異世界に昇る 3

 女の子は、自分が4時44分の四辻の少女だと認め、僕が怪異に遭うのは自分に触ったからだ、と言った。

「君を触ったって」

「あのとき、私の腕をつかんだでしょ」

「それは」

 それは、君があんなところにいたからだ。車が行き交う交差点のど真ん中に立っていたから。呼びかけても君は気づくことはなかっただろうから。

「私、都市伝説の存在なの。本来なら素通りしなきゃならないのよ。

 都市伝説の存在に声をかけたり触ったりしたら、不幸が訪れるのは当然でしょ」

 彼女は言葉を続けた。冗談を言っているようには見えなかった。

 都市伝説の存在? 本来なら素通り?

「本気で言ってるの?」

「恩を仇で返されたと思ってるでしょ?」

 心臓を槍で突かれたように、胸が痛かった。図星だったのだ。親切にしたから感謝されると勘違いしていた。都市伝説の存在というなら人間じゃない。あんなところに立ってても死なない。もしかしたら運転手に認知すらされていなかったのかもしれない。

 僕がやったのは余計なお世話。自分から妖怪に祟られにいっただけ。

 目の前が真っ暗になった。

 ただただ、自分の愚かさを思い知らされた。あまりに惨めで情けなくて涙が出た。

 ツンツン、と指で僕の手をつつかれる感触がした。

「だから渡したでしょ、それ」

 少女に言われて、僕は手のひらを開いた。手の中には、懐中電灯があった。

「私に話しかけると怪異に遭う。

 私に触れればお告げを見る。

 そしてその懐中電灯ひかりは、目の前を明るく照らしてくれる」

 僕は手のひらの上の懐中電灯を見つめた。

「呪われついでにやってほしいことがあるの」

 本気で暴れたくなる言い回しだったが、とりあえずは聞いてあげることにした。

「なんだい?」

「異世界の存在を追い返してほしいのよ」

 数秒たって、なんだそれ、と聞いた。

「君は異世界ものとか好き?」

 よく知らないがそういう言葉があるのだろう。答えないでいると、「ああいう感じじゃないんだけど」と続く。

「この世界とは別の世界があるの。で、やっぱりあっちの世界にも住人がいる。そいつらがこっちの世界に来ちゃったり、逆にこっちの世界の住人が向こうに行っちゃうことがあるのね。

 頼みたいのは2つ。あっちの世界から来る奴らを追い返す。こっちの世界から出て行く人たちを引き戻す」

 頼みが増えているじゃないか、と言いたいのを堪えて、先に実のある質問をすることにした。

「あっちの世界から来る奴らっていうのは、僕に区別ができるのか?」

「だいたいの人は妖怪とかモンスターって表現すれば想像がつくようなもの」

 ああ、それなら区別がつくし、追い返さなければならなそうだ。

「でもね、古くからいるものについては、事例が多いから対処法もあるし、なんだったら市民権を得て共生できる可能性もあるからまだいいの。

 問題は比較的新しい目撃例。来たら最後、だいたいこっちの世界で犠牲者が出る」

「大変じゃないか」

「そうよ。大変なの」

 人ごとのような調子だった。

「だからあなたに追い返してもらいたいの。

 でも、既に何回かやってるんでしょ? その懐中電灯で」

「照らせばいいのか? これで?」

 赤井さん、2階から空を見上げていた女性、響に取り憑いたカシマさん……暗闇でも真実でも何でも照らしてくれるというのは、そういうことだったのか。

「で、向こうに出て行く人たちを引き戻すっていうのは」

「いるでしょ、ここではないどこかへ行きたいと願う人」

 ふっと、頭によぎる人がいた。

「説得して引き留めろって?」

「できたって1人2人でしょ。私が期待するのはその手を封じること。

 あっちの世界から来る怪異と、あっちの世界へ渡る方法を」

 化け物の対処だけでなく、違う世界に行けるという方法を使えなくしろというのか。

「怪異の方はいいとして、方法を封じるのはどうするの?」

「同じ。真実を照らしてこちらの世界の摂理に引き戻す」

「そういうことができるのか」

「あなた次第」

 僕次第だというのに彼女が自信ありげに言うので、考え込んでしまった。

「心配しないで。あなたは私に触れたおかげでどちらも予見ができる。悪い夢を見るとか言っていたでしょ」

 僕が見てきた悪夢は、怪異と巡り会う暗示だったのかよ。

「早く対処すればすぐに見なくなるのに」

 追い打ちをかけるように、少女がこびた様子で誘導した。赤井さんの時はグズグズしていたから、人前で倒れるまで悪化したというのか。

「どうする?」

 少女に問われて、ふーっと息をついた。

「やるしかないだろ」

 少女は満足げに僕を見上げていた。喉元にナイフを突きつけて聞いたようなものじゃないか。こんなやり口で味を占めては困る。

「あのね」

「怪を話せば怪至る」

 別人が取り憑いたような、おどろおどろしい彼女の語り口に、背筋がゾクッと寒くなった。

「怖い話をすれば怪奇がやってくる。本来はそういう使い方をされているけれど、私からすれば、怖い話をすることは怪奇現象をぶ行為だ、という方がしっくりくるの」

「もう少しわかりやすく」

「向こうに渡ったことのある人の話だとね、ばれた、っていうの」

 呼ばれる?

「そして向こうに行ってみると、架空のはずの存在がなぜここに、みたいな反応をされるらしいの。

 どうやら向こうの世界の住人の中で有名になった架空の存在が、たとえばこちらの世界にいたりすると、引き寄せられちゃうみたいなのよ。

 逆の立場で考えると、こちらの世界でも違う世界にいる怪異のことを多くの人々に語られたり、あるいは文字になって読まれたりすると、そいつが来ちゃったりするみたいなのね。

 異世界に行く方法はもっと顕著で、たとえ嘘だったとしても話が広まっていくことで、本物になってしまうことがあるみたい。

 あなたの身に降りかかる話につなげると、広く知られる怪談ほど遭遇する可能性が高いの。多くの人が噂したり広めたりするってことは、それだけ何度もばれてるってことだから」

「つまり?」

「予見した時点でその現象に似た有名な話を探すことで、遭遇する前に対策ができるかもしれないってこと。

 ライトで照らしても、どうにかするのはあなた自身なんだから」

 カシマさんの時は、正しい答えを唱え続けていた気がする。懐中電灯で真実を照らした上で、何をするべきかを自分で考えなければならないのか。

「あ、そうそうもう1コ大事な話」

 ずいぶんと軽いノリだった。

「何?」

「懐中電灯の光を、絶対に鏡に映さないで」

 打って変わって深刻な面持ちで話すものだから、相づちを打つこともためらった。

「……どうして?」

「反転しちゃうの。反射した光を浴びるとこの世のものではなくなり、鏡に映ったものは吸い込まれてあちらの世界に行ってしまうと言われている。どちらにしても、二度と戻らない」

 さっきまで怖いもの知らずに思えた少女が、今は恐怖で震えていた。そんなに恐ろしいことが起こるのか、と懐中電灯を持つ手が震えた。

 その手を、小さな手が優しく包み込んだ。

「だからあなたに託したつもり」

 天使のような微笑みで、僕の手を見守っていた。僕は懐中電灯を上着のポケットにしまった。少女に握られた手は、もう震えてなどいなかった。

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