第33話 出陣
20枚のイラストを包み終えた龍一は朝を迎えた。
興奮して眠れないと独り言を言いながらぐっすり眠って起きた朝だった。
学校へ足を運ぶが誰一人として話しかけるクラスメイトはおらず、完全に独りぼっちだったが、明日はビッグベイきさらぎで勝負をする日なので何も気にならなかった、大概は全員に無視をされ、こっちを見てヒソヒソされ、休憩時間も教室にただ一人取り残される状況はいたたまれなくて辛いだろうが龍一の頭の中は明日の事でいっぱいだったし、そもそも独りぼっちには慣れている。
全部売れたらどうしよう、うっひっひ、スカウトされたらどうしよう、うえっへっへ、そんな強大な理想が脳内を埋め尽くしているのだから寂しさ辛さの入る隙間などなかった、いやむしろ幸せ物質で満ち溢れているのだった。言ってしまえば究極のリラックス状態ではないだろうか。
土曜日なので4時間で下校となる今日、久しぶりに外靴に石がぎっしり詰め込まれていたが、鼻歌交じりで玄関にその石をぶちまけて軽いステップを踏み、にこやかに帰る龍一の姿に、その嫌がらせをした生徒達も顔を見合わせてポカンとした。
家に帰ると誰も居ない、いつもの事だ。
冷蔵庫を開け、戸棚を開け、食べられるものを探す龍一は次第に料理と言うモノを知り始める。これを入れたらどうだろう、あれを入れたらどうだろう、絵を描くときに発揮される龍一の探求心が料理でも発動するようになって行った。火を使うのは怖かった龍一だが、中学生ともなれば平気になっていた、得意なのはインスタントラーメン。作るだけからだんだんとスキルが上がり、どのタイミングで火を止めると麺が一番いい硬さになるか、卵を落すタイミングもしかり、半熟なのかとき卵なのか、仕上がってから熱したごま油をラーメンにかける、味噌を足す、酢を使う、考えられることは全部やって技術を身につけ、全てが我流の美味しいインスタントラーメンを作れるようになっていた。
自分の中で最高のラーメンを食べると、明日の準備を始めた龍一。折角包んだ作品をまた出して1枚1枚確認し、自己満足にも似た納得を繰り返し、売れたらどうしようとニヤニヤを繰り返す。
夕方になると母親が帰宅し、明日は病院に行くから家で留守番をしていて欲しいと言われる。とんでもない!明日はビッグベイで自分の絵の実力を確かめに行くんだ!と心で叫び、母親に『明日は用事があるから無理』と伝える。しかし母親はその無理の『り』を言い終わる前に『トシおじさんが来るから居てもらわなきゃ困る』と被せて来た。部屋に戻った龍一、返事をしなかったものの黙って戻ったのだから納得した、受け入れたと取られても言い訳は出来ない、しかし主張したところで圧し通せる権力があるわけでもなく、もっと言ってしまえば龍一には権利すら1mmもない。龍一の考え出した答えは1つしかなかった。
翌朝、親父が母親を乗せて病院へ行った、『留守番頼むね』と一言残して。龍一は『ふぁん…』と唸りを一つあげた。これは『はい』とは言っていないと言う龍一の策だった、そう、龍一はこの時伸びをしたのだ、返事はしていないのだ。車が出てから10分待ち、戻ってこない事を確認すると龍一は作品を20枚入れた鞄を自転車の籠に差し込み、家の鍵をかって自転車にまたがった。そこで首をひとつ傾げると、自転車を降りて玄関の扉の鍵を開けて中に入った。
『ガスオッケー、テレビ…ストーブついてない、電気…OK』
そう言いながら指さし確認をすると龍一はまた戸締りして玄関をでた。龍一のクセの一つで、一度よしOK!となってから確認したくなる衝動に駆られるのだ、こういう行動をする病気があるが、龍一の場合は病気のそれとは違い、幼少より長い事叱られ、殴られ続けたからこそ身に付いた『怒られない為の確認行動』なのである。
心の中が全てOKとなった龍一は自転車にまたがり、颯爽と目指した。目的地はビッグベイきらさぎ、完成したばかりの話題の観光地である。
『9時か…うん、午前中には到着できるな』
決してカッコよくはないお年玉で買った時計を左の手首の内側にしている龍一、女の子がする仕方だとか馬鹿にされたりもしたけれど、絵を描く龍一にとっては一番見やすい位置なのだった、それを言っても誰も信用せず女子受けを狙ってるとヒソヒソと言われるのがオチだから誰にも言わないのだけれど。くいっと捻った手首を戻して2、3度カチャカチャと振り、定位置に時計を戻すとペダルを踏む足に力をこめた。
行った道をそのまま帰って来ることから母親に『うさぎ』とあだ名をつけられるほど方向音痴だが、逆に一度通った道を頭に入れた時は忘れる事は無いので、迷うことなく龍一は走った、近道は当然あるはずだが龍一にとって知らない道を冒険で選ぶことは、レベルが低いのに洞窟に入ったら入り口で殺されるRPGゲームの勇者と同じ目に会うようなものだった、それを自分でわかっている龍一は堅実に確実に知っている道をひたすら走るのだ、それがどんなに遠回りでも。
途中しんどくなるも、お金がないのでジュースなんか買えなかった、公園で水を飲もうにも龍一のコースに公園は無かった。天気も良く、カラカラに乾いた喉は流れる汗と共にどんどん加速する、自分の呼吸の音を聴くと疲れも増してくる。一旦自転車を止め、リュックの中からラジオを取り出してイヤホンを繋いだ。流れてくる音楽と軽快なおしゃべりは疲れを緩和させ喉の渇きも忘れされてくれるのだった。
心臓が破裂しそうな坂を上る龍一、なぜか降りて押すという選択をせず必死に鬼の形相で立ち漕ぎで上った、太腿も悲鳴を上げている、鉛の様に重くなってくる足を懸命に動かした、もう歩いた方が早い速度だがそれでも上った、上り切った先に下りがあるからだ。この先に何かがあると信じ、その何かが見えた時の龍一はとても強かった。『これさえ、これさえ上り切ったら!』呪文のように繰り返しながら上る龍一だったが、その形相を見る限り、呪いを唱えているようにしか見えなかった。
頂上に辿り着くと自転車を止めて降りた、足がガクガクで歩く事もままならずその場に転んだ龍一、でもガードレールをよじ登るように立ち上がると、そこから見えた海を見て『ざまぁみろ』と一言発した。
少し休憩して下り坂をゆっくり目に噛みしめるように下りた龍一、前進にぶつかって来る風が汗だくの衣服を冷やしてとても気持ちが良く、何をしに来たのか忘れる程爽快だった。
坂を下りて右に曲がると見たことのない車の台数と人の多さに驚いた。この街は新しいモノには直ぐ飛びつき、直ぐに飽きる傾向にあるので観光客と地元の人間が入り乱れており、まるでアリの巣をほじくり返したようでもあった。この中で勝負をするのかと思うとおじけづいたりもするだろうけれど、龍一はこの中で何人が自分の絵を見てくれるのだろうと言う思考で満たされており、大きな瞳を見開いて上げられるだけ口角を上げると上下の歯を噛み合わせて『ひひひっ』と笑った。
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