばかりは輝かなかった、我慢すれば終わるだろうけれど、想いを詰め込んだ作品はもうメチャクチャだ、暴力が終わっても絵は元には戻らない。


『何やってるんだ!』


そこへ警備員らしき人が駆けつけて男を押しのけ、龍一の店の破壊行為を止めた。『このガキが生意気なこと言うからら!』と大きな声で警備員らしき男性に食ってかかる。『まぁまぁ話は聞くからこっちへ』と連れ出そうとすると、小太りの男は右手に持っていたビールを龍一目掛けてびちゃびちゃと頭からかけた。警備員らしき男は小太りの男を突き飛ばし『やめなさい!いい大人でしょう!何やってるんですか!来なさい!』と言って今まで以上に強い態度で引っ張った。去り際に警備員らしき男性は『許可なくここでモノを売るのは禁止だぞ、管理者に見つかる前に早く帰りなさい』と龍一に言い放つと、小太りの男と一緒にその場を立ち去った。


龍一は暫く地面に座り込んだまま動く事が出来ないでいた、何をしたらいいのかわからない、途方に暮れると言うのはこう言う事なのかもしれない。


口に入って来たビールは凄く苦かった。


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