家族

「ただいま」

「おかえりー」


家に帰ると、妹の紗由さゆがソファーに寝っ転がりながら漫画を手にケタケタと笑っている。この様子からすると何も知らないのだろう。まあ事が起こったのは下校前のホームルームなのだ。タイミング的に知ってるわけがないか。


リビングで寛いでいるわけにはいかないと、水を飲みすぐに自室へと向かう。


下校しながらも解決策について頭を巡らせたが、全くどうしていいのか分からない。自分の無実を証明しようにも方法が思い当たらない。

明確な証拠も提示できず無実を訴えたところで、みんながみんな信じてくれるとは限らない。既に俺には先生という前例ができてしまっているのだ。


そもそも、あの2人はなんなんだ。あれは俺の知っている人間とは全く違う。


今日という日まで、俺は性善説すら信じていた。

短くはあるが14年間生きてきて、周りの人間は皆善良だった。間違いを全く犯さないというわけではないが、それでも俺の目に悪人として映る人などいなかった。もちろんテレビやネットで取り上げられている犯罪のニュースを目にしたことは数えきれないが、それはどこか別の世界の話なんじゃないかと思える程に現実感がなかった。


だが唐突に悪意は牙を剥いてきた。

思い出すだけでも悔しさと怒り、そして自分に対してのあざけりが込み上げてくる。今までの自分はどれだけ夢見がちだったのだろう。それはあまりに滑稽だ。

平然とした顔で悪意を振りまくことのできる、今日見たその姿こそが間違いなく人としての一つの側面なのだとこの身を以って思い知らされた。


解決の糸口すら浮かばないからか、俺の頭にはそんなことばかりが頭を巡るが、自分の部屋の扉を叩く音により現実へと引き戻される。


「悠、担任の先生から電話をもらって帰ってきた。大まかに事情は聞いたが悠の口からどういうことがあったのかを聞きたい。すぐに下まで降りてきなさい」

「わかった」


今日中に父さんと話し合いの場を持つことはわかっていたが、学校からの電話でいつもより早めに帰宅してきたようだ。


そうしてリビングへ行くと、父さんが紗由に声を掛けているところだった。


「紗由、今から悠と大事な話があるから上にあがっていなさい」

「えー、まあいいけどさー」


父さんに促され、紗由がしぶしぶ立ち上がろうとしたところで


「父さん、紗由もいちゃだめ?紗由も学校に行けば話を聞くことになるだろうし、妹なんだから無関係ってわけにはいかないと思う。なら俺の口から事情を説明したい」

「そうか」


俺はそう提案する。

俺の言葉に父さんは了承し、紗由は気怠そうな雰囲気から一転、何事かと真面目な顔になり、3人でいつもの定位置に座ると俺は今日あった事を話し始めた。


「なにそれ」


今初めて事情を知った紗由は、唖然としたようにそう呟く。


「……」


先生と俺の双方から事情を聞いて、それを咀嚼するように父さんは黙って考え込んでいる。

そして少しの沈黙を経て、父さんは口を開く。


「先生は、おそらく悠が悪い事をした。だから私から悠に謝罪を促してくれというニュアンスで働きかけてきた。だが悠、悠は何もしていない。間違いないな?」

「うん、俺は絶対にそんなことしてないよ父さん」


思い込みから勝手なことを言ってくれた先生に対する怒りが込み上げそうになるが、それを抑え、真っすぐに父さんの目を見てそう答えた。


「わかった」

「信じらんない!悠がそんなことするわけないじゃん!藤堂先輩と山本先輩だよね?何の恨みがあるわけ!?」


俺は唖然とした。2人を信じたいと思う一方で、本当は怖かったのだ。だから、こんなにもあっさりと信じてくれるなんて思いもしなかった。


ああ、そうか。誰一人として俺を信じてくれないわけじゃないんだ。

父さんや紗由のようにちゃんと俺という人間を見てくれていて、そして信じてくれる人もいるのだ。先生の不信により懐疑的になっていた俺の心はこの時確かに救われた気がした。

だから希望が持てたんだ。まだ信じてくれる人間がいるだろうと。


【父視点】


ケータイが着信を知らせるべくポケットの中で震えている。

ケータイを取り出し誰からの着信だろうと画面に目をやるが、見たことのない電話番号からだ。


「もしもし、高崎です」

「もしもし、こちら松凪まつなぎ中学校で高崎悠君の担任をしている渡辺と申します。高崎悠君のお父さんで間違いないでしょうか」

「はい、間違いありません」


学校からの電話だった。なぜ俺に直接電話が掛かってきたのだろうか。胸騒ぎを覚えつつ、続く渡辺先生からの説明に耳を傾ける。


そうして語られるのは、まるで自分の耳がおかしくなってしまったのではないかと思えるほどにおかしな話だった。


要約すると『悠が女子生徒の服を脱がせ無理矢理行為に及ぼうとした疑いがある。悠は頑なに認めようとしないが、目撃者までいて恐らく間違いないとのこと。だから親である私から悠に事の重大さを言い聞かせ、相手方に謝罪できるようにしろ』である。


あの悠が強姦未遂?

俺は妻が亡くなってからも悠を精一杯育ててきたつもりだ。

俺自身口数も少なく、また子供2人を養うために仕事に割く時間はどうしても多かった。それは子育ての十全な環境とは言えないのかもしれない。だが悠は心優しい人間として育った。俺はそう思っている。


俺が知らないだけで悠も心の闇を抱えていた?そんな思考が一瞬よぎるが、家族とはいえ他人の事を完全に理解するのは不可能だ。それならば俺は俺の見てきた息子を信じるしかない。

まずは家に帰って息子に事情を聞こう。そう思い、居てもたってもいられなくなった俺は上司に伺いを立て帰宅の許可をもらう。


そして、帰宅するとすぐに悠を呼び出し事の経緯を聞くと、担任の言っていることは全くと言っていいほど食い違っていた。それに、やはり息子が嘘を言っているようにも見えなかった。一緒に話を聞いていた娘も同意見なのだろう。ならば俺は俺なりに悠を守るしかない。


だがどうすればいい。

明日学校へ赴くことにはなっているが、悠の話を聞いた限り無実を証明しようにも手立てがない。

とりあえず息子はやっていないと否定はするつもりだが、はいそうですかと相手は納得しないだろう。ならば明日の話し合い次第では弁護士に相談するべきかもしれない。


話し合いが行われるまで、そんなことを幾度となく頭を巡らせた。

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