手を貸してくれませんか 8

 気づくとどこかに横たわっていた。頭が朦朧もうろうとしていて、自分がどこにいるのかすら考える気力もなかった。

 目を覚ましたと誰かが知らせたのだろう、中年の男女がやってきて、大丈夫か、よかった、気づいたのね、と声をかけていた。この2人が響の両親だろう。

 やがて白衣を着た医者が来て、MRI撮ったけど脳の異常は見当たりませんでしたよ、とか、骨折も1週間したら治るでしょう、とか、これだけ意識がハッキリしていれば大丈夫でしょう、とか、いろいろ診断を下していった。やりとりを見ている限り、どうやら自転車事故のケガ人として病院に運ばれたらしい。

 最後、両親に席を外すよう言われた。

「君、変なクスリとかやってないよね?」

 お医者さんにそう言われて、頭の中が真っ白になった。

「……え?」

「今の感じだとそんなことないんだけど、一応血液検査と尿検査をお願いすることになるからさ。

 救急搬送のとき、暴れ回ってて、救急隊の人とかに殴りかかってきたらしいのね。押さえつけて来て、こっちでも鎮静剤を大量に打って処置したみたいだけど、実際に診たお医者さんとか看護師さんの話だと、頭打っただけとは考えられないって話だったのね」

 暴れ回っていた? 被害者はこっちなのに?

「確認するけど、やってないよね?」

 やってません、と小さな声で答えることしかできなかった。薬物を使っていただなんて、あらぬ疑いをかけられてしまったことが腹立たしくて、悔しかった。

 お医者さんはくるりとパソコンの方を向いて、「ご両親にはこのことは話してないし、検査も念のためって言ってあるから」と言った。

 当然、陽性反応など出るわけもなかった。

 今度は床に崩れ落ちてしまった。立ち上がろうとしても、力が入らない。

 大丈夫ですか、と看護師さんらしき人が駆けつけて来る。手すりにつかまったまま、大丈夫です、とうつむいていた。

 おかしいですよね、と女の人の声、おそらく響の母親だ、が診察室の向こうから聞こえてきた。

 自転車事故に遭って一晩寝ていただけなのに、自分で立っていられないほど筋力が落ちている。

 どうなるんですか、あの子は、と男の人の声、こちらは父親だろう、が問いただした。

 リハビリを続けるしかないだろう。日常生活すら困難なこの状況を抜け出さなくては何もできない。文字通り箸より重いものが持てないようでは、次すら考えられない。

 立ち上がろうとしたとき、キャア! と看護師さんが悲鳴を上げるのが聞こえた。それを聞いてか、周囲の人が離れていった。

 診察室から両親とお医者さんが出てくる。どうした、という声がする。

 ボキッ、ガラン、と、すごい音を立てて、壁に設置された手すりがはたき落とされた。

 人が恐れおののきながら離れていく。声がした後ろを振り返った。

「腕を寄越せ」

 両親に向かって言ったようだ。そんなことをいうつもりはなかったのに、口から別人の声で、そんな言葉が出てきた。

「あああっ、あげられないっ」

 お医者さんが首をブルブル振って答える。頬のたるんだ肉が一緒になって揺れていた。

「足を寄越せ」

「どうしちゃったの、響?」

 母親がヒステリックに尋ねる。「落ち着くんだ!」と父親が怒鳴った。

 腕を伸ばすと、あの女、あのとき道のど真ん中に立っていた女と同じようなただれた腕が現れた。

「響!」

 両親がへっぴり腰になって後ずさり、人々が悲鳴を上げ逃げ惑い、警備員らしき人が駆けつけて取り押さえようとする中で、1人、カシマさんにこの体を乗っ取られてしまったのだ、と冷静に考えた。

 スマホを取り出してこちらに向ける者がいたので、腕を伸ばして手首をつかみ、ひねりあげた。後ろから撮ろうとする奴もいたので、どんどん腕を伸ばして腕や足や首をつかんだ。野次馬らしき人間はスマホを投げ捨てると、すべて背を向けて逃げていった。

「と、とにかく治療するから! 最善を尽くしますから!」

 医者も情けない姿をさらしながらそう答える。冷めた目で医者を見ながら、腕を引っ込めていった。

 おびえる両親たちに、顔向けができなかった。

 場面が変わって、高校の教室の中にいた。みんな夏服から冬服の制服に替わっていた。学校に来れたんだ、と思いがこみ上げてきた。

「あのさ」

 1人の男子生徒に声をかけた。あの日怪談話をした中の1人、カシマさんの話をした生徒だった。

 人気のない廊下まで移動して、話を切り出した。

「オレが事故に遭う1週間くらい前、みんなで怪談したの覚えてる?」

 彼は面白くなさそうに、「あったね」と答えた。

「こーちんカシマさんの話したじゃん?」

 こーちん、が彼のあだ名なのだろう。こーちんは、「で?」と聞いた。

「えっと、その……」

 こーちんはむすっとして、「なんだよ」と行ってしまいそうになった。

「あの話って、作り話だよな?」

 こーちんは冷たい目を向けた。

「だから何?」

「え?」

「普通あり得ないでしょ、あんな話。だから事故に遭ったって?」

 こーちんは顔色一つ変えず、すらすらと言葉を出した。

「まあおまえ最後の大会出られなかったもんね。そりゃ残念だよ。

 え? もしかして推薦でもかかってた? そりゃご愁傷様だね」

 推薦合格がかかっていたと勘ぐられるということは、相当優秀な選手だったのだろう。それだけでもチームとしてはダメージが大きいと思うのに、仲間が高校最後の大会に出られなかったことが、ご愁傷様、で片付けられるものなのだろうか。

「まさかだけどそれで大学決まると思ってた? でもそれ勉強しなかったのが悪いんだし、どっちかっていうと自業自得じゃね?」

 推薦の枠の厳しさはわかっているつもりだ。でも……。

「事故だったんだよな?」

 確かめるように、こーちんは聞いてきた。

 ああ、と答えるしかない。でも、そう答えたらきっとこの人の言い分を認めたことになる。人の揚げ足をとってまんまと自分の手柄にするような、不気味な笑顔に。

 気づくと、目の前にこーちんが倒れていた。手や足がおかしな方向に曲がっている。周囲に人が出てきて、ひそひそと何かを話している。

 きっとやってしまったのだ、と悟った。そしてもう戻れないのだ、と。

 リハビリを続けながら参考書を広げる。このまま競泳の道に進むことは不可能だ。普通に大学受験するといっても、すでに半年を切っている。こーちんに指摘された通り、どうやら成績はよいとはいえないらしい。これが解けるまで休憩しないと誓ったのに、考えてもわからずじまいでへばってしまった。

 浪人するという手もあるかもしれないが、正直そこまで親に負担はかけられない。就職はもっと無理だ、頭になかったのだし……。

 這いつくばって机の上に置いてある分厚い冊子、大学案内を手に取った。体育系の学部がある大学に折れ目がついている。親に負担をかけずに今の自分からなんとかなりそうな進路。

 パラパラめくっていくと、残された最後の選択肢に目がいく。

 これを最後に記憶が途絶える。まどろみながらも、真壁が言っていたあの言葉を唱える。こーちんも最後だけは役に立ってくれたものだ。対処法はちゃんと真壁のものと同じだった。

「カは仮面のカ、シは死のシ、マは魔のマ、レイは霊のレイ、コは事故のコ――」

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