異世界に昇る 13

 目が覚めた時には、真壁の顔がすぐ目の前にあった。

 はねのけてしまいそうになったが、安らかそうな寝顔が見えたので、すぐに彼の体を押さえる。そういえば、真壁の肩にもたれかかった状態で寝落ちしただった。全く心臓に悪い。

 起こしてしまったのか、むっくりと体が動き、目が開いた。

「今何時だ」

 寝ぼけまなこの真壁に聞かれて、ショルダーポーチからスマホを取り出す。やはり、圏外になっていて時計が表示されていなかった。しかも、僕の答えを聞く前に真壁は自分の腕時計で時間を確認して、まだそんなもんか、とつぶやいた。

 自分が着ているTシャツの袖をさする。こんな薄着で寝落ちした割には、体が冷えている感覚はなかった。真壁も似たような格好をしているが、寒がっている様子はなかった。

「ちょっと聞いてほしいことがあるんですけど」

 真壁は僕の方を見た。

「ここって、すでに異世界なんじゃないでしょうか。2人で確認したところ、このエレベーターはおかしなところだらけなんですよね。

 でも、ここは僕たち元いた世界ではないのだとしたら、こんな現実にはあり得ないようなエレベーターだって存在するのではないでしょうか」

「まあ、そうかもしれないな」

 真壁は立ち上がって、操作盤の前に立つ。

「もしかして同じこと考えてます?」

 真壁は振り向いた。

「言ってみろ」

「このまま本当に異世界に行ってみませんか?」

 いたずらっ子のように、口元が笑った。

 お菓子のゴミをまとめ、持ってきたものをリュックの中にすべて押し込む。リュックを背負って靴を履くと、真壁がレジャーシートをたたむ間、僕はもう1回だけ扉を開けるボタンを押してみた。やはり反応はなかった。

「でも他のボタンなら」

「反応するかもしれないな」

 後ろからのぞき込んできた真壁にうなずいて、扉を閉める方のボタンを押してみた。

 ボタンが点灯した。かすかだがモーター音も聞こえる。

「反応した」

 思わず驚きが声に出る。

「次、どうするんですか?」

 前に出てきた真壁と入れ替わる。

「元々総合のD棟は5階立てだ」

 僕も利用したことがあるので、間違いない。

「だが、この操作盤には1から10までの数字がある。

 つまり、このエレベーターは10階立ての建物に設置されたものということになるな」

 途中の階までしか行けないエレベーターはあるが、フロアがないのにエレベーターの階数表示があるものはない。少なくとも10階立て用のものをモデルにしたようだ。

「実はエレベーターで異世界に行く方法は2つあって、元々俺は複数人で異世界に行ける方を試そうと思っていた。

 だがこの操作盤を見て感じたよ。10階分以上ある建物のエレベーターが必要なんじゃないかってな。

 1人で乗らないと成功しないと言われているが、今回は10階まで使う方法でやってみようじゃないか。こちらの方がポピュラーだし。どうする?」

 どうせ待ってても助けは来ないだろう。失敗してもやる価値はあるはずだ。

「一緒に帰りましょう」

「無事に生還だ」

 真壁は4のボタンを押した。

 静かに機械音が響いたと思うと、急に重力がかかる感覚があった。エレベーターが上昇している。

 チン、と音が鳴ると、扉が開いた。

 乗り場の向こうには、どこまでも果てしない漆黒の世界が広がっていた。

 ふらふらと足を踏み入れようとすると、真壁に肩をつかまれる。

「まだだ」

 僕は後ずさって、扉が閉まるのを見届けた。

「まだ終わっちゃいない」

 今度は重力が下にかかった。エレベーターの昇降の待ち時間に真壁から操作の概略と注意事項を聞かされた。

 次に扉が開くと、霧のようなものがいっぱいに広がっていた。慌てて鼻と口を覆っていると、真壁はすぐに扉を閉じた。

「やっぱり本当に異世界なんですかね」

 6階、2階、10階と真壁がエレベーターを操作して向かったフロアの、次々に広がる扉の向こうの光景は、とても僕たちの世界の建物内で存在するとは思えない。

 次はターニングポイントになる5階行きだった。僕は真壁の後ろによける。5階に着くと女性が乗ってくるというのだ。僕たちは彼女とともに、異世界を目指すことになる。

 チン、という音とともに扉が開く。

 扉の向こうに立っていたのは、髪の長い、背の高い女性だった。

 彼女はふらふらと僕たちの乗っているかごに、何も言わずに乗ってきた。

 扉が閉まった後も、女性はしばらくそちらを向いて立っていた。ユイ、とつぶやく声が聞こえた。

 長い髪はボサボサで、スーツを着ているようだが汚れてしまっている。顔はよく見えないがやつれていて、履いているパンプスは傷だらけ、ストッキングも伝線している。大事そうに重そうな就活用のカバンを肩から提げていていた。

 まるで就活生がジャングルに迷い込んだような格好だったので、声をかけそうになったが、真壁からの視線で止められた。彼女に話しかけると失敗するという。

 真壁は1階行きのボタンを押した。

 彼女はゆっくりと首を動かして、僕たちの方を向いた。

「あの」

 僕の口は真壁の手に塞がれた。

「私、帰れるんでしょうか」

 ん?

 彼女のやつれた目と合った。

「あなたたち、どこから来たのか知らないけど、助けてもらえませんか?」

 女性に声をかけられると同時に、エレベーターは上昇を始めた。

「え?」

 女性は固まった。真壁の押したボタンを見て、重力が逆にかかったこのエレベーターを見回して、再び僕たちのことを見つめた。

「どうなってるの?」

 女性は詰め寄ってきた。

「何でエレベーターが上に行くの?」

 血走った目が迫ってくる。

「あなたたち何をしたの?」

 噛みつきそうなルージュが責め立てる。

「っていうかここはどこなの! 答えなさいよ!」

 ヒステリックになった女は、僕たちに覆い被さってきた。

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