異世界に昇る 8
響も気になるが、同じ学科の人たちに託してきたので5限はなんとか受けてくれるだろう。講義が終わるとロッカーから荷物を取り出して、約束通り真壁の家に行くことにした。
「どこにあるんですか」
案内するというので、学食で落ち合っておとなしくついて行くことにしたが、どこに向かっているのかは気になる。隣を歩く真壁に話しかけた。
「神社の裏だ」
前回はあすなろ公園を経由して直接加賀嶺神社に行ったので、家まではおそらく見ていないだろう。
真壁は大学からどのくらい歩くのかすら伝えてこなかった。学童の顔合わせの時に駅からあすなろ公園へ歩いた感覚を信じるなら、田舎の民にとっては結構歩くことを覚悟した。
つまり、無言の時間が気まずい。
真壁がちらちらこちらを見てくる。どうやら、僕の持ち物の変化が気になったらしい。
「買いました。ちょっと便利です」
ショルダーポーチの肩ひもをつまんでみせる。特に反応はなかった。
上着がいらない季節になっても懐中電灯がすぐに取り出せるようにしなければならない事情ができたので、買い出しついでに調達したのだ。本体には財布とスマホと定期入れくらいなら押し込めば入った。おかげで改札を通るときも最悪そのままかざして通れるので、少しだけ便利になったのだ。
盛り上がるような共通の話題もなく、響か中里さんくらいしか共通の知人もいない。特に響の話をすれば、彼が心配する佐橋さんの話になってしまいそうだ。なんとか他の話題を探した。
「そういえば、あの時聞きたかったことがありまして」
「異世界ものの話なら二度とするな」
「ウデババアの話です」
真壁は首をかしげた。
「何だその児童書に登場しそうな妖怪みたいなの」
「まさに学童の子たちが好きな本に登場する妖怪です。
設定が、カシマさんに酷似していました」
真壁は眼鏡を押し上げて、ほう、と聞いた。
「聞きたいことは?」
「ウデババアは、ホラー系の児童向け小説に登場するキャラクターです。
この小説はシリーズになっていて、子どもたちの話ではほかにテケテケが出てくる話もあるとか。
実は、あの日、響からカシマさんが出現する30分ほど前に、僕は学童の子の1人からウデババアの話を聞きました。最初に言いますと、襲われた子どもたちは、ほぼ全員その子の話を聞いていたはずです」
僕が事前にカシマさんのことについて知っていれば、ウデババアの話を聞いた時点で危険を察知することができたはずだ。悔やんでも悔やみきれない。
「さっきも言ったとおり、ウデババアは設定がカシマさんに似ています。ですが、創作で出すためか、名前以外の設定も少し変更されています。その1つに、話をした人のところに現れるという設定が抜けていました。
なのに、ウデババアの話を聞いた僕たちの元には、カシマさんが現れたんです。
何かつながりがあると思いますか」
「知らん」
真壁はそっぽを向いた。そりゃそうだよな。かたや物語、かたや妖怪。ジャンルが違う。
「まともに考えるとすれば、2つ」
真壁は独り言のように言った。
「1つは、カシマさんの設定を借りたり、あるいはモチーフにしているが、カシマさんとは似て非なる存在だから。
カシマさんは女性として語られることが多いが、性別不明とされている。ババアと言い切るには根拠が乏しすぎるだろう。かえって、学校の怪談には様々なバリエーションで登場する老婆の妖怪と無理矢理こじつけたという方がしっくりくる。
もしかしたらオリジナルの妖怪を創作しようとして、いくつかの妖怪をモデルにして混ぜ合わせたのかもしれない」
四辻の少女の掲示板にも、いくつかおばあさんの妖怪の名前があったことを思い出す。小学生からしたら、大人の女性を模した妖怪はババアのくくりにされてしまうのかと切なくなったが、なるほど、ウデババアの場合、カシマさんに似ているオリジナルの妖怪という可能性もあるのか。
「そしてもう1つは、カシマさんをモデルにしているが、そのまま出したくなかったから」
「どうしてです?」
「小学生向けのコンテンツっていうのは、クラスで話題になるくらいでなきゃ成立しない。金を払って手を伸ばせるものには限りがある。その中で優先されるのは仲間と同じ感情を共有できるコンテンツだ。小学生の場合、特に流行りに乗っからなきゃ置いていかれる、つまらないっていう認識が強い。
その中でも怖い話は諸刃の剣だ。普遍的に子どもたちから人気があるが、苦手な子がいるのも事実だし、好きな子の間でもあくまで空想の話と割り切って楽しむ子から本気で信じている子までいる。そういう集団にとって、話をしたところに現れる妖怪は手に負えない問題を引き起こすかもしれない」
自分が小学生の頃も、似たようなことがあったかもしれない。気分が悪くなるような話をした子が親が謝罪するはめになったり、架空の話を本気で信じている子が友達から嘘つき呼ばわりされて仲間外れにされてしまったり。
「あと、検索避けもあり得る。最近の小学生はスマホ1つで何でも調べられるだろうから、大人が見せたくないものだって見られるわな」
響がカシマさんの話を聞いたときも、カシマさんの正体がいくつか挙げられていたが、中にはショックが強すぎる説もあった。
「いずれにしても、誰のせいでもないからな」
真壁は念を押すように言った。ウデババアの話があまりにカシマさんに酷似していたことと、運悪く響が近くにいたことが重なっただけなのだ。誰のせいでもないことは、肝に銘じておかなければならない。
やがて見覚えのある石段が見えてきたと思うと、登らずに外周をあるいていくと、すぐに真壁という表札が出ている家があった。瓦屋根の大きな家だった。
真壁が無言で引き戸を開け、玄関へ入っていく。中は暗くてがらんとしていた。お邪魔します、と声をかけたが、誰もいないようだ。
靴を脱いで上がった真壁に、授業で使うものを入れたトートバッグを差し出した。
「貴重品はないな?」
「教科書とノートと筆記用具ぐらいです」
どういう気の回し方なのか知らないが、真壁は僕の荷物をウチで預かる、と言ってきた。教科書やルーズリーフ類は邪魔になる。駅のコインロッカーに預ければお金が戻ってこない。貴重品以外なら自分の部屋にタダで置いていいというので、お言葉に甘えることにした。
「忘れ物はないか」
「ありません」
中里さんから防災サバイバルセットと例えられたリュックの中身は、昨日から5回くらい確認している。言い得て妙だ。成功したら未知の場所へ冒険に行くようなものだもんな。
「一番大事なものは何だと思う」
ショルダーポーチのポケット部分をさする。一番の頼みの綱の懐中電灯の感触があった。
僕にとってはこの懐中電灯だが、期待する答えではないだろう。何だろうか。
「絶対にこっちの世界に戻るという強い意志だ」
すぐに戻るというので、玄関先で待つことにした。
まさか、彼からそんな言葉が出るとは思ってもみなかった。だが、考えてみれば当然か。ルックスが良く、大学にも行かせてもらえて、しかも自分の学びたいことと合致する学部だ、思う存分好きなことを学べる環境にいられて、あれだけが頭も回ればさぞかし成績も優秀だろう。そりゃあ、こちらの世界に1つや2つの未練どころか、普通に考えてこちらの世界から出て行く理由などないはずなのだ。
でもなぜだろう。真壁は、ここではないどこかへ行ってしまいたいものだと思い込んでいた。
普通にしていればいくらでも華々しい人生を送れるだろうに、彼はライフワークと称して怪談を収集し、危険を承知で妖怪に遭遇する僕たちに首を突っ込んで、純粋に怪奇現象を確かめたいと願っている。響のように下心があるから近づいたわけでもあるまい。
伯父さんからは母親を連れて出て行けと言われ、真壁の言い方だとお祖父さんも孫というより若い労働力くらいにしか見られていないのかもしれない。少なくとも母親は存命のようだが、ほかの家族がいるかもわからない。
中里さんにとって真壁は単なる同じ学科の同期でしかないと聞いている。学生課の職員である伊納さんの裏付けからゼミには所属していない。真壁には友人はいるのだろうか。サークルには入っていないのだろうか。僕たち以外に関わりのある人がどれほどいるのだろう。
真壁脩士郎には、この世界から姿を消したら心配してくれる人がいるんだろうか。
僕は真壁のこともまた、何も知らないのだ。
「何ぼーっとしてんだ」
意外にすぐに戻ってきた真壁に、行くぞ、と促されて玄関を出る。
戸口を開けると、1人の女性が立っていた。
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