手を貸してくれませんか 5

 予定としては、まだなわとびの時間は終わっていなかったらしい。

 島津さんが、「もう1回鬼ごっこやりますか?」と学童の先生に確認をとっているのを耳にする。学童の先生たちはそうねー、とかせっかくの機会だもんね、と話し合っていた。

 よーし、鬼ごっこやろうかー、と学生のせんせいたちが子どもたちを集める。僕もついて行こうとすると、ふと、たける君の姿がないことに気づいた。

「たける君……?」

 辺りを見回していると、学童の先生に声をかけられた。

「あそこにいるわよ」

 指さしたベンチの方に、ベンチの隣で体育座りをしているたける君がいた。

「ちょっと行ってきます」

「近寄らない方がいいと思うけど」

 学童の先生が言うのも聞かずに、僕はたける君の方へ駆けていった。目の届く範囲にいるとはいえ、ちょっとかわいそうだ。

「たける君」

 僕は少し手前で立ち止まった。うつむいていたたける君が、ほんの少しだけ顔を上げた。

「こっちに来なくていいの?」

 話しかけると、たける君は顔をうつむけてしまった。

 僕がしゃがみこもうとすると、たける君は急に立ち上がって、タタタとかけていってしまった。

「待って!」

 予想だにしなかった動きに面食らいながらも、たける君を見失うまいと追いかける。

「待って、鬼ごっこ、したい、なら、こっちで、みんなと、やろう、よ……」

 息が上がってしまうのを毎度のことながら情けなく思う。追いかけていくと、やがてたける君はトイレらしき小屋の陰に入った。

「たける、君」

 彼の名を呼んだ瞬間、頭痛に襲われる。

 子どもたちに迫る鬼のような手が見える。すぐに景色が元に戻る。嫌な予感がした。

 やっとのことで小屋にたどり着いて、陰をのぞいてみると、思いもよらぬ先客がいた。

「たける」

 数人の男子たちがたける君を取り囲んで、詰め寄っている。さっきまで一緒に大なわとびをしていた、かい君、こたろう君、さくや君だった。かい君の後ろから、りゅうせい君がのぞき込むように4人の様子を見ている。

「おまえ、何なんだよ」

 かい君が声を上げる。たける君は何も答えなかった。

「なんで跳ぼうとしないんだよ!」

 かい君がどついたのを皮切りに、よってたかって手や足をあげた。りゅうせい君までも、たける君を殴り始めた。

「ダメだよ!」

 出て行くと、彼らは化け物を見るような目で僕を見た。

「せんせいには関係ないじゃん、あっち行けよ!」

 りゅうせい君が僕を突き飛ばす。幸い、僕にはそれに耐えるだけの体力は残っていた。

「よってたかって弱いものイジメして! いいわけないだろ!」

 突然、腹にパンチされたような衝撃が加わって、僕はよろけた。僕の前に立っていたのは、猛獣のような目つきで僕を見るたける君だった。たける君はもう一発、僕に頭突きを繰り出した。

 おい! という声とともに、後ろから男子たちがたける君を引っ張る。たける君はされるがままに引きずられていった。

「たける君!」と名前を呼ぶと、「せんせい?」と声がした。

 見ると、遠くから僕らの様子をうかがっていたのか、女子5人がそろっていた。

「みんな、誰でもいいからせんせい呼んできて、このままだとたける君が」

「えー」

 きれいにハモった声で、女子たちは嫌がった。

「なんで私たちがせんせいをよんでこなきゃいけないの?」

「友達だろ?」

「トモダチ?」

 そろって首をかしげ始めた。

「せんせい、ともだちってもしかしてたける君のこと?」

「たける君にともだちはいないのに」

「たける君がわるいんだよ」

 女子たちの言い分に、僕は本気で腹が立った。

「同じ仲間が、あんな目に遭ってるのを助ける気はないのか!」

「じゃあせんせいがやれば?」

 ひまりさんがさげすむような目で、僕を見下ろした。

「おにごっこもしないし大なわもしないのに、せんせいはたける君のほうがいいんでしょ。

 いっしょにおやつまで食べたのはわたしたちなのに、わたしたちのことはともだちじゃないんでしょ」

 そんなこと言ってない、と言いたくなったが、今はたける君の無事を優先すべきだ。

「何でもいいから呼んできてよ! 僕1人じゃ何もできないから!」

 女子たちに言い残して僕は男子たちの方へ急ぐ。男子たちは再びたける君に殴りかかっていた。

「君たちやめるんだ!」

 男子たちの間に割って入ると、いったん男子たちは動きを止めた。

「なんでたける君を殴るんだよ」

「殴ってません」

 かい君がしらを切った。

「グーでたける君を殴ってただろ」

「殴ってません」

「殴ってた」

「せんせい何なの?」

 こたろう君が詰め寄ってきた。

「かいは殴ってないっていうじゃん。オレらの言うこと信用できないの?」

「せんせいもしかして怒ってる?」

 さくや君に煽られて、思わず「怒ってるよ」と応戦してしまった。

「怒ってるよ。

 せんせいには君たちがたける君をいじめているようにしか見えないよ。

 どんな理由があったって大勢で暴力を振るうなんて間違ってる」

「せんせい」

 るりさんが、面倒くさそうに声をかけてきた。

「妹が別のせんせい呼んでくるって」

 一刻を争う事態を妹に丸投げするなんてと叱りたくなったが、アクションを起こしただけでもよしとして不問にした。

「はあ?」

 かい君が女子にふっかかる。

「だってぇ、せんせいが呼んできてって」

 まおさんが体をくねらせてかい君に答えた。まおさんは僕のことを敵と認定したようで、恨めしげな視線を送ってきた。

「まおたちのこと、おどしたんだよ」

 かい君はその一言を聞いて、完全に頭に血が上ったようだった。まおさんは陰でざまあ見ろといわんばかりの笑みを浮かべていた。

「せんせーだって人のこと言えねーじゃん!」

 人のことを言えないというのなら、いじめている自覚があったようだ。たける君を押さえつけていたこたろう君とさくや君が、たける君を引っ張り上げた。

 りゅうせい君が拳の関節を鳴らす仕草をしている。たける君の時とは違って、本気で殴りに来る目だった。あのたける君までもが、僕にじりじりと近寄ってきた。

 このままじゃ4人、いや、下手するとたける君まで加わるかもしれない。僕に勝ち目はないし、せんせいを呼んだのに女子たちに嘘の証言をされて裏目に出てしまう。

 たった1人で形勢逆転を狙うには、考えるしかない。考えろ、考えろ……。

「こんなことしてもさ、きっと誰かが見てるよ。君たちがひどいことしてたこと」

 殴りかかろうとしたところで僕が命乞いを始めたものだから、闘志がなくなることはないものの子どもたからは戸惑いの色が見えた。

「ねーよバーカ」

「あるよ、例えばウデババアとか」

「あれ本の中の話だよ? せんせい空想と現実のクベツもつかなくなったの?」

 まおさんがあきれている。僕はりんかさんの方を横目で見た。りんかさんの腕に、ゆめさんがぴったりとくっついている。

「じゃあカシマさんって知ってる? 妖怪なんだけど」

 僕は再びりんかさんを一瞥する。りんかさんは唇を少しだけ動かした。多少食いついたようだ。ゆめさんはさらにりんかさんの腕につかまって、震えていた。

「はあ?」

 かい君のペースに乗せられないようになんとかしのげばいい。どういうやつかは結局知らないけれど、適当に設定をでっち上げればいいだろう。とにかく彼らの中で燃えたぎる暴力性をしのげればそれでいい。

 よくないけど、それしか方法はない。嫌な大人になってしまった。あれだけなりたくないと思っていた、最低の大人になってしまった。

「どうせ嘘っぱちなんだろ、なら――」

 かい君が拳を振り上げようとしたとき、おい、とこたろう君が止めた。

 あれ、と僕の後ろをさくや君が指さした。

 急に子どもたち全員の態度が変わったので隙をついて逃げよう、などとクズなことを考えていると、肩に手が置かれた。

 響だった。

 助かった、と思った。

「響」

「呼んだ?」

「ああ。大変なんだ。今――」

「呼んだよね、カシマさんのこと」

 振り返って面と向かって顔を合わせると、響の視点が定まっていなかった。

「響?」

「オレだよ」

 響の背後から、どんどん湯気のようなものが現れて、やがてそれは女の形になっていった。

 手を寄越せ、と女の声がした。

 響の口が再び開いた。

「オレだよ、カシマさんは」

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