第3話 僕が世界を壊すから、どうか君は……。




 僕等は良子のの車に乗った。

 三時間も走り続けて辿り着いたのは、山奥の古びた教会だった。教会の前には、正装をした、見慣れぬ大人達がいた。


「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」


 身なりの良い紳士が自動車のドアを開け、良子に手を差し伸べる。彼は貴人を扱うように、良子を教会へとエスコートする。


「ほら。貴方もいらっしゃい」

 良子に言われ、僕も腰を上げた。


 教会に入ると「わあっ」と、歓声が上がった。


「ああ、我が光」

「なんてこと。リリスの巫女……!」

「信じられない。本当に来て下さった!」


 大勢の大人達が、歓喜の声を上げる。

 教会の中には、異常な光景が広がっていた。

 ホールには、気味の悪い連中が大勢いた。黒い円錐形の頭巾を付けた連中や、仮面を付けた連中に混じり、見覚えのある政治家や官僚の顔もいくつかある。礼拝堂の扉は開け放たれていて、奥に掲げられた十字架は、逆さになっていた。辺りには悪臭が立ち込めており、床には無数の遺体が横たわっている。遺体が着ている服は、僕の高校の制服だった。


「お姉ちゃん。これって?」

「ええ。そうよ。バスが崖から落ちたのは、このミサの為。それだけのことよ」


 良子は微笑して、僕の手を引いた。

 僕は教会の礼拝堂に通されて、そこで正式な儀式を受けることになった。


 まず、シャワーを浴びて身を清め、頭から香油をかけられる。

 司祭は逆さ十字を前に聖書のような物を持ち出して、その文言を読み上げる。僕も復唱し、神への信仰を誓う。最後に、大きなびんが運ばれて来た。瓶には真っ赤な肉片と血液が詰まっていた。僕は頭から、瓶の中身をかけられる。

 視界が真っ赤に染まり、腐臭が鼻を衝く。瓶に詰まっていたのは何かの臓物だと思われる。だが、なんの生き物の臓物なのか、考える気にはなれなかった。


「さあ、君も」


 大司祭とやらが、僕の傍にいた少年の頭にも、赤い物をぶちまける。この時、儀式を受けた人物はもう一人いたのだ。

 それは「アノン」という名の、中学生ぐらいの少年だった。アノンは見るからに繊細で、色白で、とても美しい顔立ちをしていた。

 僕等は並んで良子から按手礼あんしゅれいを受け、洗礼を終えた。


 やがて、乱痴気騒ぎが始まった。

 そこに居た大人達は皆、服を脱ぎ、性交を始める。男も、女も、関係なくだ。

 野獣共が騒ぐのを、良子は祭壇奥の高みから見下ろしていた。そこは礼拝所の最奥で、大司祭の席よりも高い位置に当たる。大司祭は良子の靴に口づけをして、熱心に祈りを捧げている。

 良子は魔術師達にとって、信仰の対象なのだ。多くの魔術師にとって、僕とアノンも特別な存在であるらしい。良子が直に洗礼を施すのは、とても稀な事なのだそうだ。アノンは魔女に囲まれて、賛辞の言葉を投げかけられる。僕にも妖艶な魔女が絡みつき、口付けの雨を降らせる。


 騒ぎの食卓には、次々と大きな皿が運ばれて来た。そこには人間の頭部や腕、脚等が乗っかっている。黒魔術師達は嬉々として、そのご馳走に齧りつく。この食事もまた、彼らにとっては重要で、神聖な儀式の一環なのだそうだ。


「うわあ、離せ、離してくれえ!」


 突然、誰かの声が響き渡った。

 魔術師共に引っ立てられて、一人の男子高校生が礼拝堂の床に転がされる。そいつは、僕を虐めていた不良の一人だった。

 まだ、生き残りがいたのだ。

 僕はそいつと目が合った。


「た、助けて。助けてくれえええ!」


 奴は僕に縋りつき、卑屈に命乞いする。

 その後頭部を、突然、黒魔術師の一人がハンマーで殴りつけた。

 ゴキ。と、鈍い音がして、鮮血が噴き出す。

 一瞬で、そいつは息絶えた。


 そして、次々と、礼拝堂にクラスメイトが引っ立てられた。全部で三人。彼らは皆、転落事故の生き残りだった。


「さあ、闇の魚の初仕事だよ」


 初老の男が僕にハンマーを手渡した。重い、両手持ち用の大振りなハンマーだった。

 僕の目の前には、不良の一人がいる。こいつは何度、僕に肘鉄を落としたっけ。こいつが嗤いながら撮った動画は、今も、僕の携帯端末の中に保存されている。


「や、やめてくれよ。なあ、許してくれ。頼むよ」


 言ったそいつの右膝に、僕はハンマーを振り下ろす! 骨が砕ける感触が、ハンマー越しに伝わった。

 期待した以上の絶叫が上がり、そいつは狂ったようにのたうち回る。それを、魔術師どもが楽しげに押さえつける。右膝の次は左膝、次は右腕……。僕は一切躊躇せず、そいつが絶命するまでハンマーを振り下ろした。

 今更、許してくれだって? それは卑怯者の言い分だ。おかげで迷いなく殺す気になれたよ。ありがとう。


「きゃあ、や、やめて。お願い。私達、友達でしょう?」


 続けて、目の前に引き立てられたのは、女子生徒だった。彼女は僕を見下して、よく、『キモい』と、嘲笑していた。僕は、彼女が転びそうになって、それを助けようと手を掴んだ事がある。その後で、彼女はすぐに手を洗っていたっけ。


「ね、ごめん。私が悪かったから。なんでもするから。お願い」


 媚びるような眼に、涙が浮かんでいる。声は震え、歯がカチカチと鳴っている。

 強烈な虫唾が走った。

 だが、僕はハンマーを振り下ろせずにいた。女性を殺す事に抵抗があったのだ。


 ドカリと、ハンマーが降り降ろされた。

 彼女は白目を剥き、頭から血を吹き出して倒れ込む。

 恐ろしい程に痙攣していた。

 殴ったのは、アノンだった。


「こうやるんだよ?」


 アノンは酷く穏やかな調子で、薄く微笑を浮かべる。人を殺したのに、全く動じていない。アノンも僕と同様に、人としての一線を超えているのか。

 途端に、新鮮な死体に魔術師共が群がった。連中はナイフで肉を切り分けて、人間の刺身を頬張った。皆、血まみれの顔でわらっている。


 そして再び、目の前にクラスメイトが引っ立てられる。

 僕はピタリと動きを止めた。

 それは田辺たなべ伊織いおりだったのだ。


「ごめんね。怒ってるよね。許してなんて言えないよね。何もしてあげられなくて、本当にごめんね」


 伊織は、涙を浮かべて言う。

 僕は一瞬、頭が真っ白になった。


「怒って当然だよね。いいよ。私の命をあげる。でも約束して。私たちは悪かった。そう、悪いのは私たちだけ。許せない人を憎むのは仕方がないことかもしれない。だけど、世界は貴方の敵じゃない。私たちを憎んでも、世界を壊すのはやめて。世界には、貴方が知らない愛があるんだよ。本当だよ。お願いだから信じて」


 言い終わり、伊織は目を閉じた。眼を見ればわかる。彼女はこの状況で、本気でそれを言っている。

 死を、受け入れているのだ。

 僕は只々、伊織が理解できなかった。この状況で何故、何が、彼女にここまでの事を言わせるのか。確か、伊織は神を信じていると言っていた。彼女の信仰とやらが、ここまでの覚悟を強いるのだろうか。だとしたら、どうしてこんなにまで信じられる?

 悪魔がいるのだから、きっと神もいるのだろう。でも、神は、僕も母親も救わなかった。どんなに叫んでも祈っても、なんの意味もなかった。とんだ役立たずの薄情者だ。そんな奴を信じてどうする。

 それなのに、伊織は震えながら微笑んでいる。そこには、僕がとうに失ってしまった光が宿っていた。


「何してるのさ。さあ早く。君はもう一線を越えたんだよ。地獄行きは確定している。後戻りはできない。今更迷うこともないだろう」


 アノンが静かに歩み寄り、僕にハンマーを手渡した。


 


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