手を貸してくれませんか 9

 カシマさんの正しい答えを唱え続けていると、我に返っていた。響のほおには、一筋の涙が伝っていた。もう、首元が締まっていることはなかった。

 懐中電灯を持つ手を横によけると、馬乗りの姿勢だった響が落ちてきた。やはりだが図体が大きいからその分重い。セメントでものしかかってきたくらいの衝撃があり、臓器が潰れるかと思った。

「夕介」

 耳元にささやく声が聞こえる。包み込むように、僕の背中に手を回してくると、肩に掛かる息づかいが感じられた。僕も壊れやすいものを優しく扱うように、そっと背中に手を回した。

 安らかな寝息を立てるくらいに安定したのを見計らって、ゆっくりと響を引き剥がす。立ち上がって、三々五々に倒れている子どもたちを見下ろした。

「ひまりさん」

 一番近くに倒れていたひまりさんの近くにしゃがみ込んだ。ためらいはしたが、息の確認もしたかったので真実を照らすらしい懐中電灯で照らしてみた。

 ひまりさんが飛びついてきた。

「せんせい」

 僕の腕の中で彼女は涙ぐんでいた。怖かったろう。落ち着くまで彼女の背中に手を当てていることにした。

「せんせい」

「なあに?」

 ひまりさんが顔を上げた。

「せんせいやっぱりおうじさまだね」

 突拍子もないことをいうので固まってしまったが、ひまりさんは「カノジョでもだいじょうぶ」と続けた。

 おやつの時のことを気にしていたのか。

「僕は彼女もできないただの大学生だよ」

 ひまりさんの頭をそっとなでて、彼女を下ろした。

「まおさん」

 近くで寝そべっていたまおさんに声をかける。まおさんは起き上がるなり、ボロボロ涙をこぼし始めた。

 懐中電灯で照らしてしまったので何となく事情を察してしまい、黙ってティッシュを差し出した。

「何?」

「みんなが起きる前に顔をきれいにしておいて」

 ティッシュを無理矢理握らせて、そのままりんかさんのところへ行った。りんかさんは起き上がってからしばらくしても反応がなかったので、そのままゆめさんとるりさんを起こして、男子たちの方へ行った。まおさんはティッシュを取り出して鼻をかんでいた。

 一旦懐中電灯を消して、りゅうせい君を探す。意外に近くに倒れていたものだから危うくつまずくところだった。懐中電灯を点灯させて起こすと、ものすごくご機嫌斜めだった。

「何」

「たける君起こしてきて」

「何で」

「かい君とこたろう君とさくや君は僕が起こすから起こしてきて」

 最初はむすっとしていたけれど、しぶしぶたける君の元に行った。

 こたろう君とさくや君は隣り合って倒れていたので、まとめていっぺんに体を揺さぶった。寝ぼけなまこの2人を立たせて、3人でかい君を起こしに行くぞ、とけしかけた。

「かいー、起きてくれよー」

「かいー」

 2人が揺さぶっていると、かい君はむっくりと起き上がった。

「おまえら」

「かいー」

 友人2人が抱きついてくるものだから、かい君はかなり嫌がったようだ。痛えよ、ともがいている。

「だってメチャクチャ怖かったんだもん!」

「それにメチャクチャ痛かったし!」

 そりゃーそうだけどさーとじゃれつく3人を尻目に、女子たちの方を見ると、まおさんからはもう涙が消えていた。

 残る最後のたける君の方を見た。りゅうせい君が声をかけて体をつついているものの、全く反応がない。

 おりゃー、とおどけたように懐中電灯の光をたける君に当てて、まぶしがって体を丸めたのを見て消した。

「たける君」

 しゃがみこんで声をかける。

「君は生きていかなきゃならないんだよ」

 たける君は丸まったまま返事すらしない。

「でも君は運がいいことに、助けてって言うことができる」

 かすかに、たける君が動いた気がした。

「助けてって言ったら、助けてくれる仲間がいる」

 僕は立ち上がって、たける君の後ろを見渡した。

 同じ学童クラブに通う、9人の仲間がこっちを見ている。

「そして君はいつか、そんな誰かを助けることができる」

 小さく頭を振った。

「できない」

 小さな、きれいな声が聞こえた。たける君の声だ、と気づいた。

「先生はだめっていうもん」

 こんな小さな子にそんなことを言う先生がいることに、胸が痛くなった。

「パパは?」

 るりさんが無邪気に声を上げる。

「いつも仕事でいない」

「おじいちゃんとかおばあちゃんは?」

 さくや君が興味津々といった様子で近寄ってくる。

「カイゴ」

「……お母さんは?」

 かい君がおずおず聞くと、先に顔を背けたのはりゅうせい君だった。

「……天国に行っちゃった」

 かい君がごめん、と言ったきり、誰も何も話さなかった。

「いた!」

 気づくと、場違いに声を張り上げた島津さんが立っていた。

「どこ行ってたのみんなして! 本当に探し回ったんだからね、3年生全員消えちゃうから」

 言うだけいって僕と響を交互に見ると、「信じられない」とつぶやいた。

「というか、何かあった? ケガとかしてない?」

 まだ心の整理がついていないであろう3年生たちに矢継ぎ早に質問する。誰も質問に答えないまま口々に「ごめんなさい」と謝っていた。

 島津さんもいい足りないようだったが、「みんな待ってるから」と子どもたちを立ち上がらせて連れて行った。

 形式的な子どもたちとの挨拶が済むと、3年生は引き寄せられるようにこっちに近寄ろうとしたが、学童の先生の目があったせいか、そのまま引き返して行ってしまった。

 バンビも撤退準備を始める中で、響が島津さんに声をかけた。

「あの」

「何?」

 口調はかなりいらだっていた。

「顔合わせ会に参加したんですけど、すみません、入会を取りやめようと思いまして」

 僕も流れで近寄っていく。島津さんは、僕たちに千円札をよこした。

「後ろの君も?」

 僕のことにも気づいたようなので、はい、と言ってしまった。

「参加費。返すわ」

 響に千円札を3枚渡すと、僕にも同じものを押しつけてきた。

「でも参加したので――」

「いらない。新入生にたかるほど困ってない。

 それより二度と来るな」

 島津さんの眼光は、強い怒りを帯びていた。僕はしぶしぶお金を受け取った。

 僕たちはおやつのゴミ入れにこっそり名札を捨てると、逃げるように彼らの元から立ち去った。

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