異世界に昇る 5

 僕1人ならまだしも、真壁と一緒に異世界へ行く……。

 最悪1日は向こうでなんとか越せるような準備をしておけとの命令が下ったので、必要なものの買い出しだけはしておいた。電池は、学童の顔合わせ会の前に買ったものがあるからいいとして、水、栄養食品、医薬品、ウエットティッシュ、ポリ袋。着替えや防寒具も用意しなきゃ。もしかして雨合羽もいるか?

 ただでさえ憂鬱なのに、さらに急な出費で金欠になってしまった。

 学生会館の2階にあるカフェスペースに常備されたコーヒーとつまめるお菓子で凌いでいると、学生サポート部会の先輩、中里さんに声をかけられた。

「まさか、昼それか?」

 中里さんは、自分の分のコーヒーを持って僕の隣に座った。

 見られてしまっては仕方ない。元々真壁とのトラブルに相談に乗ってもらっていたのもあり、状況報告も含めて話すことにした。

「いろいろあって、週末真壁とキャンプに行くことになったんです」

 ほかの人にはキャンプに行くと伝えてある。装備はほぼ同じだし、一晩明かす可能性があるので、ちょうどいい口実だ。一番大変だった両親への説得も、それでねじ伏せた。

「それまたずいぶん急だな」

「お小遣いがその準備に消えてしまったので、昼食代を浮かせようかと」

「まだバイトできないからなあ」

 中里さんは口につけたカップを置いた。大学側からは、大学生活に慣れてもらうため1回目の試験が終わるまでバイト自粛の通達があった。もちろん守らない学生の方が多いようだが。

「もしかして寝袋とかテントとか買ったから?」

「それは元々あります」

 父親が昔使っていたというものがあるようなので、母親に頼んで寝袋だけ借りることにした。テントやタープは邪魔になるだろうし。

 しかし、改めて考えると異世界で寝るとか怖すぎる。念のため持っていくが、横になっても一睡もできないだろう。

「じゃあ調理器具とか食材?」

「僕たち料理できないので」

 異世界での最大のタブーは、向こうの食べ物を口にすることなのだという。こちらから持って行ったものを調理する分には問題ないかもしれないが、やめた方がいいだろう、という話になった。

 というより、2人でエレベーターに乗り込むので、あまり多くの荷物を持っていけない。一時的な空腹を満たすだけの非常食で十分だった。その代わりおやつは持ってこい、精神安定剤にもなるからというので、飴とチョコレート、かさばるしボロボロになるがクッキーも買った。

「しかし、真壁だって1年生の懐事情くらい察せるだろ。俺から断ろうか?」

「いえ」

 中里さんがスマホを取り出そうとするので、止めた。

 今連絡されたら、中里さんは真壁に断るよう頼むだろう。僕としては本望だ。真壁を巻き込まずに済む。でも、同時に卑怯だとも思う。言い出しっぺの僕がハッキリ言えないことを、他人に押しつけるのだから。

「必要最低限のものを揃えていたら、元々昼食代くらいしかお小遣いがないのでこうなってしまっただけで……」

「それでも新入生誘って行こうとするか、普通」

「僕が誘ったんです。真壁さんを」

 中里さんは、目を丸くしていた。

「矢代が?」

「はい」

「真壁を?」

「はい」

 目をそらさずに向き合っていると、中里さんはスマホをポケットにしまった。まあ、口から出任せだが、言い出しっぺは僕だから当たらずとも遠からず、といったところか。

「どういう心境の変化?」

 僕は口を閉ざしてしまった。中里さんは、僕が怪談や怪異に遭遇していることを知らない。どのくらい信じてもらえるかはわからないが、たとえ理解があったとしても話すわけにはいかない。巻き込まれるのは僕や響だけで充分だ。

「まあ、今すぐじゃなくてもいいんだけどさ。

 なんだろうな、真壁にとって矢代が都合のいい後輩になってなきゃいいんだけど」

 僕たちの状況を知らない人からすれば、真壁が一方的に僕を振り回していることになっているんだろう。当たり前だ、誤解を解く努力もしてないのだから、ひずみが生まれている。

「大丈夫です」

 中里さんは、そう、と言った。

「キャンプっていっても、近場で夜を過ごすだけというか、最悪どこでも寝られるようにしておこうってだけで」

「どっちかっつーとサバイバルとか非常事態の訓練に近いな」

 ようやく、中里さんから笑みがこぼれた。

「そうだ、今年のAED講習の担当になってくれない?」

「AED講習?」

「心肺蘇生法。免許とか取るときもやるんだけど、サポ会でもうちの学生と教職員向けに年一で講習会やってるんだ。秋頃だし、消防に連絡して日程調整するのと当日受付とか司会とかだけだからやってみない?」

「やります」

 せっかく声をかけてくれたのだ。サポート部会のメンバーとして、できることならやってみたい。

「任せたぞ」

 中里さんは僕の肩をたたいて、席を立った。

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