辿り着くその先は

目が覚め寝惚ねぼまなこをこすりながら、意識が少しずつはっきりしてくると、昨日のことは夢なんじゃないかと咄嗟に現実逃避する。しかし朝食の折、父さんが今日の面談の確認をしたことですぐに昨日の事が間違いなく現実であるとわからされる。


今日は土曜日ということもあり午前中の授業が4コマで終わりだ。面談は授業を受けたその後、13時から行われることになっている。


その確認を父さんと終えた後、ほぼ毎日一緒に登校している幼馴染で、今では恋人でもある夕陽紅葉ゆうひもみじとの待ち合わせ場所へ向かう。


昨日、父さんの帰宅を待っている間に紅葉からメールが来ていたが、自分自身まだ整理がついておらず、また考えなければいけないことも多くあったため、明日の登校のときに話すとだけ返した。登校時ならばある程度時間を取れるため、説明にも最適と言える。


そんな紅葉は同じ住宅街に住んでいて、待ち合わせ場所である住宅街の入り口へと向かうと、今日は紅葉が先に待っていた。


「おはよ」

「あんた何やってんのよ!久愛に全部聞いたわよ!悠がそんなことする人間だなんて思わなかった!」

「……」


怒りと侮蔑の視線とともに、朝一番に投げかけられたのはそんな言葉だった。紅葉と藤堂は仲が良いからだろうか、俺が説明する前に藤堂から話を聞いたようだ。


俺は昨日家族が信じてくれたことで、紅葉だって信じてくれると、そう思い込んでいた。


「違う!俺はそんな事してない!」


咄嗟に否定する。


「なにが違うのよ!久愛は嘘つくような子じゃないでしょ!?それに美宇ちゃんだって見たって言ってるんだよ!?」


ああ、そうなんだ。紅葉も先生と同じなんだ。彼女は俺と藤堂を天秤にかけ、そして藤堂を選んだんだ。視界が明滅する。紅葉が何か言っているように見えるが俺の耳には何も聞こえてこない。この場にいたくない。紅葉と一緒にいたくない。そう思った俺は気付いたら逃げ出していた。



学校に行きたくない。家に引きこもりたい。どこか遠くへ行きたい。

そう思ってしまう程に紅葉から信じてもらえなかったことは俺に重くのしかかっていた。幼馴染で恋人なのだ。先生の時に受けたダメージなど比較にならなかった。


しかし、そう思いながらも、今日は面談もあるし、友達にも弁明しなければならない。向き合うことは怖いが、逃げることも怖い。そんな臆病な俺は結局学校へと向かった。


昨日のホームルームの話だけでも、みんな大まかにではあるが事情を察しているだろう。信じてもらえるだろうか。紅葉から信じてもらえなかったことを思い出すだけで途端に怖くなるが、勇気を振り絞ってドアを開けた。


俺は友達が多い方だ。普段は特に仲の良いグループで一緒にいることが多いが、クラスのほとんどの人と気兼ねなく話す事ができる。どこからどこまでが友達と明確に考えたことはないが、極端に言えばクラスのほとんどが友達くらいに思っている。


そんな俺を迎えたのは静寂。扉の前に立った時には確かに喧騒が聞こえていた。

その雰囲気から、昨日今日で味わった自分を非難する2人の目を思い出す。そうなれば、もうクラスメイトの顔を直視する勇気などなくなっていた。

視線を上げれないまま自分の席へ向かい荷物を机に置く。

しかしこのままではダメなのはわかっている。だから恐る恐るではあるがいつもつるんでいる友達に声を掛けようとした。


「うわ、どの面さげて学校きたんだよ」「きも」「ってか普通に犯罪でしょ」「藤堂さんかわいそー」


1人目が口を開くのを皮切りに、クラス中から降ってくる罵詈雑言。


「ち、ちが」

「なにが違うんだよ。さすがに引くわ」


俺の否定を食い破るように声を発していたのは、今俺が声をかけようとしていた仲の良い、いや仲の良かったはずのクラスメイト。その言葉で反射的に俺は顔を上げクラスメイト達の顔を見てしまった。そこにあったのは嫌悪、敵意、失望、無関心。俺に向けられている視線に好意的なものなど1つとしてなかった。


そこで俺は悟った。みんなの中で事実は確定してしまっている。もう何を言っても信じてもらえないのだと。だから俺にはもう家族以外の味方などいないのだと。

俺は今までみんなと仲良くやれていると思っていた。信頼を築けていると思っていた。だがそれは1つの嘘で簡単に崩れ去った。


逃げ出したかった。でもそうはできなかった。

俺がこの場から逃げ出すことでこの場にいる者は様々な反応を取るだろう。その事を想像すると、それは先ほど向けられた言葉や視線と同じくらいに怖かった。

だからもう聞こえないフリをして席に座った。そう、フリだ。視線は未だに刺さり続けているし、時折囁かれる言葉だって耳に届いている。


どうしようもなくなった俺はできるだけ何も考えないように昼まで過ごした。地獄だった。無心を心がけようとしてもすぐに引き戻される。授業なんてもちろん頭に入ってこないし、1コマがいつもの何倍にも感じられた。そして口を自由に開くことができる休憩時間がなにより怖かった。


だが時間は過ぎてくれた。帰りのホームルームが今終わりを迎える。

みんなが下校または部活のために散り散りになろうとする中、俺と藤堂は先生に呼ばれ、13時に親を伴い職員室横の会議室へくるようにと告げられ、やっと解放されたと教室を足早に去った。



担任、俺と父さん、そして藤堂とその母親。面談はこの5人で行われた。

どういう形で進行するんだろうと思っていたが、俺たち生徒には事実確認を行うだけで、基本的に大人3人で話が進められた。

何度も同じような話を繰り返していた。父さんが否定し、相手方は譲らない。こうなっては平行線、もう今日中に話の収拾がつくことはないだろうと思った折


『遺憾ではあるが示談にしてはどうか』


相手はそう切り出した。


父さんはそう持ち掛けられても反論し、必要とあれば弁護士をたてて戦う意思を示した。

しかしそこで先生が、事を大きくしてしまえば現状だけでなく俺のこれからの人生にも響いてくるのではないか、不利なのは加害者という立場であり目撃者もいる俺の方なのだと、そう言った。

長らく沈黙が場を支配した。

そして父さんは結局頷いた。

その後は大人で話を済ませると俺たちは退室させられた。すぐ隣には冤罪をふっかけてきた女。


「お前なにがしたいんだよ」


俺は答えなど返ってくるとは思わなかったが、そう問い掛けずにはいられなかった。


昨日のホームルームからの初めての2人だけの時間。予想通り言葉は何も返ってこなかった。そして俺は誰の目もない場所で藤堂と2人になると、また何を擦り付けられるか分かったもんじゃないと思い至りこの場を去った。


「すまん……」


校舎からでてきた父さんは俺を見つけるなり開口一番謝罪の言葉を口にした。

父さんは悔しそうに、そして情けなさそうに呟いたが、俺は父さんを責めようなんて微塵も思わなかった。

父さんは何度も否定してくれた。そして俺の将来を思って決断してくれたのだ。


「ありがとう、父さん。帰ろう」


朝から続く陰鬱いんうつとした気持ちは、父さんを見ることでいつの間にか晴れたようにも感じられた。



この日、2人のクラスメートの悪意によって晒された俺という人間の心は、友人の、恋人の不信を以って壊され、家族からの信頼により変容した。

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