異世界に昇る 12

 真壁は自分のリュックサックからお菓子の大袋を取り出して開封し始めた。本当に休憩するつもりらしい。

「いいから上がれよ」

「かわいくない」

「その言葉そっくりそのまま返してやる」

 勝手にレジャーシートを敷かれたせいで、靴を履いたままの僕がいられるスペースは扉の前の数十センチしかない。学童の女の子たちが使っていたものよりも狭いし、僕も靴を脱いで上がるしかなかった。

 靴下でシートの上に立つと、床の冷たさが伝わってくる。よかったことといえば、荷物を下ろせることと立ちっぱなしにならなくて済むことくらいか。

「持ってきたよな?」

 体育座りになってから微動だにしない僕を、真壁がのぞき込む。既に開封したソフトクッキーをくわえていた。

「ええ、ありますよ。おやつ。

 でも、遠足気分になってる場合じゃないでしょ」

「そのくらいの気持ちでいないと持たないだろ」

 自分が食べているものとは違う味のものを大袋から1つ取り出して、差し出してきた。

「腹だって減るわけだし」

 受け取らないと終わらなさそうだったので、小袋をもらった。お返ししなくては気が済まないので、僕もお菓子を出して並べた。

「アレルギーとかないですか」

 真壁に持ってきたものを一通り見せると、文句を言い出した。

「なんでチョコレート苦いやつ持ってきたんだよ」

「いいでしょう、別に。そっちこそグミ食べてますけど手は洗ったんですか?」

「飴なんかもらったらほかのもの食えなくなるだろ」

「後でなめればいいでしょう。というか、遠足じゃないですし」

 というか、あんたこそ他に持っているのは羊羹とかケーキ菓子とか、交換できないものばかりじゃないか。

 散々お互いが持ってきたお菓子でもめたあげく、そもそもおやつ交換したいわけではないことを思い出した。もらった以上、何でもいいから返さねば。唯一何も言われなかったクッキーの箱を開けて、1袋渡した。

「よくこんなかさばるの持ってこられたな」

「お礼とかないんですか」

「お互い様だろ」

「……ありがとうございます」

 真壁のお礼は聞かずに、もらったクッキーをかじった。永年愛される味がした。

 ちらりと隣を盗み見ると、真壁は1枚目を口に押し込んでいるところだった。どうやらどちらも割れていないようだ。

「何だ?」

「割れてないな、と思いまして」

「今時こういう市販のクッキーが割れてたら、店か客が雑に扱ってるとしか考えられねえよ」

 ほら、ともう1枚入っているクッキーを真壁は差し出す。小袋ごとくれたのでいただいた。

 思い当たる節がある。父は買ったものをバッグにつめる順番や向きや容量などあまり気にしていない。天地がひっくり返ったパック寿司を買ってきたために、冷え冷えとした食卓を囲んだこともあった。

 バターの香りとほのかな甘みが口に広がると、あすなろ公園で響と食べたことを思い出す。今頃何をしているだろう。無事に帰れたかな。ご飯は食べただろうか。佐橋さんを心配して眠れなくなっていればいいのだけれど。

「……大丈夫か」

 いつの間にか涙が流れていたことに気づいて、指で拭う。

「帰れますかね、僕たち」

「帰る気があるなら」

 真壁が言うので、ありますよ、と答えた。

「響が心配だし」

 また立川か、と思ってるだろうけれど、カシマさんのことを知っている僕たちがいなくなってしまったら独りになってしまう。

「中里さんからAED講習任されましたし」

 頼りにしてくれた中里さんを失望させたくないし、学生サポート部会の人たちに迷惑がかかってしまう。

「梶山君の誤解を解かなきゃならないし」

 悪いのは不安にさせた僕なのだから、約束通り伝えなければ。

「母が心配するし」

 母と弟の2人きりになってしまったら、母はますます弟に気を揉んで、あの家は壊れてしまう。

「学費だって払ってもらったわけだし」

 父だって、本当なら僕の大学費用まで払いたくなかっただろう。

「……大丈夫か」

 僕は、真壁の方を向いた。不安そうな顔をして、こちらを見ていた。

「なんつーか、君の言葉からは、悲痛な叫び声にしか聞こえてこない。

 一歩間違えば、そのまま全部、姿を消す理由になっちまいそうだ」

 真壁の言葉で、今まで自分を支えていたものが全部溶けていってしまいそうだ。

 体が自分を支えきれなくなって、真壁に倒れ込んで体を預けた。

「真壁さんは、どうして帰りたいんですか?」

 肩に頭をもたげて、真壁の返答を待った。

「当然、俺にだって帰りを待つ家族くらいいるさ」

 肌にほんのり温かみを感じる。あのお母さんのことかな。1人でもそう思ってくれる人がいるというなら、よかったと思う。

「後は、そうだな。2週間前に買ってきたアイスが冷凍庫にしまったままだし、リンカズの最新刊まだ読んでないし、最近買った腕時計3回くらいしか使ってないし、行ってみたい博物館がいくつかあるし、車庫入れだってうまくなりたい」

「欲望まみれじゃないですか」

 しかもいくつかはやり残してくるなよ、と言いたくなるものもあった。

「でも意外とそういうもんなんじゃないか、生きる気力を支えてるものって」

 語り口調が楽しそうで、不思議と活力が湧いてくる。怪談以外にも好きなものや、やりたいことがあったんだな、この人。

「君にはあるのか、そういうもの」

 目を閉じて考える。まどろむ意識の中で、確かな願いを口にした。

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