虚飾性男子は恋すら喉を通らない

栖小宮ガマ

序章

急変

下校前のホームルーム、再来週から始まる修学旅行についての注意事項を先生が話しているときのことだった。


「クス……クス……」


どこからかすすり泣くような声が聞こえてくる。俺と同じタイミングで周りの人も気付いたようで、みんなもキョロキョロし始め、俺がその発生源へと目を向けたところで


「藤堂、どうしたんだ?」


先生がいち早く声を掛ける。

声を掛けられ、さらには名指しされたことでクラスメイト全員分の視線を浴びることになってしまったからだろうか、すすり泣くような声は確かに泣き声だと認識できるほどに大きくなっていた。

泣き声の発生源である藤堂久愛とうどうひさめからは、泣き声しか返ってこない。

先生も困ったように少しずつニュアンスを変えながら尋ね続け、藤堂さんはやっとのことで小さな声ではあるが話し始める。


「高崎君が、私の事を無理矢理……」


高崎君、他学年の事は知らないが、この学年には高崎という名字の生徒は1人しかいない。俺、高崎悠たかさきゆうはいきなり自分の名を挙げられたことで一瞬頭が真っ白になる。すぐに我に返り、何のことかと頭を巡らせるが、藤堂さんに何かをした覚えはないし、ならば俺ではなく他の学年にでも高崎という生徒がいるのだろうと一応の結論を付ける。


「高崎、何か心当たりはあるか?」

「いや全く。別の高崎じゃないですか?」

「藤堂、その高崎君ってのは誰のことだ?そこの高崎のことか?」


藤堂さんは怯えたように首肯する。

……え?


「そうか。しかしここではなんだ、事情は職」

「高崎君が私の事を押し倒して、無理矢理服を脱がせようとしてきて……クスクス」


いやいやいやいや何言ってんだ。全く身に覚えがない。あまりの意味のわからなさにパニックを起こしそうになるが、俺が今やらなければならないことはそうじゃない。否定し、自身の潔白を証明することが先決だ。


現に、少し間があいただけにも関わらず、秒を追うごとに周りの生徒達から向けられる白い目の数が増えていっているのがわかる。


だから、とにかく口を開かなければ。


「本当に何のことか分かりません!とりあえず藤堂さんにどういうことか説明してもらわないと俺もどうしていいかわからないです!」


まずは話の全容を把握して弁明しようとそう投げかけたが、さっきまで自分に向いていたはずの視線が、今度は自分ではない一点に向かっていることに気づき自分もそちらに見ると、山本美宇やまもとみうが手を挙げていた。


「私、その場面見ました。体育倉庫のマットの上で高崎君が藤堂さんを押し倒してました」

「待て、詳しい話は職員室で聞く。藤堂、山本、そして高崎、今から職員室まで一緒に来なさい。ホームルームはこれで終わりとする」


この話をここで続けるのはまずいと思ったのか先生が慌ててこの場を収める。

目撃者まで出てきて俺はもう頭が回らなかった。天地がひっくり返ったような感覚に陥り、よろけそうになりながらも3人と共に職員室へと向かう。



「先生!俺はなにもしてません!」


職員室の隣にある会議室へ案内されるや否や俺は声を張り上げた。

もう事情を聞いて弁明、なんて言ってられない。教室を出てから会議室に来るまでの短い間、働かない頭で考えた。

藤堂さんは俺に襲われたと言い、山本さんがそれを目撃したと証言した。目撃者まで出てきてしまったことで藤堂さんの勘違いやこちらが受け取り方を間違っていたなんて線もなくなった。つまりこの2人が共謀し俺を嵌めようとしている。そうとしか考えられない。だからどうにか先生にわかってもらおうとしたが


「高崎も言いたいことはあるだろうが、まずは2人から事の経緯を聞こう」


藤堂さんは話し始める。どうやら俺に襲われたというのは体育の授業の後の事らしい。

ならば矛盾点があれば突いてやる。

俺は自分の知っている事実と照らし合わせながら聞くべく、体育の授業の後の事を思い出す。大丈夫、今日の事だ。それくらいは鮮明に記憶に残っている。


今日の4限目の体育の後、授業で使ったボールと点数板を収めるべく、俺は体育倉庫に向かった。

中に入ると確かにそこには藤堂さんがいた。藤堂さんも俺と同様女子の授業で使ったボールを収めていた。

しかしこれは偶然などではなく、この学校では体育の授業で使った道具は日直が収めることになっているからだ。まあ量が多い場合はその限りでなく、周りも手伝ってくれるのだが、今日は一度体育倉庫に行くだけで済む量だったので、友達には先に戻っててと伝え1人で向かったわけだ。


藤堂さんと俺は、特別仲が良いわけでも、また悪いわけでもない。たまに話をする程度。しかしその時は互いに片付けもあるし、着替えも早くしなければいけなかったので、特に話しかけることもなく自分の片付けを終わらせることに専念した。

そして、俺が片付け終わりさっさと教室に帰るかと思った折、藤堂さんから


「少しいいですか?」


そう話し掛けられた。なんだろう?と思いながらも頷き了承の返事をすると


「高崎君、紅葉と付き合ってもう結構経ちますよね。うまくいってますか?」


なんて切り出してきた。

改まって聞くことでもないし質問の意図がわからなかったが、藤堂さんは俺の彼女と仲が良いので、何か確認したいことでもあるんだろうと思い直し「ぼちぼち」なんて少し照れ隠しの混じった返答をした。その後結局どういう意味でなされた質問なのかはわからずじまいだったが、特に気にすることもなく少しだけ話を続けて教室に戻った。


俺の知っている事実はこうだ。


しかし藤堂さんと山本さんはあらかじめ口裏合わせをしてきたのだろう。矛盾のないよう、うまい具合に事実に嘘を盛り込んでいた。


体育倉庫で片付けが終わった頃合の藤堂さんを、俺が突然マットに押し倒し、さらにはハーフパンツをずり下ろそうとしたところで、俺を突き飛ばし難を逃れた。その場面を、藤堂さんに用事があり体育倉庫にきていた山本さんが目撃した。


2人の証言をまとめるとこんなところだろう。


自称目撃者が1人いるが、結局何が起こったかは当事者達しかわからない。

話に矛盾など生じているわけでもなく、俺にとって弁明の好材料となり得るものなどなかった。


先生は一通り聞き終えると


「高崎、藤堂はこう言ってる。目撃者だっている。藤堂は普段から嘘をつくような人間ではないしお前の口から真実を聞きたい」


だからって俺が嘘をつくような人間とでも思っているのだろうか。まあ目撃者がいるし先生がそう思いたくなるのもわからなくもない。が、藤堂が真面目な生徒ならば、俺だって今まで人に対して誠実に生きてきたつもりだ。かつて先生だってそういう俺の態度を評価してくれたことだってあったはずだ。だから俺は諦めない。


「先生、俺はさっき2人が言ったようなことは何もしてません。藤堂さんに話し掛けられて少し話はしましたがそのまま教室に戻りました。人を悪者のように言いたくはありません。ですが理由は分かりませんが2人は嘘をついています」

「そうなのか?」


と先生が問いかけるも、当たり前だが2人は首を横に振る。

そこで先生から返ってくる目を見てやっと気付く。先生が2人に向ける目と俺に向ける目の質が明らかに違う。俺を見る目のみに強い疑念を感じるのだ。


なんで、どうして信じようとしてくれない……。


そこでふと先程の先生の言葉が頭に浮かんでくる。

先生は俺の口から真実を聞きたいと言ったのだ。あれは俺の反証を望んでいるのではなく、俺が嘘を吐いている前提の、内心で犯人と断定しての追求だったことに今更ながらに気づく。


「お互い言ってることが食い違ってる以上、どちらが本当の事を言ってるかは先生には判断できん。だが事が事だ。親御さんに事情を説明し、後日改めて親同伴で話を聞くことになる」


話は締めくくられ、裁定を下そうとする先生自身に俺を信じる気がない。こうなってしまってはもうだめだろう。

しかし警察は呼ばないのだろうか。学校としての体裁が関係しているのだろうか?

いや、でもそれは助かるかもしれない。警察を呼んで真相を解明して欲しいと思う半面、もし自分に不利な形で帰結してしまうと今以上にまずい状況になるだろう。なんせ痴漢の冤罪だって起こり得る昨今だ。衣服の指紋採集は難しいと聞いたこともあるし、それが確実にできるなら度々冤罪について議論が交わされることなどないだろう。


「とりあえず今日は帰りなさい。親御さんには私のほうから連絡しておく」

「「「わかりました」」」


そうして、絶望と無力感にさいなまれながら帰路に就くこととなった。

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