異世界に昇る 9
まさか人がいるとは思わなかったので、しどろもどろになりながらも、お邪魔してます、と頭を下げた。
「脩」
誰のことかと思ったが、真壁のことか。頭を上げて、女性の方を見た。
「この子と行くのね?」
ややきつめの高い声に、真壁はうなずいた。
「お世話になっております」
表情一つ変えずに、脩士郎の母です、と告げるものだから、萎縮して曖昧な返事しかできなかった。見た目も言われてみれば似ているのだが、オーラというか、彼女がまとう雰囲気のようなものが同じなのだ。暗い表情をしているわけでもないのにどこかに陰が差しているような、僕が真壁に不安を覚える何かがあまりに似ているだ。
彼女は僕たちの横を通り過ぎようとして、僕の真横で止まった。
「あなたも絶対に帰ってきなさい」
耳元でささやいた言葉に驚いて、玄関に入っていく彼女の方を思わず振り返った。キャンプに行く息子の友人にかける言葉ではない。
「母にはばれてしまったから」
真壁、もちろん脩士郎の方だ、が頭をかいた。
「行っていいんですか」
僕は、母親の方に問うた。彼女は振り返った。
「運命だというなら」
その言葉がずしり、と僕の体に重しをつける。彼女も母であると同時に、この家の宗教に携わる人間なのだと感じた。
真壁の母が家の中に入ってしまうと、歩き出した真壁に僕もついて行った。
神社の入り口の前に来ると、真壁は鳥居をくぐった。
「まさか行くんですか」
「今行かないでいつ行くんだ」
長旅の安全祈願はしておくべきか。しかもすぐ近くまで来たわけだし。ヒーヒーいいながらも石段を登り切った。
作法は同じでいいらしい。真壁の横でお参りをする。僕の隣で長めに祈る真壁の姿が、横目で見ていて少し意外だった。
石段を降りて根をあげそうになる僕に、真壁はお礼参りもするからな、と言ってきた。神様にお願いをしたらお礼もしにいくもんだ、と教えられる。そりゃそうか。
ちらほら大学生らしき人たちが向こうからやってくる中、僕たちは今、大学へ向かっている。目的地は総合のD棟。真壁曰く、10階以上あって防犯カメラがついていない、うってつけのエレベーターらしい。5限という時間設定も、人気は少ないが立ち入ってもほぼ怪しまれないようなちょうどいい頃合いなのだという。その熱意を他に使え。
神社を出たころから怪しかった雲行きは、やがて雨を降らせてきた。
「今日は降らないっていったのに」
文句を言いながら道のど真ん中でリュックを下ろして合羽を取り出す真壁に、待ったをかけた。リュックから取り出した折りたたみ傘を広げる。内心いらないかなと思ったが、いつもの癖でなんとなく持ってきてしまったのだ。今回ばかりは功を奏した。
「合羽だと目立ちます。狭いですが、よければ一緒に入りませんか?」
真壁は合羽をしまって、おとなしく傘の中に入った。
距離が近いから無言の時間がさらに地獄になった。身長差もないから、本来響を入れるよりも楽なはずなのに、腕がつらくなる。
「あれ、矢代君だっけ」
前から来た傘の集団の男に声をかけられる。同じ学科の人たちだった。
「おう、どうしたんだ?」
彼らから見れば僕たちは大学に逆戻りしているように見えるわけだ。ちょっとね、と言った。
声をかけてきた当人は僕と真壁を見比べて、戸惑っていた。真壁にも「友達か?」と聞かれたので、同じ学科です、と答えた。
「どういう関係?」
仲間たちも困惑と野次馬根性が入り交じった視線を僕と真壁に交互に向けている。確かにどういう関係と言えばいいのだろう。
「先輩後輩の仲だ」
なぜか真壁が、適当なことを言い出したので、向こうも適当な返事を返してすぐに別れた。すぐに僕たちのことは忘れて、別の会話が始まっていたようだ。
「嘘でもいいからサークルの人ですとか言っちまえよ」
「すぐにばれます」
言ってみたものの、これから彼らと深く話をすることなどあるのだろうか。
「矢代君!」
後ろから、聞き覚えのある声がした。
振り向くと、ビニール傘を差した梶山君がこちらを向いていた。彼の後ろには何人かの仲間らしき男性たちが心配そうにこちらを見ている。さっきの集団の中に梶山君もいたのか。
「どうした?」
「その人」
おびえた表情をする梶山君を見て、僕は思い当たることがあった。アンケートと称して僕たちに近づいてきた怪しい男、真壁の相談を梶山君たちにした。大学には本当に在籍していたとは伝えたものの、それ以降のことは特に話していない。
男の特徴として、顔がいいという話はした覚えがある。
今、僕の隣で傘に入っているのは、梶山君たちにとっては、得体の知れない、顔のいい男。
「心配ないよ。あの件は解決したし」
「でも最近の矢代君、なんかおかしいよ。今日だってマクロ経済学に遅刻してきたし」
「遅刻したのは、この人とは関係ない」
「じゃあ、その人とどういう関係なの?」
僕は言葉に詰まった。僕が怪談みたいなことに巻き込まれているなんて話をしても、信じてくれないだろう。それに、正直に話をして、彼らの元に恐ろしい妖怪が現れでもしたら……。
「今は言えない」
梶山君に心配をかけることになるのは申し訳ないが、今、彼に何と説明すればいいのかはわからない。
「後でちゃんと話すから、待っててほしい」
僕がそこまで言ったからか、梶山君はそれ以上追及してくることはなかった。
「絶対だよ」
梶山君はそう言って、仲間の方へ戻っていった。
「いいのか?」
「怪異関係のことを話すわけにはいきませんから」
真壁に聞かれたが、僕は傘とともに先へ進んだのでしぶしぶついてきた。
「君は、経済学部だっけか」
今日初めて、真壁の方から話しかけてきた。
「はい」
特に話した記憶もなかったが、勝手に調べられているだろう。赤井さんを探すのを手伝ってくれた人たちが、SNSに名前以外の僕の個人情報をばらまいたのだから。
真壁はそれきり、考え事をしているのかよそを向いてしまった。
肩が触れあうほどの距離にいるというのに、僕の目には真壁のきれいな横顔しか映らない。傘を少しだけ隣に傾けて、雨の降る中を歩いた。
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