異世界に昇る 2

 昨日の加賀嶺神社からの帰り、最寄り駅を出ると夕日の美しさに胸を打たれた。

 なんで今日はこんなにも感動するんだろう。神社にお参りしてきたからかな、などと浮かれながら歩いていると、交差点にさしかかった。今日も塾通いの子どもたちが信号を待っていた。

 あれ、何だろう。僕はデジャヴを感じた。この光景に覚えがある。考え込んでいると、ポケットの中の懐中電灯に手が触れた。

 この懐中電灯をもらった時も、こうして信号を待っていたような気がする。小学生くらいの子に落とした手袋を渡したんだっけ。信号が変わって歩きだそうとしたときに確か交差点の真ん中に女の子がいて、その子を連れて走った先の近くの公園で懐中電灯をもらって。

 思い返せば、この懐中電灯をもらってから、おかしなことに巻き込まれ始めたのだ。

 僕はすぐに真壁に連絡を取ろうと思って、手を止めた。

 真壁は信じてくれるのか? 知らない女の子に懐中電灯をもらったことで僕がおかしくなったこと。それに、真壁だって、すべての噂話や超常現象知っているというのだろうか。

 家に帰って手洗いうがいを済ませると、自分の部屋のパソコンでインターネットを開いた。女の子からもらった懐中電灯には、メーカーのロゴなどが一切入っていない。まず、これはどこで製造された製品なんだろうか。いくつかの通販サイトで、ありとあらゆるメーカーの商品写真と見比べたが、全く同じものはヒットしなかった。

 気づくと外は暗くなっていたので、カーテンを引いた。電気を消した部屋の中で試しに懐中電灯をつけてみると、眩い光を発した。電池を取り替えて試しても、やはり充分ライトとしての性能を発揮してくれた。照明をつけて再び懐中電灯を様々な角度から観察したり、分解できる部分まで解体してみた。やはり企業のロゴだとかマークだとか、そもそも製造番号や電池の向きを示すような表示すら見当たらなかった。小さい企業や聞いたこともないような国で作られたものはこうなのだろうか。手がかりを見つけられないことが、僕の不安をあおっていった。

 僕は手の中でもてあそんでいた懐中電灯を、改めてまじまじと観察した。彼女はどこの誰なのかはわからないが、これ自体はごくごく普通の懐中電灯だ。そう思いたかった。

 そのまま寝落ちしたのか、気づくと朝を迎えていた。午前中いっぱい、僕は全身筋肉痛の体と戦った。体をむち打ってベッドから起き上がり、身支度を整えるのが精一杯だった。

 やっと普通に体を動かせるようになった頃には、お昼時になっていた。とりあえずご飯を食べてから考えようとダイニングに向かうと、テレビの音だけが聞こえる中、母と弟の景午けいごが黙々と食事を始めていた。自分の分のカレーライスをよそって合流する。

「あんた大丈夫なの?」

 先に食べ終わった母がお皿を片付けようとすると、僕に聞いてきた。

「昨日だって飲み会があるから遅くなるって聞いてたのに、早く帰って来たと思ったら夕飯すら降りてこないで部屋にこもっちゃって。

 今日もずっと部屋にこもりっぱなしだから聞けなかったけど、どうしたの?」

 心配性な母は矢継ぎ早に質問を繰り出す。景午は食器をキッチンに運ぶと、冷ややかな目で僕と母を見ていた。

「別に、心配ないから。昨日は疲れて寝ちゃったみたいだし、今朝は筋肉痛で部屋から出られなかっただけ」

 母はため息をついた。

「急に帰るなら言いなさいよ。それからさすがに食事の時には降りてくること。

 何もないならいいんだけどね、ほら、就職の時、サークルとかボランティアとかのことを聞かれるっていうじゃない。学業が本分だから真面目に授業受けてくれればいいと思うけど、学童クラブの子どもたちと遊ぶなんてサークル、やればきっといい経験になると思うのよ。だから」

「ごちそうさま」

 僕は空になった食器を、母が洗い物をしているシンクに加えた。母の方を見ないようにして、テーブル用のふきんを持って行ってテーブルを拭き上げると、ふきんを洗いに洗面台へ向かった。戻って母が洗い終えた皿やスプーンを食器用のふきんで黙々と拭いていく。景午は自分の部屋に行ってしまったようで姿が見当たらなかった。

「申し訳ないけど、そこには入らないことにしたんだ」

 母と顔を合わせるのが怖くて、僕は逃げるようにダイニングを出た。

 自分の部屋へ戻る途中、トイレを出た景午と鉢合わせした。彼は目を合わせようともせず、自分の部屋に戻ろうとした。

「今日、塾は休み?」

 ドアを開ける手前で、声をかけるも、何も言わずに部屋に入ってしまった。気にかけてすらいなかったが、いつからこうなってしまったのだろう。勉強もしているみたいだが、一日中部屋にこもってヘッドフォンをしながらパソコンを眺めているといつだか母が嘆いていた。

 僕まで詮索する側に回るような真似はやめようと、自分の部屋に戻った。

 懐中電灯のことが何もわからないなら、アプローチを変えてみることにした。

 僕は再びパソコンを開いて、少女の方を調べることにした。真壁の読み通り、都市伝説の類いに接触した最初の機会が彼女だとするなら、彼女もまた妖怪とか幽霊の一種なのだろうか。検索エンジンに言葉を打ち込むだけではヒットしないだろう。以前真壁が見せてくれたような、怖い話を集める掲示板サイトの書き込みを片っ端から見ていくことにした。

 怖い話というより残虐な話のタイトルや閲覧注意の赤い見出しがずらりと並ぶ光景に辟易しながら、気になる見出しを見つけた。

『4時44分の四辻に現れる少女』

 僕はリンクをクリックして、書き込みを読んでいった。

 4時44分の四辻、つまり2本の道が交差した場所だ、に現れる少女には声をかけてはならない。その少女に声をかけると不幸になるから、という話があるという。1と呼ばれる投稿主は、その少女に声をかけたところ、悪夢を見るようになったという。

 掲示板には、当然1さんの体験を端から嘘だと決めつけているような書き込みが多かった。その手の話で現れるのは「四つ角ばあさん」や「ヨジババ」などの老婆の妖怪が多い。また、不幸になるという言い伝えは、四次元に引きずられる、金縛りに遭う、殺される、などの話はあるが、悪夢を見るというのは聞いたことがない、というのだ。

 似ている、と思った。いや、違う。僕が遭遇したのはこの1さんが体験した話そのものだ。そして今更ながら思い出したのだ。信号を待っている間、手袋を拾って渡した子の集団が、まさにこの話をしていたではないか、と。

 掲示板を追っていくと、1さんの願望か、それとも異次元に連れ去られた影響か、老婆を少女だと錯覚したのではないかと決めつけられてしまった。最後にはあり得るとするなら、1さんは異世界から戻ってきた人物で、異世界に行った時の記憶を夢として見るようになってしまったのではないか、という結論になって終わっていた。

 ありえない。異次元とか異世界とか、どこか違う世界に連れて行かれたということはなかったのだから。僕はただ女の子に声をかけて懐中電灯をもらっただけなのだ。

 コメントを書く欄はあるので、僕もこの流れに参加することはできなくはないだろう。でも、僕はネットに自分のことを書き込む勇気は持ち合わせていなかった。おまけに、この一連の書き込みは10年も前で止まっている。今更僕がコメントを出したところで反応が返ってくるとは思えない。万一に返事が来ても、嘘だと叩かれるか、あるいはこの手のオカルトマニアたちに付き合わされるか。

 妖怪だとか異世界だとか、非科学的な現象を前提に考えなければ話が進まない現状に、頭を抱えた。

 真相を確かめるには、僕が思いつく限りでは、四辻の少女に会いに行くしかない。時計を見ると、もう4時を回っていた。僕は出かけるというようなことを一方的に叫んで家を飛び出した。

 駅に着いた頃には4時半になっていた。小学生集団のおしゃべりを盗み聞きした交差点で信号待ちをするふりをして、スマホの時刻とにらめっこしながら時間が来るのを待っていた。

 4時44分になった。

 交差点の中央を見ると、1人の少女が立っていた。

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